星を消す春嵐が死ぬまでに。
❄️風宮 翠霞❄️
プロローグ
––––何故、私はこんなところにいるんだろう。
はぁ、はぁ、と浅い呼吸を繰り返しながら、私は妙にクリアな状態の頭で考える。
……ああ、いや、わかっていた。
私は見捨てられたのだ。
人から、機械から、世界から。
ただただ見捨てられたのだ。
切り捨てられたのだ。
……だからこうして、
……死の運命から、
ポニーテールに結い上げていた
白衣もボロボロで、この
高く
いや。
そもそもこの場所全体に、人の気配がない。
【外】……。
こんな場所を造ったのは、他ならぬ私だった。
上が見えないくらいに高い壁を隔てた、人類が捨てた場所。
それが、この場所だった。
死の気配だけが。
しんしんと降り積もる雪のように、あるいは折り重なり山となる死体のように。
ただ静かに、物言わず佇む場所だ。
私は……【外】に出てたった20分程度で、あっさりと死ぬのだろうか。
そして、この死の気配の一部となるのだろうか。
あの、壁に走った赤いシミの一つとなるのだろうか。
「––––ぁぁあ……」
どこか遠くで、子供の泣き声が聞こえた気がして……その方向へ逃げてはいけないと感じて、そこから遠ざかるように道を曲がる。
【中】にいられぬ罪人として【外】に出て来た身であったとしても。
追放された身であっても。
切り捨てられた身であっても。
『大人は子供を守るもの』
……そんな意識は。
人間として最低限の良識は、失っていなかった。
いや、そんな良識が残っているからこそ……私は追放されたのか。
人の未来を、守りたかった。
人の生を、見捨てたくなかった。
その一心で作ったモノが、あんなことになるなんて。
––––《先生っ!!》
そう言って笑う、未来を。
子供達を。
彼らを守る、大人達を。
ただ、守りたかっただけなんだ。
ただ、生かしたかっただけなんだ。
あの嵐から。
あの
致死率100%という、美しく残酷な数字を誇るあのウイルスから。
ただ––––。
大切な人を、守りたかっただけなんだ。
「すま、すまない。……はっ、はぁっ––––こんな、こんなことに、なるなんて」
すまない、すまない……すまない。
守りたいと言い、多くのものを切り捨てた。
生かしたいと言い、多くのものを殺した。
救う為と言い、とんでもないものを生み出してしまった。
謝罪などで埋め合わせをできるものではないと。
そう分かっていながら、私の口はそんな言葉を紡ぎ続けていた。
私は、心の底から謝りながら……けれど、後悔はしていなかった。
こうしていなければ、あのウイルスによって。
ウイルスによって生み出されたモノによって。
人類は滅んでいた。
私は、無責任だ。
今までのことの責任を取らず、こんな中途半端な償いしか出来ないのだから。
だからせめてと、苦しい息の中で。
それでも謝罪をし続ける。
すまない、すまない、すまない。
どうか、どうか。それでも、罪のない、あの子達だけは……。
私が守った、守り切った、未来だけは––––。
考えることがありすぎて飛び飛びになる思考で、それでもそこまで考えて……。
ふと一人の少年の顔が思い浮かんだ。
私を、一番慕ってくれていた少年。
ああ……彼は、ちゃんと無事だろうか。
せめて、せめて彼だけは……生きていてくれることを、願う。
繋いでくれることを、願う。
そして……いつか。
いつか、この世界を––––。
「は、ぁ……はっ……」
疲労の中で思考することで何度も転びそうになるが、膝が地面に着く前に手を支えにすることで、なんとか止まることなく走り続ける。
手のひらに突き刺さったガラスの破片は、無造作に抜いては振り返らぬまま後ろに向かって投げつけた。
疲労の中で投げたものなど、どうせ当たる確率は少ない。
ならば、私を追う“ソレ”を
私に意識を引きつけて、子供からできるだけ距離を引き離す。
それさえ為せれば十分だ。
振り返って止まって投げるなど、愚の骨頂だ。
子供は守りたいが……私は、死にたい訳じゃないのだから。
––––何故、私はこんなことをしているんだろう。
肺が悲鳴を上げるのを無視して走り続けることに、疑問を抱いて……私は、思わず笑みすら浮かべてしまった。
それはもう……わかりきったことなのだから。
死にたくないからだ。
死ねないからだ。
まだ生きたいからだ。
止まったら、死ぬからだ。
止まったら、殺されるからだ。
私はまだ25歳だ。
三十路にもなってない。
人生の4分の1にも届いてないんだ。
死んでたまるか。
それに……それに、やらないといけないことがある。
今の私にとっては、高い高い壁の向こう。
遠い世界となってしまった、分厚い仕切りの向こう。
【中】と称される、生命の煌めきに満ち溢れたその綺麗な
この先生まれるであろう犠牲を、止めなければ。
10年後? 100年後? それとももっと先?
