第1章 第11話
1
「チエ、もう洗い物、終わった?」
夕食後、ちゃぶ台に座るアンナがチエに声を掛ける。サキもすでにいつもの場所に座っていて、メモ帳を広げている。チエはエプロンを外しながら、急いでやってきた。
「ご、ごめん……、終わったよ」
「ありがとー! じゃあ、作戦会議始めよっかー」
アンナはそう言うと、サキとチエは大きく頷いた。
「さっそく、今日の報告から。仕事のついでに配達先のおばあちゃんたちにイベントの話してきたよ」
アンナが得意げに胸を張る。
「口コミって大事だからさ。楽しそうだねぇって言ってくれたし、当日来てくれるかもねー」
「なるほど、それ大事だよね。まずは地元の人たちが来てくれないと。私たちが話して広めるだけでも違うかも」
サキがペンをくるくる回しながら頷く。
「それにね、新聞屋の坂本さんがチラシ作ってくれるって! 朝刊の折り込みに入れてくれるってさ」
「えっ、本当?」
「うん! 今、デザイン考えてるって。写真もあったほうがいいって言ってたけど、どうする?」
サキは少し考えてから答えた。
「着付け体験の写真なら、呉服屋の志乃さんに頼んでみるよ。ちょうど今日、イベント用の着物を選んでたところだったし」
「じゃ、じゃあ……、し、試作したお菓子の写真も、撮らないとね……」
チエが呟きながら、バッグから和菓子の包みを取り出した。
「こ、これ……、当日販売するお菓子の試作品なんだけど……どうかな?」
色とりどりの和菓子の中に、先日試作した桑の葉もちも入っている。
「うわぁ、美味しそう!」
アンナが興味津々で身を乗り出す。
「いいじゃん! 試食してもいい?」
「も、もちろん……」
アンナとサキが一口ずつ味わう。
「ん! この和菓子、甘さ控えめで食べやすい」
「やっぱり桑の葉もち、美味しいねー」
二人の感想に、チエはほっと胸をなでおろす。その横で、サキがメモ帳を見ながら呟いた。
「私のほうは、体験用の着物を決めたよ。初心者でも着やすいものを選んだから、きっと楽しんでもらえると思う」
「いいね! チラシに着付けの写真が載ったら、もっと興味持ってもらえそう」
三人はそれぞれの準備状況を報告し合いながら、イベント成功へのイメージを膨らませていく。とはいえ、仕事の合間を縫っての準備は、思った以上にハードだった。
「はぁ、毎日バタバタしてる……」
アンナがごろんと仰向けになる。
「でも、やるしかないよね」
サキも疲れたように微笑む。
「だ、大丈夫……。ぜ、絶対、成功するよ」
チエが静かに言った。
「うん、成功させよう」
アンナはむくりと起き上がると、二人の顔を見る。アンナは自分の提案に付き合ってくれているチエとサキの存在に改めて感謝した。
2
お昼前。アンナがお弁当の配達を終えて喫茶ともしびに帰ると、店主の本田夫妻が何やら話し合っていた。
「ただいまー!」
アンナが帰ってきたことを報告すると、奥さんの朋子が「アンナちゃん、おかえり」と顔を上げた。
「今度のイベントの話だけどね、うちも何かできることないかしらって考えてたのよ」
「えっ、本当ですか!?」
アンナの顔がぱっと明るくなる。
「お祭りみたいな雰囲気を出すなら、飲み物や軽食の屋台があっても良いんじゃないかって。うちでコーヒーや軽食、スイーツを出そうかと思ってるの」
「いいじゃないですか! 修一さんのコーヒーなら絶対おいしいし!」
「じゃあ決まりね。うちの旦那も張り切ってるのよ。イベントの日に合わせて、新しいブレンドを用意するって」
カウンターの奥でコーヒー豆を挽いていた店主の修一が、小さく手を挙げた。
「アンナちゃんの頑張りを見てたら、なんだか私たちまでじっとしていられなくなっちゃってね」
お弁当配達の後は、新聞店に戻り夕刊の配達をするアンナ。若葉住宅の路地で、町内会長の大石が数人の住民と話し込んでいるのを見かけた。
「みんな、せっかく若い子たちが頑張ってるんだから、何かできることはないかね?」
白髪の老人たちが顔を見合わせる。
「当日は賑やかになるだろうねぇ」
「わしらにも手伝えることがあるか?」
そこで、お手玉名人でもある、寺田のおばあさんがぽんと手を叩いた。
「昔の遊びを教えたらどうかね? 若い子はお手玉とか、やったことないんじゃろ?」
「いいねぇ、それならわしも手伝える」
「竹とんぼや紙風船もいいかもしれんな」
少しずつ意見がまとまっていく。町内会長の大石は「じゃあ、みんなで準備を進めようか」と微笑んだ。
