ラストループ

紙白

17時32分、君に捧ぐ。

 コップを置く。目の前の少女に話しかける。

 「今からあなたが死ぬと言ったら?」

意味がわからないといった顔でこちらを見る。しばらくの沈黙の後目が合うと、彼女は吹き出して「何それ」と言いかけた。言いかけて、音もなくひしゃげた。ああ、まただ。いつまでもこの光景には慣れない。私は、誰もいなくなった教室で天井をあおぐ。だらんとおろした手のお指を折って数え始める。一体この悍ましい状況は何回目なのだろうか。そしてコップに入った水を一口飲み込む。


 テストも近くなり、私と幼馴染の由宇は放課後、教室でテスト勉強をしようという話になった。由宇は四天王、クイーンなど様々なあだ名を持っており、本人もそれをなぜか気に入っている。どちらもあだ名の最初に“赤点”が入るのになぜ彼女は嬉しそうなのか私には理解できない。テスト前になると恒例のように彼女が私のクラスにやってくる。そして、放課後勉強会をしようという話になるのだ。勉強会のくせに絶対ジュースとポテチのメガサイズを持ってきて、私が一問解説するだけで、これでもかと褒めちぎってくる。自分が解けたときはただでさえ大きな目をより一層大きくして喜ぶような人。そんな、全てが眩しい存在。

 はっきり覚えている。1度目の17時32分、私が時間を聞かれ、答えた瞬間彼女が目の前でひしゃげたのだ。上から姿が消えていき最後は体が圧力に負け、いろんなものを飛び散らせながらいなくなった。私も含め教室のあらゆるところに彼女だったものが付いている。日直がカーテンを閉め忘れた窓から夕陽が差し込み彼女だったものが輝き始める。由宇は死に際まで眩しかった。

 少し間を開けて、その光景の悍ましさと死体ともいえない死体が視神経を経由して脳が処理し始める。まだ悲しいのか、怖いのかも分からないのに勝手に涙が出てくる。椅子から転げ落ちるように職員室に駆け込み、先生に震える声でなんとか状況を話してそのままブラックアウトした。目を開けると、母親が涙目でこちらを覗き込んでいた。起きた瞬間さっきの出来事が夢であって、テスト前のストレスから倒れたと思いたかったが、母親の表情がそうではないという現実を物語っている。やっぱり彼女は死んでいて、しかも人に成せる所業ではないような状態だったらしく事件か事故かの判別はおろか死因もまだ分かっていないらしい。窓の外を見ると、夕陽はすっかり引っ込み光が全てなくなったような真っ黒な空がそこにあった。ぼうっとしているとスローモーションのように鮮明にあの瞬間が再生され心拍が異常に早くなり冷や汗が吹き出す。私はなんとか落ち着こうとコップに入った水を一口飲み込んだ。


 コップを置く。目の前には由宇が平気な顔で座っていた。ノートを見つめうんうんと唸りながらシャーペンを走らせては消している。夢かと思った。きっと後悔と恐怖が見せているんだろう。しかし、17時の街のチャイムがなり、しばらくしてあの時と全く同じ状況になった。

 「ねえ、今何時?」

私の心臓が跳ね上がり、一気に恐怖が後ろから迫ってくる。でもこれは夢だから。自分で状況を変えられる。私は時計に目を落とすと、ゆっくり

「17時32分」

と答えた。顔を上げかけたとき、生暖かいものが顔中に張り付いた。顔を上げたくないのに体が言うことを聞かない。やっぱり目の前に彼女の姿はなく、真っ赤になった教室が広がっている。なんで、なんで、夢のはずなのに。混乱と恐怖が頭の中で膨らんで割れそうだ。これは夢ではなかったと言うのか?また同じ?机の上にあるコップが視界に入り思い出す。もしかすると。私は縋るような気持ちで水を一口飲み込んだ。


