第32話

 銃を使わせる事態には陥りたくない。いずれウェストに気取られるとしてもそれは坑内に入ってからだ。外で警戒されたり出会ってしまったりするのは面倒だった。この山の地理について自分たちは何も知らないし、ウェストの弓の腕は確かだ。閉所で不意に遭遇するでも無い限り、自分たちに勝ち目はない。

 ふと、血を流しているのがウェストである可能性を考えた。あり得ないだろうがもしそうなら話は早い。動けないほどの重傷ならさらに良い。剣を奪って止めを刺して、あとはじっくり坑内を探索するだけだ。

「ウェストさんだったらどうしよう。包帯とかは持ってないし、治療しても他の患者に襲われるかもだし」

 銃の安全装置を外しながら不安そうにタツミが言った。

「……あの男がそんなにやわとは思えないが、万一のときは小屋に引っ張って行こう。それくらいしかやれることもない」

 とっさに穏便な答えを返しながら、自分の血の気の多さに驚いた。対話の余地を考えるより先に相手に勝てるかどうかで考える傾向が強くなっている。何が自分をそこまでシビアにさせるのか、と考えると原因は明らかにこの世界の性質だった。タツミや医者の様に話が通じる存在が稀少すぎたために意識が戦闘寄りにならざるをえない。そうでなければここまで来ていないだろう。

「あまり音を立てたくないが、襲われそうだと思ったらためらわずに撃ってくれ」

「実は、ちょっと自信ないかな……?」

「そうか。なら私に銃をパスしてくれても良いぞ? 弾も貰ったしな」

「うーん……」

 ひそひそ声が周辺の静けさを強調する。頭上で梢が擦れ音を立てた。注意しなければ分からないほど微かなものであり、すなわち生物が起こした音ではなかった。

音と臭いを警戒の宛にして進む内に、鈍く輝く地面を見つけた。液体によって月光を反射しているようだ。その液体こそ先ほどから鉄の臭いを撒き散らしている血……と予想していたが、血にしてはそれほど濃い見た目をしていない。色彩に乏しいこの山にあっては物の濃淡が色の代わりだ。指先で触って擦ると、微かに鉄の臭いがするものの粘り気は全くない。周囲の地面を見てみると辺り一面が濡れていた。濡れているばかりかちょろちょろと流れている。

「水だ」

「湧き水が出てるのかな。それとも川の関係? 地底湖ってことは水があるわけだし」

「ウェストは排水用の通路から坑道へ入るつもりなんだったか。だったらそこからの水かもしれない。ん……?」

 水の流れにもやの様な濃淡があることに気付いた。濃い部分は上流の方から来ているようだった。流れを追って坂を上っていくと水は濃い液体に置き換わっていき、土の上に五体を投げ出している人影をその先に認めた。

「どうしよう? 避けて行かない?」

「そうは言っても確かめないとな……。銃、貸してくれるか?」

 タツミにそう伝えると申し訳なさそうに、しかしよどみない動作でタツミは散弾銃を差し出した。銃を使いたくないのかもしれない。受け取った銃は以前同様ずっしりと重かった。それでも構えて撃つだけのことはできそうだ。

「で、弾は?」

「入れてないよ。えっと、赤いラベルの方が散弾で、青いラベルがスラグ弾っていう単発のやつ」

「分かった」

 ポーチから赤い線の引かれている弾を取り出し、タツミの助言を受けながら装填した。その間も人影は動かず、周囲にも変化はない。あの人影はすでに絶命しているとほぼ察してはいたものの、先ほどタツミへ言ったように、確かめずに放っておくことはできない。

 じりじりと人影に近づき、銃の先端でつついてみた。人影は膝を曲げ、見覚えのないボロ布を身に纏っている。反応は無い。今度はより強く後頭部と叩き、下流で見た水の澱みが人影の首筋から流れ出ている事に気が付いた。さらに見るとその人は膝を曲げているのではなく、膝から下そのものを失っているようだった。膝から液体は出ていない。

「やっぱりなあ……」

 遠巻きにこちらを心配そうに見ていたタツミの元へ戻り、倒れていた人が何であったかを伝えた。

あれは登山途中で出くわしたものと同類の、ずっと前に足を切断された患者の死体だった。首の傷はおそらくウェストが止めを刺したものだろう。這っている患者に対して首に刃物を突き立てて、そのまま先へ向かったようだった。患者の回りに暴れたような痕跡は無かった。あの患者はたまたまここに居て、ウェストに処理されてしまっただけに過ぎない。