アンナは声を掛けず、深々と頭を下げて、見つからないように次の配達先へと急いだ。
その日の夜。若葉住宅の自宅で過ごす三人は、増えていく協力者の話で盛り上がった。
「すごい、思ったよりたくさんの人が手伝ってくれるんだね」
チエが感慨深げに呟く。
「みんな、きっと待ってたんだよ。こういう機会を」
サキの言葉に、アンナが頷いた。
「だったら、絶対に成功させないとね!」
三人は互いに頷き合い、イベントに向けてさらに士気は高まっていった。
3
数日後の朝、新聞店の一角にある小さな事務所で、アンナは出来上がったばかりのチラシを手に取った。
「おおっ、いい感じだねー!」
カラフルなデザインで、『商店街まるごと体験イベント!』 という文字が大きく躍る。イラストも入っていて、和菓子や着物体験、昔遊びのコーナーの紹介が分かりやすくまとめられていた。
「坂本さん、すごいねー! めっちゃいい感じだよー!」
「ふふん、まあな。こういうの作るの、けっこう楽しいんだよ」
新聞店の坂本は得意げに腕を組んだ。
「これを新聞の折り込みに入れるのはイベント一週間前の朝刊だからな。配達先の人が目を通してくれるといいんだけど」
「これ、少しだけ先にもらっても良いかな?」
「おう、もちろん。チラシ、どうするんだ?」
「商店街に貼ってもらえないか頼んでみるよー!」
アンナは坂本に作ってもらったチラシを、大事そうに眺めながら言った。
その翌日、チエはチラシを手に職場の古本屋「すぎもと」の店主、杉本に声を掛けた。
「あ、あの……。す、すみません。こ、これ、お店に貼らせて、もらえませんか?」
チエがお願いすると、本屋の店主がチラシを受け取ってじっと眺める。
「もちろん。良いチラシができたね。一番目立つところに貼ろう」
杉本はそう言うと、店の入り口のガラスの引き戸の真ん中に貼った。
「あ、ありがとうございます!」
「成功するといいね。どれ、まだ何枚かあるのかい?」
チエが杉本に持っているチラシの束を見せる。
「よし、わしも知り合いの店にお願いしてみようか」
こうして、チエと杉本は時間を見つけては、一軒一軒、商店街を回りながらポスターを貼らせてもらった。
一方、サキはSNSでの情報拡散に奮闘していた。
喫茶ともしびの朋子は、新作のスイーツ「和風モンブラン」をテーブルに並べ、スマホを手に取った。
「若い子に広めるなら、綺麗に撮らないとねぇ」
彼女の隣で、サキが頷いた。
「でも、見た目だけでも充分に美味しそうですよ!」
「ありがとう……でも、美味しそうに撮るの、難しいわ」
「大丈夫です。私も手伝いますよ」
こうして、SNSでもイベントの情報は少しずつ拡散されていった。
夕方、商店街を歩いていたサキのスマホに、通知が届く。
「投稿にリアクションが増えてる……!」
思わず足を止めて画面を眺める。着物を試着した写真、スイーツの写真、イベントのチラシを持った投稿。少しずつだが、情報が広がっているのを実感した。
「……いい流れになってきた」
サキは静かに微笑み、空を見上げた。イベント当日は、だんだんと近づいてきていた。
4
ある日、サキ、チエ、アンナの三人は桑咲駅へやってきた。連日の準備で疲労が溜まっていたが、それ以上に「やることが多すぎる」という焦りがあった。
そんなとき、市役所の若手職員槇原直樹から連絡があり、桑咲駅で待ち合わせをしている。相変わらず平日の昼下がりは、駅周辺は閑散としている。
「はぁ……思ったより大変だね」
しゃがみこんでいるチエが、ぼそりと呟いた。
「まぁね。でも、ここまできたら絶対に成功させるしかないよ!」
アンナは気合を入れるように拳を握る。
そこへ、一台のバンが近づいてくる。窓が開くと「こんにちは」と槇原が顔を出した。
「忙しいときに、急に呼び出してごめんね」
そういうと、槇原は邪魔にならないところに車を移動させると、三人の近くまでやってきた。
「どうしたんですか?」
サキが尋ねると、槇原は笑顔で答える。
「君たちのイベント、けっこう話題になってるよ。SNSとか、商店街のチラシとか、うちの職員の間でもちょっとした噂になってる」
「ほんとですか?」
アンナが目を輝かせると、槇原はうなずいた。
「でも、申請書類はもう大丈夫なのか気になってね。イベントで公民館や道路、公園なんかを使うとなると、許可がいるだろう? もし困ってるなら手伝うよ」
「あ……そういえば、まだちゃんと申請してないかも……」
サキが顔をしかめる。イベントの準備に気を取られ、細かい手続き関係は全く気にしていなかった。
