自由へ《リベルテ》!!

@Vaizen

第一章 逃走

第1話

「現在、夜間の御出立は市会中央代表者大会コンセントラシオンの通達により禁止されております。お引き取りを」


 深夜1時、今のところは、未だ王都とも呼ばれるゴルドシュミットの西門より街道に繰り出そうとしていた4頭引きの大型馬車は、門衛長エルドーの制止により引き留められた。

 彼の眼前にある車体には「青地に金の複十字とそれを挟む2匹の魚」が描かれており、これの持ち主が王家近習の名門貴族、ファーレンス伯爵家である事を示していたが、もはや貴き権威が無理を押し通せる時代は過ぎ去り、その残響が残るばかりであった。


 車外には御者が2名、車内にも2名の姿がある。

 中の1人は如何にも貴族らしい、上品そうで発育のよろしい女である。

 おそらく、やっと20になるかどうかの若い娘であろう。

 黒のドレスに黒い帽子、そして黒のヴェールを身につけたその姿は今から葬式にでも赴くのかといった様相であった。

 そして帽子の下からは、その服装に負けず劣らず艶やかな漆黒の髪が、ちらとのぞかせていた。


 そして娘の向かいには、おそらく従者辺りだと思われるすらりとした男らしき姿がひとつある。

 フードが顔を、マントが体や手足を、襟が口元を隠しており、ピクリとも動く気配が無い。


「夕刻、実家から急ぎの知らせが届きまして、父が危篤であるようなのです。急ぎ準備を始めはしたのですが、なにぶん急な物であったのでこのような時間に…」


 車内より開門を求める娘の声は少し震えていた。

 それが本当に動揺しているからなのか、それとも計算された演技なのかまでは、エルドーには分からない。

 彼は薄暗い馬車の対面をちらりと見やる。

 やはり「従者」は凍りついたように不動であった。


「それは大変なお話ですな。しかし規則は規則です。お戻りください」


 エルドーは淡々とした口調で言い放った。 

 彼にとってすれば、娘の言う「父の危篤」とやらが真であるか否かという事なぞ、何の価値も無かったのである。



「十月砲声」よりおよそ三年、宮廷と王都を離れ地方や他国に落ち延びる貴族は絶えた事がなかった。

 まして、南部でアルバニー王国による海からの援助を受けたシルクラッド公爵の一派が息を吹き返し、東部国境のすぐ向こうにエステライエの皇帝が陣を敷く今、王都からの逃亡者は、離反か疎開かといった理由の違いこそあれども、いよいよ数を増すばかりであった。

 その、富と人の流出を防ぐ為に「市中会コンセントラシオン」の常務主席団が講じた策こそが、「日中の検問」と「夜間の封鎖」である。

 尤も今となっては、日中に於いても通行の許可が出るのは、物資搬入の荷馬車と軍の師団ばかりではあるのだが。

 

 彼の後ろでは、門衛たちが槍を持ったまま静かに馬車を囲んでいる。

 馬たちが鼻を鳴らし、御者たちがわずかに肩を強張らせた。


「お願いします!無理なお願いである事は重々承知しております!ですが、父の容態は悪く、一時たりとも猶予は無いのです!嘘だとお思いなのでしたらこの文をお改めください!」


 自身の訴えを一顧だにもしない男の態度に焦りを感じているのか、娘の声が少し上ずる。

 次の瞬間、彼女は窓から身を乗り出し、懐から封筒を差し出した。


「そのような事を言われましてもな。我々としてもこれが仕事でありますが為に…」


 彼は渋々と手渡された封筒を受け取り、一応その中身を取り出して確認する。


『チチキトク、スグカエレ』


 確かに、未だインクの香りも漂ってきそうな1枚目の真新しい便箋には要約すればそのような事が書かれていた。


 そしてこの時、彼の指は封筒の中に潜められていた「2枚目以降の別の紙」の質感を感じ取っていた。


「「ご必要」なのでしたらば、その封書は「全て」証拠としてお預けいたします。ですので、どうか…!」


 娘が懇願する。

 しかし彼女の目は涙を浮かべながらも、どこか冷静さを失っていない。

 門衛長が、その瞳の奥にある意図を解するのに、さほど労苦は必要なかった。

 古臭い習俗にしがみつき、居丈高にただただ喚き命じる事のない「理性的な話ができるお貴族様」は彼にとって大事なお客様である。


「…なるほど、私も人の子です。親を思う気持ちは十分わかります。了解しました、封書は「全て」お預かりしますが、通行を許可しましょう。お急ぎ下さい」


 先ほどまでの機械的な役人の顔から打って変わって笑みを浮かべ、封書を懐にしまい、もっともらしい顔をしてエルドーは答える。


 部下に命じて市門を開かせる。


「感謝致します!」


 娘が謝辞を伝え、御者が鞭打ち馬車が走り出す。


 その姿が夜の闇に溶けるまでを眺めてから、エルドーは封筒から中身を取り出し、その内から「もはや不要な1枚目」を丸めて捨てた。


 手には封筒の中身の2枚目以降、「同じ人物の肖像が描かれた、同じ大きさの数枚の紙」が残されている。


 5枚の200シグナート紙幣である。

 彼のおよそ2年半ほどの俸給額に相当した。


 流石に高額すぎる認印証券である為、両替の手間が要るではないかと世間知らずの小娘に対して愚痴を零したくはなるものの、想定を遥かに超える臨時収入に、彼は思わず顔を綻ばせた。

 共犯である部下達と等分で分けたとしても一人頭2-3月分と、十分すぎる額が残る計算である。


 明日の非番はいい晩酌を楽しむ事が出来そうだ。と彼は考えた。


 しかし、エルドー・ジャスト門衛長及び彼の部下達のささやかなる贅沢の望みは叶うことはなかった。


 翌朝の7時30分頃、彼らが日中の警備担当者との引き継ぎを行う中、公民保衛委員会コンヴァシオンの廷吏隊による西門詰所の緊急捜査が行われた。

 彼らは、衛長室にて分不相応な大金を発見、門衛長以下当直の衛士10名を即時に逮捕し、昼には起訴が行われ、夕刻に結審が下された。

 罪状は、「サボタージュ、収賄、及び王后誘拐幇助」。

 翌日、刑は執行された。


 


 後日、公民保衛委員会は、あの晩王都にて発生した大きな事件は3つあったと発表した。


 一つ、ファーレンス伯の屋敷から大型馬車が一式盗まれたという事。

 彼からは翌々朝、つまり11発の銃声が市壁に鳴り響く前後の頃に盗難届が提出されたという。


 一つ、次に説明する「重大事件」の発生により、果敢にもそれを阻止しようとした近衛隊長「ラスティナ・トゥール大佐」が、姦賊の手により非業の死を遂げたという事。

大佐の骸は、賊の手により市内を流れる大河へと投げ込まれたらしく、その遺体はついぞ発見されなかったという。


 そして、もう一つ。

 これが1番の重大事件であるが、なんと、「十月砲声」以前より市内のレグザムバーグ離宮にて、「隔離療養中」の国王陛下に付き添われておられた「王后ルクレツィア」が、そのお姿をお消しになられたのである。

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