第3話「最初のイベント」
第1話 「異変の予感」
町を覆う靄は、どこか不自然だった。
千代は神社の階段を上りながら、空を見上げる。季節はずれの靄。そして、どこかひんやりとした空気。
「おかしいわ...」
「主様」月詠が現れる。「妖気を感じます」
その時、後ろから明るい声が聞こえる。
「千代ちゃーん!」
振り返ると、陽が小走りで近づいてきていた。しかし、その表情には珍しく緊張の色が見える。
「陽?どうしたの?」
「ねえ、気付いた?今朝から、妖怪さんたちの様子がおかしいの」
千代は頷く。確かに座敷童子たちの姿も見えないし、普段境内を賑やかにしている妖怪たちの気配もない。
「みんな、怯えているみたい」陽が続ける。「理由は分からないんだけど...」
月詠が耳を澄ます。「この妖気、ただ事ではありません」
その時、境内の木々が不気味に揺れる。風もないのに。
「月詠、これって...」
「はい。誰か...いいえ、何かが近付いています」
陽が千代の袖を掴む。その手が、わずかに震えているのが分かる。
「大丈夫」千代は陽の手を握り返す。「私たち、もう力の使い方を知ってるもの」
その言葉に、陽の表情が少し和らぐ。
「うん...でも、なんだか今回は違う感じがする」
確かに、今までに感じたことのない不穏な空気が漂っている。千代は咄嗟に占いの札を取り出す。
「ちょっと占ってみるわ」
札が舞い、月詠の作り出した光の中で模様を描く。しかし——。
「あ...」
「どうしたの?」
「札が...真っ黒に」
通常なら色とりどりの光を放つはずの札が、まるで闇に染まったように黒く変色していく。
「これは」月詠の声が緊迫する。「闇の力の影響です」
巻物に書かれていた警告が蘇る。『闇の力が目覚め、世界の均衡を脅かす』
「私たちにできること...」千代が呟く。
「あるはずだよ」陽が力強く言う。「だって、私たちは選ばれたんでしょ?」
その言葉に、千代は思わず微笑む。不安の中でも、陽の前向きな性格は変わらない。
「ええ、そうね」
二人の手が重なった時、かすかな光が灯る。闇を払うような、温かな光。
「主様、陽様」月詠が告げる。「本当の試練は、これからです」
境内に靄が深まる中、二人は固く手を握り合う。これが最初の事件の予兆だとしても、もう後には引けない。
運命に導かれた二人の前に、新たな試練の幕が上がろうとしていた。
第2話 「狂い始める恋占い」
社務所の中で、千代は眉をひそめていた。
目の前の占いの札が、またも黒く変色している。しかも今度は、依頼人の恋愛運を占っていた時のことだ。
「おかしいわ...今まで一度も間違えたことのない占いが」
「主様」月詠が心配そうに寄り添う。「これで三件目です」
ここ数日、千代の占いに異変が起きていた。特に恋愛に関する占いが全て、不吉な結果を示すようになっている。
「千代ちゃん!」
陽が駆け込んでくる。その表情には焦りの色が見えた。
「大変なの!商店街で...」
「落ち着いて」千代が陽の肩に手を置く。「ゆっくり話して」
深く息を整えた陽が説明を始める。
「商店街の皆さんの間で、急に破局が相次いでるの。付き合いたての高校生カップルも、結婚間近だった花屋さんも、仲良しだった喫茶店のマスターと奥さんも...」
「え...」
「しかも皆、『急に相手の気持ちが分からなくなった』って言うの」
千代は黒く変色した札を見つめる。これは偶然ではない。
「主様」月詠が真剣な面持ちで言う。「恋心を曇らせる何かが...」
その時、座敷童子の長女が現れた。
「千代お姉ちゃん、大変!私たち、人間さんの恋心が見えなくなってるの!」
通常、座敷童子たちには人々の感情が見えるはず。それができなくなるということは——。
「闇の力が...人々の心を曇らせてるのね」
陽が千代の傍らに座る。
「でも、私たちの気持ちは大丈夫みたい」
「え?」
「だって」陽が微笑む。「私、千代ちゃんの気持ち、ちゃんと感じられるもの」
その言葉に、千代は思わず頬が熱くなる。
「も、もう...こんな時に」
「でも本当だよ?」
確かに、二人の間には例の温かな力が流れている。それは闇の力も遮ることができない絆。
「これって、私たちにヒントをくれてるのかも」陽が言う。
千代は我に返ったように頷く。
「そうね。二人の力で感じ合える気持ち...これを使って、何かできるはず」
月詠が静かに告げる。「解決の糸口は、その絆にあるのかもしれません」
