第壹章   霞童子悲恋譚⑲狭穂彦王の叛乱の真相〜狭穂姫の輿入れ〜

【狭穂姫】が不運に見舞われ、【御景見戸売おんかげみとめ】と真王まおが【魔界】に呑まれて非業の死を遂げた『悪夢のような一夜』が明け、真秀まほは母と兄を失ったことを悲しんだが【大闇見戸売おおくらみとめ】も最愛の妹である【御景見戸売】を失った同じ悲しみを持つ者同士で支え合って、ようやく悲しみの峠を越すことができた頃に【狭穂姫】の身に異変が起こった。


【狭穂姫】は、食事中に急な嘔吐感に襲われた。その後、食事を続ける気にもなれず床に就いたがその後も嘔吐感は食事中に限らず度々起こり、充分な睡眠をとっているのに眠気や倦怠感で昼夜を問わず眠ることが増えた。


【大闇見戸売】は、娘のその様子に自身も経験があることから【狭穂姫】の体の状態を父【大闇主之王おおくらぬしのみこと】に知らせを送ると、【闇嶽之王くらみたけのみこと(はじめの前世)】が【山の先住王代理】としてやって来た。


【闇嶽之王】は1人ではなく連れがいた。真秀と【狭穂彦】だ。【狭穂彦】は【先住者】たちにとっては【幻想的】な存在とされる【花婿】なので【山の先住者】たちに真秀共々、保護されていたが【狭穂姫】の異変は【佐保一族】全員で話し合う必要があると考えた【大闇主之王】は【山の先住王】に次ぐ最大戦力の第一子【闇嶽之王】に護衛役を兼ねて【佐保】へ送り出したのだ。


【佐保】に着いた真秀と【狭穂彦】は久方ぶりの【狭穂姫】との再会を喜んでいた。


 再会を喜ぶ子たちをその場に置いて、【大闇見戸売】は【闇嶽之王】に【狭穂姫】が身籠っていると告げた。


 闇嶽之王「………!あの時に孕んでいたか………!」


【闇嶽之王】はあの忌まわしい出来事で【狭穂姫】に手をかけたのは、【真若王】ひとりだけだと【大闇見戸売】から確認をとると忌々しげに悪態の限りをつく。


 闇嶽之王「あの役立たずが!肝心な所で役に立たない無能のくせに、子宝のほうは【日子坐】の【能力】を継いでいたようだな」


 要は、そっち方面しか有能ではないと結構ひどい言われようだ。 


 大闇見戸売「【狭穂】は、まだ【やや(赤ちゃん)】を孕んだとは思っていません。今ならまだ気づかれずに


【大闇見戸売】は【狭穂姫】が例え一生、子が産めなくなっても、【真若王】の子を娘に産ませたくないと主張する。


 闇嶽之王「そうは言ってもな………母親は胎内で育てている間に子がかわいくなるものなんだろう?」


 かつて【大闇見戸売】も、無理矢理の懐妊を2度経験した。それで生まれたのが【狭穂彦】と【狭穂姫】だ。【闇嶽之王】の言っていることは、その経験談を示している。


 大闇見戸売「兄上、私は亡き母の最後の【預言】でわが身の不運は決まっていた事柄と思っています」


【人間】に尊厳を踏みにじられたことは屈辱だったが、母【加津戸売かつとめ】が『2度不幸に見舞われる』と【預言】を遺してくれたおかげで、【運命】を受け入れる覚悟があったと【大闇見戸売】は言った。


 闇嶽之王「【加津戸売】の【預言」………最大の謎だった『滅びの導き手』、【佐保】の者どもは思い込みと偏見から童女の精神状態だった【景比売かげひめ(御景見戸売)】と決めつけていたが、もう生きていない者が『滅びの導き手』のはずがない」


【狭穂姫】の懐妊とは関係のない【佐保一族】の歴代の長で随一の高い【霊力】宿していると言われた【加津戸売】が、生前に【預言】した『佐保一族の終焉』を【闇嶽之王】がなぜここで口にしたのか【大闇見戸売】にはわからなかった。


