私たちは教室を目指す

だいこん

:Chapter1

第1話 逆走する少女


 青空を映した水たまりに桜の花びらが舞い落ちる。

 学校前の坂道には少女がひとり、誰もいない通学路を彼女はがむしゃらになって駆け降りる。


 遠のいていく始業のチャイムを、背中で聞きながら。


「はぁ、はぁっ……っ、やっば……!」


 横断歩道の赤信号、道路に書かれた“止まれ”の文字。駆け込んだのは停留所に停まったバスで、手すりを掴んで息を整える。


 けれど胸の鼓動は止まないままで、


「……やっちゃった。うわ、本っ当に……?」


 ――午後の授業をサボったんだ。

 窓に映った自分を見ながら、姫咲ひめさき紫愛しあは心の中で呟いた。


 頬に張り付いていた髪をぐっとかき上げる。前下がりの黒髪には、綺麗な紫色の髪の毛が一房ひとふさ分。丸みを帯びた瞳は猫のようで、ぱっちりと立ち上がったまつ毛があどけない印象を際立たせる。


 制服のワイシャツは肘のところまでまくり上げ、首元には黒のチョーカー、腰にはカーディガンを巻いている。シルバーのブレスレットや桃色のネイルとあわせて、その容姿はどこまでも今風だった。

 見た目だけならほどほどにギャルと呼べるのかもしれないけれど、紫愛自身、特別意識したことはない。


 代わりに思考の矢印は、自分の内側へと向いていた。


 どうしてこんな事をしたんだろう。

 教室にいない今の自分と、日常からはみ出したような不思議な感覚。ひとりでは整理しきれない感情のかけらが、ごちゃまぜになって心を乱す。


 それはちょうど、学校を抜け出した時と同じように。

 

『――次は、豊神とよがみ駅前です。お降りの際は忘れ物がないよう――』

「……降りよ」


 停車ボタンを押してため息をひとつ、


「怒られるんだろうなぁ、戻ったら。うあぁ、だる~……」


 まもなく駅前の風景が目に入る。


 背の高いいくつものビルに、街頭ビジョンにかわるがわる映し出される、スマートフォン向けゲームのアニメーション広告。バスを降りれば都会的な街並みに迎えられて、人が、音が、立ち止まっているだけでさまざまにすれ違っていく。


 そんな中で紫愛の耳が拾ったのは、近くの家電量販店から聞こえてくるワイドショーの会話だった。


『――四月といえば、あの“お月見事件”からもう十五年が経ちますね』

『あぁ、もうそんなに経ちますか……!』


 いやはや、時の流れというのは本当に――言いながら白髪の目立つコメンテーターが、女性アナウンサーに対してわざとらしく驚いてみせる。


 紫愛は耳だけ傾けながら歩き出し、


『お台場に展示されていたあの巨大ロボットが、ひとりでに動き出した日……なんて真面目ぶっちゃいますけど、当時見た時はさすがに驚きましたよ。体をペタペタ触った挙句、海に足を放り出して月を見始めたんですから。夢ですよねぇ、まるで?』


 でも、と続けて朗らかに笑い、


『どんな仕掛けにもはある。しかしそのタネが、ここまで世の中に変化をもたらすだなんて……当時の私は思ってもいませんでしたけどねぇ』

『そうですね』


 と言ってアナウンサーが話を引き取る。


『お月見事件でロボットを動かしていたものの正体は、なんと“マスコット”と呼ばれる精霊だった――。未だに信じがたい事実ではありますが、今回は我々にとって欠かせないパートナーとなった彼らと、私たちを繋いでくれたロボットについて特集していきたいと思います……――』


 駅前広場を離れると、声は少しずつ遠くなる。

 陽のあたらない路地に入ればなおさらで、紫愛の頭はぼんやりとするべき事を見つめていた。


 今すぐ学校に戻って、担任の先生に謝ること。


 こんな時間にふらふらしていたら不良と間違われかねないし、だからといって、理解しているだけじゃ体はついてきてくれなかった。足が止まる事を嫌がっている。路地の暗がりをどんどん進んで――


 紫愛の足が、硬い何かにつまづいた。


「あった!? ……っ~、もう何~……?」


 目についたのは冷たいくらい無機質な、灰色のつま先。


 ぼうっとしていたせいで気付けなかったけれど、それはお月見事件をきっかけに、街の至る所に設置されるようになった人型のロボットだった。


 名前は“ドール”で、大きさは170センチほど。


 全身のほとんどは人工的な筋肉で構成されていて、それらを保護するように灰褐色の装甲で覆われている。背中から足元の台座に伸びているのは充電用ケーブル。頭部は球状かつ楕円だえん形のモニターになっていて、人間の頭とは似ても似つかない。


 他に特徴的なところといえば、マネキンのように柄物の服が上下に一枚、着せられている事ぐらい。だけど、


「……え、あれ? なんか動いてない……?」


 ドールの足が一歩分、台座の外へとはみ出している。


 普段は直立しているはずなのに――そう思ったのも束の間、もう片方の足が紫愛に向かって踏み出された。


「えっ!? うわ、わっ……――ひぃ!?」


 がしゃん、がしゃんと大きな音を立てながら、おぼつかない足取りでドールが迫る。あわてて紫愛も後ずさり、けれど背中が壁についてしまったその瞬間。顔のすぐ横でとんでもない轟音が鳴り響いた。


