第5話

 


公園で薫と話したその夜、わたしはなかなか眠れなかった。

 薫の誤解は解けたはずなのに、胸の奥に重たいものが残っている。


「私もね、好きな人がいるの」


 薫のその言葉が頭から離れない、なんども繰り返される。うれしそうに、笑顔で話す薫の顔。


「薫は門手くんを好きになっちゃったんだ」と誰もいない暗い部屋に吐きだす。


 寝不足で登校する。

 教室はいつも通り、賑わっていた。

 そこにはめずらしく薫の姿もあった。


 わたしに気づくと、


「おはよ萌!」


 いつもの、笑顔の薫だった。

 わたしと門手くんが付き合ってると勘違いして逃げた薫はもういないみたい。


「あ、おはよ薫、今日は朝練ないんだね」


 わたしの声が震えていたことに気づいたのか、薫は不思議そうな顔をする。


「どうしたの?具合悪い?」


「クマもあるけど」と薫の手が近づいてくる、その手はわたしのおでこに触れた。その温もりに、心臓の音がドクドクと大きくなる。


「熱はないみたいだけど……大丈夫?」


 近いよ、薫。心臓の音聞こえてないといいけど。


「可愛さん、おはよう」


 突然聞こえた声に、わたしと薫は飛び上がるように離れた。門手くんが立っていた。わたしと薫に手を小さく振って挨拶する。


「あ、照くん、おはよう」


「門手くん昨日はありがとね、薫と仲直りできたよ」


「ああいいよ、ふたりが仲直りできてよかった」


 さりげない会話。でも、わたしには気になってしまう。門手くんと薫の話すたび薫が遠くに行ってしまいそうで。


 門手くんとは恋のライバルだ、なんて言ったけど……わたしって、ダメな人間だね。わたしは門手くんの恋、応援できないよ……


「萌?」


 薫の声で我に返る。


「あ、ごめん。なに?」


「聞いてなかったでしょ?昼休み、一緒にお弁当食べようって言ったの」


「う、うん!もちろん!」


 答えながら、無理に笑顔を作る。でも、薫の目はごまかせなかった、真剣な瞳で見つめられる。


「萌、本当に大丈夫?なんか変だよ?」


「ち、違うよ!ただちょっと寝不足で……」


 言い訳をする自分が情けない。


 薫は「ふ~ん」と目を細める、


「まぁ言えないならいいけどさ」


 授業中、薫の後ろ姿が気になって仕方ない。ノートを取る手が、髪を耳にかける仕草が、その綺麗な黒髪が揺れるたび、昨日の言葉が蘇る。


「木美月さん、この問題解いてくれる?」


「え、はい!」


 先生に名前を呼ばれて慌てて立ち上がったが、全然頭に入ってこない。


「ん、」と薫がノートを見せてくれる。そのまま黒板に書いた。


「よし、正解だ」と先生が言う。


「ありがと」小声で薫だけに聞こえるよう呟けば、「うん」と笑顔を返してくれる。


 困ってる時に助けてくれる。いつもの優しい薫がそこにいた。


 昼休み、屋上で薫とふたり。いつもなら嬉しいはずなのに、今日は息が詰まりそうだった。


「あのさ」


「うん?」


「萌は、好きな人いるの?」


「んん!?」突然の質問にびっくりして喉にご飯を詰まらせた。


「ちょっ!大丈夫!?」


 背中を叩く薫の手が優しい。

 ケホケホと咳をしながら答える。


「な、なんで突然そんなこと……」


「だって、昨日の公園でわたしは教えたけどさ……萌もいるのかなって」


 言えるわけない。あなたが好きだなんて、もう言うこともないかもしれないけど。


「……薫には、言えないよ……」


「えー、なんで?」と薫が不満そうな顔をする。


「……その人にはもう、好きな人がいるみたいなの」


「え?……そっか……じゃあ萌は諦めるんだ」


 薫が立ち上がり、わたしの両手を掴む。


「わたし、応援するよ、萌の好きな人が誰でも、わたしは応援する」


 そんなに優しい言葉かけないでよ…

わたしは薫と照、応援できてないのに。涙が出そうになる。


「萌?」


「ご、ごめん。目にゴミが……でも、もう決めたことだから……大丈夫!」


 これ以上この場所にいれない。


「じゃあ、わたし先に戻るね、」


 涙を拭きながら、わたしは決意する。

 この想いは、このまま心の奥にしまっておこう。

 大切な親友の、親友の薫の恋を見守ることしかもうわたしにはできないから。


 その後は薫と普通に接することができた。

 いつもの笑顔で、いつも声で、いつものわたしで薫と過ごすことができた。


 放課後は、教室で本を読んでいた。薫のことばかり考えるのは一日中変わらず、内容が入ってこない。

 時計を見れば、もうすぐ部活が終わる時間になっていた。


 校門で薫を探していると、遠くから歩いてくるのを見つけた。

「かお…る」名前を呼ぼうとしたところで気がついた、薫と照がふたりで話していることに。


「あ、木美月さん!」


 薫が驚いた顔でこちらを見る、この場所から今すぐ逃げ出したい、すでに足は動いていた。


「待って!萌!」


 わたしの名前を叫ぶ薫の声だけは鮮明に聞こえる。

「はぁはぁ 」と体力は限界を超え、もうわたしが走れなくなった頃に、背後から同じように息を切らした薫が、わたしの制服の裾を握って立っていた。


「ま……まってよ、萌……」


「な……なに、薫」


「な、なんで……」と俯きながら言う薫の声は震えていた。


「なんで逃げるの!言いたいことがあるなら、全部教えてよ!」


 薫の怒りと悲しみが混ざったような声に胸が締め付けられる


「か、薫は!門手くんのことが好きなんだ!」


 薫は「……え?」と顔をする。


「な、なんのこと?」


 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていた。わたしの感情はもう止まらない。


「朝だって……朝だって門手くんに挨拶されて喜んでたでしょ!」


 わたしの心の中で隠してたことが、言いたくなかったことが溢れてくる。


「あ、あれは違うよ!急に話しかけられてびっくりしただけ!」薫は必死に否定する。


「今も!ふたりで話してたじゃん!」


「違う!あれは照くんに好きな人のことを相談してただけ!」


「なら……薫好きな人は誰なの!」


「なっ!」と薫の頬は真っ赤に染まる。


「ほ、本人の前で言えないよ!」


「なに、本人って!……え?」


 周りから音が消えていく、息を切らしたふたりの息づかいだけが響く。

 時が止まったような清寂が流れ始める。


 薫はじっと潤んだ瞳でわたしを見つめる。

 その瞳に映るのはわたしだけ。


 全部、わたしの勘違いだった?


「ねぇ、萌」と歩き始めた薫の声が、夕暮れの空気を震わせる。


「わたしが好きなのは、照くんじゃないよ」


 一歩、また一歩と薫が近づいてくる。


「わたしが好きなのはね……」


 薫の手が、そっとわたしの頬に触れる

 夕陽に照らされた薫の頬が、より一層赤く染まる。


「萌のことが、ずっと好きだよ」


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