「なら、ざっと必要な申請を確認しよう。市役所へは僕が直接提出するから、手続きもスムーズに進むよ」
槇原は書類を取り出し、三人に説明を始めた。
「それと、貸し出せる備品があるか調べてみるよ」
槇原は手帳をめくりながら言った。
「市の倉庫に使ってないテーブルや椅子があったはずだから、使っても良いか聞いてみるよ」
「えっ、それ助かる!」
アンナが身を乗り出す。
「ただし、あくまで余ってるものだから、あまり期待しないでね」
「でも、ないより全然マシだよ!」
「あと、広報に載せるのは今からだと難しいけど、市役所の掲示板に貼ることはできるかも」
「し、市役所の、掲示板に?」
チエが驚いた顔をする。
「うん。課長の田所も、正式な支援は無理でも、できる範囲で協力してやれって言ってくれたよ」
「あの、田所さんが?」
サキが目を丸くする。地域振興課の課長は、以前、三人が直談判しに行ったとき、ほとんど取り合ってくれなかった人物だった。
「まぁ、あの人は行政主導の事業じゃないと正式には動けないってスタンスだからね。でも、若い人たちが頑張ってることを無視しようとは思ってないんだよ」
槇原の言葉に、三人は顔を見合わせた。
「この町のことを思う気持ちは、俺たちも君たちも同じだから」
その言葉に、サキの胸の奥がじんと熱くなった。
「……ありがとうございます」
「お礼はいいよ。君たちが頑張ってるのを見てると、こっちもやれることをやりたくなるしね」
松本は微笑み、駅の横に据え付けてある自販機を指差す。
「缶ジュースで申し訳ないけど、何かおごるよ」
三人と槇原はそれぞれ缶飲料を持ち、イベントの成功を祈り、改めて気を引き締めるように乾杯した。
「よし、頑張ろう!」
アンナが拳を掲げる。
「うん、最後までしっかりやらなきゃね」
サキが頷く。
「じゅ、準備……。まだまだたくさんあるもんね」
チエも小さく笑った。
イベントが迫ってくるにつれ、協力者の輪はどんどん大きくなっていった。
5
イベント前日、商店街の大通りは活気に満ちていた。
明日のイベントに向け、朝から大勢の人が準備に追われている。特設ブースのテントを張る人、屋台の設置を手伝う人、机や椅子を並べる人――どこを見ても、町の誰かが動いていた。
「サキ、こんな感じでどうだい?」
呉服屋の店主志乃さんが、体験用の着物を収納した棚を指差した。
「ありがとうございます! 明日、たくさんの人に着てもらいましょうね」
サキは笑顔で答えながら、並べられた色とりどりの着物を見つめる。
一方、チエは和菓子屋の店先で主人と一緒に和菓子を入れる箱を組み立てていた。
「明日は早起きしてあんこの仕込みだ。2時起きだぞ!」
和菓子屋の主人松川が張り切った声を出す。
「は、はい! た、たくさんの人に、食べて欲しいです」
チエはこれから箱の中に詰められるであろう、桑の葉もちを想像して微笑んだ。
商店街の通りでは、ともしびの夫婦が店の前で屋台の準備を進めていた。
「うちのコーヒーと軽食があれば、イベントに来た人もほっと一息つけるだろうからね」
朋子がそう言うと、屋台のコンロを調整していた店主の修一も無言でうなずく。
商店街の広場では、住人たちが協力してテーブルを並べたり、飾りつけを手伝ったりしている。
「子どもたちも来るなら、べっこう飴の作り方も教えてやりたいな!」
とあるの老人が嬉しそうに言うと、周りの老人たちも賛同する。
「昔の遊びって、こういう機会がないと知ることもないもんね」
アンナは感心しながら、手に取ったお手玉を軽く投げてみた。
「アンナちゃん、筋がいいね」
お手玉名人の寺田のおばあさんが笑顔で言った。
すっかり日が傾き、作業を終えた三人は、商店街の通りに並べられた準備中の屋台や装飾を見渡した。
最初は三人だけで始めた計画だった。でも今は――
「私たち、こんなにたくさんの人と一緒にやってるんだね」
サキがぽつりと呟く。
「う、うん……。な、なんか、すごいね」
チエが感慨深げに目を細める。
「最初は何か楽しいことをって思ってたけど……みんながこんなに協力してくれるなんてね!」
アンナは両手を頭の後ろに組み、大きく伸びをした。
「……よし、明日は絶対に成功させよう!」
三人は顔を見合わせ、力強くうなずいた。そして、ついにイベント当日がやってくる。
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