カサが要る日は雨が降る
褄取草
第一章 雨と傘と金色の音
第1話 傘がない
「は~…ついてないな。学校を早めに出るべきだった」
少年というよりも少しだけ大人になった男の子、高校生とはそういう世代なのだろう。その少年もどきの高校生は先程降り始めた雨を躱すためにバス停で雨宿りしている。
「まあ、たまにはいいか…ゆっくりできるぜ」一人呟きながら自分の置かれた状況を上手い具合に正当化しようとしていた。だが口と体は別の行動をするらしく、イライラと貧乏ゆすりをしている。
ここは学校の正門から続く坂を下ったところにある田舎のバス停。彼が通う高校が不便にも小高い山の中腹にある為に、市街に住む生徒は通学にバスを使う生徒が大半だ。だがこの男子高校生は徒歩で通学をしている。
普段バスに乗らず徒歩通学の彼は、バス停の見慣れぬ運行表を確認すると肩を落とし虚空に愚痴った。
「げ…次のバスは30分も先かよ。そしてこんな時に携帯は電池切れっと。本当についてないな」
舌打ちしながら全て自分の所為なのに悪態をついていた。万策尽きた!と諦めたのか、彼はベンチに大の字になり一人で周りの景色を眺めて時間を過ごすことにした。後少し早くここに着いていれば乗り遅れることも雨に降られることもなかったのだろう。随分と不満げな顔だ。
その態度が天気に嫌われたのか、雨は更に強くなり、視界に入る山と田園を同じ色に染めるほどに勢いを増していく。
「『…悪いことをしたな。明日謝らないとな』」誰に聞かせるでもなく彼は呟く。
するとその言葉に答えるように
「誰に謝りたいんだい?」と囁かれた。
不意に聞こえた背後からの声に彼は勢いよく立ち上がり振り向いた。
「誰に謝りたいんだい君は?」
再び同じ事を彼に問う人物は、彼から見ても年下、それも中学生になったばかりのような幼い顔をした黒の学生服の少年であった。いや、少年なのだろう。中性的な顔立ちではあるが、学生服のそれは男子用だ。
彼は胸を撫でおろしながら「なんだ坊主…びっくりするだろ?お前もバス待ちか?ほら座れよ、濡れるぞ?」と言い、再びベンチに腰を掛けた。今度は少年一人分のスペースを空けた。
だがその少年は彼の言葉を理解していないのか三度彼に問いかける。
「誰に謝りたいんだい?」と。
よく見ると少年は傘を差している。それも今時の物ではない番傘というやつだろう。
顔が綺麗なだけに薄気味悪いやつだな、そう思った彼は少しだけ身構えた。
そんな事もお構いなしに少年は彼に四度問いかけた。
「誰に想いを伝えたいんだい君は?」と。
言い方が変わったが、言っている内容は同じだ。流石に不気味である。
彼は少々イライラしたが相手は少年だ。自分の妹と変わらない歳の相手に本気になるわけにはいかないと自分を制した。制したつもりなのだが、つい口に出る。
「いい加減にしろよ!取り敢えずこっちに来て座れよ、濡れるぞ?風邪をひくぞ?」イラついているのか心配しているのか分からない言葉になるのだが、表裏のない性格が言葉に乗っていた。
少年は「はー…」とため息をつき彼の横に座る。ただし傘を差したままでだ。傘の先が彼の顔をかすめそうになる。
そして少年は残念そうな顔で一言呟いた。
「また見えない相手だったか…」と。
「『は?』」その呟きに彼は反射的に反応する。
「『お前何言ってんの?何が見えないって?』」と少年の顔を見ながら話しかけた。
その様子に少年は目を丸くして彼を見る。
「いや、だから、お前以外に何かいるのか?取り敢えずその傘、危ないから畳めって」彼は片手で傘を払う仕草をしながら少年に言う。
