第9話 善悪

 読書は視野を狭くしてくれる。読書をすると視野が広くなるという説教臭い言説に抗いたいという反骨精神もあるが、読書は視野を狭くすると本当に思っている。読書は視野を広くしてくれると豪語して読書自慢をし読書という行為を絶対的な善行として崇め立てる人の本棚を見てみたいものだ。きっとそのような人に限って谷崎潤一郎一色で埋め尽くされていたりなどすることだろう。

 作者の地域や性別や時代、作品のジャンルなどをまんべんなく選ぶことができたら視野が広がるのかもしれない。しかし偏りなく選書することは限りなく不可能に近い。私の最近読む類の小説も、その登場人物たちはジントニックをあおってばかりいて、著しく偏っている。それならば他人から本を勧めてもらえば良いと考えるかもしれないが、私は昔から他人の勧める本は本当に不思議なくらい読む気がしない。他人が勧めてきた本を読むというのは、その人がどんな人なのかを知るためというのが主な目的であって、勧められた本の著者のほかの作品を読んだ経験はゼロに等しく他人の勧めから新たな世界が広がったことはあまりない。そうして読む本の作者やジャンルは偏る一方だ。そもそも、出版されていて図書館や本屋に陳列されていて安易に入手できる本という時点で何らかの基準で選び抜かれていて偏りがある。書物は映画やドラマなどよりは自由な表現が許されているコンテンツなのかもしれないが時代的制約などから免れることは不可能であり読者は倫理的社会的に許されるもののみにアクセスできる。倫理的に許されない内容を扱った本についても既存の考え方や倫理に立ち向かう前衛的な作品という社会的正しさでラッピングされている。一冊の本の中でも、今の自分に刺さる特定の部分にしか注目できないものだ。同じ本でも人により受け止め方が違ったり昔読んだ本を年齢を重ねてから読むと以前とは違う部分に注目したりする。本を読む行為は主観を入れずに中立な立場から行うことなどできない。読書はある特定の思考に洗脳されたり偏った自分の思考を濃縮させたりする危険性を孕んでいる。本を読まずに生活できるのならばその方が健康的だろう。

 ダイエッターたちがこぞって忌避する炭水化物も適切な量を定期的に摂取しなければ栄養不足になるし健康的なイメージの野菜にも致死量はある。読書にも弊害はある。物事を善悪という単純な基準で二分することに嫌悪感を抱く。


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