第3話 海ぞいのワインディングロード

 海ぞいの道を走っていた。


 二車線の道路だ。


 左は山すそで、右は海。


 ガードレールのむこうに見える海は、キラキラと光っていた。


 ボンネットからの光がまぶしい。


 きれいな白いボンネットが、太陽の光を反射している。


 ぼくの車、初代マークX。色はホワイト。


 窓は全開で、海風が心地いい。


 ラジオからは、かすかに音楽が流れていた。たしかコブクロとだれかの「ワインディングロード」とかいう曲だ。


 いい景色、いい時間。そのはずだった。夢のマイカーで海ぞいの道路。ひとりでドライブ。これも夢に見たシーンだ。


「いいね♡」


 きれいな女性の声がした。


「やっぱり六気筒。走りがぜんぜんちがう♡」


 運転しているのは、ぼくではない。


 ぼくは対向車がおどろかないよう、そっとハンドルに手をそえているだけ。運転しているのは、このカーナビの声の主。


「そして、めずしいリア駆動。くぅ、加速がちがう!」


 勝手にアクセルまで踏まれた。


「なんだよ、おまえテンション低いな!」


 カーナビから流れる女性の声の主は、小早川礼子さん。車に生まれ変わる前は、アラサー女子だったという。


「初めての愛車だろ、しかも美女付き。もっと喜んでいいのよ、チェリーボーイちゃん♡ ふわっふぅ!」


 そして礼子さんは、パリピだ。


「あの……」

「なんだよー、チンカスー」


 礼子さん、すっごい口が悪い。


「めっちゃ車にくわしいですね」

「あー、あたし走り屋だったから」


 そういうことか。


「オートマでドリフトできるかなぁ」

「ちょ、ちょっと礼子さん!」

「だいじょぶー。さっきのくねり道で、しばらくさきまで対向車いないの見えたから」


 ブーン! とエンジンの音が鳴った。勝手にシフトダウンだ。そうか、内部からギアも自由自在。


 からだがシートに押しつけられた。急加速だ。みるみるうちにカーブがせまる。


「礼子さーん!」


 左へのカーブ。車は逆に右へとふくらんだ。右はガードレール。その外は海!


「ここでこう!」


 礼子さんが言った。左へ車体がななめになる。ギュルギュル! とタイヤの鳴る音がした。


「やっぱ、タイヤがダメかぁ」


 車が減速していく。


「マー坊、タイヤ替えようよ」

「そんなお金、ないですよ!」

「あっ、ネット通信の機能もつけたいしなぁ」

「だから、お金ないです!」

「あっ、そっか、知りあいのとこならローンでできるかも♡」


 なぜかフロントパネルの何かが点灯した。サイドブレーキのランプだ。


 すごいブレーキの音がして、ハンドルが急に回りだした!


「まさか、サイドターンですか!」


 ネットの動画サイトでしか見たことがない!


 対向車のいない道路で車は百八十度ターンをし、反対方向へと走りだした。


 そして礼子さんが勝手に運転すること一時間。


熊代くましろ板金ばんきん」と、さびついた看板のあるボロい整備屋さんの前に車は停まった。


熊代くましろあきらっていう、おっちゃん。若いころはレーシングメカニックをやってた知る人ぞ知る人でさ」


 プレハブのガレージがあった。そこでタイヤを替えている男性がいる。


 遠目からでもわかったのが、名前のとおり熊みたいな中年の男性だ。黒いヒゲがはえていて、からだもいかつい。


「こ、怖そう!」

「クマちゃんが?」

「ちゃん付けですか!」

「クマのプーさんみたいな、やさしいおっちゃんだよ」


 プーさんがやさしいのか知らないし、そして男性は、ぬいぐるみのほうではなく、リアル熊みたいな人だし!


 それでもぼくの車、初代マークXは動きだした。車が数台と、車の部品が山積みとなった小さな板金工場へと入っていく。


「おう、だれだ、勝手に入ってくるやつは!」


 プレハブのガレージでタイヤを替えていた熊みたいな男性。入ってくるぼくらの車に気づいて立ちあがった。


「この土地は売らねえって、言ってるだろうが!」


 作業服を着た熊が、怒りの形相でこっちにきた!


「ありゃりゃ、クマちゃん怒ってるよ」

「ど、どうすんですか礼子さん!」

「そうだなぁ、どうにかして、この車に乗せてよ。あたしがナシつけるから」


 ナシつける。話をつけるって意味か。おばちゃんの言葉づかいがわかりにくい。


「無理ですよ!」

「ダイジョブ。車好きに悪い人はいないって」


 熊みたいな板金屋さんが近づいてきたので、ぼくはパワーウィンドウをおろした。


「あ、あの、すいません」

「なんだ、ガキか。道にでも迷ったのか」


 熊みたいな男性は、めずらしそうな目で車内を見まわした。


「おいこれ、マークXか!」

「あっ、はい」


 車好きに悪い人はいない。礼子さんの言葉を信じてみるしかないのか。


「初代マークXっていう車らしいです」

「そんなこたぁ、ひと目でわかるわ。二十年は前の車だ。それが、ありえねえ。こんなきれいに内装が維持できるのか」

「えっと、前のオーナーが車庫に入れてたって」

「そのパターンか。だから日焼けしてないんだな。おいボウズ、おまえ運がいいぞ」


 外から車内を見ていた板金屋さんは、ちょっと身を引いて車の外観をながめた。


「レイコが乗りたかった車か。皮肉なもんだぜ」


 板金屋さんは、たしかにいま「レイコ」と言った。


「あ、あの、小早川礼子って女性、知ってますか!」


 ぼくが車に転生した女性の名前をだすと、なぜか板金屋さんの顔つきが変わった。


「どこで調べたか知らねえが、やっぱおめえ、地上げ屋か」


 板金屋さんは「くそっ」と吐き捨てるように顔をしかめた。


「ネットにも載ってねえ情報をよく調べたな。そう、レイコはおれのレーシングチームでドライバーをしていた女だ」


 そうなのか。礼子さんは自分を「走り屋」って呼んでたけど、それ以上だ!