「つまり脅威ではないってことだ。他の患者が居ても困るし、先を急ごう」

「それは分かったけど、ウェストさんは這ってる相手の首をわざわざ切って行ったってこと? ナイフで?」

「ナイフじゃなかったな。太い刃物を首半分に突き立てた感じだった。多分あの剣で刺したんだろう」

「うええ……」

 様子を想像したのかタツミがうめき声を上げた。散々銃を使っておいて何を気持ち悪がっているのか。そう思ったが口には出さずにおいた。

「人を撃ったりするのはやっぱり気が引けるし……」

 こちらの意図を察したわけではないだろうが、タツミはそう呟いた。確かに変なのは自分の方かもしれない。夢の中であるとはいえ、もはや人と言えないもの相手とはいえ、相手を殺めることに疑問を持たない状態が正常であるとはとても言えない。再び患者の死体に目をやり、自分の手を鼻にやった。まだ鉄錆の臭いが残っている。忍び寄る目眩を深呼吸で紛らわした。

 死体を越えると地面の水は量を増し、歩く度に水音がするほどになった。水を吸ったスリッパはとっくの昔にぐしょぐしょだ。水を避けようにもすでに獣道の幅一杯に流れている。ゴールは近そうだが明らかに異常な水量だった。

 そして、森が開けたと同時に坑道の入り口らしき場所へ辿り着いた。坑道の木枠の下に落石が詰まっている。水はさらに山の外周を進んだところから流れてきていた。

「本当に入れる場所があるのか?」

 自分のすぐ後ろでタツミは辺りを警戒している。正面で落石をじっと見ているうちにふと気が付いた。普通に坑道を崩しただけなら石というより土が蓋をしているはずだ。目の前に積み重なっているものは小石から顔ほどの大きさまであるが土や砂といった風ではない。これはおそらく、崩落させただけではなく後から人がさらに石を詰め込んだのだ。一度の爆破では不十分だったのかもしれない。

「よいせっと……」

 手頃な石を掴んで落石の山にしがみついた。少女の細腕がぷるぷると悲鳴を上げた。落石の傾斜は見た目よりも緩やかで、登攀というより這って進む感じだ。坑道の天井辺りは真っ暗でよく見えない。しかし隙間があるとすればそこだった。崩落したなら天井付近が高くなっている可能性もある。

「気をつけて!」

 タツミの声が聞こえた。少女の自分がするよりタツミの方が向いているのではと思ったが、登ってみようと考えたのは自分だ。それに、こういうことは思いついた奴がやるものであるし。

 天井の圧力を感じる高さまで登ると、傾斜が急になくなった。月明かりはとうに届かず視界はほぼ真っ暗だ。手に何も当たらないことだけが先に空間が広がっていることを伝えている。手探りでずりずりと進む様を傍目からみたなら、きっとミミズのように見えることだろう。そうしてしばらく暗闇の中でもがきうんざりした後、ミザルが小屋で話していたことを思い出した。そういえば、鍵で光がどうとか言っていたはずだ。

 腰のポーチから鍵を取り出すと、真っ暗闇であるはずなのに鍵の輪郭がぼんやりと輝いていた。

「おお……」

 金属的な冷たさと神秘さのある銀色の光が鍵を握っている手を照らす。やがて光は鍵からだけではなく、自分の這っている地面や天井からも放たれ始めた。ごくごく微弱な光だが、枝のような、菌糸のような線が天井に広がる。それに対して地面の方は所々が不規則に光っていた。そしてその不規則な光点は闇の中に下り坂を浮かび上がらせ、枝状の光は籠のように坑道らしき空間の輪郭を浮かび上がらせていた。

 進むべき道が続いているという事実が自分をほっとさせた。道が間違っていないらしいことが分かったのだから、速く戻ってタツミに伝えなければならないUターンする余裕はなく、尻を外に向けたまま後ろ向きにずりずりと下がる。意外なことに後退する方が簡単だった。通ってきたということがこれほど心強いとは。

「どうだった?」

 登ってきた坂にさしかかったところでタツミの声がした。答えるよりも手早く降りてしまおうと思い、止まらずに傾斜を降りる。とその瞬間、足場にしていた石が崩れた。

「あがががっ」

 傾斜が無くなるところまで、無様に滑り落ちてしまった。とっさに腕で顔を庇ったが、体の前面に小石がごつごつとぶつかった。少し恥ずかしさを感じながらむくりと起き上がる。体に違和感はない。なぜか痛覚のある右足もなんともなかった。

