第3話 小さな変化

 翌朝、私は気分よく目が覚めた。

 彼はきっと、ダメだったから諦めます、と言いにくるはずだと考えていたから。だから面倒な看護師さんとの会話も、気分よくすることができた。

 ウキウキしながら彼がくるのを待っていたら、扉がこんこんと叩かれる音がした。


(来た。)


 そう思った瞬間に、私は顔がにやけるのを抑おさえられない。どうにか抑おさえようとして、咳払いをして気分を変えていると声が聞こえてくる。


「今って、入っても大丈夫ですか?」

「えぇ、どうぞ。」


 無理だろうと分かっているからか、強気で楽しい気持ちで返事ができる。

 そう考えていると、許可した瞬間にすごい勢いで扉が開く。


 こちらが驚くほど、バンっという音が鳴る。一体なんだろうと思っていると、彼がこちらまで走ってくる。

 こちらに来た彼の姿が見えると、その手にはこちらが思っているよりも小さな花束だったが持って来た。


「碧さん!持ってきましたよ!花束!!」

「え!?本当に持ってきたの!?…って、なんだ、そこら辺の花じゃないの…。」

「えへへ…。でもすごく可愛いですよ!」

「あのねぇ、私が言ってるのは、外国の花とかが入ってる大きな花束のことを言ってるの。こんな小さい花束じゃないわよ。」

「そうなんですね…。すいません…。」

「そ、そこまで落ち込む必要ないじゃない。」


 すごく落ち込んでしまっらたから、また罪悪感が湧わいてくる。

 でも、そこで終わってしまってはいけない。私は一人でいなくちゃいけないんだ。

 だって、また人を傷つけてしまったらいけないのだから。ぎゅっと手を握って、彼に向かって言葉を放つ。


「じゃあ、これで付き合う話は無かったことに…。」

「いや、これはまず1つ目の花束です!また明日、大きな花束を持ってきます!」

「え!?い、一回持って来れなかったんだから、あの話は無かったことになるでしょう!?」

「いえ、一回じゃ挫くじけません!」

「なんでよ!諦めなさいよ!貧弱者ひんじゃくものなくせに!!」


 そこまで言ってから、ハッとする。私は今なんと言ったのだろうか。

 彼に向かって、ものすごく酷い事を言ったのでは、ないの、だろうか。


 怖くなったが、でも彼の様子をちゃんと見ないといけないと思って、そろりと下に向けていた顔を上にあげる。

 そうすると、泣きそうな顔で笑っている彼の姿が見えた。彼の顔を見た瞬間に、心がかなり痛むのがわかる。


 私はもう人を傷つける事しかできないんだと、心から実感した。そんな言葉しか、そんな行動しか、することが出来ないのだと分かってしまった。

 もう、どうすることもできなくなってしまうほど、私は人として最低な事しかできないんだと、そう思い知らされた。

 だから、もう私は独りでいるしかない。グッと口に力を入れて、冷たい言葉を吐き出した。


「もう終わりよ。さっさと出ていって。花束は持ってこれなかったでしょう?そんな粗末なものを持って、さっさと出ていってよ。」

「…。」

「早くして、私はしんどいの。」

「いえ…。帰りません。」

「わかったなら…って、は…?な、何言って…。」

「僕は!貴女に!しっかりとした花束を届けるまで、諦めません!」


 まさか、そんな事を言われるなんて思ってなくて、私はポカンとしてしまった。しかも、私はさっきの目とは違う、強い目になっている彼に目を奪われてしまっていた。

 何で、こんなに強く酷い言葉を浴あびせられたのに、そんな目をできるのだろうかと考えてしまう。


 何で、さっきまであんなに悲しそうに笑っていたのに、楽しそうに話すことができるんろう。

 私は酷い人間で、独りでいないといけないのに。

 彼の目を見ているとそんな事ないのだと、私も誰かと居ていいのだと、思えてしまう。


 それは、いけない事だ。彼と一緒にいてはいけない。頭の中で警鐘けいしょうが鳴り響く。

 早く、どうにかして彼を私から引き離さないと、彼が酷いことになってしまう。


「そ、そんなの、こじつけでしょう!?そんなこと認められないわ!」

「でも、期限は設もうけて無かったじゃないですか!」

「あ…。」

「なら、明日でも大丈夫ですよね!」

「そ、それは…そうだけど…でも…!」

「じゃあ、明日持ってきますので!待っててください!」

「え!だから待って!!」


 私が止める間もなく、彼は出ていってしまった。どうしよう、止めることも断ることもできなかった。

 恐怖の感情が心の中を占しめる。


 また私が、あの時のように人を傷つけてしまうかもしれない。そんなことが起きたら、どうなってしまうんだろうか。

 私を、見てくれる人は、もう…居なくなってしまうのではないのかな。


(怖い…。どうしたらいいの…。)


 必死に考えても、何も思い浮かばないし、私には相談する人なんて誰もいない。私の顔から血の気が引いていくのが分かる。

 また、また、起こってしまう。

 私が、人を傷つけてしまうことが。


 息が荒くなっていくのが分かるけど、止めることができない。胸を押さえて、息をしようと必死になるけど、息がどんどん苦しくなっていく。

 看護師さんを呼ぼうと思ったけど、呼びたくなかった。この状態だと何をしてしまうかわからない。

 どうしようかと必死になっていると、ふわりと香ってくるものがある。何だろうと顔を上げると、そこには彼が置いていった花束がそこにはあった。


 この花束の中には何か匂いがあるものなんてなさそうだったのに、とても良い香りがしてくる。

 草木の青葉の匂いがしてくるような気がして、スッと匂いを嗅かいでみると、あんなに息がしにくかったのが、普通に息ができるようになってくる。


 ただの白い紙に包まれていて、根本を輪ゴムで止められているだけのそこら辺に生えている花なのに、机に置かれている花束が私をとても落ち着かせてくれた。

 なんて不思議な事なんだろう。

 こんな窓からいつも見てるような花ばかりなのに、私は心が落ち着いていく。


(何でだろう。)


 今まで無くなっていた幸せな気持ちが、戻ってきているような気がした。

 きっと気のせいだと、私は首を振ったけど、でも、心が温かくなった感じがした。


 それは、彼が持ってきてくれた。そう考えただけで、不思議と自然に笑顔がうかんできた。

 息もできるようになって、私はその日の夜、いつもと違って、心地よく眠れた。

 香りがずっと感じれるよう、枕元にその花束を置いて。

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