第5話



 四回連続で外すといくらバカでもへこむらしい。

 

 それまでの陽気さはどこへいったのか、飛縁魔はむっつり押し黙ってしまった。

 あれほど軽やかだった口は真一文字に引き結ばれ、そうしていると顔が余計に幼く見えて、まるで父母にコテンパンに叱られた子どものようだった。

 

「ムシっといて俺が言うのもなんだがね、飛縁魔よ」


 河童は少し膨らんだ懐を叩いて言う。


「やめといたら? 今日はツカないんだろ」

「何言ってんだ。これから取り戻す。よーし、なめやがって、一気に五千いくぜ。まさか、断らないだろ?」

「お、おい――ヤケクソかよ、勘弁してくれ、おっかねえ」


 かえって河童の方がたじろいでしまっているが、水かきのついた手の平はちゃっかりしっかりサイコロをつまんでいるのをいづるはしっかり目撃した。

 

「ねェ飛縁魔の姉さん」


 返事がない。


「ねェったら」

「なんだよ、女みたいな声出すな。いま大事なトコなんだ!」

「僕にやらせてくれないか」


 飛縁魔は断固として簡潔に首を振った。


「調子にのんな、コドモの出る幕じゃない」

「ひとつ違いじゃないか……。それとも僕に任せてみる勇気もないのか?」

「あァ――?」

「うおっ!」


 飛縁魔は勢いよく立ち上がった拍子に台と河童をひっくり返し、それにも気づかぬ様子でいづると真正面から向き合った。いまにも火が点きそうな赤い眼がいづるを睨む。


「勇気ってなんだよ。おまえ何様のつもりだ? 賭けてんのはあたしだろ。黙ってみてろ」

「返す言葉もないけど、まァいいじゃないか。タネ銭、貸してくれよ。ちょっとでいいから。どうせこのまま続けたって、きみは負けるし」


 太刀の柄に置かれた飛縁魔の手が、ぴくぴくと痙攣していた。

 ちょっとした衝撃でもあれば、その手は稲妻のように閃いて門倉いづるの首をハネるだろう。

 ――二度死ぬと、人はどうなるのだろう。

 なんとかなると考えるのは虫がいささか好すぎるかもしれない。

 それでも、いづるは押し黙ったり、謝罪するつもりはなかった。

 

「べつに、きみが僕より博打が上手だと思っているならそれはきみの自由だし、僕もそれで異論はない」

「へえ、じゃあ、引っ込んでろよ。ヘタクソなんだろ?」

「ヘタでも勝てるさ。賭けてもいいよ」

「じゃあ賭けようぜ? でかい口叩くからには証明してくれるんだろうな?」

「いいよ。じゃ、それをいまから確かめるから金貸してくれ」

「わかった」


 飛縁魔はがま口財布からくしゃくしゃになった札をいづるに渡した。

 そしてカラになった自分の手の平をにぎにぎして、

 

「――あれ?」


 なにか釈然としないものを感じた。

 そのときにはもう、いづるは受け取った札をくしゃくしゃに丸めて潰し、手の平に握りこんでいた。

 飛縁魔とのっぺら坊のいさかいを見物していた妖怪たちが、三々五々に散らばっていく。

 飛縁魔はいづるの肩をドンと押す。

 

「負けたら許さないからな」

「うん」


 尻についた汚れを叩いて台を元通りに立てた河童の前に、いづるはドサッとあぐらをかいた。


「よろしく、おじさん」

「――ホントにいいのかよ、兄ちゃん。妖怪に斬られたらな、ちゃんとお清めされないんだぞ。最悪、鬼っ子になるか、魂のカスを喰うだけの悪霊になっちまうかもしれねえんだぞ?」


 河童はズズ、と大きな鼻の穴の奥で鼻水をすすった。あまり心地のよくない想像をして、背筋が冷えたのかもしれない。

 いづるは声音だけでヘラヘラ笑った。

 

「大丈夫、大丈夫。僕はおじさんがちゃんと負け分を払ってくれれば、それでいいから」

「兄ちゃん、その歳にしちゃ面の皮が厚いね――心配するな、人間と違って妖怪は、負けたら自分の魂で払う。自動的に、だ。足りなくなったらこっちが消えちまうがね」


 河童が、サイコロを持ち上げた。


「やろうか」

「うん」


 河童は手馴れた手つきで、逆さになった三つの紙コップのうち、ひとつをわずかに持ち上げて、サイコロをつまんだ指を押し込み、コップの縁から空になった指だけが戻ってきた。

 ひょいひょいひょい、と三つの紙コップがテーブルの上を右往左往する。

 飛縁魔がいづるのつむじに細い顎を乗せて、ごくりと生唾を飲み込んだ。いづるはそれを嫌がることさえ忘れて、コップの動きを注視した。

 コップから手を離し、河童が、ぱん、と汚れたスラックスの膝頭を手で叩いた。にやっと嘴をひん曲げて笑う。


「さァさァ、勝っても負けても恨みっこなしだぜ、坊主。ひとつ教えてやるよ。世の中にはどんなに勝たなきゃいけないときでも、あっさり負けるときがあるもんさ。そっちの方が多いくらいだ。神様ってのは意地悪なんだよ、どうしようもなく」

「ありがとう、参考になるよ。でも、心配しないでいいよ」


 そういっていづるは両手をかざして、


「たぶん勝つさ」


 三つの紙コップ、すべてを持ち上げた。

 夕闇のなか、いくら眼を凝らしても、あちこち傷がついたテーブルの上にサイコロなんてどこにもなかった。


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