第26話 ミノリンリン

「私もオノマトペの発起人になりたい」


 御法川みのりかわさんは唐突にそう言った。


 いつもの公園のいつものベンチで、著名な漫画家の傑作選集を読みながら座っている御法川さんは、今日も暇そうにしている。


 御法川さんがいきなり話を切り出してくることは、非日本語話者がオノマトペの習得に苦労するコトと同じぐらいに当たり前であるために、僕はいまさらつっこむことをしない。


「『シーン』にでも触発されましたか?」


 静かな様子を表す『シーン』というオノマトペは、某漫画の神様が「僕が始めたものだ」と豪語している話は有名だった。


 日本語はそうしたオノマトペが大変豊富であり、辞書に載っていないモノも含めれば一万語近く存在すると言われている。他国のオノマトペの数としては英語が1500語、フランス語が600語あたりらしいので、やはり圧倒的な数と言うしかない。大きな桃が川を流れるという超限定的な状況にすらオノマトペは存在するのだ。

 

 その状況下で発起人になるというのはそう簡単なことではないように思う。


 しかし、御法川さんは鷹揚にうなずいて、


「道端を行く人が日常会話の中で私の発案したオノマトペを口にする、だなんて想像しただけで愉快じゃあないか。そうは思わないかい?」


「まあ、仕掛け人になりたいって人は多いですよね」


 実際、事実を捻じ曲げてまで第一人者に名乗りを上げる人物は、意外なほどに多い。


「それで、肝心のオノマトペは考えてきてるんですか?」


 尋ねると、御法川さんは不敵な笑みを浮かべて懐からメモ帳を取り出す。


「もちろん書き溜めてきてある。これから読み上げていくから、君は直観に従って判定してくれたまえ」


「……僕なんかで良ければ」


「うむ、期待しているよ。じゃ、まずは――」


 御法川さんはぺらりとメモ帳を開いて、


「普段すぐに切り替わる信号が青になったのを目にして、走ってでも渡るべきか諦めてゆっくり歩いて行くかで微妙に葛藤しているときの心境」


 ネタを発表する芸人のような調子で読み上げた。


「ハリユンな心」


「ハリユン……」


 思わず、オウム返しをしてしまう。


 ハリユン。なんだかうちなーぐちにありそうなオノマトペであった。


 正直、なんと言ったものかわからない。


 とりあえず時間を稼ごうと思って、


「なんか、解説とかしてもらえます?」


「任せたまえ」


 御法川さんはドンと拳で自分の胸を叩いた。そして一気にしゃべる。


「ハリユンの『ハリ』はいわゆるダッシュしてでも信号待ちを避けようとする時間に追われた人間の張りつめた心という意味の言葉でね、で、それとは逆にもうゆっくり行ったろうかと開き直ろうとするゆるんだ心を表す『ユン』を組み合わせた言葉というわけだ」


 御法川さんの早口の解説を聞いて、失礼ながらちゃんと道理を考えていたのだな、などと僕は思う。


「心が二つあるということですか」


「その通り。なかなかうまいこと出来たと思うんだけどね。さ、判定はいかに?」


 得意げな顔で尋ねてくる御法川さん。


 僕はそれに答えた。


「……ちょっと『ユン』の字面が強くて、ハリの緊張感が霞んでいるような気がしますね。ゆるキャラみたいです。『くまもん』とかの」


 僕の答えに、御法川さんはあごに手をやって考え込む仕草をする。


「うーむ、なるほど。音のパワーバランスまでは考えていなかったな。さすがは鋭い指摘だ。君を助手に任命してあげよう」


 いったい御法川さんはどの立場の人間なのか、とツッコミたくなるのを押さえる。


 御法川さんはわくわくと楽し気にまたもメモ帳をめくり、


「お次は、気になる相手や友人とのやり取りが気になって何度も何度もスマホを確認してしまう若者の動き」


 そう言って、口を大きく動かしてオノマトペを口にした。


「パヒュポハー」

 

 なんだかラテンアメリカの昔ながらの神様みたいな名前だった。


「ぱ、パヒュ……」


 そして、口にしようとしてみると、これがなんとも言いづらい。こりゃ流行らんな、と早くも思う。


 御法川さんはそんな僕が言いあぐねている様子を見て、一文字一文字はっきりと言う。


「パ、ヒュポ、ハー。これはスマホをパッと取って、ひゅぽっとアプリを更新し、なんの返答もなかったことに気付いてはあと息をつく様子を縮めたものでね。『気づけば結構な時間パヒュポハーしてしまった』みたいな使い方だね。我ながら若者の繊細な心の動きを表現できたと思う。自信作だ。さ、判定を」


 促されて、僕は少し悩んだあとで首を振った。


「言いにくいのは致命的だと思います。言葉の感じも、最近の若者が好むようなオシャレな感じがありませんし」


「うむむむ。なかなか手厳しい。じゃ、これならどうだい――」


 御法川さんはそれからも、オリジナルのオノマトペを楽しげに発表していく。


 彼女は『ミノリンリン』と止めどなく話し続けていた、なんて言葉が、僕の頭をよぎり、思わずくすっと笑った。

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