「だが、あとの話を知らねえみたいだな。レイコは死んだ。悪いことは言わねえ、帰んな。死んだ人間をネタにすると、バケて死人がでてくるぜ」

「そ、それです。バケてでてきたら!」

「あのな、中坊」


 熊みたいな板金屋さんが、ヒゲだらけの口もとで笑った。それに中坊だと免許取れないし!


「おとなが幽霊とか信じると思うか。帰んな。んで上司に報告しろ。変な昔話でおれに取り入ろうとしてもムダだってな」


 そのとき、ポーン! とカーナビが鳴った。


「オルタネーターの異常が感知されました」

「オルタネーター?」


 思わずカーナビの聞いたことのない単語に聞き返してしまった!


「発電機のことだ」


 板金屋さんに言われて、速度メーターなどがあるフロントパネルを見た。バッテリーランプが赤く点灯している。


 そうこうしていると、バッテリーランプだけじゃない。エンジンランプ、エアバッグのランプ、すべてのランプが赤く点灯した!


「おい、いよいよ電圧低下か!」

「み、見てもらってもいいですか!」


 ぼくはあわててドアをあけ、車からおりた。


「ったく、しょうがねえな」


 ぼくの代わりに、板金屋さんが熊みたいに大きなからだを運転席に押しこんだ。


「マークXは高級車だ。こういう車はな、カーナビのほかに車体情報の画面があってな」


 熊が太い指で、カーナビのボタンを押した。


 そのときだ。運転席のあけっぱなしのドア。それが静かに、そしてわずかにゆれたように思えた。


 ぼくはイヤな予感がして、一歩さがった。


 バタン! とドアがしまった。


「おいっ、あぶねえだろうが、急にドアをしめると」


 熊さんの言葉は、最後はくぐもった声になった。勝手にパワーウインドウがあがり、熊さんが車内に密閉されたからだ。


 カチャン! と四つあるドアの鍵も勝手にしまった。


 青ざめた顔で、熊さんがこっちを見ている。


 かすかに聞こえる礼子さんの声。ぼくは外からなので聞こえない。


 熊みたいな男性が、何度もドアをあけようとしている。内側のドアの取っ手が壊れそうで心配だ。


 次に熊みたいな男性は、ドアロックのボタンを連打した。でもドアロックは解除されない。ぼくのときとパターンがちがう!


 熊みたいな男性が窓をたたいている。かすかに「助けれてくれ!」というくぐもった声も聞こえた。


 とても気の毒だ。でも邪魔をしてもいけない。ぼくは数歩さがった。


 半狂乱でわめく板金屋さん。からだも座席の上で飛び跳ねている。車がゆれるほど飛び跳ねている。それも当然に思えた。いま男性は、車内で死んだはずの女性の声を聞いている。


 ぼくの場合は知らない女性の声だった。それが熊さんの場合、知っている女性の声。しかも死んだはずの女性の声。これは怖い!


 何分たっただろうか。運手席のドアがあいた。


 あいたドアから、作業服を着たクマがころがり落ちた。いや、正確には板金屋の熊さんだ。


 車からころがりでた板金屋さんは、そのままアスファルトに寝ころんだ。


「おい、ボウズ」

「は、はい」


 呼ばれて近よった。


 板金屋さんは、息を荒げながら、夏の終わりの青空を見つめている。


「家のなかから、水を一杯、持ってきてくれ」


 こんな状況だ。水を飲みたい。その気持ちは痛いほどわかる。


「わかりました。水道はすぐわかりますか」

「いや待て。そこのガレージだ。すみっこに冷蔵庫がある。缶ビール持ってきてくれ」

「あー、そのほうがいいかもです」


 ぼくは未成年でお酒を飲んだことないけど、幽霊に出会った直後だ。こんなときこそ、お酒のほうがいい気がする。


 ぼくの言葉が聞こえたのか、寝ころんで青空を見ていた熊さんが、こっちを見た。


「おめえも、これ体験したのか」

「はい。ぼくの場合は、つぶれた工場の駐車場でしたけど」

「つぶれた工場。んじゃ、おめえ、完全にひとりか」

「はい」

「そりゃ、おれよりこええな」


 そうか。たしかに言われているとおりで、あのときの恐怖はすさまじかった。たったひとりで幽霊とむきあう。


「冷蔵庫に缶コーヒーもある。おめえも飲むか。ちょっと、ひと息ついて。それから積もるナシだ」


 この人も「ハナシ」を「ナシ」と略すのか。


 そんなことより冷たい缶コーヒー、飲みたい。おれも落ちつきたい。


「缶コーヒー、いただきます」

「いやこれ、今日は寿命がちぢんだな」

「熊さん、と呼んでいいですか?」

「おう、いいぜ」

「熊さん、寿命がちぢむ思い、めっちゃわかります」

「だよな」


 また熊さんが青空へと目をうつした。


 おれも空を見あげてみる。もう夏の終わりなのに、まるで真夏のようなモクモクとした巨大な入道雲が見えた。

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