中古車転生。激安マークXに転生していたのはアラサー女子の礼子さん。

代々木夜々一(別名ヨヨギヨヨスケ)

第1話 街の中古車

 夏休み、ぼくはバイトに明け暮れた。


 バイトは夜の食品工場だ。


 夕方から朝まで。長時間、働きに働いた。


 工場で作る主力商品は、コンビニの冷やし中華。


 だいたいひと晩で作る量は四万個。ぼくは流れ作業台で、ひたすら毎晩キュウリを四万個も入れた。


 ゴム手袋をした手で、きざんだキュウリをひとつかみ。それを流れてくる冷やし中華の上に乗せる。


 単純作業、たけど数が数。コンベアの流れるスピードが早い。立ちっぱなしの流れ作業は夕方から始まり、二万個を超える深夜あたりになると、もうみんな疲労がマックス。


 ぼくのとなりにいたフィリピン人のおばちゃん、エリザベスは作業中によく倒れた。エリザベスは、もやしを入れる係だった。


 死ぬんじゃないか、そう思えるぐらい過酷なバイトだった。でもやりとげた。


 おかげで、ぼくはひと夏に二十万もの大金をかせいだ。


 ぼくの夢がかなう。ぼくの夢、それはマイカーだ。


 大学生になり、一年間、彼女はできなかった。そんなぼくが二年の春休みに免許を取った。


 そうなれば、あとは車である。だからこの夏休み、死ぬ気で働いた。


 きっとこれで、ぼくにも春がくる。彼女だってできる!


「いやぁ、ごめんね。二十万ぴったりじゃ、無理なのよ」


 うそでしょ。


 今日は、家から近い中古車屋を見てまわった。なかでもここ「E-Cars(イイカーズ)」は、安くてかっこいい車が多かった。


「ダイハツのかっこいい黒の車、198,000円って!」


 中年の店主だった。汚れた作業着で、おなかポッコリのおじさん。話してみると、人のいいおじさんだった。そのおじさんに、ぼくは食ってかかった。


「あっちだと、138,000円ってのも!」

「だからそれ、車両代なのよ」

「しゃ、しゃりょうだい?」

「車の本体。でもね、ほかにもかかるのよ。車検とか、こまかく言うと自動車税っていう税金とかもね」

「そんな!」

「だいたい、諸費用が二十万ぐらいかなぁ。だから安い車を買おうとしても、四十から五十ぐらいは考えないと」


 そんなことってあるのか。


「ネットだと、いまはトータルで金額だすのが決まりなんでね。そっちを見てくれたほうがわかりやすいけど、店で車につける値札は、やっぱり車両代のみじゃないと、見ばえがね。ごめんねぇ、わかりにくくて」