彼もまたこの少年が何を言っているのか全く理解ができていない。
少年は驚いた顔のまま傘を閉じて隣に置いた。そしてそのまま顔を彼に近づける。
「おい、俺はそんな趣味はないぞ?」と彼は笑って胡麻化すのだが、かなり異常な状況だ。少年はその顔を崩さず言葉を投げかけてきた。
「君の名前は?」目が血走ってさえいるように思えた。実際には血走ってはいないのだが、向けられる気迫は正にそれだ。
初対面の、それも年下中学生と思える相手から「君の名前は?」聞かれることがあるか?なんだこの状況?顔近いって!彼は軽いパニックに陥るが、いやいやまてまて、ここは年上の余裕を見せなくては!と、つまらないプライドが正気を取り戻させた。
「俺か?俺は【白上裕也(しらがみ ゆうや)】だ。だがな坊主、人に名前を聞く前に自分の名前を言うもんだぞ?社会の常識だ、覚えておけよ」と言った。
少年はその言葉を反芻するようにウンウンと頷きながら目を閉じている。
「いや、だからお前の名前は何だよ?」裕也は少年にさっさと名乗れと伝えたのだが、
「ゆうや、しらがみゆうやと言うのか。うん、良い名前だ。【しらがみ】は【白い】と【上下の上】で良いのかな?」先程の意味不明のやり取りとは打って変わって饒舌になる少年に裕也は呆気にとられたが、
「それで間違いねーよ」と面倒くさそうに答えた。
『あ、こいつ、わらうと可愛いな』
裕也は少年が俺の名前を聞いて嬉しそうに笑っている顔を見てなんだか心が落ち着いた。そして何故か少年はすこし顔を紅くしている。
『不思議なやつだが、まるで子犬みたいだな』と思い、裕也が抱いていた先程までの警戒心はどこかに飛んでいた。
「失礼な!子犬ではない!私は【カサ】という名前がある!」キッと目を釣りあげて俺を睨んだ。
カサねぇ。今時の名前なのか?不思議な名前だが、名前をいじるのは流石に可愛そうか。あれ?俺は口に出したか子犬っぽいって?気を付けないとな、こういうところが今日の失敗だったしな…
そう反省しながら隣に座る自称【カサ】に話しかける。バスの到着までにはまだ随分時間があるから暇つぶし程度にだった。
「なあカサ。さっきのあれは何だ?俺が謝りたい相手がどーのこーのって?」と出会いまで遡る会話を投げかけた。
裕也の問いかけにカサは俺の顔を見ながら首をかしげる。そして裕也の問いに答えるのかと思いきや、
「ところで裕也、雨の日は好きかい?」と言った。
はい、こいつは全く会話が通じねー、お手上げです。
早くもこの状況の退屈しのぎにならない相手でしたと匙を投げて正面を向いた。眼前の風景を見て先程よりも雨音が強くなったような気がした。
「ねえ裕也、雨は好きかい?」と先程の問いが裕也に届いていないと思ったのだろう、カサはもう一度裕也に問いかけた。その問いかけに裕也も「やれやれバスが来るまで付き合ってやるか」と諦めて答える。
「雨か…そうだな、嫌いじゃないな。カサに会えたから今日の雨は良しとするか。雨降ってなかったら歩いて帰ってたしな」裕也は自分の問いに答えないカサに嫌味でも言ってやろうかと思ったのだが、それは流石に可愛そうかなと思い直して言葉を紡いだ。
「ふふ。そうなんだ」自分の両手の指を絡ませ足を少しバタつかせ嬉しそうにカサが言う。
こいつ、本当に仕草が女の子みたいなんだよな…どっちだ?
裕也は頭を傾げるが、お前男なのか女なのかどっちだ?と聞くのは失礼が過ぎるか、多様性の時代だもんな、などと考え口を閉じた。
しかしまいったな、一向に雨が弱まらない。そのうえ未だバスが来ない。こいつもバス待ちだろうし…そういえば、カサはバスを待ってんのか?