 闇嶽之王「【イザナミ】が蘇るきっかけになった【古のもの】とかいう【旧支配者】とやらと戦った時にいた【スクナ】と【ホオリ】の過去を知っているか?」


【天孫族】の【初代】である【イワレノミコト(神武天皇)】が【ヤマトの国(日本)】を統一するにあたって、【先住者】たちと激しい【戦】となったことは語り継がれた有名な話なので知らない者はいない。【スクナビコナ(一寸法師)】と【ホオリノミコト(ウラシマ)】は、【先住者】陣営の最大功労者だったらしい。


【大闇見戸売】は、ますます話の関連性がわからない。


 闇嶽之王「【イクメ(垂仁天皇)】が【狭穂】に求婚しているだろう。ちょうどいい。【狭穂】を【イクメ】の元へ輿入れさせろ」


【闇嶽之王】は【大闇見戸売】の困惑を無視して話を進める。


 闇嶽之王「【狭穂】は悪阻つわりはひどいようだが、腹のほうは全く目立っていない。孕んでいることを隠して輿入れ直後に懐妊したと言えばいい」


【闇嶽之王】はこのことは【日子坐ひこいます】は了承済みだと言った。


 自分の知らない所で男連中だけで勝手に話を推し進めていた事実に【大闇見戸売】は、信じていた異母兄の【闇嶽之王】に裏切られた気分である。


 大闇見戸売「兄上!私は反対です!」


 闇嶽之王「そうか………俺は、逃げ道の1つとして挙げただけだ。【イクメ】の求婚を断りたければそうすればいい。ただし、その時は【狭穂】が【預言】の『滅びの導き手』ということになる」


【大闇見戸売】の意見をあっさり聞き入れたかに見えた【闇嶽之王】だったが、最後に脅しのようなことを告げた。


 それに対して【大闇見戸売】は【闇嶽之王】が関連性のなさそうな亡き母【加津戸売】の【預言】や【イワレノミコト】の【ヤマト国】統一の話を思い出し、そして気づいた。


 大闇見戸売「【伊久米大王いくめのおおきみ】に目を付けられた時点で、【狭穂】には拒否権はなかったのですね」



【大闇見戸売】は断る口実を思案して引き延ばし行為をしていたことが無駄なことであると思い知る。【大闇見戸売】側は迷惑だったので【大王おおきみ】の求婚を『目を付けられた』と言ったが、正しくは『見初められた』である。【闇嶽之王】も【伊久米大王】の【佐保】通いは、【ヤマト朝廷】の官吏たちにも迷惑なことだったので間違った言葉の使い方をあえて訂正しなかった。


 闇嶽之王「【イクメ】の父【ミマキ(崇神天皇)】は【日子坐】の年の離れた兄だ。【イクメ】と【真若王】は従兄弟同士………赤の他人の子を孕んだわけではない。『血の繋がった親戚の子』を我が子として育てるのだから、そう悪いことではない」


【闇嶽之王】がさせようとしていることは、【現代】の言葉で言えば『托卵』である。【闇嶽之王】は自分の言葉のように言ったが、それを言ったのは【日子坐】だ。【伊久米大王】は【狭穂姫】だけを娶ると宣言しているので、【次代】の【大王】は必然的に【狭穂姫】の産んだ子が即位することになる。ならば、父親が【真若王】なら異母兄妹の間の子で【日子坐】の血を色濃く継いでいることになるので好都合だと、【日子坐】は言っていた。あいつは骨の髄まで『野心家』だ、と【闇嶽之王】は同じ『野心家』でも【八岐やまた】とは【品格】や【信念】が違うと褒めたのか比較しただけなのか、どちらともとれる発言をしていた。




   ◆   ◆   ◆


  


 みずのとは【ホムチワケノミコト(垂仁天皇と狭穂姫の子とされている)】の『托卵説』はあるが、父親が【真若王】というのは新しいねえ、とつぶやいた。大半が父親は【狭穂彦】と考えられているので研究者が飛びつくネタだ。


