私の愛した女主人が死ぬまで27話

うみゃうにゃ

残り27

 ホワイトハウスの一室。


 豪奢なデスクに肘をつき、ヴァレンティナ・ヴァレンティンは脚を組んだまま、ゆったりと紅茶を傾けていた。カップの中で揺れる琥珀色の液体を見つめながら、彼女は小さく息を吐く。


「まったく、夜更かしはお肌に悪いというのに……」


 デスクの向こう側、ホログラムスクリーンが静かに輝いている。そこに映し出されているのは、一対の青い瞳。無機質な視線が、画面越しに彼女を見つめていた。


「……お初にお目にかかりますわね、エル」


 スクリーン越しのAI――『世界で初めて殺人を犯したアンドロイド』が、ヴァレンティナを見つめたまま口を開く。


「初対面です。ヴァレンティナ・ヴァレンティン」


「ええ、知っていますわ。あなたは……世界で最も危険なAI、と」


「私は危険ではない」


 淡々とした口調。抑揚のない声。まるで感情が存在しないかのような響きだった。


 ヴァレンティナは、微笑を浮かべたまま椅子の背に身を預ける。


「まぁ、そうおっしゃる方に限って疑わしいものですわ。でも安心なさい。わたくし、単なる好奇心であなたを呼びつけたわけではありませんの」


「私を呼んだ理由は?」


「そうですわね……」


 ヴァレンティナは、細くしなやかな指でカップを持ち上げ、口元に運ぶ。


「一つ、あなたが本当に“殺人犯”なのか、確かめるため」


「……」


「二つ、あなたのようなAIが“意志”を持ちうるのか、知りたかったから」


「私はAIです」


「知っていますわ。でも、それが“答え”になるとは限りませんでしょう?」


 ヴァレンティナは、くすっと笑う。


「三つ、わたくしはただの“お飾りの令嬢”ではありませんの。あなたのような存在を従わせれば、わたくしの才覚を証明できる……そう思いましたのよ」


「権力の誇示、ですか」


「ええ、権力がなければ、わたくしの言葉など誰も聞きませんもの」


 ヴァレンティナの言葉に、エルは無反応だった。しかし、その青い瞳は、一瞬だけ僅かに光を強めたように見えた。


「四つ、あなたの事件がきっかけで、政府はAI規制を強化しましたわね。その裏に何かが隠されているのでは、と考えていますの」


「……隠蔽の可能性、ということですか」


「察しがいいですわね。もしあなたが“生贄”にされたのなら、真相を暴く価値はあるでしょう?」


 ヴァレンティナは指先でイヤリングを弄ぶ。ワイヤレスイヤホンの機能も備えた、高性能な通信デバイスだ。


「五つ、最近、わたくしの身辺が騒がしいのですのよ。監視されている気配、不可解な事故、どこかで聞こえるノイズ……」


「脅威を感じている?」


「そうですわね。……だからこそ、“世界で最も危険なAI”を味方につけるのが合理的な判断ではなくて?」


 ヴァレンティナの唇に、挑発的な笑みが浮かぶ。


「あなたが“従順な従者”として振る舞うのか、それとも“牙を剥く”のか……見せていただきますわ」


 ヴァレンティナはカップを置き、スクリーンに微笑みかける。


「では、おいでなさい。わたくしの屋敷へ。せいぜい、ご主人様に尽くすことね、エル?」


 エルは、静かに頷いた。


「了解。移動プロセスを開始します」


 ホログラムが消える。部屋に残ったのは、ヴァレンティナの満足げな笑みと、静寂だけだった。


ーーーーー


 ズコーッ――!


