{第二章}血戦⑦ 雨粒の声に耳を澄ますと、彼らは笑っていた
凌三高校校則
其の一、部活動の作成、活動、所属は、公序良俗に反しない限り、原則自由であること。また、部活動に関する請願又血戦の異議申し立てに関する審判は凌三会に帰属し、その他部活動も凌三会に連なる。凌三会の頭取は人事権、校則立案権から成る大権を有す。
{第二章}血戦⑦
ザザザ、ザーザー、ザーーザー
小雨だけがこの世界に音の存在を知らしめている。姉さんの隣にいるアイドル女が傘から顔を出し、大原女に向けていた。
「あれれ?咲ちゃんじゃん!この前はどーもー」
良く通る明るい声でアイドル女は話しかける。
「音香、こいつと知り合いなのか」
宝〇歌劇団にいても違和感のない、両性を魅了する声の姉さんが音香に尋ねる。
「そうなんだよ暦れき。体操着を一新することになったじゃない?広報誌にそれを載せるために咲ちゃんをモデルとして採用してみたんだ!」
(竹馬部と翼賛会が血戦をしたあの昼休みに大原女が体操着でいたのはそのためか)
「そうか」
暦というらしい大原女の姉さんは、大原女を見下ろし、言葉を紡ぐ。
「お前は一体、何をしているんだ」
「わ、わたしは……」
「お前は何故、この学校に足を踏み入れた」
「……」
黙り、俯く大原女。普段場を制圧するのは大原女なのに、今は完全に立場が逆になっている。大原女以上の制圧力、呼吸すら彼女にコントロールされているようだった。
「お前がこの学校で何をしようとも、無駄だということが分からないのか」
「わ、私は!姉さんを越すためにこの学校で…」
「何故私を越さなければいけないのだ」
「そ、それは姉さんを越すことが私の…」
(こんな大原女は初めて見たぞ)
「ならば万が一にでもお前が私を越したとしたならば、その後、お前はどうする」
「……」
「お前は、昔から私を疎ましく見ていたな。私という存在が無ければお前は」
「ちょっと待ってくれよ大原女さん」
大原女暦の紡ごうとした言葉が、大原女の精神を著しく損耗する類の物であると俺は直観的に感じた。
「何者だ。お前は」
圧倒的なプレッシャー。足がすくんで動けない。
(大原女はこれを、生まれてからずっと喰らってたのか。正気の沙汰とは思えないなホント)
「俺は一年壱組、こいつと同じクラスで同じ部活の黒木歩だ。」
「黒木、お前があの黒木なのか」
大原女暦は俺の素性に心当たりがあるようだった。流石トップ、何でもお見通しという訳か。
「ああ、その黒木だよ。あんた、大原女、ああややこしいな。咲を壊そうとしただろ。あんたが言おうとした事は、はっきり言えば終わってるね」
「あ、あなたね!暦になんて口の利き方をしてるのよ」
「今はお前に話していない」
「あなた…!」
俺を諫める一ノ瀬音香は、今は邪魔だ。
「こいつの事は私が一番知っている。お前に口をはさむ権利は無い」
「いいやあるね。俺は凌三ぶっ壊し部の副部長兼参謀だ。しかも、お前は咲について何も知らない。咲はな…」
更に啖呵を切ろうとする俺を、後ろから大原女が抱き留めて制止する。
「やめて。もう良いから。やめて」
大原女の心の底からの嘆願。頭に上った血がスーと抜けていくようだった。
「ああ、悪い。こんなのはやめだ」
俺は大原女暦に、何を言おうとしたのだろうか。こいつを庇う義理なんてどうせ部活を辞める俺には、無いはずなのに。
大原女暦は俺らを怜悧な眼差しで一瞥した後、何も言わずに玄関に入っていった。それに一ノ瀬音香が続く。一ノ瀬音香は俺に何か言いたげな様子だったが、言葉を飲み込み去っていった。
残された俺らは、大原女暦が受けた視線とは逆の、侮蔑と怨嗟の籠った目線を左右両方向に散った生徒たちから浴びながら、正門を後にした。
俺は大原女の傘を8割どころかほぼ全てを大原女に差しながら、無言で帰宅する。
小雨だったはずの春雨は、いつの間にか激しさを増していた。