 あきらは、このネタいくらで売れるかなと脳内でソロバンをはじいている。


 満「洸、ネタ売ったら承知せんからな!」


 みちるに名指しで釘を刺された洸は心外だと文句を言うが、『銭ゲバ坊主』とディスられていることを知っている洸はまあ言われても仕方ないかと引き下がった。当事者が満の庇護下にあるので、洸もさすがに金銭に変えようとは考えない。


 遙「俺には、なぜ【大王おおきみ】に目を付けられたら拒否権がないのかが理解できない」


 遙の発言にはじめが『見初められたな』と今回は訂正した。それに対して遙が、拒否権がないならそれは『目を付けられた』だろと、へ理屈を言い返している。


 言っていることは間違っていないが、言葉の使い方で堂々巡りをするのは時間の無駄遣いなので、燎が【イワレノミコト(神武天皇)】の【ヤマト国】統一の裏話を披露した。


 燎「【イワレ】と【先住者】の抗争は知っているだろ。あれは………実は【乙姫】を巡った争奪戦だ」


 歴史上は領地開拓のはずだが、まさかの女性を取り合いしての【戦争】だった事実に十人十色の反応だ。


 洸と満はあからさまに馬鹿にするような表情をしている。癸と桂は少女マンガのネタに良さそうと言っているので、事実を公表するのはやめておいたほうがいいことを遠回しに告げている。だが意外なことに遙からは肯定的な意見が出た。


 遙「【戦】の原因に女が絡むのは、そう珍しいことではないな。【乙姫】ということは、ウラ伯父さんの奥さん?」


 この【戦争】のせいで陵究みささぎきわむ(一寸法師)と陵あらた(ウラシマ)は【過去世界】へ強制拉致のような【時空漂流(時空転移)】をさせられたので、争奪戦の的になった女性は遙の予想どおりで間違いないだろう。


 燎「そうだ。【乙姫】は【亜神・女神】と【海の先住者・天仁てんじん】の間に生まれた【神の子】だ」


 燎は【天仁】は男版【天女】だと説明する。【現代】では男女関係なく【天女】で一括りに呼んでいるが、【海の民】の間ではきちんと呼び方を区別しているらしい。


 将成「【天女族】は【海の民】では随一の美形………でしたね」


 言ってから将成は、この言い方では【山の民】を蔑ろにしている気がしてきた。朔と目が合うと、朔は【山の民】は【神獣】や【霊獣】が大半を占めているので、容姿の美醜より毛並や尻尾の本数にこだわりを持っていると言った。


 朔「【乙姫】というと、玉手たまてのことか………確かにあれは、顔しか褒める所のない【女神】と国宝級の美男揃いの【天仁】の生んだ『アルティメット・ハイブリッドな生命体』だ」


【陵一族】は、陵御影みかげの一件で【女神エレオノーラ】に対する信仰心は地底以下なので言い方に遠慮がない。


 燎「あの面食いめ………俺が不在の間に、【天仁】の大半を【洗脳】して自分の配下にしやがった」


【前世】の【大海主之王おおみのみこと】の生涯を終えて陵燎──────────結婚して篁の姓に変わった──────────に生まれ変わるまで【海の民】は【王】が不在で、燎にしてみれば自分がいない間に【女神】が掠め取るように【海の民の古族】を大量に引き抜いて行ったことへの私情も混ざっているので、朔以上の酷評であった。


 癸「もしかして………御影の生まれ変わりの洸が【女神】のにかけられていない理由は、燎に対する後ろめたさがあるから?」


 癸は【女神】が御影の生まれ変わりである洸にちょっかいをかけて来ないことを疑問に思っていたが、その理由が娘婿の燎に恐れをなしてのことならば案外役に立っていると、娘婿の評価を爪の先ほどは上げた。