 コップを置く。恐る恐る目を開くと目の前には彼女がいた。コップを見ると水が初めより減っている。やっぱり読みは外れていなかった。コップの水を一口飲むと戻れるのだ。私は、このコップの水を飲み干してしまう前に由宇を助けなければいけない。今度は失敗しないように。由宇を見る。目が合うとよほど怖い顔をしていたのか、私に

 「え、なんか間違えてる?」

と聞いてきた。はっとして、できるだけ笑顔で「あってる」と言った。

 私は、ありとあらゆる策を講じなんとか由宇を助けようとしたが、会話や行動は変われど結果は一向に変わらない。そうこうしている間に水はどんどん減っていく。もう半分も残っていない状況に焦りが大きくなる。教室から逃す案はもう試した。

 「ねえ、そろそろバスくるから帰ろう?」

由宇は少し考えた後、

 「もうちょっとやりたいから次のバスで帰るよ。先帰ってて全然大丈夫!」

と、屈託のない笑顔をこちらに向けてきた。それじゃダメなんだよ!と怒鳴りたい気持ちをグッと堪える。落ち着け。なんとかして17時32分までに教室から出さなければならない。時計はすでに17時20分を指している。

 「じゃ、じゃあさ休憩がてら近所のスーパーにアイスでも買いに行かない?」

縋るような気持ちで彼女を見ると、驚いた顔をして

 「珍しいね、いいよ。行こっか!」

と言ってくれた。一気に安堵が胸いっぱいに広がる。これで終われる。これで由宇は死ななくて済む。階段を降りていると、彼女が足を止めた。どうしたのか聞く前に

 「やば!財布忘れたから取りに戻るね!先行ってて!」

と階段を駆け上り始めた。しまった、腕時計の長針が6の上に被さっている。なんとか引き留めようと必死に追いかけたが彼女が教室に入った瞬間、開けっ放しのドアから血飛沫が噴き出すのを見た。

 力が抜けその場に座り込む。これもダメならどうすればいいんだ。水は4分の1程しか残っていない。いっそ由宇に逃げるように伝えようか。SF小説などでは未来のことを話すのはタブーとされているためなんとなく躊躇っていたが、ここまできたらもう手段を選んでいる場合ではない。やれることは全て試さないと。




 コップを置く。由宇に話しかける。もう水は後1回分しか残っていない。

 「今からあなたが死ぬと言ったら?」

意味がわからないといった顔でこちらを見る。しばらくの沈黙の後目が合うと、彼女は吹き出して「何それ」と言いかけた。言いかけて、音もなくひしゃげた。あれから何度由宇に真実を話しただろうか。でも、もう駄目だ。戻れる時間が少なくなりすぎて何も変えられない。私は、誰もいなくなった教室で天井をあおぐ。だらんとおろした手の指を折って数え始める。もう両手では足りないほどやり直した。私に残された方法は1つしかなかった。コップを手に取り、残りの水を口に含みゆっくり飲み込む。これで最後だ。


 コップを置く。もう17時30分になりかけている。私は由宇の勉強している姿を見る。その日に焼けて少し色素の抜けた髪が、先の丸い鼻が、握ると柔らかい手が、全てが愛おしい。私がこの方法を最後までやらなかったのは、単なるわがままだ。ずっと彼女の横にいたかった。言わないつもりだったけど、今なら言えるかもしれない。最後までわがままなのは分かっている。それでもあなたには、ずっと生きていてほしい。カウントダウのように左腕から規則的に鳴っている小さな音が聞こえる。今だ。

 31分40秒

私は彼女を力任せに廊下に投げ飛ばした。

 31分50秒

彼女が立ち上がってが私の方に走ってくるが、その前に教室の出入り口の鍵を閉める。

 31分55秒

窓越しに見る彼女は困惑と怒りの混じった顔をしながら、「なんで?開けてよ!」と怒鳴っている。

 31分58秒

ドアを叩く音がする。涙が止まらない。

 32分00秒

ゆっくり彼女が見えなくなっていく。最後に、なんとか口を動してみる。きっと伝わらないだろうがそれでいい。


 「私は、あなたを

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ラストループ 紙白 @aporo_314

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