『シャッターの向こうの怪談』
ソコニ
第1話 幽霊カメラ
「インスタ映えする写真って、ある意味呪いよね」
カフェでスマホを覗き込みながら、私は吹き出した。画面には、わざとらしくスムージーを持って微笑む女性たちの写真が並んでいる。みんな同じような角度、同じような表情。まるで量産されたように。
「明日美は相変わらず毒舌だね」親友の麻衣が笑う。「でも、あなたが撮る写真は違うもの。その人の一番自然な表情を切り取れるもの」
そう、私、佐伯明日美は写真にうるさい。SNSの中の作られた世界より、その瞬間の空気感を大切にしたい。写真部で顧問の信頼も厚く、部活の公式インスタも任されている。先日の文化祭の撮影では、思わず涙ぐむ後輩の表情を収めた一枚が学校新聞に採用された。
「明日美の写真には、魂が写るって噂よ」写真部の後輩、美咲が言う。口紅を塗り直しながら、彼女はスマホの自撮り機能で自分の顔をチェックしている。インスタフォロワー2万人の美咲らしい仕草だ。
そんな私の写真人生が、大きく歪み始めたのは、祖母の遺品整理の日だった。
箪笥の奥から出てきた古いカメラは、見るからに年代物だった。黒く艶のある外装には細かな傷が刻まれ、レンズの周りには緑青を帯びた真鍮の装飾が施されている。型番を調べてみたが、メーカーの記録にすら残っていないような代物だ。
「明日美、これ使ってみる?」母が手渡してきた。「お祖母ちゃんの大切なものだったみたい」
迷わずカメラを受け取る。重い。見た目以上の重量感だ。手に取った瞬間、指先に粘つくような不快感が走った。でも、写真好きの私には、むしろそれも愛おしく感じられた。
「これで撮ったら、フィルターいらずだね」そう呟きながら、試しにシャッターを切ってみる。予想以上に静かな音。デジタルに慣れた耳には、少し物足りないかもしれない。
その夜、部屋で古いカメラを愛でていた私は、テスト撮影をすることにした。窓際に置いた観葉植物を被写体に選ぶ。ファインダーを覗くと、視界が少し歪んで見えた。植物の葉が、まるで呼吸をしているように揺れている。シャッターを切る瞬間、レンズの奥で何かが動いたような...。でも、そんな気のせいは忘れることにした。
週末、麻衣とカフェ巡りの約束をしていた。彼女はファッション誌の編集者見習い。仕事柄、写真には人一倍うるさい。
「へー、そんな素敵なカメラが出てきたの?」麻衣は目を輝かせた。「私も撮ってもらいたい!」
「オッケー。でも加工は一切なしだからね」
「それがあなたのポリシーでしょ」
その日は街中で何枚も写真を撮った。人通りの多い商店街、静かな公園、夕暮れの河川敷。麻衣は表情豊かにポーズを決め、私は熱心にシャッターを切った。ただ、撮影するたびに、何か視線を感じる。振り返っても、そこには誰もいない。
数日後、現像した写真を受け取りに行った。期待に胸を膨らませながら、店を出てすぐにアルバムを開く。最初の数枚は普通の写真だった。けれど、ページをめくるうちに、私の手は止まった。
麻衣と撮った写真。笑顔で手を振る彼女の後ろに、もう一つの影が写り込んでいる。最初は木の影かと思った。でも、よく見ると...それは人の形をしていた。しかも、麻衣の動きを完全に真似ている。手の位置、指の角度まで、まるで鏡に映ったように正確だ。
背筋が凍る。他の写真も確認する。公園のベンチに座る麻衣。その隣の空いているはずのスペースに、黒い染みのような形が写っている。よく見ると、それは座っている人の形だった。河川敷の写真。麻衣の横顔に、腐食したような顔が重なっている。
慌ててスマートフォンを取り出し、同じ場所で撮った写真と見比べた。デジタルの写真には、異常は写っていない。加工アプリで盛った自撮り写真と違って、この「影」は、どこか生々しい存在感を放っている。
