みんな自由に飛べますように
秋犬
1 あの子は白鳥
コンビニのバイトのいいところは、どの時間帯でも仕事が出来るところだと思う。
最近、私は早朝の時間帯をメインにコンビニでアルバイトをしている。朝の6時から通勤時間のラッシュが終わる9時までが私の勤務時間帯だ。世間では成人式も終わって、すっかり今年の風が吹き抜けている。
「いつものやつ」
毎朝、競馬新聞とホープを買いに来るジジイがいる。寒いのに偉いことだ。
「お煙草は銘柄名でご注文ください」
「毎日来るんだから覚えろよ! ホープだよ! 使えねえネーチャンだな!」
ジジイの罵声を聞きながら、私は心の中で舌打ちをしながらホープの箱を渡す。最初、私は若い女相手に舐めてかかっているのだと思った。しかし、ジジイはごつい店長にもこの調子で食ってかかる。ジジイは嫌いだけど、その一貫性は見習いたい。
次は毎朝コーラとケーキドーナツとお菓子を買っていくヘッドホンのデブが来た。
「お会計685円になります」
「袋いりません」
いかにもなデブで安心感がある。次は毎朝唐揚げ棒と玉子サンドイッチを買っていく黒ジャンパーのデブだ。
「お会計355円になります」
「レシートはいいよ」
こちらにもデブという安心感がある。最後は毎朝ユンケルとフリスクを買っていくメガネ。
「ありがとうございましたー」
しかし、フリスクなんて毎日一箱も消費するのだろうか。しかも毎日ユンケル。デブよりメガネがヤバい。メガネは病院に行け。
こうしてジジイとデブとメガネとその他多数の通勤客らの相手をして、ラッシュが終わる8時半くらいから私は商品の補充に回る。レジが一段落した店長が店内の様子を見にやってきて、パンの棚を整理している私に声をかける。
「いやあ、助かるよ」
「いえいえ、時間の有効活用って奴です」
最初は大学の授業が終わった後の夕方の時間帯のみだったけれども、朝の時間帯の人手が足りないと聞いて私は早朝にもシフトを入れてもらうことにしたのだ。
誰もが偉いと言うけれど、別に理由はなかった。ただ人手が足りないから、入れるから入る、そのくらいの緩い気持ちだ。それに早起きして労働をすると、一日が充実して感じられる気がする。夜中まで遊び回っている大学生と私は違うのだ。そんなプチ優越感に浸りたいから、というのが本当のところの理由かもしれない。
「おはようございまーす」
午前のシフトに入ってるおばさまたちがやってきたので、私は帰る準備をする。今日の授業は11時からなので、それまでゆっくりカフェでもうすぐ始まる試験対策の勉強をしようと思っている。
「それじゃあ、お疲れ様でしたー」
コンビニを出ても、まだ今日は始まったばかりだ。優雅な大学生活を満喫している私に敵はいない。この万能感、誰かにも分けてあげたいくらいだ。
そんな無敵の私の前に、一羽の白鳥が舞い降りてしまった。
「あれ、あの……
コンビニを出てから思い切り顔を付き合わせてしまった彼女は、相変わらず美しい顔をしていた。
「え、ちょっと、どうして、え?
少しおどおどしたその子は、私の高校のクラスメイトで、私が二度と見たくないと思ったほど美しい女の子だった。
***
真奈美とクラスが一緒になったのは、2年生からだった。最初は物静かで大人しい子、という印象しかなかった。他の子が部活に明け暮れる一方、真奈美はさっさと一人で家に帰っていた。本格的にバレエをやっていると聞いて、その時はものすごいお嬢様なんだなーと思った。
何かのきっかけで発表会のチケットをもらった私は、クラスメイトが出るからという理由で友達と真奈美の発表会を見に行くことになった。その時は本当にただ話の種、くらいのテンションだった。しかし舞台の上の真奈美を見て、私は今までの自分が情けなくなってしまった。
そのくらい、舞台の上の真奈美は美しかった。
初めて人を美しいと思った。それまで流行のアイドルを見て友達と一緒にキャーキャー騒ぐくらいだった私の心臓は、真奈美の立ち姿に打ち砕かれた。こんなに美しい生き物がこの世にいたなんて、私は知らなかった。その日の夜、何かが悔しくて少しだけ泣いた。それが恋だってわかったのは、高校を卒業してからだった。
そんな私が真奈美に近づくことが恐ろしくて、最後まで彼女を友人としてただ遠くから見つめることにした。高3の夏に真奈美がバレエを辞めてしまったと聞いたときは、表面では「ふーん」と興味のないふりをした。しかし、もう二度とあの美しい白鳥には出会えないのかという落胆と、もうあの胸を締め付けられる感情に出会わなくていいのかと安堵した気持ちが私の中でぐちゃぐちゃに絡み合っていた。
やっぱり私は、真奈美が好きなんだと思う。
「元気にしてた?」
久しぶりに再会した私たちは、そのままカフェで近況を報告することになった。短大を卒業してからの就職が決まった真奈美は、春から一人暮らしをするための部屋を探しているのだそうだ。
「就職は決まったんだけど、実家から通うのが遠すぎて嫌なんだよね」
「じゃあ、その会社ってこの辺なの?」
「うん。これから候補の部屋を見に行くの」
地元を出て一人暮らしなのは私も一緒だけれど、就職となるとまだ私には頭の隅にしかない世界の話だ。そろそろ就活の準備をしなければとも思うけれど、こうして社会に出ていく友人を見ると少しだけ自分に自信がなくなっていく。
「でも、親とか一緒じゃないの?」
「うん。ほら私たちもう20歳じゃない。いつまでも親と一緒にってわけは」
「ふーん……」
真奈美はそう言うと、ブレンドコーヒーに口をつける。メニューの一番上の、一番安いコーヒーだ。
「それよりも、綾音さんの頼んだのおいしそうだね」
私が頼んだのは期間限定のちょっと豪華なモカフラペチーノで、真奈美はさっきから私のフラペチーノをずっと見ている。
「おいしいよ。真奈美もこれにすればよかったのに」
「私には似合わないよ」
寂しげに真奈美は笑った。私はブレンドコーヒーとフラペチーノを見比べて、それからもう一度真奈美を見た。すっごく可愛い、天使みたいな女の子だ。
「じゃあ、連絡先交換しよう? 近所に住むなら、いつでも会えるじゃん」
「知ってる人が近所にいるなんて嬉しい! 赤外線ある?」
先ほどの寂しげな顔から一転、携帯電話を取り出しながら真奈美は無邪気に笑った。
知ってる人。確かに真奈美はそう言った。
わかっている。真奈美の中では、私はクラスメイトAでしかない。でも、私の中で真奈美は二度と忘れられない女の子になっている。私の中の真奈美と彼女の中の私があまりにも違いすぎる。忘れたかったのに、どうしてこの子は無邪気に私の中に入ってくるんだろう。
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