 汚れた作業服のおじさんは、あやまってくれた。でもそんなことは、どうでもいい。


 ぼくの考えは甘かった。夢のマイカー。これから二学期。そして秋。秋と言えば旅行、旅行と言ったらドライブ。ドライブと言ったら車。


 まだ見ぬ彼女を助手席に乗せる夢は、もろくも、はかなく、くだけちった。


「ニットワンピースの彼女、かわいかったなぁ」

「なんの話?」


 夢で見た話だった。


 ぼくは四十台ほどならぶ中古車のまんなかで、アスファルトにお尻をつけた。立っていられなかった。あんなに、バイトをがんばったのに。


「なになに、なんか絶望してる?」


 車屋のおじさんが、かがんでぼくをのぞきこんできた。


「すいません、ちょっと立ちくらみが」

「ああ、今年の夏は、長いからねぇ。八月の終わりでも、まだこんな暑さだもんねぇ」

「そうなんですか」

「え、知らない?」

「なにがです?」

「今年の夏、記録的な猛暑だったでしょ」

「えっと、バイトばかりしてまして。夜の食品工場、冷房ききすぎて逆に寒くて」

「あれ、ひょっとして、車買おうとして、がんばっちゃった?」


 泣きそうな気持ちをおさえて、ぼくはうなずいた。


「ありゃまあ。車の好きな青年って、おじさん好きだけど、二十万じゃねぇ。どんな車が欲しかったの」

「えっと、燃費を考えるとけいなんですけど、夢はいつか、白い乗用車が」

「あっ、いいねぇ。おじさんも最初に買った車、シーマだったよ」

「シーマ?」

「あっ、知らない?」


 車屋のおじさんは、作業服のポケットからセブンスターの箱をだした。


 それからセブンスターを一本くわえると、百円ライターで火をつけた。


「白いシーマ、当時はかっこよかったんだよ」

「いまは売ってないんですか?」

「おなじカタチは、もう売ってないね。女優の伊藤かずえさんって人は、いまだ三十年前のシーマをレストアして乗ってるみたいだけどね」


 おじさんは、なぜかちょっと遠い眼で、空のむこうを見つめて煙をはいた。


「いいよねぇ、白いセダン。男はやっぱ、白いセダンだよねぇ」


 そう言われてみれば、昔のヤンキー漫画にでてくる車はスポーツカーではなく、セダンタイプの車ばかりだった気がする。


「あの、いまはなにに乗ってるんですか?」

「娘が三人いるのね、おじさん。一番上の子は、スポーツ少年団でバレーボールしてたりね。そうなると、ワンボックスになっちゃうよね」


 ワンボックスがどんな車なのか、ぱっとすぐに思い浮かばなかった。


 それほどぼくは、車にくわしくない。ただ昔に父親が乗っていたのが白い乗用車だった。かっこよかった。そう思っているだけだ。


「どうにかしてあげたいけど、二十万じゃ、こっちが赤字になっちゃうよねぇ」


 おじさんはそう言って苦笑にがわらいを浮かべた。


 ちゃんと調べておけばよかった。昨日にバイト代が振りこまれて、喜んで今日だ。


「まあ、あれなら引き取ってもらってもいいけど」


 車屋のおじさんが、つぶやくように言った。「あれ」ってなんだ?


「二十万で買える車があるんですか!」


 思わず、ぼくは立ちあがった。おじさんはそんなぼくを見て笑った。


「期待させる言いかただったかな。この業界では、うわさの車でね」

「うわさ?」


 どういうことだ。


「有名な車なんですか?」

「そうじゃなくて。なぜか売れない一台なの。どこの店でも売れないの。それでついたアダ名が『呪いのマークX』ってね」

「の、のろい!」

「あれ、きみは呪いとか信じるほう?」

「ど、どうなんでしょう」


 事故物件とかは聞く話だけど、呪いの車なんてものがあるのか。


「事故車とかですか?」

「あー、事故車ね。一般の人はそれ気にするけど、車屋のおれたちは気にもしないんだよね。事故るってのは、ドライバーがヘタなだけでしょ。車のせいじゃないよね。むしろ事故車って呼ばれる車のほうがかわいそうだよね」


 それはそうかもだけど。


「あっ、ちなみに『呪いのマークX』は事故車じゃないよ。どの店でも売れないから、そう呼ばれてるだけでね。おじさんは呪いとか信じないほうだからさ、引き取ってみたけど、まあほんとに売れないんだわ」


 おじさんはポケット灰皿をだしてタバコを消すと、こっちだよと歩きだした。


 けっこう広い中古車屋さんの、一番はし。


「し、白い乗用車!」


 なぜか、ぽつんと白い乗用車が一台停まってある。


「トヨタの初代マークX。もう二十年ぐらい前の車なのね」

「に、にじゅう。ぼくより年上!」

「あら、若いねぇ、いくつ?」

「十九です。十月の誕生日でハタチに」

「なるほどね、それまでに車が欲しいわけだ」


 そう、ハタチの誕生日に彼女と記念旅行。ねらっているのはこれだった。彼女いないけど。


「み、見てもいいですか?」

「もちろんいいよ。古いけど、めちゃくちゃ状態いいからね。この車、前のオーナーはお金持ちの老人。おじいちゃんでさ。屋根付き車庫のある家だったから、車内は日焼けもしてないし」


 車屋さんの言葉は聞いていなかった。白い乗用車に近づき、窓から車内をのぞいてみる。


 ハンドルが革張りだ。そして車内のインテリアが木目。中央のシフトレバーがあるあたりとか、ドアのスイッチあたり、すべてが木目調だ。


「いいでしょ。当時は三百万ぐらいした高級車だよ」

「さん・びゃく・まん!」


 たしかに高級車っぽい。グレーの座席はふっかふかだ。肌ざわりがよさそう。


「トヨタだったらクラウンもいいけど、この初代マークXはエロさがあるよね」

「初代って言いますけど、二代目はちがうんですか?」


 車内をのぞいていたけど、ふり返りたずねてみた。


「ぜんぜんちがうのよ。この外見と中身は、初代だけ」


 そうなんだ。ぼくには、そういうこまかいことはわからない。ただ高級車だというのは理解できた。


「これを二十でいいんですか?」

「さっきも言ったけど、売れないのよ。最初の店がつけた値段が五十万。次の店では四十。それでも売れずに次の店では三十。いろいろな店を点々とするたびに値段はさがってさ」


 ぼくは車の前にまわってフロンドガラスにある大きな値札を見た。「98,000円」とある。安い。それでもさきほど教わった諸費用を考えると三十万するはず。それなのに、これを二十万で?