わからないが、私が生み出したモノを……誰かに、止めてもらわなければ。
本来であれば……。
私が、私ので手で止めるのが、責任なのだろう。
だが––––。
私は今、後ろを追われている。
ヒトではないバケモノに。
私達が、“鬼”と呼んだものに。
ソレは身体中に目があり、のっぺらぼうな人の頭のようなものとワニの尾のようなものを持っていた。
顔のパーツが何も付いていない頭は白一色なのに、一つだけ額に赤い宝石のようなものが付いているのが……キラキラと輝きながら、ソレの異様さを際立たせる。
不気味さを象徴するようなソレは体の側面に付いた八本の手で這うように移動し、動くたびにペタペタと音をさせた。
酷く悍ましいソレが、私を追って来る。
ペタペタペタペタと。
瓦礫だらけの地面を這って。
その異形は、確かに私を追い……そして、迫って来ていた。
まだ人類を管理する存在であるメイ・システム……通称マザー・メイがない頃の怪談には“ぺたぺた”なるものがいたが、それはこんなにも悍ましいものだったのだろうか。
もしそうなのだとしたら、こんなものを楽しめるなんて……過去の人達はイカれていたとしか思えない。
ああ、私は、戦う術など持たない。
知識だけで、嵐と戦ってきたんだ。
だから、もう––––。
極限まで達した疲労によって頭によぎった正しい考えを、消す。
まだ、まだ、私は大丈夫––––。
「は––––はぁ、はっ、はっ……」
私は、ひたすら思考を回すことで正気を保とうとしていた。
酸欠で視界が狭まってくることを認識した上で、それでもなお頭に余分とも言える酸素を回し続けた。
人はそうしないと、恐怖で動けなくなるということを私は知っているから。
なんとか考えることを続け……私はもう赤く染まって、いつもの色ではなくなった手から最後のガラス片を引き抜いて後ろに投げつけた。
それと同時に、もう子供の泣き声は聞こえないことに気づく。
きっと、もう大丈夫だ。
あとは……私が隠れて、異形を、鬼を、やり過ごすだけ––––。
手のひらから刺さって痛みを与えていた異物がなくなり、子供を守る為に出来るだけ離れなければという思いもなくなった。
ある種の責任とも言えるものがなくなり、あとは自分の身を守るだけだという安心感が体を駆け巡る……それが、致命的だった。
私の命を繋ぎ止めていた、最後の綱が切れたような心地を覚える惨劇とも言える。
あまりに致命的で、絶望的。
もはや運命的と言っても良いと思うほどに、私の命を天が奪おうとしていると感じられる出来事だった。
転んだのだ。
それは無様に。
ごくごく単純。
呆れるほど明快。
ただ、気が緩んで落ちていた瓦礫に足を取られて……そのまま、前に転んだ。
それだけ。
ただそれだけが、どうしようもなく私を死に近づけた。
私は転んだ拍子に捻ったのか、少し動かすだけで痛みが走る足を見下ろす。
動かせそうには……動けそうには、ない。
もう、笑えるレベルだ。
死にたくない。
生きたい。
そう願うのに、私の足は動いてくれず……ペタペタという音は、もうすぐ近くにまで迫っていた。
「……死ねない」
どこかで、カラスが鳴いた。
私の呟きを、嘲笑うかのような声だった。
ペタ……と、音が止む。
死の影が、どうしようもなく私に重なって……。
後ろを振り返れば、すぐそこにソレの顔があった。
その段になっても、私はまだ諦められなかった。
生きたいのだ。
たとえどれだけ無様でも。
たとえどれだけ不幸でも。
生きていたいのだ。
生きていないと、ダメなのだ。
『私の人生これさえあれば良い』……なんて言えるような大事なものはないが。
それでも……やりたいことも、やらないといけないことも、たくさんあるんだ。
今まで、出来なかったことが……たくさんある––––。
この先、まだやらないといけないことが……たくさん––––。
「––––……ぁあ」
––––ぐちゃ。
2230年4月。
かつて桜が舞うと言われていた季節に、一つの命が散った。
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