W・アーバー・アヴェニュー

ノア

第1話

なんとも憂鬱な夜だ。今日は両親の友人や親戚達が大勢集まって食卓を囲んでいた。中には子連れもいて、俺と同い年の子も、それ以下もいた。

 俺は変わっているというのは自覚がある。人が集まっているのに部屋から出ないのもそのせいなんだろうか。そしてなぜ急に憂鬱だと、ひどく憂鬱だと感じ出したのだろうか。

 家に人が大勢いるのは嫌いだ。小さい子供は許可なく部屋に入ってくることがあるし、必ず誰か来たら挨拶しに下へ降りていかなきゃいけない。そして大して知りもしない両親の関係者に「背が伸びてかっこよくなった」だの「どこの高校だったかしら」だの「彼女はいるの」だの「若いって良いね」だの言われて、それに「ありがとうございます」「なんとかなんとかです」と丁寧に雰囲気良く返さなきゃいけない。自分の部屋にいても父さんたちの大声が聞こえて、母さんたちのバカ笑いも聞こえる。

 両親は嫌いじゃない。このイベント自体も何も悪くは無い。でも俺が悪いかと言われたら、そういう訳でもないと言いたい。

 俺はついさっきも油断したら気付かず踏み潰しそうな、全く可愛くない犬を連れた共に頭の弱そうな夫婦と挨拶を交わして参っていた。特に妻の方は苦手だった。良かれと思ってだろうが、食事を共にするよう言ってきたり、犬を何度も見せてきた。

 薄暗くて狭いスペースが必要だ。でもクローゼットなんかに入ったらいよいよ本物の変人だし、そんなことしそうになる自分の精神衛生面を心配しちゃうよ。窓を少し開けて、机の前の椅子に座った。一点を見つめる。どこを見つめる訳でもないけど、目を動かすのも疲れるほどなのだろうか…。ふと親友のデニスのことを思い出す。実は両親に促されて、一昨日今日のこのホームパーティにデニスを誘った。しかし家族で用事があると断られたのだ。デニスは行きたそうだった。俺も来て欲しかった。だって、こんな風に憂鬱な気分になるから。デニスがいればいくらか良かったんだろう。デニスがいればきっと2人で、近所のバージェスさんが会話の中で「つまりはねぇ君」という回数を数えたり、あの夫婦の前で秘密のワードを使いながら犬をバカにして遊んだりできたんだろう。でも、用事なんだからいないのは仕方ない。

 しばらく、机に肘をついてデニスを想った。想ったと言っても、薄っぺらいものだ。つい最近デニスのピアノのコンクールを見に行ったこととか、ピアスを2人で開けた日のこととか、もしここに奴がいたら何を話すだろうとか。きっとホームパーティの愚痴を話すだろう。不意に手は左耳のピアスに伸びていた。最近はよくいじってしまう。いじると菌が入るから本当はいじらない方がいいのだけど。

「クライド?あんたちょっと下りてきなさい!」

母さんの声がした。いつも必要以上に声を出す。

「わかった」

耳が遠いのでこっちも必要以上に声を出さなきゃいけない。

 次は何だろう。食器を運べ、リック叔父さんが来た、この子と遊んであげて。あらゆる可能性を考えながら階段を下りると、下には母さんと、うんざりするほど遠い親戚で同い年のケイティがいた。ケイティとは滅多に会わない。葬式や結婚式などでしか会ったことがない。

「久しぶり。」

ケイティは感じよく笑って挨拶をしてきた。長い赤毛のイメージだったが、肩までバッサリ短くなっていた。

「久しぶり。髪を切ったな。」

ケイティは返事をせずにニコリとだけした。お互いにこれ以上言うことは無い。なのに母さんはここを離れようとしない。先に母さんを見たのはケイティだった。俺も母さんを見る。母さんがここに3人で留まる理由が何かあるんだろう。母さんは俺たちの視線に気がついて、慌てて喋りだした。

「2人とも久しぶりねぇ。ほらクライド、ケイティったらこんなに大人っぽくなってるのよ。ね、ケイティ、なにかお菓子を持ってきてくれたんでしょ?2人で2階で食べなさい。」