震える手で麻衣に電話をかけた。
「もしもし、麻衣?あのさ、現像した写真なんだけど...」
「あ、明日美!私も見てたところ!河川敷の写真、私の顔が...変なの」
血の気が引いた。麻衣にも見えているのだ。
それからというもの、私は強迫的に写真を撮り続けた。街角の猫、満開の花、古い建物...。現像すると、そこにはいつも、肉眼では見えなかった「何か」が写り込んでいた。人々の影に寄り添う人影。窓ガラスに映る腐った顔。花びらの間から伸びる、骨のように白い指。
写真を撮るたびに、影はより鮮明になっていく。最初はぼんやりとした影だったものが、今では輪郭がはっきりと見える。服のシワまで確認できる。そして、その「影」は、次第に被写体に近づいていった。
ある日、写真部の後輩、美咲が突然声をかけてきた。
「先輩、噂になってるカメラ、見せてもらえませんか?」
「噂?」
「はい。先輩の写真に写る"アレ"のこと」美咲の目が異様に輝いていた。「写真部のみんなで見せてもらいたいんです。これ、絶対バズります!」
必死で止めようとしたが、美咲は構わずカメラを手に取った。
「ほら、みんなで記念撮影しましょう!」
シャッターを切る瞬間、私はファインダーの中で、生徒たちの背後に無数の手が伸びるのを見た。現像した写真には、全員の首に黒い手が回されていた。それは人の手のはずなのに、皮膚は剥がれ落ち、関節は曲がりきっていない。
次の日から、写真部のメンバーに異変が起き始めた。全員が首の痛みを訴え、中には発熱で倒れる者も。美咲のインスタの更新も途絶えた。
そして、ある日、麻衣から悲鳴のような電話がかかってきた。
「明日美...私、もうだめ」
声が震えている。
マンションに駆けつけると、麻衣は蒼白の顔で俯いていた。
「見て」
服を捲り上げると、背中一面に黒い痣が広がっていた。人の手形が、まるで這い回ったように。しかも、その跡は目の前でじわじわと広がっている。
私が震える手で携帯を取り出し、その跡を撮影すると、画面には麻衣の背中に覆い被さる無数の人影が映っていた。瞳のない顔が、こちらを見て笑っている。
「カメラを壊さないと」麻衣が叫ぶ。「このままじゃ、私たち全員が...」
その瞬間、部屋の電気が消えた。闇の中で、無数の足音が聞こえる。私はカメラを抱えたまま、祖母の仏壇の前に逃げ込んだ。線香の煙が、人の形になって立ち上る。
夢の中で、若かりし日の祖母が現れた。
「このカメラは、向こう側の入り口なの。写真は扉。でも、向こうの者たちは、こちらに来たがる。私も...」
祖母の姿が崩れ、その下から腐敗した肉の色が覗く。無数の手が伸びてくる。
「加工された写真の中の偽りの笑顔より、本物の闇の方がまし...そう思っていたの」
悲鳴と共に目が覚めた。仏壇の前にカメラはない。代わりに、箪笥から一枚の古い写真が出てきた。祖母が写ったモノクロ写真。表情がゆっくりとこちらを向き、口が裂けるように開く。
私は写真を燃やした。炎の中で、無数の影が身もだえする。それ以来、私は決して写真を撮ることはなくなった。
麻衣は今、病院のベッドで、少しずつ透明になっていく。美咲のインスタのフォロワーは、毎日数百人ずつ減っている。彼女の最後の投稿には、「私の自撮りに、知らない人の顔が写り込む」とだけ書かれていた。
私は今、スマホのカメラさえ怖い。画面の向こうで、無数の影が私を待っているような気がして。鏡を見ると、自分の姿が少しだけ遅れて動く。フィルターじゃ消せない影が、日に日に濃くなっていく。
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