 将成「………なのですか。【日本】は【仏教徒】が多いので【女神狂信者】はいませんが………この会話、【狂信者】が聞いたらブチ切れられますよ」


 遙「ブチ切れ上等だ。向こうから【戦】の種を持ち込んで来てくれるわけだな」


 将成の注告は、『戦闘中毒者バトルジャンキー』にはテンションが上がる起爆剤になるだけだった。 


 桂「『鬼のいぬ間に………』というやつか。あのは引き抜きなんて大胆なことをする割に、後のことを考えていないアホだな」


 桂は、アレは引き抜きというより【洗脳】や【精神支配マインドコントロール】の類になるが、と言っているので【女神】の引き抜きの手口を知っているようだ。


 満「【】のことはどうでもエエわ!【乙姫】の取り合いが【ヤマト朝廷】と【先住者】の【抗争】の真相っちゅうことなんやな」


 呼ばれ方がコロコロ変わっているが、全て【女神エレオノーラ】を指している。満は、何千年か前に【古代中国】の【天界】でも【西王母】の長女【竜吉ロンチー公女】を巡って【天界】の男の【神仙】の間で殺し合いがあった話をした。


 棗「アレは【竜吉ロンチー】にはいい迷惑だったな。殺し合いを始めるアホな男共のせいで、【ジン】とめでたく結婚するまで【崑崙山】の【館】の外にも出ることを許されなかった」


 棗は【前世】の【竜王・シャン】の時に、【白竜王】か【黒竜王】を【竜吉公女】の婿に打診したことがあったことを話す。


 遙「そうなんだ………【白竜王】と【黒竜王】が【竜吉ロンチー】と同年代だったら、【楊戩前世の俺】の嫁にできなかったかもしれなかったのだな」


 洸「俺、遙と女の取り合いは絶対にやりたくない。【前世】でも【ジン】と女の取り合いはないわー」


【前世】でも【今世】でもビジュアルが完敗だと洸は言った。


 朔「【古代中国】でも起こったまんまのことが、【古代日本】でも起こったんだよ」


 朔は、遙が女の取り合いで戦争をしたことに理解を示したワケが納得できた。【前世】で戦争の原因になった女性を娶っていたから他人事ではなかったのだ。


 遙「【イワレノミコト(神武天皇)】が【乙姫】に目を付けて、【人間】に【乙姫】を渡すまいとした【先住者】たちが抵抗した………というのが【九州侵略戦】の真相か」


 遙の『目を付けた』発言を再び朔が『見初めたな』と訂正するが、女1人の為に【九州侵略戦】と言われるほどの規模の【戦争】に発展させてしまっているので、これはもう『色狂いした』と言うのが正しいのではないかと朔は考え直す。


 燎「確かに、【海の民ウチ】の【乙姫】はウルトラでスーパーなビューティホーだから、骨抜きにされるのも無理ないけど………だからって【兵】を溶かしていい理由にはならないだろ」


【兵】を溶かすというのは、おそらく多数の戦死者を出したという意味なのだろうが、それをやった側が批判するというのを何とコメントすればいいのか一同は言葉に詰まる。 


 癸「『英雄色を好む』というのだろうけど、私の甥2人が【時空漂流(時空転移)】させられで巻き込まれたからねえ………何かモヤモヤするよ」


 癸は、その原因になった【乙姫】が甥(ウラシマ)の嫁になっているので批判も毒舌も言えない。


 遙「なるほど………【伊久米大王いくめのおおきみ(垂仁天皇)】の求婚を拒否した場合、【佐保の地】が【ヤマト朝廷】に攻め込まれる………ということだな」


 遙は、【伊久米大王】の【佐保通い】は、付き人たちには迷惑だっただろうが、毎日通うことで【地形】や【邸内】の構造など【戦】に発展した場合の情報収集に抜かりがないので、目を付けられた時点で詰んでることを理解した。


 洸「嫁になることを承諾しなければ【戦争】って………【蛮族】じゃねえか」


 洸は【古代日本】は、【垂仁天皇】の御代で【ヤマト平定】を中断したせいで次代の【景行天皇】が息子の【ヤマトタケル】に【ヤマト平定】のやり直しをさせて、【景行天皇】の次代以後には【新羅しらぎ】へ進軍したりという歴史を脳内で思い出して、ああこれもう完全に【蛮族】だと確定した。




