愛した人 

上田 由紀

第1話

その家の門の前に立つと、妙な違和感があった。

空き家にしては、そう古びた雰囲気がしない。

よく見ると、出窓にかかるレースのカーテンは真新しい白さだ。僅かに開いた窓から吹き込む風を受けて、軽やかに揺れている。


(新しい住人が住んでるのだろうか?)


その家は平屋建てで、玄関は引き戸だ。

グレーの色をした壁は、さほど色褪せてはいない。

ふと、家屋に隣接するガレージに目を向ける。

シャッターが空いていた。中を覗いてみたい衝動に駆られ、そちらに近づく。

美紀はドキリとした。そこにあったのは紺色のインプレッサだった。隼人が乗っていた車種と同じだ。

恐る恐るナンバーを見ると、97……


(合っている。最初の二桁しか覚えていないから、後の二桁は合ってるかどうか分からないが。

偶然の一致なのか。それとも、隼人の車?)


美紀は、じっとナンバープレートを見つめていたが、首を左右に振った。


(隼人の車であるわけがない。だって彼は、死んだのだから……)


もう、ここを訪れることはない。

イヤ、もう二度と来ないと決めていた。

隼人の思い出がある場所を訪れても、ただ悲しみに暮れるだけだから。

だから、隼人が住んでた街の近くには寄り付かないようにしていた。見慣れた街並みを見るのさえ嫌だった。だけど、どうしても外せない用事ができて、隼人の家の近くを車で通り過ぎることもあった。

そんな時は周りには目を向けず、ただひたすら前方だけを見てハンドルを握っていた。

だが、近寄りたくないということは、逆に気になることでもあった。

隼人の両親が亡くなった後、彼が1人で暮らしていたあの家は、どうなったのだろうか? と。

築40年は経っていると聞いている。売却するとか、そのような話しは聞いていない。親族が管理する予定だったのかどうかも分からない。

いずれにしろ、新しい住人が住んでることは確かだろう。


その時、かすかにピアノの音が聞こえてきた。

美紀は耳を澄ました。

この家の中から聞こえてくるようだ。

聞き覚えのある旋律だ。そう、隼人がよく聴いていたピアノ曲。ショパンのピアノソナタ第3番だ。

以前は美紀もこの曲が好きだったが、隼人の死後は聴く気分になれなかった。彼を思い出してしまうからだ。


第1楽章の軽やかな旋律に、じっと聴き入っていた。


(どんな人が聴いてるんだろう?)


にわかに気になりだす。

美紀は家の裏側へと歩き出した。居間がある方向だ。


(住居侵入罪で訴えられるかしら?)


少し心配になったが、好奇心が押さえられなかった。足音を立てないよう、慎重に歩いた。

裏側には小さな庭がある。きちんと除草はされていた。特に何も植えられてはいない。隼人の両親が亡くなってからは、隼人は庭造りには興味を示さなかった。今の住人も、そのようだ。

第1楽章が終わり、第2楽章のちょっと明るい軽快な旋律が流れ出す。

美紀は住人に見つからないよう、そっと居間の窓際へと近づく。カーテンは開けられていた。

男性と思われる住人が、ソファーに座っている。

横顔しか見えないが、どことなく隼人に似てるような気がした。眼鏡のフレームが、隼人がかけていたものと同じようなタイプに見える。そして、少し長めの前髪。それらは隼人を彷彿とさせた。

美紀は金縛りにあったかのように、身動きできなかった。


(まさか、そんな、隼人は死んだのよ。きっと、隼人のそっくりさんよ。世の中には似てる人、1人くらいいても不思議じゃないわ)


その時、男性がこちらに目を向けた。


(えっ、私の視線を感じたのかしら?)


ソファーから立ち上がり、窓際へと近づいてくる。


(えっ?!)


美紀は腰を抜かしそうになった。

なぜなら、男性は隼人にしか見えない。

イヤ、隼人本人? にしか見えない。



       つづく







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