 ――突き出された手のひらが、コンクリートの壁に、めりこんでいる。


『あ~……エっと。ごめンね。だいジョぶ?』


 ドールから聞こえてきたのは女性らしい、高めの声。だけれども音質の悪いスピーカーのように、少しざらつきを帯びている。


 紫愛は心臓が止まりそうな思いで、かろうじて、


「い、生きてますけど……」

『そっカ! ヨかった~、ケガなくテ!』

「あやうく致命傷でしたけど!?」


 無邪気な笑い声とともに頭部モニターが起動すると、ドット絵でにっこりとした表情が形成される。


『あっ! ソのムラサキのカミ、すっごいおシャレ~! たしかメッシュってイウんだっけ?』

「話そらされてるし……」

『ねえネエ、それマネしてイい? あ~でモ、ちょットアレンジしてみるのもアリかも! う~ん、ドッチがイイかナ~』

「っていうか!」


 紫愛はおずおずと、けれどもはっきりした口調で、


「……中に“マスコット”、入ってますよね?」

『うン! けど……』


 モニターの表情が困り気味なものに切り替わる。


『ハイレたはハイレたンだけどね? こっちのウデ、ヌケなくなっちゃった! あははっ!』

「なんかすっごい明るいなぁこのマスコット……でも、それなら」


 すっと腕をくぐり抜けて距離をとり、


「いち、にの、さんで腕を引っ張ってみるとか」

『ん~……? イチニノさんって、ダレ?』

「いや人の名前じゃなくて合図だから! じゃあいくよ? いち、にの――」


 さん、の掛け声で腕が勢いよく引っこ抜かれる。派手に散らばったコンクリート片はそれだけ力がこもっていた証拠で、思わず乾いた笑いがこぼれ出る。


 けれどはしゃいで喜ぶマスコットを見ていると、自然と肩の力が抜けていった。


『これでヨシ、っと! アリガトね、ええっと……』

「あ、紫愛、です。姫咲紫愛」

『シアね、オボえた! それより見て――』


 途端、ほたるのように青白い光の粒子が浮かび上がって、


『シアのおかげでイメージもかたまったから、やっと“なりたいじぶん”になれるよ!』


 光と光がつながって帯になる。

 幾重にも折り重なったそれは機械じかけの体を包み込み、光のカーテンが仕切りになる。


 紫愛の前で起こる出来事は、決して目の錯覚などではなかった。


 角ばったシルエットが徐々に曲線を帯びていったのも、人間のような肉感的なたたずまいに変わっていくのも。やがてカーテンの幕がゆっくりと開けられた時、紫愛は言葉を失いかけた。


「……すっご……」


 さなぎが蝶へとかえるような変わりぶりだった。


 高めの背丈にすらりと伸びた長い脚。ウエストには綺麗なくびれまでついていて、ひと目でわかるくらいにスタイルが良い。長い黒髪も絹糸のように滑らかで、そよ風を含んでなびく様がつややかさを主張する。


 装いの雰囲気もがらりと変わった。


 白いノースリーブニットに編み上げのアームカバーを組み合わせて、肩から見える白い肌が大人びた雰囲気を演出。膝上丈のスカートとハイヒールのロングブーツが脚の細さを際立たせる。


 よく見れば、ブーツのヒール部分に取り付けられていたのは円筒状のシリンダーだった。


 中には理科の実験で使うようなからのビーカーが入っていて、シリンダー自体の見た目は機械的。だけれども、金や銀の装飾がきらびやかな印象を添えていた。


「――ん~~~~っ! 体が軽いって最高っ! 自由って感じ~!」


 やわらかくて、のびやかな声にざらつきはない。大きく伸びをしたマスコットは、アイドルが踊るような仕草をして体の動きを確かめる。


 そのたびに揺れる黒髪の内側に見えたのは、紫色のインナーカラー――夜空のように鮮やかで、けれども淡い桜色を含んでいる。


 紫愛とお揃いの、紫の色だった。


「見て見て! シアの色、こんなふうに入れてみたんだけど、どうかな?」

「へっ? ああ……」

「シア?」


 髪の毛からふっと香る甘い匂いが、うわのそらを取り払う。


「ごめんごめん、マスコットが変身するとこ見るの初めてだったから。ええっと……よく似合ってると思う、思います? 綺麗で」

「ふふっ、いいよ~シアが喋りやすいようにして!」


 いたずらっぽい笑みを浮かべて上目遣いで覗きこみ、


「それとも……親近感が湧いちゃったとか~?」


 マスコットと呼ばれる精霊は、ロボットにりつく性質をもっている。


 そしてロボットに憑りついたマスコットは一度だけ、その容姿を望むままに変容させることができる――空気中に漂う不思議な粒子、“エーテル”を利用して。


 この日、授業で学んだ事柄が紫愛の脳裏によみがえる。


 中身は精霊とロボットで、外見は人。

 無邪気に振る舞う彼女を機械の人形と見なすことは、紫愛にはもう出来なかった。

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