 タツミがこちらの顔をのぞき込んだ。

「怪我してない? ……大丈夫そうだね」

「そうだな。入り口の方も大丈夫だったぞ。ここから中に入れる」

「服がドロドロで……うわあ、腕擦り剥いてるよ?」

「気にするな。腕はともかく服はタツミもそうなるけどな」

 口に入った土を吐き出し、服を払った。腕全体に血が滲んでいたが痛々しいのは見た目だけだ。石と岩を積んだ坂を滑り落ちた割にこれだけの怪我で済んだのは幸いだった。

「さてさて、心の準備ができたら行くぞ」

「行くぞって、ミーくんが先導するのかい?」

「当たり前だろ。確かめたのは私なんだから。それに明かりの用意もある」

そう言って鍵を見せると、タツミは怪訝そうな顔をした。

 二度目の登攀は思った以上に恙なく進んだ。崩れなかった小石を恐れることなく足がかりにできるし、天井が近くなっても何も怖くない。それは自分が経験したからに他ならず、ついて来ているタツミのスピードは非常にゆっくりだった。散弾銃が手を塞いでいるのも大きい。傾斜が緩くなったところで後ろを向いた。

「持とうか?」

「ん……」

何も言わずタツミは押すように銃を差し出した。引きずる用にしてたぐり寄せ掴んだ。もし何かと鉢合わせても大丈夫だということに気が付いたのはこのときだった。最初の探索で患者に出くわしていたらどうなっていたか、あまり想像したくはない。

 銃の重さも這って進む分にはそれほど問題にはならず、容易く平坦なところまで戻ってこられた。タツミが後ろでごぞごぞしている。暗闇が不安なようだ。それはそれとして、鍵と銃が子供の手に余った。

 真っ暗な視界の変化に気付くには少し時間がかかった。最初は目蓋を閉じたときに浮かぶような暗緑色のうねりだと思っていたが、それはだんだん明るくなり、すぐ真上に広がる天井を被う網のように広がっていく。地面もぽつぽつと光り始めた。

「綺麗だ……あでっ」

 タツミがくぐもった声を上げた。

「どうした?」

「頭打った……」

「気をつけてな。もう少しで下りになるはずだから」

「うん……」

 地面の光が粒状に広がっているのは、元々網のように広がっていたものが崩れて散らばったからなのだろう。光の粒が指し示すままに前へ進むと、段々と体へ前のめりな重力を感じはじめた。知らず知らずのうちに傾斜がきつくなっていた。つまり、もう少しで入り口を塞いでいた土砂が終わる。と突然、右手に持っていた銃の重みが増した。

「うっ」

反応する間もなく銃から手を離してしまう。銃は薄闇に吸い込まれ、ガシャリと下の方で音を立てた。落ちた場所はすぐそこのようだ。

『ここでまた崖みたいになってるな』

 そう言ってその場で百八十度回転し足を進行方向へ向ける。そこで周囲の光に照らされるタツミの顔と向き合うことになった。一目でへとへとになっていることが分かる顔だった。

「さっきの何の音?」

 心配そうにタツミが質問してくる。

「銃を落とした。すぐそこで急に広がってるみたいだから足から降りるぞ」

「なるほどね……」

タツミもその場で頭と足の場所を入れ替えようとし始めた。彼を待たせるわけにもいかない。さっさと降りてしまおう。慎重に後ずさりながら斜面を這い降りる。外にあったような大きな石はあまりなく、頼りない凹凸に足を引っかけては少しずつ体を動かしていった。スリッパが脱げて下に落ちる。小さくため息をついた。流石に仕方ない。

やがて、裸足に土と感触の違うものが当たった。払うように蹴飛ばすとそこには平坦なものが広がっている。やっと底についたようだ。一息ついて手をつっぱり、崖から体を離して二本足で立ち直した。

「ふーん。割と見えるじゃないか」

 目が暗さに慣れたこともあるだろう。しかしそれ以上に天井、壁、床に広がる光の網の輝きが増していた。鍵を近づけるとその場所はさらに明るくなり、脈動するように光が坑道の奥へと広がり、そして消えている。鉱山そのものが鍵に呼応しているようだった。足元に目をやると、先ほどの異質な感触の正体が分かった。何のことはない。取り落とした散弾銃を踏んだだけだった。暴発しなかったのは幸いだとふと思った。