全く筋の通っていない話だ。正直、ケイティは嫌いじゃないがこれといった感情も無い。思いのままに何か口にすれば、俺はきっと悪印象だろう。でも、どうだっていい。

「なんで?俺もリビングに行くからみんなで食べなよ。他にも子供がいるだろ。」

表情一つ変えずに言ったつもりだ。ケイティを見るとなんとも言えない顔をしていた。でもきっと、ケイティだって俺と二人きりでなんかお菓子を食べたくないはずだし、母さんの恋愛脳は直して欲しいところだ。

「そうね、いっぱいあるし私もその方がいいと思います。」

ケイティは口を挟んだ。やっぱりケイティもこんなホームパーティは嫌いだろう。母さんは笑顔のままだったが、俺にはわかる。拒否されて嫌になっている。

「でもリビングにいた人達はみんなお腹いっぱいなのよ。クライドは全然食べに来ないし、ケイティも今来たばかりで腹ぺこでしょう?クライドの部屋は静かだしね。ほら、行ってきなさい。」

静かなのは理由にならない。でも、ここで粘るのも面倒だし退屈しているところだ。俺は無言で階段を上った。ケイティが付いてくるのも音でわかった。

「なんか、ごめんね。私そんなつもりじゃなくてさ。」

「いいよ。こっちこそ母さんが。」

それ以降は何も喋らずに部屋に入った。俺はベッドに座って、ケイティが部屋をまじまじ見ているのを見ていた。そして確かに、ケイティは両手でお菓子の箱を持っていた。ぐるっと見回して、「かっこいい部屋ね。」と定型文を言う。そして、どこに座ればいい?とでも言うようにあたりを見回した。当たり障りのない、いい子なんだな、というのが感想だ。俺は立ち上がりたくなかったので「嫌じゃなければカーペットの上でいいよ。それが嫌ならベッド。それも嫌じゃなければ。」とだけ言った。

ケイティは笑ってカーペットの上に座った。俺も申し訳なくなったので、ベッドから降りてカーペットに座る。ケイティが手際よく箱を開けると、マカロンが2人なんかじゃ食いきれないほど詰まっていた。

「マカロンは食べれる?」また定型文を放つケイティ。

「うん。1個貰うよ。」

当たり前だ。定型文しか言うことはないだろう。大して関わりのない親戚の男子と2人でマカロンなんて。俺だって嫌だ。なんならマカロンはお菓子の中でも嫌いな部類だ。でもケイティは悪くない。マカロンも悪くない。俺が悪いかと言われたら、そういう訳でもないと言いたい。

「ロックバンドが好きなんだね。」

ケイティはマカロンを食べながら俺の部屋を見回して言った。俺が返事をしないで彼女を見ると、彼女は続けた。

「あたしCDショップでバイトしてるのよ。あたしも音楽好きだから。」

2つ目のマカロンを手に取りながらそう言った。

「へえ。普段何聞く?」

ケイティは答えなかった。ただ、レディオヘッドのポスターを見つめて、2つ目のマカロンを持ったままなにか考えていた。

「こういう気まずい空気は嫌いなの。お互い思ってることは同じでしょ。」

レディオヘッドのポスターを見つめたままケイティは言った。雰囲気が変わったな、と思って冷や汗が出た。

「何が言いたい。」

「腹を割って話そう。」ケイティはやっとこっちを見た。

「あたしはこんなパーティ嫌いよ。楽しいのは大人だけだもん。あなたは?」

「…嫌いだよ。元々俺は大人数が苦手なんだ。」

ケイティはまた笑った。でもさっきまでとは違う、感情の籠った表情だった。

「やっぱりね。全く冗談じゃないわ。言っとくけどあんたのお母さんも最低よ。」

上着を脱ぎながら、どんどん本性を現していくかのようにケイティは話す。俺の思ってた人とは違った。

「俺も母さんのああいう所が嫌いだよ。母親ってなんでみんなああなんだ?」

「ほんと。みんな、1人残らずそうだわ。クローンかしら。だとしたらあたしたちは誰かの家畜なんだわ。」

捻くれてる。でも嫌いじゃない捻くれ方だ。この数分で、俺らは似たような人間であるとお互いに感じて、心を開くまでそこまでかからなかった。

 日も暮れて、パーティーがいよいよ盛り上がっているのか下の階が騒がしくなってきた頃。俺らは窓辺で談笑していた。ただただ、次々と車から降りて家に上がってくる人達を上からバカにしていた。小型犬がうるさくて馬鹿なのは飼い主がそうだからだの、服に気合を入れてる人はここしか遊びに来るところが無いだの、チクチクと面白おかしく嫌味を言い続けていた。