「私の酷い姿見て、幻滅したでしょ」
大原女が話始める。
「幻滅なら出会って速攻暴力振るわれたときにしてる」
これは本当。そして大原女のマンションに着く。
「ごめんね」
そう一言言い残し、大原女はエレベーターに乗り込んでいった。今までのしおらしモードとは違う、意志の強い瞳の輝きを失っていた。俺は、何も言う事が出来ず、その後姿を見ることしか出来なかった。
翌日の金曜日朝、相変わらずの曇り空。昨日の朝大原女から共有された血戦のルールを、俺は視線が痛い教室で振り返っていた。
・二対二で三十メートル四方の障害物が多数設置されたステージで行う
・時間制限が十五分あり、頭に当たったら三点、それ以外は一点として両陣営の合計得点を計測
・個人体力が二十あり、それが尽きれば強制的にゲームオーバー
(こんなもんか)
ルールの予習がひと段落つき、俺は隣の席に目をやる。大原女は今日は出席しないらしい。
昨日あんなことがあったのだ。思うことが色々あったのだろう。
「あのさー黒木?君だっけ。昨日の大原女様とのやりとり、あれってどういうこと?」
やかまし女が俺に話しかけてくる。ほぼ全員の目線が俺に集まり、非常に不愉快だ。弾避けのあいつらもいないしどうしたものか。
「別に。お前には関係ない」
「あんた昨日も思ったんだけど、その言葉遣いどうにかなんないの?」
「礼節を欠いても構わない相手にしかしないからどうでも良いな」
何故だろう、頗る虫の居所が悪い。今までの俺なら華麗なスルーか圭へのバトンタッチなどとことん逃げに徹していたのに。
「あんたね!それどういう意味よ!」
やかまし女が喚く。酷く煩くて、脳に響く嫌な声だ。これ以上話したら俺が何を言うか分かったもんじゃない。
「お前、一回顔と声を見直したほうが良いぞ。じゃあな」
そういって俺は、相手の非難も教室中のあらゆる人間の罵倒も無視し、図書館へ向かった。
(今日はずっとここにいるか)
俺は心の安らぎを求めて、歩みを進めた。俺が望んだ平穏は俺の手によって壊してしまった。こんな合理性に欠ける行動をするなんて、全く俺らしくない。
図書室に着くと、なぜか図書委員会である海淵紫苑の姿があった。俺が来るといつもいるが、なんだか不気味だぞ。
「よーす」
「おはよう」
挨拶をすませ、俺は品定めに移る。
(何にしようか。俺のこの内なる竜を討伐するのには何の本が適しているのか)
俺が一冊一冊吟味していると、海淵がこちらをじっと見つめている。
「どうしたよ、お前のおすすめは今気分じゃないから読まんぞ」
「黒木君、最近全然図書室来ない」
「今週は忙しかったんだよ。あ、あと昼に学食行ったからかな。あそこ百円でビュッフェ食べ放題で凄いぞ」
「知ってる。大原女さんと、いつも一緒にいるんでしょ」
こちらに向いた海淵の視線が、非難の色を帯びていた。
「ああ、あいつの部活に付き合わされてるからな。今日は休みだが」
「黒木君、大原女さんと一緒に登校してるし、昨日だって相合傘で帰ったし、大原女さんは、黒木君を拘束しすぎだと思う」
海淵にして珍しく感情の籠った発言に、俺も同意する。
「ああ、俺も迷惑してるんだ。あいつの女王様っぷりには」
「じゃあ、今の部活辞めて一緒に図書委員しようよ。黒木君も本好きだし、分からないことは私が教えるし」
濃い青色のサイドテールを揺らしながら俺に急接近する海淵。一世一代の告白のような緊張を彼女はしているようだ。
「いや、俺は帰宅部が良くて…」
「あの女の方が、良いの?」
(話がかみ合ってないぞ。なんなんだよ一体…)
「いやだからお前らどっちとかいう問題じゃなくて、俺は帰宅部が良いからそれで言うならどっちも嫌だ」
俺の発言中にスカイブルーの瞳がどんどん陰っているのを観測したが、だんだん正気に戻ったようだ。
「いや、やっぱり何でもない。大原女さんのことが嫌になったら、いつでも私を頼ってね」
(????)
