1ピリオド ~出会い②~
コン、コン。
「どうぞ」
落ち着いた女性の声が返ってきた。
俺は深呼吸をひとつ置いてから、ゆっくりとドアを開けた。
校長室は、記憶の中の薄暗くて紙の匂いが漂う空間とはまるで別物だった。
雑然と積まれていた書類はなく、整った机と落ち着いた色の家具――
大人のための静かな空間、という雰囲気が漂っていた。
机の向こうに座っていたのは、黒髪を後ろでまとめた女性だった。
シンプルなスーツなのに目を引く存在感がある。
「こんにちは。鶴賀中学校校長の
ほほ笑むと、その場の空気が一段明るくなった気がした。
「中谷亮多さんですね」
立ち上がった葵校長は丁寧に会釈し、向かいのソファを示した。
「お忙しいところ、お越しいただきありがとうございます」
「いえ……急な連絡だったので、少し驚きましたけど」
座りながら答えると、葵校長の表情がわずかに引き締まる。
「実は――お願いしたいことがあるのです」
「バスケ部の外部指導員の件でしょうか」
「ええ、そのことです」
校長はゆっくりとうなずき、現状を語り始めた。
「バスケ部は今、部員不足と指導者不足に悩んでいます。
正式な部員はたった四人。バスケは最低でも五人は必要です。
さらに、以前の指導者は高齢のため引退してしまいました」
「四人……?」
思わず聞き返す。
葵校長は続ける。
「以前はもう少し人数がいました。ですが……次々と辞めてしまいました」
言いづらい話なのか、窓の外へ視線を向けた。
「理由は、今の四人についていけなかったからです」
ついていけなかった――?
「四人は皆、バスケに才能があります。ですが、そのどれもが個人技の才能です。
協力してプレーすることが、苦手なのです」
個人技に特化した四人。
それが今の鶴賀中のバスケ部の姿らしい。
「『一対一なら誰にも負けない』――彼女たちは、そう言います。
ですが、試合で勝てません。それでも負けた原因が自分にあるとは思っていません」
(なるほど……)
校長は俺を見つめながら、静かに言った。
「だから、あなたにお願いしたいのです。
彼女たちに、バスケにおけるチームを教えてほしいのです」
俺はしばらく考える。
「……俺に、できるでしょうか?」
「あなたは中学時代、個の力で戦うタイプではなかったと聞いています。
それでもチームとして市大会三回戦まで勝ち進み、強豪校を破ったこともあると」
中学時代の記憶がよみがえる。
俺たちに突出した才能はなかった。
でも、チームで勝った。
「特別なことをしたわけじゃありません。ただ、皆で戦う方法を探しただけです」
「その皆で戦う方法こそが、今のバスケ部には欠けています」
葵校長はきっぱりと言った。
「……俺が指導したからといって、生徒たちが変わる保証なんてありませんよ?」
「大丈夫です。その必要はありません」
「必要は……?」
「彼女たちは強い。けれど、このままでは必ず限界が来ます。
それに気づける存在――それが、あなたなのです」
まっすぐな眼差しだった。
それは、軽い期待ではなく、本気の信頼。
(……この人、本気で俺を必要としてる)
俺はゆっくり息を吐き、決断した。
「……わかりました。できるかどうかはわかりませんが、やってみます」
葵校長はほっとしたように柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます。彼女たちは――あなたを必要としています」
その笑顔に思わず返す言葉が遅れた。
会話の中で、何か確認すべきことがあったような気がしたが……すべて流れてしまった。
「それでは、顧問の先生を紹介しますね」
そう言って校長が立ち上がる。
――このとき確認しなかったことを、俺は後に後悔することになる。
指導の期間限定の話、そして……
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