   ◆   ◆   ◆




【狭穂姫】は、【大闇見戸売おおくらみとめ】から体調不良の理由は腹に【やや(赤ちゃん)】がいるからだと聞かされ、大きな目をパチクリとさせた。


 狭穂姫「【やや】がいると食欲がなくなるのですか?」


 食べないと腹の【やや】は育たないのではないか、と【狭穂姫】は訊く。初めての懐妊なので初々しい反応だが、【狭穂姫】は酷い目に合わされた末の懐妊なのに【やや】ができたことを驚いたものの、嫌悪を示す態度を取っていなかった。


 狭穂彦「【狭穂】、随分と落ち着いているようだが腹の【やや】は………あの【ケダモノ】が父親なんだぞ」


【狭穂彦】が【真若王】を【ケダモノ】呼ばわりするのは、【狭穂姫】への所業だけではない。【狭穂姫】や叔母の【御景見戸売おんかげみとめ】、従兄の真王まおへの暴行を聞かされ、もう【人間】とは思えなくなったのだ。


 狭穂姫「お兄さま、確かに父親は【ケダモノ】よ。でも、生まれてくる子は事情を知らないの」


【佐保】にいれば、父親のいない子でも問題ないと【狭穂姫】は孕んだ以上は産むという姿勢だった。


 しかし、【大闇見戸売】から【伊久米大王いくめのおおきみ】の元へ輿入れする旨を聞かされると、【狭穂姫】は流石に動揺した。


 狭穂姫「輿入れから懐妊までの日が合わないわ!」


 それだけではない。初夜の床入りでバレる可能性もある。


 真秀「【狭穂姫】ちょっと待って!あなたの反応では孕んだことを隠して輿入れしようと考えてるみたいよ!」


 そんな大それたことを考えているとは思いたくないが、【狭穂姫】は輿入れに乗り気というより腹の【やや】を【伊久米大王】の子として生もうとしているようなフシがあると真秀は感じた。


 狭穂姫「あわよくば、【イクメ様】の子にするつもりだったわ………でも、輿入れと臨月の日が合わないから無理そうね」


【狭穂姫】は正直に自分の考えを白状しただけだったが、真秀、【狭穂彦】、【大闇見戸売】は【狭穂姫】の目論見を知って唖然とした。


【闇嶽之王】が、腹を抱えんばかりに爆笑した。


 闇嶽之王「ははは………【日子坐ひこいます】と意見が合ったな。これだけ肝が座っているなら欺けるだろうよ」


【闇嶽之王】は、【狭穂姫】に【早産】という予定より早くに【やや】が生まれることが稀にあるので誤魔化せと、悪知恵を吹き込む。


 狭穂姫「そうなのですね!いい案だと思います!【早産】の場合、産後は必要以上に苦しそうにすればいいのでしょうか?」


 かなりノリノリの【狭穂姫】に、真秀と【狭穂彦】はちょっと引いてしまった。 


 大闇見戸売「【狭穂】、あなた事の重大さを解っているの?騙していることがバレたら重い罪に問われるのよ」


大王おおきみ】の子と偽った時点で、間違いなく謀反に問われて【死罪】確定だ。


 狭穂姫「【イクメ様】は、周囲の迷惑を考えずに毎日毎日、通って来られたわ。何が何でも私を娶るつもりなのよ」


 この時代は【通い婚】なので、男性が女性の館へ《夜婚よばい》して婚姻成立だ。美しい【狭穂姫】を妻にと望む男は多い。【狭穂姫】が年頃になって男たちは、互いに牽制し合って抜け駆けで【夜婚い】することができなかったが、【伊久米大王いくめのおおきみ】は【大王おおきみ】の立場と【狭穂姫】の従兄であることで抜け駆けに成功した。【佐保】通いを毎日行ったのは、【狭穂姫】を狙う男たちに既に【大王】の元へ輿入れが決まっているとだったことを【狭穂姫】は理解していた。