「い、いいんですか?」

「んー、もうこの値段をつけても売れないってことは、いくらにしても売れないよね」

「それはやはり、呪い……」

「はは。おじさんきみより長いこと人生やってるけど、呪いだとか幽霊だとか、見たことないよ。きみは見たことある?」

「な、ないです」

「でしょ。まあ古いから十二万キロ走ってるけど、こんな内装状態のいいマークX、なかなかないよ」


 十二万キロ。たしか車は十万キロ以内の中古車を買えと、ネットかなにかで見た気がする。


「あの、エンジンをかけてみたり……」


 恐る恐る聞いてみた。


「車検なしって値札には書かれてましたけど……」


 さきほど見たフロントガラスの値札には、そう書かれてあった。車検切れの車って、エンジンをかけていいものなんだろうか。


「はは。車検が切れた車は、公道を走れないってだけで、敷地内は走れるよ」


 そうなのか。


「ちょっと待ってて。人生初の車だもんね。気になるよね」


 車屋さんは小さな店内に入ると、すぐに鍵を持ってもどってきた。手にしたキーのボタンを押す。カチャっとドアロックのあいた音がした。


「運転席、乗ってみる?」

「いいんですか!」


 ぼくはキーを受け取り、運転席のドアをあけた。夏の終わりで、むわっとした熱気がくる。


 それでも、なぜかいい匂いがした。前のオーナーはおじいちゃんと聞いているのに。


 ぼくが運転席に座ると、反対のドアがあいて車屋さんも乗りこんできた。


「十九で、初めての車かぁ、いいね。ドキドキするでしょ」

「は、はい。しかもカッコイイ車で!」


 言われたとおりで、ぼくは少々ドキドキしていた。


「えっと、エンジンのボタンはどこに?」

「あっ、これ、昔の車だから。リモコンでドアキーはあくけど、エンジンは鍵を差して」


 そうなのか。母親のミニはボタンでエンジンがかかる。


 運転席に座ったぼくは、からだをななめにした。ハンドルの下にある鍵穴。キーを差しこんでまわす。ブロロン! とエンジンがかかった。


「い、いい音!」

「でしょ。いまはハイブリッドや電気自動車ばかりでね。こういうハイオクの車がだす特有のエンジン音、もう貴重だよね」

「ハ、ハイオクですか!」


 車は持っていないけど、父親か母親につれられてガソリンスタンドに行くことはある。ハイオクとは、高いほうのガソリンだ。


「この車、燃費って」

「いや、まあ、高級セダンと、スポーツ車のいいとこ取りがマークXの特徴でね。そりゃ燃費はよくないけど」


 燃費が悪い。そしてガソリンはハイオク。ぼくの小遣こづかいでは維持できない気がする。


「すごいかっこいいけど、無理かなぁ」


 売り物なのに、思わずひたいをハンドルにつけて下をむいた。


「いっつま~でも~忘れない~♪」


 急に車から音楽が流れだした!


「あらら、ごめん。前のオーナーが取り忘れてたんだわ」


 そう言って、車屋さんはCD停止のボタンを押そうとした。


「十九のままさ~♪」


 歌の続きが聞こえてきた。


「えっ、十九?」

「ああ、この曲、昔に流行はやった浜田省吾の曲。十九のままさ、って曲でね」 


 十九のままさ。ぼくの年齢だ。これはひょっとして「運命の車」ってやつだろうか。


「決めます。これ、ください!」

「おっ、じゃあ車検、通しておくね」


 車屋さんは、そう言ってCD停止のボタンを押した。


「あれっ、CDじゃないのか。ラジオか」


 車屋さんは、カーステレオの電源ボタンを押した。フロントパネルが、カーナビの画面へと切り替わり、車内に流れていた音楽がやんだ。


「えっ、ラジオでした?」

「ラジオだよ。この車、CDチェンジャー入ってるけど」


 そう言って、車屋さんはカーナビ画面の下、木目部分を押した。パカっと小さな窓がひらき、そこにあったのはCDの挿入口だ。


 そしてCDの取りだしボタンを押した。なにも動かない。CDはでてこない。


「ほらね、ラジオだったんだよ」


 車屋さんはラジオのボタンを押した。


「んまぁ、大阪やったら、ゆるされへんで!」


 関西芸人のおばちゃんの声が聞こえてきた。


「番組、ぜんぜんちがいますよ!」

「さっきは音楽が流れてたんだって。やだなぁ、さっきおれが呪いとか冗談を言ったからって、ボケかぶせちゃって」


 車屋さんが笑った。ちょうどラジオからも男性芸人の笑い声が聞こえてきたけど、ぼくは笑えなかった。


「んじゃ、来週中には乗れるようにしとくね」


 なんだか不気味なものを感じたけど、ただの偶然だ。これ以外に二十万で買える選択肢もない。


 呪いのマークX。気のせいだ。おじさんの言うとおりで、そんなものは今まで実際に見たことはない。


「お、お世話になります」


 ぼくはそう言って、車のエンジンを切った。

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