とある学校の片隅で
津村マウフ
第1話 転校生
変わり映えのしない毎日を生きることは、牢屋の中にいるのと変わらない。
さくらはそう感じていた。
見慣れた場所でいつも通り過ごして、よく知った友達と時間を共にする。決して嫌だという訳ではないけれど、何かが足りない気がする。
「そういうものよ」
さくらがそんなことを口にすると、友達の優花が笑った。
「あたし達だって来年は受験生なんだし。そんな呑気なことを言っていられるのも今だけよ」
「そうなんだけどさあ」
さくらは隣県の短大を受験するつもりだが、自分がこの学校を出て他所の土地に行くなんてことが信じられなかった。それはまるで永遠に実現することのない幻のように思えた。
二人が机を挟んでたわいない話をしていると、始業ベルが鳴り、教室に教師が入ってきた。
「今日はみんなに転校生を紹介するぞ。入ってきて」
教師が開かれたドアに声をかけると、女の子が入ってきた。
長い黒髪を背中に垂らして、大人っぽい顔立ちをしている。さくら達と同じ紺のブレザーにチェックのスカートという制服姿だ。
転校生ということだったが、制服はよく彼女に馴染んでいた。
「へぇー、珍しいね。この学校に転校生が来るなんて初めてなんじゃない?ひっ」
さくらが優花に顔を向けると、優花がものすごい形相で転校生を睨みつけていた。
「どうやってここに……」
「優花ちゃん、どうしたの?すごい顔してるわよ」
さくらはおそるおそる優花に声をかけた。
「えっ、あらやだ。何でもないの。気にしないで」
優花は慌てて両手で顔を隠した。
「初めまして。初芝七海です。よろしくお願いします」
七海は深く頭を下げると、顔を上げた。
七海の目がさくらと合った。七海は嬉しそうに微笑んだ。さくらもつられて笑顔になった。
さくらは七海に何となく親近感を感じた。
「いい、さくらちゃん。絶対にあの子に近づいちゃだめよ。あたし知ってるの。あの子は人殺しよ」
優花がさくらに耳打ちした。
昼休み。さくらは学校の放送室に向かった。
さくらは放送部に所属しており、昼休みにはいつも音楽を流していた。
しかし、放送室の扉には『使用禁止』の貼り紙が貼られ、鍵がかかっていた。
「あっ、そうだった。放送室は今使えないんだった……」
機械の故障で放送室は立ち入り禁止になっていた。
「もう、わたしったら。何回同じことしてるのかしら。昼休みにここに来るのが習慣になっちゃってたからなあ」
さくらはすごすごと教室に戻り始めた。
「それにしても、人殺しってホントかしら?でも、優花ちゃんが嘘つくはずないし……」
さくらと優花は幼稚園からずっと一緒だ。大人しいさくらと活発な優花はいいコンビだった。優花の性格もよく知っている。決して嘘をついたり、人を騙したりするような子ではない。
さくらがそんなことを考えながら廊下を歩いていると、前から七海がやってきた。
さくらは緊張した。
「木之下さん。ちょっといいかしら?」
七海がさくらに声をかけてきた。
「あれっ、私の名前、もう憶えてくれたの?」
「だって、昔から知っているもの」
七海は意味ありげに笑った。
「私のことを覚えてる?」
「えっ、でも今日会ったばかりじゃ?」
「そう、覚えていないのね。残念だわ」
七海は目を伏せて少し考え込むような仕草を見せた。
「ごめんね。どこかで会ったことがあったっけ?」
申し訳なさそうに、さくらは七海に尋ねた。
「ううん、いいの。確認しただけ。覚えていないならそれでいいわ」
七海は顔を上げると、さくらの後ろに目を向けた。
「お迎えが来たようよ」
「えっ?」
さくらが振り返ると、怒った様子の優花が立っていた。
「さくらちゃん、行こっ」
優花はさくらの腕に手を回すと、七海を置いて歩き出した。
「ちょっと、ちょっと、優花ちゃん。あの子に失礼じゃ……」
「言ったでしょ。あの子は人殺しなのよ。絶対に近づかないでって言ったのに」
優花は苛々した様子で振り向きもせず、真っすぐ前を向いて歩き続けた。
「たまたま廊下で出会っただけよ。わたしから近づいたわけじゃないわ」
「どこに行ってたの?」
「昼休みだし、放送室に行ったの」
「放送室は今使えないわよ」
「行ってから思い出した。ほら、毎日の習慣になっちゃってたから」
さくらは手を叩いておどけてみせた。
「何回同じ事やってんの?バカなんじゃない?」
優香が吐き捨てた。
「そんな言い方しなくても……」
「あたしはさくらちゃんを心配して言ってるのよ!」
優花が大声を出した。
さくらは怖くなった。
「分かったから。ホントにあの子とはたまたま廊下で出会っただけなの。もう近づかないから」
さくらがそう言うと、優花は立ち止まってさくらの両肩をつかみ、その顔を覗き込んだ。
「分かってくれたならいいけど。約束よ。絶対にあの子には近づかないで。あたしはさくらちゃんのために言ってるの」
優花がさくらの目をじっと見た。その目には嫌とは言わせない迫力があった。
「……うん。約束する」
さくらは頷いた。
優花はしばらくの間、さくらの様子を窺っていたが、納得したのかさくらの腕から手を放した。
「優花ちゃん、怖い……」
さくらがぽつりと言った。
「ごめん。あたしにはさくらちゃんだけなの。さくらちゃんまでいなくなったら耐えられない」