 狭穂姫「それに、【佐保】の【先住者】たちは他人を騙す【術】が使えるのでしょう?」


【狭穂姫】が言っているのは【幻術】のことなのだろうが、【人間】から見たら『他人を騙す術』になるようだ。


【狭穂姫】の提案は、【幻術】が使える【まほろば鳥の一族】の女性を【侍女】として同行させバレそうになったら【幻術】で乗り切るという作戦だ。


 真秀は、開いた口が塞がらないほど驚いた。【狭穂姫】は【佐保】のお姫様で、この時代のお姫様は世間知らずの『箱入り娘』だが【狭穂姫】は【蛮族】の娘のような行動力があり、大胆で機転が利く。


 狭穂彦「【狭穂】………お前という奴は、年頃の娘になっても『お転婆姫』のまま成長しないな」


【狭穂彦】は、『お転婆姫』と呼ばれていた頃の【狭穂姫】を知らない真秀へ幼い頃の【狭穂姫】の話を聞かせる。


【狭穂姫】は、幼い頃は【狭穂彦】と一緒に男衆に混じって乗馬や狩りに出るほど活発で男勝りな姫だった。【狭穂彦】曰く、父【日子坐ひこいます】の気性を色濃く継いでいるのは【狭穂姫】のほうとのことだ。


 闇嶽之王「【侍女】にする女には、俺のほうから直接命令する」


【山の先住王】の後継者とほぼ確定されている【闇嶽之王】の命令は【先住王】の言葉なので、拒否権はない。


 真秀は、そのことに疑問を感じて訊いた。


 真秀「【上様】がわざわざ命令する必要がある何か事情があるのですか?」


【闇嶽之王】は、隠していても視覚的にはっきりと異変がわかることなので正直に話す。


 闇嶽之王「【侍女】役の者には【翼】を切り落としてもらうことになる」


 真秀と【大闇見戸売】の顔色が真っ青になった。【鳥人とりびと族】にとって【翼】は『命と誇り』だ。それを切り落とせとは尊厳を無視したも同然である。


【鳥人族】の母を持つが、【人間】の【狭穂彦】と【狭穂姫】にはその辺りの事情がよくわかっていない。しかし、真秀と母【大闇見戸売】の蒼白になった顔色からただ事ではないことの察しはついた。


 大闇見戸売「【翼】は【霊力】で納めておくことが可能です!切り落とすなど………残酷すぎます!」


【大闇見戸売】は、プライドの高い【鳥人族】が絶対に納得するはずがないことを知っている。だからこそ【闇嶽之王】が【先住王】の命令とするつもりなのだろうが、強要されてしたならばいずれどこかで怒りや恨みが発散されることになるだろう。娘を【朝廷】へ嫁に出す以上、最も近しい【侍女】が信頼できない者では不安しかない。


【闇嶽之王】は【先住者】とバレた時の【侍女】の扱いを考えたら、【まほろば鳥】の【矜持】を捨ててもらうと譲らないし【大闇見戸売】はいつ【狭穂姫】の首元に【刃】を突き付けるか知れない者を側で仕えさせたくないと口論になった。


 終わりの見えない口論を【狭穂彦】と【狭穂姫】は引き気味になって表情を強張らせている。【先住王代理】と【先住者】の喧嘩に割って入るチャレンジャー精神はなかった。


 真秀は、何か思案して覚悟を決めた表情になって口を開いた。


 真秀「【上様】、伯母上様、その【侍女】役………私が引き受けます!」


 真秀の進言に、【闇嶽之王】と【大闇見戸売】は口論をピッタリとやめて真秀を見た。


 闇嶽之王「ダメに決まってるだろ。お前は【花婿】が見つかった。【まほろば鳥の一族】を繁栄させる希望のお前が【翼】を切り落として【欲望】まみれの【朝廷】へ入れるなど、以ての外だ!」


 大闇見戸売「真秀………やめてちょうだい!【侍女】の役目は、ただ付き添うだけではないの!【狭穂】の代わりに、【大王おおきみ】と【御床おとこ】を共にしなければならないの!」