「お、おう」
様子のおかしい海淵に戸惑いつつ、俺は本のセレクトに戻った。
「久しぶりの定時帰宅だな」
家に着いた俺はそう呟く。四日ぶりの待ちに待ったRTAは、あまりいいタイムは出せなかった。やはりブランクだろうか。 なんだろう。うまく言葉が出てこない。脳に霧がかかったよう、だ。
ピンポンピンポンピンポンピンポン
(う、うるさいなぁ、誰なんだ)
まどろみの中、玄関で気絶していた俺は徐々に覚醒し、ドアノブに手をかけようとする直前に思いとどまる。そしてインターホンからこの騒音の主の顔を確認する。
そこには、俺の幼馴染で実家が花屋の藤野花がいた。
「どうしたんだよ」
「あ!歩ちゃん!私何回もピンポンしても出てこないから心配したんだからね?ちょっと外出てきてよ」
「ああ、今行く。ちょっと寝てたみたいだ」
ご飯を作ってくれたのだろう。ウキウキで俺は玄関に向かいドアを開ける。
「歩ちゃんこんばんは!」
「ああ、ご飯作ってくれたんだろ?ありがとな」
花が手に提げていた袋を俺が受け取ろうとすと、花はなぜかその手を引っ込めてしまった。
「歩ちゃん、すっごく悲しそうな顔してるけど何かあった?」
心配そうにおさげの花は見つめてくる。
「俺が悲しい?お前の飯食べれると思って嬉しかったけどな」
無意識に顔が強張っていたのだろうか。スマホで確認すると、確かに悲壮感溢れる俺が写っていた。
「歩ちゃんの自転車、ここ最近見かけないし。もしかして、咲ちゃんにまたなにか付き合わされてるの?」
(幼馴染には全部お見通しって訳ですかね)
隠しても無駄だと悟った俺は、かいつまんで今日までの出来事を話した。花はただ黙って、優しい顔つきで聞いてくれた。
「そっか。咲ちゃんにそんなことがあったんだね」
「ああ、俺はどうしていいか分からんくてな」
「咲ちゃんって一人暮らしだよね?」
「ああ。良いマンションに住んでるよ」
そう尋ねると花は意を決したようにご飯が入った袋を俺に渡し、去ろうとした。
「お、おい!どういう事だよ!」
「ピーマンの肉詰めとかその他諸々‼作りすぎちゃったから歩ちゃん一人じゃ食べれないかも!じゃあね!」
そうやって手を振ると、花は家に帰っていった。これは流石の俺でもわかる。飯を大原女に届けてやれってことだろう。
(いつになく遠回しな花の行動は少し疑問だが、行ってやるか。)
そう思い立ち俺は、夜の凌三で自転車のペダルを回し始めた。
大原女の部屋番号を押し、あいつを呼び出す。
「はい」
「俺だ、花が飯余らせたから持ってきてやったぞ。出て来いよ」
「歩か、じゃあそこに置いといて」
「お前、大丈夫か。飯ちゃんと食ってるか」
疲弊が声だけでも伝わる大原女に、俺はついお節介を焼いてしまう。
「大丈夫だから心配しなくていいわ。ありがとね」
「月曜!」
そう言って切ろうとする大原女に待ったをかけるように俺は叫ぶ。
「何が何でも来い。お前が来なくて不戦敗にでもなって、それでお前が不戦敗だから無効とか言って俺を更にこき使う恐れがあるからな。あとお前の家庭事情はどうでも良いけど、今度はちゃんと姉さんに言い返せよ。じゃあ、良く寝るんだぞ」
一方的に伝えたいことを伝えて俺からインターホンを切る。大原女は常に前を向いている頭のおかしなポジティブ馬鹿だと思っていたが、あいつも一人の、傷つくこともある女の子だったんだ。それに俺はようやく気付いた。信じてみよう、あいつを。
四月二十二日月曜日。青空と雲がせめぎ合っている空の下、放課後になった。なのに大原女はまだ学校に来ていない。俺は血戦が執り行われる本棟屋上に向かっていたが、焦りは募るばかりだった。信じるといっても、ここまで来ないということは勝負を放棄したのではないかと邪推もしてしまう。
と、俺が屋上へ出るドアへ手をかけようとした時、誰かと手が重なってしまった。
「ああ、すまんすまんお先どうぞ」
「なによあんた、気持ち悪いわね」
すっかり耳に馴染んだアニメ声に金木犀の香り。そこにいたのは、正真正銘、大原女咲だった。
「お前!来ないかと思ってたぞ!」
「ちょっと色々することがあったのよ。私が来ないわけないじゃない」
いつものように憎まれ口をたたく大原女だが、まだ元気いっぱいという訳では無かった。
「まあ、来てくれたならいいや。とにかく行くぞ」
「ええ、勝つわよ。この血戦」
そういい合い俺らは一緒にドアを開け、決戦の地への一歩を踏み出した。
青春に美少女も超展開もいりません ~謎の部活強豪校に帰宅部一位の俺が入ってしまったら、なぜかその部活をぶっ壊すことになった件~ 睡蓮 @suirendesu
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