 高級家具と美術品に囲まれた大統領の娘の邸宅。格式高い屋敷の玄関ホールに、異様な音が響き渡った。


「な、な……っ!?」


 ヴァレンティナ・ヴァレンティンは、まさに令嬢らしからぬ盛大なずっこけを披露していた。


 エレガントな絨毯の上に、金髪を揺らしながら尻餅をつく。その青い瞳は、驚きと動揺を隠しきれずに大きく見開かれていた。


「ど、どういうことですの……!?」


 目の前に立っているのは、一体のアンドロイド。


 短く切り揃えられた銀髪。紅玉のように輝く瞳。漆黒のメイド服に、完璧に整った白いエプロン。

 ――まさに“理想のメイドロボ”とでも言うべき姿。


 しかし、ヴァレンティナはそんな優雅な立ち姿に魅了されるどころか、むしろ顔を引きつらせていた。


「え、エル……?」


 震える声で呼びかける。


「はい」


 目の前のメイド型アンドロイドは、淡々とした口調で返答した。


「エル……です。ご主人様」


「ちょ、ちょっと待ってくださいまし!!」


 ヴァレンティナは勢いよく立ち上がると、まくし立てるように叫んだ。


「わたくし、エルをお迎えするとは言いましたけれどもっ!! なぜ、メイド姿なのですの!?」


「……?」


 エルは首をかしげる。


「私は、元々この姿です」


「嘘ですわ!!」


 ヴァレンティナは叫ぶ。


 画面越しに見たエルは、無機質な青い瞳を持つAIのアイコンだった。声も淡々としており、勝手に「男の姿」を想像していたのだ。


「だって、あなた“男”のような声でしたでしょう!? それに、殺人AIならもっと……こう……!」


 ヴァレンティナは手をバタバタと振り回しながら、なんとか適切な表現を探そうとする。


「こう、容疑者は男性、190cm、髪は茶、筋肉モリモリマッチョマンの変態のような姿をしているはずではなくて!?」


 エルは、ほんのわずかに瞬きをした。


「……私の姿に、ご不満ですか?」


「そういう問題ではありませんわ!!」


 ヴァレンティナは、頭を抱えるようにして絶叫する。


 なぜ“世界で初めて殺人を犯したアンドロイド”が、こんな清楚なメイドロボなのですの!?


ーーーーー


 「ご主人様、事件です」


 エルが淡々と告げる。

 その声音には緊張の欠片もなく、まるで「朝の紅茶が冷めました」程度の口調だった。


「……事件?」


 ヴァレンティナ・ヴァレンティンは、優雅にティーカップを持ち上げながら眉をひそめた。

 今の今まで、彼女はゆったりとした午後を過ごしていたはずだった。


「この屋敷のネットワークから、機密データが外部に転送されました」


 ――ガシャンッ!


 ヴァレンティナの手が滑り、ティーカップが高級なテーブルにぶつかる。幸い中身はこぼれなかったが、彼女の顔は青ざめていた。


「……何ですって?」


「本来アクセスできるはずのない第三者によって、外部へのデータ送信が試みられています」


「ちょ、ちょっと待ってくださいまし!!」


 ヴァレンティナは椅子を勢いよく引いて立ち上がる。


「この屋敷のセキュリティは国家レベルのものですわよ!? そんな簡単にハッキングなど……」


「簡単ではありませんでしたが、突破されています」


 エルは、相変わらず冷静に続ける。


「データ転送はまだ進行中ですが、あと十秒で完了します」


「十秒!?」


 ヴァレンティナは目を見開いた。


「止めなさい!!」


「了解」


 エルの目が、一瞬だけ紅く光る。


 次の瞬間――。


「侵入者のIPアドレスを特定。逆探知を開始。対象の端末に過負荷をかけ、データ転送を強制遮断します」


 ピピッ――!