「ちょ、高い……!」

 声の方へ目をやると、おっかなびっくりとタツミが崖を降りようとしている。自分たちが思っていたよりも高い場所から降りてきたようだ。タツミの足と尻に潰されないように距離をとった。

「焦らなきゃいけるって」

 そんな慰めにもならないアドバイスをすることしかできなかった。怖じ気付いたヤモリのようになりながらタツミは崖を這い降り、そのまま床にへたり込んだ。

「もうここからは普通だぞ」

「うん分かってる。地面が平らなことを味わってる」

「高所恐怖症なのか?」

「そうかもしれない。分からないけど……」

 声の調子から察するにそれほどショックを受けているわけではない。ただ精神的に少し疲れてしまったのだろう。タツミの気分が落ち着くまでに周囲を確かめ、くたびれた雑巾のごとき物体と化したスリッパを見つけて履き直した。このスリッパもこれほどの労苦に見舞われるとは思ってもみなかっただろう。申し訳ないがもう少し付き合って貰わなければならない。足の裏に砂利を感じてもさほど気にならなくなっていた。

「うわっ!」

 タツミが急に叫んだ。

「大声を出すな、誰に聞かれるか……」

「だってこれ、人が……」

 タツミが指さした先には土砂から首から上を出して動かない人間が居た。土気色の頭髪が周囲と同化しており、よく見ないと気付けない。

ぐっと銃口で埋もれた男の耳元を強く押してみる。生気を感じない重さだ。生きてはいないだろうが、髪の毛が多く残っていることに違和感を覚えた。これまで出会った正気を無くした人間たちは皆外見上もしわがれていて数十年老け込んだ様な、しわがれた様な見た目だった。この死体はそうではない。腐敗もしておらず、ここで崩落に巻き込まれたのはそれほど前のことではなさそうだ。つまり、坑道が閉ざされてからあまり時間が経過していないのだ。

 ふもとの施設……医療棟の様子やウェストの話し方からは今よりも結構前の時点で病気が発生したように思えた。であるなら坑道が封鎖されてからある程度時間が経過しているはずだ。それなのにこの死体はまるで数時間前に息絶えたばかりのように新鮮だ。患者としてウェストに処理されたなどではなく、未発症の鉱夫が事故死しただけにしか見えない。時系列がおかしいのだ。ついでに加えると、東洋人風の顔つきなのも少し気になった。心なしか高校の頃教わった数学の教師に似ている。

「起き上がったりはしてこなさそうだ。……おいおいどうした」

タツミは完全に腰を抜かしていた。散々患者達へ散弾を撃ち込んだ経験があるにしては死体に対して無耐性だ。

「駄目なのか」

「父さん……?」

「は?」

 予想外の言葉に一瞬時が止まった。どうしてここでタツミの父親が出てくるんだ?

 こちらが反応できずにいる内にタツミは顔を死体の方へ近づけ、

「違った……」

と呟いた。憔悴が見て取れる。

もともとの姿を保った人が死んでいる状況で平静で居ろと言う方が無神経だろう。夢ならではの生々しさや身に危険が迫っていないときの冷静さが合わさればなおのことだ。死体の方も胸から下が完全に埋もれていて何も得られそうなものがない。タツミの精神衛生のためにあまり触れずにおいた方が良さそうだ。

「立てるか?」

 青ざめたままタツミは差し出された手を掴み、数回へこたれた後やっとこのことで立ち上がった。できるだけ早く息をつける場所を探す必要がありそうだ。

 周囲の光の強さは鍵からの距離で決まっているらしく、鍵を壁に近づけるとちょっとした照明程度の明るさになった。本があれば読めるほどだ。光は脈動するように強さを変えていて、パルス信号のようでもある。脈動は坑道の奥側に向けて広がり、入り口側ではほとんど見られない。ミザルの元への道案内を兼ねているのだろう、と思った。突然広がった光に反応する陰や音は無いが、銃の使い方を頭の中でおさらいした。相手に向けて引き金を引く。赤い弾は散弾で青は単発弾。それ以上のことは要らない。しっかりした作りの散弾銃はかなりの重さだが、ふらふらになっているタツミに対処を任せるのは気が咎めた。

「父さんじゃなかった……夢だからありえないことじゃないけど良かった……けど……」

 着陸点の見えない呟きをタツミが側で漏らす。夢で親戚が出ること自体は変ではない。見間違いならなおのことありえる。それぐらいのことが明晰夢を見るほど夢に慣れているタツミを動揺させる理由を、自分の目では量りかねた。

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