「そんな。いなくなるわけないって」
さくらがそう言うと、優花は寂しそうな笑みを浮かべた。
「世の中、何があるか分からないわ。平和なのは学校の中だけよ」
優花が異常なまでに強く念押ししたことによって、逆にさくらは七海のことが気になり始めた。
授業中、机に座っていると、ついつい七海の方に目がいってしまう。視線に気がついたのか、七海がさくらの方に目を向けると、慌てて目をそらすことを何度か繰り返した。
体育の授業前、教室のドアを締め切って女子たちが着替えをしている間も七海に目がいってしまう。
そして、さくらは衝撃の事実を知ることになった。
七海の胸が非常に大きいことに。
「同じ日本人なのに……」
自分のものと比べると、まるで大人と子供、そびえたつ高峰となだらかな平地だ。世の中はなんて理不尽にできているんだろうとさくらは嘆いた。
(……いや、まだ時間はある。これからだ。希望を捨ててはいけない。わたしは若い。今は人々が暮らしやすそうな平野部であるこの胸も、地殻変動の影響により大きく様変わりして、いずれは世界に羽ばたいてくれるに違いない……)
などと叶うはずのない妄想にふけっているうちに、体育の授業が始まった。今日は体育館でバスケットボールだ。
体育の授業は最初に二人一組で柔軟体操を行う。
さくらはいつも優花と組んでいた。しかし、今日は優花がいない。
さっきまで一緒にいたので、学校にいることは間違いないはずだ。
「優花ちゃん、どうしたんだろ?」
さくらがきょろきょろと優花の姿を探していると、七海が体育教師の方に歩いていった。
「先生、私は誰と組めばいいですか?」
「あっ、そうか。転校生がいたんだったわね」
教師は柔軟体操をしている生徒達に視線を向けた。
「えーっと、誰か……空いている人は……」
「先生、私、木之下さんと組んでもいいですか?」
柔軟体操をしている生徒達の中で、ぽつんとさくらだけが突っ立っていた。
「そうね。木之下さん、彼女と組んであげて」
「はい」
「木之下さん、よろしくね」
「ええ」
後で優花に怒られるかなあと不安を感じながらも、さくらは七海と組むことになった。
最初、さくらは身構えていたが、七海から特に話しかけてくることもなく、二人は淡々と柔軟体操を終わらせた。
「ありがとう。キャッチボールも付き合ってくれる?」
七海はさくらに礼を言うと、カゴに入ったバスケットボールを手に取った。
「いいよ」
二人は向かい合ってバスケットボールを投げ合った。
「初芝さんって、大人っぽいよね」
さくらは黙って人と向かい合っている時間が苦手だ。つい、七海に声をかけてしまった。
「そう?自分では分からないけど」
七海はボールをキャッチすると、さくらに投げ返した。
「だって、すごく落ち着いてるし。大人の女性って感じ。胸も大きいし……」
最後の方は小声になった。
さくらはボールをキャッチして、七海に投げ返した。
「やーね。私はまだぴちぴちの女子高生よ」
七海はボールをキャッチすると、さくらにボールを投げ返した。
「じゃあ、人とちがう体験をしたことがあるとか?」
さくらはボールをキャッチして、七海に投げ返した。
「え、どういう意味?」
七海はボールをキャッチすると、手を止めた。
「例えばだけど……その……人を殺したことがあるとか?」
「はあ?そんなことあるわけないじゃない。そんなことしてたら今頃刑務所よ」
あきれたように笑って、七海はさくらにボールを投げ返した。
「そうだよね。そんなはずないよね」
さくらはボールをキャッチした。
やっぱり優花ちゃんの勘違いだ、とさくらはホッとした。
「私、修行してるから、それで落ち着いて見えるのかもしれないわね」
少し考えて、七海が言った。
「修行?何の?」
さくらはボールを投げ返した。
七海はボールをキャッチした。
「巫女の修行。私、家が神社なの。小さい頃から修行させられてて大変」
「へえ。修行って、滝に打たれたりとか?」
「そんなことしないわよ……って言いたいところだけど、やるわね」
苦笑いして、七海はボールを投げ返した。
さくらはボールをキャッチした。
「やっぱりやるんだ」
あははとさくらは笑った。
「木之下さんのお家は何してるの?」
「わたしの家は全然普通よ。普通の……」
さくらの言葉が止まった。
さくらは投げ返そうとしたボールをそのまま抱え込んだ。
(あれっ、家は何やってたっけ?)
思い出せなかった。
毎日帰っているはずなのに、いざ家のことを思い出そうとすると、霞をつかむように記憶が逃げていく。
「確か、お家は緑ヶ丘だったわよね?」
七海が言った。その顔には薄笑いが浮かんでいた。
(えっ、緑ヶ丘って何?)
さくらは頭を抱えた。
言葉は分かるが、それが意味するところが全く浮かんでこない。
「小さい弟さんがいて……」
(弟?うそっ、全然、思い出せない。何で?)
さくらは激しい頭痛と吐き気に襲われた。
「う……」
気持ち悪くて立っていることができなくなり、さくらはうずくまった。
視界の隅にちらちらと赤い炎が見える。
「先生、木之下さんの体調が悪そうです。保健室に連れていってあげてもいいですか?」
七海が教師に告げた。
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