 そして月が昇ってすっかり8時半という訳だ。もう人の出入りもなくなり、ケイティは暇な猫のように窓辺を見つめていた。そして一言呟いた。

「あんたの親が2人きりにさせたの、分かるよね。」

俺はその言葉の意味を汲み取れなかった。わかるよねって、勿論母さんが2人きりにさせたのは分かる。だから何なんだ?返事をせずに続きを促す視線を送る。ケイティはやっと窓から視線を外して、それでも猫のような鋭い目線で俺の目をまっすぐ見た。

「悪くないって思ってるのよ。クライド。」

悪くない。確かに俺も、君は悪くないと思う。大胆で、捻くれていて、物事をよく分かっている。ケイティの言ってる意味は分かった。さっきの『わかるよね。』、あの時点では俺は分かっていなかったということだ。でも、分かりたいとは思わない。俺は談笑を楽しんでいたから。

「そう。」

「ええ、そう。」

視線は変わらない。やっぱり彼女は大胆で、魅力的なんだろう。でもやはり、俺はその気になんてなっていない。そもそも、具体的に、彼女が何をしたいのかも正直よく分からない。それぐらい俺は子供なんだ、と痛感した。しかし、例え俺がその気でなくてもこうしてケイティがロマンティックな雰囲気のことを言っていて、それを拒否された時やその後がどれほど居心地悪くなるかは想像できる。

「無口ね。」

俺は無言でケイティを見つめ返した。こういう時に何を返したらいいか分からないから。

 こう見ると、俺は異性との経験が無いように見えるだろう。でも実はそんな事はなくて、どれも全く思い出に残らなかったんだ。今までも今も、俺は色恋沙汰に興味がなかったんだ。そのくせに受け身だった。ここでやっと、俺とケイティははっきり違うんだとわかった。俺らは似ている。似ているけど、大きな違いがあってそれは、仲間を求めるか求めないかだ。

 そして俺は、ケイティを見つめたまま彼女の肩まで切りそろえた髪を触った。過去の記憶を辿りながら。こうすれば場を乗り切れていたような気がしたから。2人の顔は近づいていた。でもケイティの顔は次第に少し曇った。疑うように、悲しそうに、でも俺の頬に手を当てて言った。

「友達に、なったのよね。」

さっきの鋭い目線とは違う、縋るような目。

「俺はそのつもりだった。」

俺も彼女の髪を優しく耳にかける。

「だったら失いたくないわ。」

ケイティは顔を背けて、目線を暗い窓の外に落とす。

「何を?」

顔の位置を合わせようと、少し背中を丸める。

「友達よ。」

そう言いながら彼女は俺の手を握り、もう一度こっちを向いた。その近さは鼻と鼻が触れそうなほどだ。彼女は少し口を開けて、目を閉じた。俺はその唇に自分の唇をかさねた。彼女は俺の頭に両手をまわし、もう1度、2度キスをした。ゆっくり顔を遠退けて、またうつむいて表情を雲らせる。

 俺が髪を触った時、彼女は既に気がついたのだろうか。目の前の男が自分に興味などないということに。だから表情が暗いのか。俺はまた彼女の髪を触って、顔を近づける。俺にはこれが精一杯の機嫌取りだった。

「寝たらみじめになりそう。」

ケイティは一言、そう放った。また窓の外を見つめながら。きっと彼女は気がついていたんだ。

「傷つけるつもりはなかった。」

絞り出した言葉がこれだった。彼女は窓の外から目を離さず、溢れそうな何かをこらえているようだった。沈黙が数秒2人を締め付けた後、ケイティはこちらを振り返って笑った。

「トイレを借りるわ。」

やっぱり、こんなパーティーは最悪だ。デニスがいてくれればと、これほど思ったことは無い。

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