そこでふと気になったことを裕也は口にした。
「ん?カサは中学生だよな?泉中(いずみちゅう)の生徒が何でここでバスを待ってるんだ?」とカサに問いかけたのだが、未だ嬉しそうに目の前の雨に向いて足をぶらぶら振っていた。
ああ、なるほど、高校生の兄か姉に届け物でもしてきたのか。部活の時間は今からだしな。
「兄ちゃんか姉ちゃんが御影泉高の生徒なんだな?会えたのか?」と裕也は隣の少年?に問いかけた。
「みかげいずみこう?ああ、あそこにある建物のこと?」と坂の上の校舎を指さし答える。今度は裕也の声に反応したのだが、返答がなんだかふわふわとした内容だった。裕也は首を傾げたが、取り敢えず「そうそう」と答えた。
カサは裕也の顔を見て首を傾げる。
二人して首を傾げている。
本当に会話が噛み合わない!これが属に言う不思議くん(又はちゃん)と言うやつか?悪いやつではないのだろうけど、こちらの精神が知らず知らずゴリゴリ削られるな。
「あ!」
「うわ!いきなり何だよ!」
カサがいきなり思い出したように声を上げ、その声に裕也は驚き肩が跳ねた。
「ちょっと手を出してもらえるかな?」カサは裕也にお願いをしてきた。
「は?何だよいきなり…これでいいか?」相手をするのが億劫になってきたのだが、邪険にも出来ないかと渋々右手をカサの前に出した。そしてその手にカサは自分の右手を乗せる。
その手はひんやりとしていて柔らかい。
すると「私の手が乗ってるのわかるかい?」と言った。それも真剣な表情をしている。
何かの心理テストか?また奇妙なことを唐突に始めたのかこの不思議くんちゃんは?と裕也は思ったのだが、今は雨で身動きが出来ない、バスも来ない、心理テストなら暇つぶしにはなるかと思い答える。
「冷たい手をしてるなお前」と重ねられたカサの手の感想を述べた。
「そうか!分かるのか裕也!」と一層笑顔になりカサはそのまま裕也の手を掴んでブンブンと上下に振った。
だめだーー!こいつ完全に意味不明だーー!
裕也は心底げんなりした気分になるのだが、それを口にできるほど冷たい人間性はしていなかった。
「おっと、では私は帰る。裕也、また今度」そう言い、裕也の手を放して立ち上がる。
カサはそのまま番傘を開きバス停の外に出た。
裕也は一瞬茫然としてしまったがそのカサの行動を見て
「おい、行くのか?雨が本降りだぞ?それにバスも来ていないのに?」今は足元も視界も悪いぞと声を掛けた。その声にカサは振り返り裕也へと向く。
その顔は番傘で口から上は見えなかった。だがその所為か唇が紅く艶やかにさえ見えた。その唇から男子とも女子ともとれるようなカサの声が紡がれる。
「これからは楽しみだ」と。
途端雨は一層強くなり、全視界が雨一色となった風景にカサの姿は溶けていった。
「これからは楽しみだ、と言ったのか?」裕也の口からカサの言葉が自然と復唱された。
一体何だったんだあいつ?俺の言っている事がまともに伝わらねーし、聞かねえし!性別もわかんねえ!何より【カサ】ってのは苗字か名前かさえ分かんねえとか!…今後は関わらないでおこう。
思いっきりため息をつき、前かがみになった上半身は自然と足元へと視線を向けた。
「なんだこれ?」
カサが座っていた席の足元の土の上に何か描かれていた。
「【花】か?」漢字で花の文字が書かれている。
「カサが足をばたばたさせていたのはこの文字を足で書いていたのか?」全く意味が分からないが、確かに花の文字に見える。「いやいや、もう忘れよう。野良犬に咬まれたと思って忘れよう」使い方が違うのだろうが、裕也にとってそれほど疲弊する経験だったのだろう。
再びベンチに大の字になりもたれ掛かっていると次第に雨は弱まり、ものの数分で雨はピタッと止んだ。
それを合図としたかのようにバスが到着する。裕也は「やっとか」と内心思ったが運行通りのバスに落ち度はない。
乗り込もうとすると向こうから「まってくれーーーー!!」と走ってくる見知った男子生徒が一人。
「ぐあああーーー裕也!!バスを止めてくれーーーー!!」
無理だから。俺そんな権限ないし。と無情に突き放してしまおうかと思ったのだが「すみません運転手さん、あいつ乗りますんで」と言うと運転手の男性は声に出さずに笑っていた。裕也は視線を叫ぶ知人に向けると、なるほど納得の状況だ。
あ、こけた。いや、更に勢いで転がってんなあいつ。
「本当に、すみません」と裕也も笑いながら運転手に礼を言った。
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