第3話 彼女の揺れる想い

 朝のホームルームが終わると同時に、俺はクラスの空気に耐えきれず教室を出た。


背後から聞こえるクスクス笑いや冷たい視線は、もう昨日からずっと続いている。


どうやら“文化祭資金横領犯”のレッテルが、完全に貼り付けられてしまったようだ。

 廊下を歩きながら、ふと気づく。彼女――彩花の姿が見当たらない。放課後に話してみようと思っていたけれど、今は顔を合わせるのも難しそうだ。昨日だって、俺の説明を信じてくれたとは言いがたいし……。


 息苦しいまま階段を下りていると、ちょうど下の階の踊り場で女子の集団が固まっていた。その中心にいるのは……彩花と、イケメンの瀬良。それに取り巻き数人。何か話し合っている様子だ。


「……無理しなくていいんだよ。彩花ちゃんが辛いなら、俺たちがサポートするから」


 瀬良が優しげな表情で語りかけ、彩花は困った顔をしながらも、どこかほっとしているようにも見えた。


「あいつのせいで変な噂に巻き込まれてるなら、離れちゃえば? 彩花ちゃんは何も悪くないんだし」


 取り巻きの一人がそう言って、彩花に肩を寄せる。彩花はうつむきながら、小さく頷いた。


 目を疑った。彼女は俺の彼女のはずなのに。しかも“あいつ”って、どう考えても俺のことだ。だけど今の彩花が、全力で否定する気配はまったくない。瀬良たちの言葉に流されているのが、階段の上からでもわかる。


 もしここで「待ってくれ!」と飛び込めば、さらに泥沼化しそうな予感。すでにクラスの連中からは厄介者扱い。瀬良の取り巻きに逆らったら、俺や鳳さんへの風当たりがもっと強まるかもしれない。


 結局、俺は何もできずにその場を離れた。

もしかすると彩花は、俺と一緒に転落するのが怖いのかもしれない。彼女にとっては、瀬良たちの方が“居心地がいい”のだろう。そう思うと、胸が苦しくてしょうがない。


 昼休み、こっそり弁当を食べようと校舎裏へ行くと、鳳 真琴が先に来ていた。


きれいな髪が風になびく姿は相変わらず絵になるが、その表情はやはり沈んでいる。


「阿久津くんも、ここで食べるの?」


 少し意外そうに彼女が微笑む。


「うん……教室、居心地悪くてさ。鳳さんも?」


「そう。私も同じ。クラスメイトがヒソヒソ言ってくるし、今まで仲良かったはずの子まで私を避けるの」


 そう呟いて、真琴はトーンの落ちた声で続ける。


「こんなにあっさり見放されるなんて、思いもしなかった……私、もしかして友達だと思っていた人たちをわかってなかったのかも」


 女王とまで言われていた彼女が、まるで一般生徒よりも惨めな扱いを受けている。


もしかすると、一度嵐が吹けば全部崩れるほど、彼女の人気は危ういものだったのか。


 ため息しか出ないが、ここでふたりしてメソメソしても進展はない。


「鳳さん、少しでも怪しい点があったら教えてほしい。たとえばアクセス権とか、領収書をいつ誰に渡したとか……全部洗い出してみよう」


「……そうね。私たちがやってないなら、犯人はきっと他にいるはずだもんね」


 真琴は震える拳をぎゅっと握る。その表情には微かな光が戻りつつある。


「うん、犯人さえ見つければ、俺たちの疑いは晴れる。多分……」


 多分、と口ごもるのは、仮に犯人がイケメンやその仲間だったらどうなるのか、想像すらしたくないからだ。立場が強い相手を追及したところで、また“でっち上げ”と返されるかもしれない。


 けれど今は、やれることをやるしかない。俺は自分のスマホを取り出して、昨日までのデータ管理表やチャットのログを開いて見せた。真琴も「これは私のメモ」とノートを取り出す。


 短い昼休みの間に、可能な限り情報をまとめていたらチャイムが鳴り、「続きは放課後にしよう」という言葉を残して俺たちは別れた。


 だが、放課後――。


 文化祭実行委員会のあるはずの教室に行こうとしたら、「お前が来るな」という瀬良の声が響く。廊下の手前で待ち構えていた取り巻きたちが邪魔をする。


「ここの資料は俺たちで確認するから、お前らは引っ込んでろよ。下手に触ってデータ改ざんされても困るし」


「いや、改ざんなんてしないだろ。むしろそっちが隠蔽するんじゃないのかよ?」と俺は言い返したい気持ちを抑えるが、相手は複数。


「うるせぇ、疑われたくないなら大人しくしとけよ。どうせ犯人でしょ?」


「ちがっ——」


 その瞬間、遠くで小さく悲鳴のような声が聞こえた気がした。まるで真琴が呼んでいるような。けれど俺は取り巻きたちに押し戻され、教室に近づくこともできない。


 イケメンの瀬良は仁王立ちで俺を睨み、「お前が必死になると、ますます怪しく見えるんだけど?」などと嘲るように微笑む。その態度が腹立たしくて仕方ないが、抗うすべがない。


 結局、そのまま帰宅を余儀なくされた。夕陽に染まる校門を出るとき、ふと背後で「阿久津くん……」と小さな声がする。振り返ると、真琴がいた。


「……ごめん。私も中に入れなかった。あの人たち、私が委員長だったはずなのに全然聞いてくれなくて……」


 真琴の目にはまた涙が浮かんでいる。


「仕方ないよ。もっと露骨に暴力でも振るわれたら、大問題だろうけど……言葉で追い払われてるだけだからな」


 歯がゆい。こんなにしんどい状況なのに、何をどう動いていいかわからない。ただ、二人とも同じ苦しみに押しつぶされかけているのは確かだ。


「明日また、少しずつ証拠を探そう。……諦めないでいよう」


 俺はそう言うしかなかった。真琴が弱々しく頷き、「うん。ありがとう」と言ったあの声が、今夜の眠りをさらに重くしそうな気がしてならない。

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