第4話


 ぱっと見た感じでは、その河童は、冴えない印象だった。

 

 くたびれた背広を着て、安い腕時計を巻いて、黄色く濁った目を遠くの方に向けている。

 背骨が折れそうなくらいに背中を丸めて、おそらくお手製だろう――木で作った粗末な椅子に腰かけている。

 もし普通の感性の持ち主が彼を見たら、気の毒に思っただろうし、外国だったらその足元の山高帽に小銭を放り込む紳士がいてもおかしくはなかった。

 ただ、残念ながら、門倉いづるには親切心とか同情心なんてものはない。

 彼は、自分がそんな風にされたり思われたりしたらとてもいやなので、他人もそうなのだと思っている。

 そんなことはないんだ、ということに気づく前に残念ながら死んでしまったので、その考え方が改まることはもはやない。

 自分も他人も、ごちゃ混ぜにして考える。

 真っ白い仮面は波紋ひとつ立てずに、哀れな河童に照準を合わせていた。その脇腹を飛縁魔がやいやいと小突く。

 

「人間、おまえも話がわかるな。空気読めてる! 子供のくせに博打が好きなんてイナセとこあるじゃん!」

「好きじゃない。ほかにやることがなかった」


 同じ穴のムジナを見つけて喜ぶ飛縁魔に対して、いづるは気のない返事をした。飛縁魔は笑って取り合わない。


「澄ました顔しちゃってさァ、ホントはウキウキしてんだろ? ――おまえ、妖怪に生まれればよかったのになぁ。ここじゃず――っと博打三昧できるのに」

「体力が続かないよ。ぞっとするね、こわいこわい」

「ホントかァ?」


 二人の細長い影が、河童の黄色い嘴に映った。

 河童は大儀そうに顔をあげて誰が来たのか認めると、頭の上に見えない重しでも乗っているかのように、うなだれた。


「よっ」


 と飛縁魔が気さくに声をかける。河童はそれには答えずに、無造作に置いてあったミネラルウォーターのボトルを頭の皿にぶっかけた。ばしゃっと冷たい水があたりにはねて、皿にうすい膜が張った。


「あははっ、河童よォ、その顔だとまた負けたのか?」

「うるせえ。おまえな、飛縁魔な、落ち目のやつを追い込むような真似するなよ」

「悪い悪い」


 片手拝みに飛縁魔は笑う。そのさまはなんだか猫に似ている。まったく反省しなさそうなところが。

 

「怒るなって。なぁ、ゲン直しにあたしと遊ぼう」

「遊ぶって?」


 河童が眉をひそめた。

 飛縁魔は両手で印を組んで、


「今宵は拙者、チンチロリンがやりたい気分でござる。ニンニン」


 河童はごきごきと首を鳴らして盛大なため息をつく。磯くさい臭いがあたりに立ち込めた。


「サイコロはもういやだ。絶対にいやだ。なんと言われても、二度とサイコロだけは振りたくない」

「そういうなってば」

「おまえはいいよ。運勢だか神様だかに愛されてるから。俺は違う」

「そんなことないって」

「こんなもんはな」


 河童は小さな立方体を指先で弄んだ。なんの変哲もないサイコロ。


「見てるだけでムカムカしてきやがる。ちくしょう、いまだに噛み砕いてやりてえ気分だよ。歯が欠けたら困るからしないけどよ。ああもう負けたと思うと成仏しそう」

「サイコロなんかどうせ美味くねえから噛むなよ。だから、なっ、遊ぼうって。ね? あそぼ」


 ――――あの河童はカモなんだよ。なにやっても勝てるから楽しいぜ。見ててみな。

 そう言って河童に近寄っていった飛縁魔のあくどい顔つきを思い出し、いづるは身震いした。

 女子はこういうところが怖いと思う。いまの飛縁魔はただ退屈しのぎに友達とふざけて金をやり取りしてみたいだけに見える。とても無邪気だ、でも本当は違う。

 あれは妖怪の女子なのか、それとも女子こそ妖怪なのか。いづるにはわからない。ただ震えるばかりである。怖い怖い、とひとり呟いた。


「そんなに言うなら――」と河童が決意をにぶらせた。

「でもサイコロだけは振らないからな。だから代わりの遊びをしよう」

「代わり?」

「うん」


 河童はごそごそとうしろの方から、小さな四足の卓を取り出して自分と飛縁魔の間に置いた。そこに三つの紙コップを逆さに伏せる。


「簡単だよ。ガキでもできる。こいつを」


 サイコロをひとつのコップに放り込み、ひょいひょいっと素早く入れ替えた。


「さ、どれだ。――これだけ」

「なんだ、簡単そうだな」


 飛縁魔が手甲に覆われた指をばきばきと鳴らした。あたりがだんだん暗くなってきたこともあって、チンピラ然とした態度に迫力が増してきている。


「覚悟決めとけよ? スッテンテンにしちゃうぞ?」

「さすがにそろそろ俺のツキも戻るさ。戻るよな? まァいい、一口五百炎だぜ」


 さてやるか、と河童はサイコロを新たに取り出して、顔を近づけるようにして伏せたサイコロの中に指をいれ、出したときにはもう何もつまんでいない。

 ひょいひょいっと入れ替わっていく紙コップ。

 やる気のなさそうな河童の顔と、食い入るようにコップの行方を追いかける飛縁魔の眼差し。いづるは首をぐるぐる回してぼきぼき鳴らした。見ているだけではつまらない。

 河童が手を止め、三つの紙コップはものも言わず均等に並んでいる。

 飛縁魔がううんと唸った。

 

「これだな」


 一番左のコップを指で示し、河童が身じろぎした。どことなくきまりが悪そうである。もしや、アタリなのか。


「本当にそれでいいのか?」と下からすくい上げるように飛縁魔をうかがった。

「ああ、いいよ」

「いまならまだ変えてもいいぞ? どうする?」

「いいったら。さっさとしろよ、もう、しつこいな!」


 業を煮やして太刀に手を伸ばしかねた飛縁魔にたまりかね、そおっと河童は、コップの縁に鼻を近づけるようにして中をうかがった。

 ふう――と息を呑む。そして、ひょいとコップを持ち上げると、木の台には何も乗っていなかった。

 

「あッ――」と飛縁魔は身体のどこかが痛んだように顔をしかめた。

「ほうら、はっはっは、おじさんをなめるからそういうことになるんだ。正解はこっちよ」


 反対側の紙コップを持ち上げると、こてんとサイコロが四の目を出していた。

 すると、奇妙なことが起こった。

 飛縁魔の懐から突如がま口財布が命を浴びたように飛び出して、勝手に開き、中から五枚の硬貨がくるくる螺旋を描いて飛び出した。

 いづるは首を動かしてその無秩序な動きを追いかけた。なにかが面白おかしくて仕方ない、そんな風に硬貨はあたりを暴れ回り、飛縁魔の機嫌がどんどん悪くなった。

 硬貨は最終的に河童のくすんだ背広のポケットに吸い込まれていった。がま口財布がケタケタ笑うと中の小銭がかちゃかちゃと鳴り響き、頬を赤くした飛縁魔が拳骨で殴りつけると、地面に激突してから急にシュンとして懐に戻っていった。

 飛縁魔が深く息を吸った。

 

「よし、もう一回」

「やめとけよ――」といづるは諭したが、飛縁魔は前しか向いておらず、いづるの助言などなにひとつ聞いてはいない。鼻からさっきの煙々羅でも吹きそうな勢いだった。

 河童と額を付き合わせるようにして、睨み合う。

 

「さァ来い!」


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