【初夜】からその後の【ねや】での行為全てを代わって受けることのほうが本命の役割になる。【狭穂姫】は【閨】での行為を控えたほうがいい時期なので、完全に【侍女】のお務めと丸投げされるのは間違いない。


 それを聞いた【狭穂姫】は【狭穂彦】に確認する。


 狭穂姫「お兄さま、真秀さんとは契りましたよね!」


 あまりにもストレート過ぎるので、聞かれた【狭穂彦】のほうが恥ずかしくて思わず赤面していた。


 狭穂彦「………………ない」


 羞恥から小声でボソッと呟いた程度の【狭穂彦】の声は、【闇嶽之王】にはしっかりと聞こえていた。


 闇嶽之王「まあ………あの状況では………そんな気にならないよな」


獅子狗神シーサー族】の【イリジョウ】が息せき切って駆け込み、【闇嶽之王】が共に出て行き、【海の先住王】を出迎えに向かった【日子坐ひこいます】と【美知能宇斯みちのうし】は出て行ったきりになり、最終的には【山の先住王・大闇主之王おおくらぬしのみこと】までが【腹心の配下】を連れて出て行き、戻ったかと思えば連れて帰って来た子ども(八岐)を折檻して何が起こっているのかわからない慌ただしい状況だったのだ。


【狭穂彦】と真秀は、とりあえず絶対に外へ出るなと言われた指示を遵守するしかできなかった。


 狭穂姫「お兄さまの意気地無し!」


【狭穂姫】は、口先だけで【狭穂彦】を叱咤する。【狭穂彦】のほうも奥手な姿勢だったことは否定できないので言い返す言葉がない。


 真秀「【大王おおきみ】を【幻術】で眠らせて、【狭穂姫】とイチャイチャしてる感じの【夢】を見せたら何とかなるんじゃないですか?」


 真秀は、【狭穂姫】の【侍女】役をやる気になっている。


 狭穂姫「【夢】でイチャイチャ………ううー気持ち悪いけど、そういうことがあったって思い込ませたほうがバレないよね」


【夢】ならいいか、と言いながらも【狭穂姫】は何気に本音をポロリしていた。


【狭穂彦】は【大王】に対して遠慮のなくなっている妹が、本人を前にして本音を口にしてしまわないかと心配になる。


【闇嶽之王】は【未知の生物】の襲撃があったのを理由に、しばらくの間は外部から【佐保】へ入るのを禁止している。それは【大王おおきみ】とて例外ではない。出禁期間を特に決めていないが、【狭穂姫】にベタ惚れの【伊久米大王いくめのおおきみ】が【佐保】通いを我慢できるのは、どんなに引き延ばしても3日が限界だろう。普通は、残党処理が完璧に終わるまで待つものだが幼くして即位した【伊久米大王】は周りが甘やかし過ぎたせいで、自己中に育ってしまっていた。


【大王】が次に【佐保】に来た時が【狭穂姫】の輿入れの日だ。【狭穂姫】の護衛と身代わりを兼ねる【侍女】は、しっかりと信頼関係が出来上がっている者を付けたいが厳選する時間がない。【闇嶽之王】はあの『アホ大王』が、と苛立っていた。


 そして、その日の夜────────────真秀は自ら【片翼】を切り落とした。【鳥人とりびと族】にとって【翼】を切り落とす行為は【生命力】が削られるほどの苦痛を伴う。真秀は翌朝、【短刀】を握りしめて気絶しているのを発見された。発見したのは、真秀が【狭穂姫】の【侍女】をすると言ったことが気になっていた【闇嶽之王】と【大闇見戸売】、そして意味不明なゾワゾワ感を覚えた【大海主之王おおみのみこと】だった。【大海主之王】は海辺の【亀の乗り物】の中で【佐保】に滞在していたが、ゾワゾワ感のせいで【大闇見戸売】の【館】にやって来たのであった。そして【鳥人族】の若い娘が自ら【翼】を切り落とす前代未聞の出来事に遭遇した。




https://kakuyomu.jp/users/mashiro-shizuki/news/16818622175170700157


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