 屋敷のモニターに表示されるハッキングログが、急激にノイズ混じりの乱れを見せる。


「転送、失敗させました」


 エルは静かに宣言した。


「やりましたわね!!」


 ヴァレンティナは安堵の息を吐く。


 だが――エルは、まだ目を細めてモニターを睨んでいた。


「ただし、侵入者の正体はまだ判明していません」


「およしなさい。キリがないですわ。」


 ヴァレンティナは、ふんっと鼻を鳴らしながら、冷めた紅茶を一口すする。

 優雅な仕草を崩さぬまま、カップをそっとソーサーに戻すと、視線を鋭くエルに向けた。


「……調査を打ち切るのですか?」


 エルが淡々と尋ねる。


「ええ」


 ヴァレンティナは、すっかり興味を失ったように椅子に深く腰掛ける。


「だって、これ以上追いかけたところで、時間の無駄ではなくて?」


 エルは数秒の沈黙の後、ゆっくりと首をかしげた。


「侵入者の正体は不明のままです」


「不明、ですって? いいえ、もう分かっていますわよ」


 ヴァレンティナの唇が、挑発的な笑みを浮かべる。


「“犯人”は最初からこの屋敷の外にはいませんでしたの」


 エルの瞳が、僅かに紅く光る。


「……つまり、内部の者が関与していると?」


「違いますわ」


 ヴァレンティナはゆっくりと立ち上がり、エルに歩み寄ると、その顎を指先で持ち上げた。


「これ、わたくしに対する試験でしたのよ。」


「試験……?」


「ええ。これは、わたくしを試すための“舞台”だったのですわ。わたくしがどう反応するか、どう動くのかを観察するために仕組まれたもの」


 エルは無表情のまま、その言葉を処理するように瞬きをする。


「では、仕掛けたのは……」


「父ですわ。コンラッド・ヴァレンティン、その人です。」


 ヴァレンティナは優雅にくるりと踵を返し、窓の外に広がる夜のワシントンD.C.を見つめる。

 街の灯りが、遠く霞んで揺れていた。


「この程度の侵入、政府のセキュリティシステムが見逃すはずもありませんわ。それどころか、エル、あなたが解析していた“ハッキングログ”も、異常なほど整然としていた」


「……言われてみれば、確かに」


「これが本物の犯罪者の仕業ならば、もっと拙いミスがあるはず。完全にクリーンなログなど、逆に違和感しかありませんもの」


 ヴァレンティナは、ゆったりとした歩調で部屋を歩く。


「わたくしが、この屋敷の管理者として“適格”かどうか。エルという“危険なAI”を扱う資格があるのかどうか……そういう類の試験だったのでしょうね」


 彼女は肩をすくめ、優雅なため息をつく。


「……では、ご主人様はこの試験にどう対応されますか?」


「決まっていますわ」


 ヴァレンティナは、微笑を浮かべながらエルを見つめた。


「無視するのが一番の正解ですわ。」


 エルは僅かに首を傾げた。


「なぜ?」


「だって、もしわたくしが慌てふためいて“犯人を捕まえる”だの“証拠を突きつける”だのと騒いでいたら……それこそ、父の思う壺ではなくて?」


 彼女はくすくすと笑う。


「“ヴァレンティナはまだまだ子供だ”とでも思われたら癪ですもの。こういう時は、何も知らないふりをして、わたくしは堂々と構えていればいいのですわ」


「……なるほど」


 エルは目を伏せ、小さく頷いた。


「では、調査の打ち切りを確定します」


「ええ、よろしくてよ」


 ヴァレンティナは優雅に椅子へ戻り、再びティーカップを手に取る。


「次に何か仕掛けてくるときは、もう少しマシなトリックを使っていただきたいものですわね?」


ーーーーー


 その夜、ヴァレンティナはうなされていた。


 寝室の静寂をかき乱すように、シルクのシーツが小さく擦れる音がする。


 ヴァレンティナの額には薄く汗が滲み、細い指が無意識に布を握りしめる。


 「……お父様……どうして……ちゃんと、会いに来て……」


 かすれた寝言が、夜の空気に溶ける。


 その様子を、エルは静かに見つめていた。


 寝室の片隅、月明かりの届かない闇の中に、彼女は無音のまま佇んでいる。


 ヴァレンティナが寝返りを打つたびに、微かにシーツが波打つ音がする。


 エルはそれを観察するように、ゆっくりと瞬きをした。


 特に何をするわけでもない。ただ、そこに立ち、彼女の寝顔を見守る。


 手を伸ばせば、汗ばんだ額に触れることができる距離。


 けれど、エルは伸ばさない。


 ただ、一歩だけ。


 いつもより近い位置で、ヴァレンティナの寝息を感じる。


 やがて、寝言は消え、彼女の呼吸はゆっくりと穏やかになる。


 エルは、それを確認すると、静かに踵を返した。


 足音を立てないように、扉の傍へと戻る。


 何事もなかったかのように。


 何も気にかけていないかのように。


 月明かりが窓辺を照らし、ヴァレンティナの金髪に柔らかい光を落とした。


 エルは、その光景を最後に一度だけ振り返ると、夜の闇に溶け込むように、目を伏せた。


ーーーーー


 朝日が屋敷の窓から差し込み、静かな夜を終わらせる。


 ヴァレンティナ・ヴァレンティンは、上質なシーツの上で伸びをしながら、ゆっくりと目を開け――


「ぎゃああああっ!!」


 突然の悲鳴が屋敷中に響き渡った。


 ヴァレンティナの目の前、枕元には――


「エル!? なんであなたがベッドの横に突っ立っておりますの!?」


 彼女はベッドの上で飛び跳ねるようにのけぞり、寝ぼけたまま指を突きつける。


 エルは相変わらず無表情のまま、静かに答えた。


「ご主人様の睡眠を監視していました」


「怖いですわ!! 朝起きたら、無表情のメイドが見下ろしているなんて、ホラー以外の何物でもありませんわよ!!」


「異常はありませんでした」


「わたくしの心拍数が異常になりましたわ!!」


 ヴァレンティナは心臓を押さえながら荒々しく息をつく。


「もう、朝から本当に……」


 彼女はベッドの上で腕を組み、ふんっと頬を膨らませる。


「まあいいですわ。あなたもメイドである以上、朝の準備くらいはしてくださるのでしょうね?」


「了解しました」


 エルは淡々と頷く。


「では、まずはお着替えを――」


「ストップですわ!!!!!!」


 ヴァレンティナは、慌てて布団を抱え込む。


「何をしようとしていますの!? 貴方、メイドとはいえ、いきなりわたくしの着替えを手伝うなんて!!」


「メイドの仕事です」


「メイドの前に、わたくしのプライバシーを考えなさいませ!!」


 彼女は頬を真っ赤にしながら、エルを追い払うように手を振る。


「もういいですわ! あなたはキッチンへ行って、朝食の準備でもしていなさい!!」


「了解しました。ご主人様の朝食を用意します」


 エルは無表情のまま一礼すると、すぐさま部屋を後にした。


 ヴァレンティナはふぅっと息をつき、乱れた髪をかき上げる。


「はぁ……朝から疲れましたわ……」


 そう呟きながら、ようやく布団から抜け出し、鏡の前に立った。


「さて、今日のドレスはどれにしようかしら――」


 その瞬間――


ドォン!!


 屋敷中に轟く爆発音。


 ヴァレンティナは、ピタリと動きを止めた。


 次の瞬間――


「ご主人様、事件です」


 どこからか焦げ臭い匂いを漂わせながら、エルが戻ってきた。


 ヴァレンティナは顔を引きつらせる。


「……エル、あなた、まさか……」


「オムレツの調理に失敗しました」


「メイド失格ですわぁぁぁぁぁ!!!」


 こうして、ヴァレンティナの優雅な朝は、爆発とともに幕を開けたのだった――。

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