千代は新しい札を取り出す。今度は陽の手を借りながら、占いを始める。
「あ...」
「どうなった?」陽が覗き込む。
札が淡い光を放ち、一瞬だけ色鮮やかな模様を描く。
「これは...希望を示す印」月詠が説明する。「二人の力があれば、闇を払えるかもしれません」
「本当に?」
「ええ。でも、そのためには...」
月詠の言葉が途切れた時、外から悲鳴が聞こえた。
「主様、陽様、行きましょう」
二人は頷き、立ち上がる。手を取り合ったまま、事件の現場へと向かう。
これが最初の事件の始まり。二人の力が試される時が、いよいよ訪れたのだ。
第3話 「赤玉の狐の警告」
夕闇の迫る境内に、赤玉の狐が姿を現した。
千代と陽は、商店街での出来事を調査して戻ってきたところだった。そこで目にしたのは、普段の優雅さを失った、切迫した表情の狐の姿。
「想定より早い」赤玉の狐が唸るように言う。「闇の力の目覚めが」
「一体何が起きているんですか?」陽が一歩前に出る。
「かつて封印された怨念が、目覚めつつある」
狐の言葉に、境内の空気が重くなる。
「封印...」千代が呟く。「もしかして、百年前の」
「その通り」狐は頷く。「百年前、この地で起きた悲劇の名残だ」
月詠が現れ、深々と頭を下げる。
「赤玉様、あの時の...」
「ああ。恋を狂わせ、心を曇らせる闇の力。人々の想いを引き裂く禍々しき存在」
陽が千代の手を握る。その手に、わずかな震えを感じた。
「でも、どうして恋愛に関することばかり?」千代が問う。
狐は静かに目を閉じる。
「それこそが、この力の本質。百年前、叶わぬ恋に殉じた者たちの怨念。彼らは言った——『誰も幸せになるべきではない』と」
「そんな...」陽の声が震える。
「しかし」狐は続ける。「その時、二つの家系の力により封印は成った。陰陽師と巫女、互いを想う二人の力によって」
千代と陽は顔を見合わせる。まるで、現在の自分たちの姿を見ているかのよう。
「そして今、その封印が解かれようとしている」
「私たちに、何ができるんですか?」
「汝らの先祖がそうしたように、力を合わせること」狐の目が真剣に光る。「だが、それには代償が伴う」
「代償...?」
「己の想いを賭すことになる。相手への気持ちが曖昧であれば、闇に飲み込まれる」
二人の手が、より強く握り合わされる。
「主様」月詠が心配そうに声をかける。
「大丈夫」千代が答える。「私には、陽がいるもの」
「うん!」陽も力強く頷く。「私たち、絶対に負けない」
その言葉に、赤玉の狐は満足げな表情を見せる。
「その絆こそが、最大の武器となる。しかし、気をつけねばならぬ」
「何をですか?」
「闇の力は、汝らの心の隙を突いてくる。特に、互いへの想いが揺らぐ時を」
千代は陽の手の温もりを確かめるように握り直す。
「私たち、大丈夫」陽が明るく言う。「だって、こうして手を繋いでると、千代ちゃんの気持ちがちゃんと伝わってくるもの」
その素直な言葉に、千代は頬を染める。
「陽...」
「主様と陽様なら」月詠が静かに告げる。「きっと、できるはずです」
赤玉の狐は二人を見つめながら、最後の警告を残す。
「心の迷いこそが、最大の敵となる。己の想いを、しっかりと見据えることだ」
言い終えると、狐の姿は夕闇の中に消えていった。
残された二人は、なおも手を握ったまま。これからの戦いに向けて、互いの存在を確かめ合うように。
第4話 「協力する二人」
神社の蔵の中、千代と陽は古い記録を探していた。
「ねえ、これは?」
陽が取り出したのは、古びた日記のような本。表紙には「明治二十七年 七月吉日」の文字が記されている。
「百年前のものね」千代がそっとページを開く。
月詠が蝋燭の光を近づける中、二人は記録に目を通していく。
「あった!」陽の声が響く。「この日の記録...封印の儀式について書いてあるよ」
千代は陽の指さす部分を読み進める。
『陰陽の力、相合わさりて闇を封ず。されど、その力を得るは容易からず。真なる想いにあらざれば、儀式成らず』
「真なる想い...」千代が呟く。
「うん」陽が真剣な面持ちで続ける。「本物の気持ちじゃないと、封印できないってことだよね」
その言葉に、二人は一瞬目を合わせ、すぐに逸らす。
「主様、陽様」月詠が静かに告げる。「お二人なら、きっと」
「で、でも!」千代が慌てて話題を変える。「まずは準備が必要よね」
「そうだね!」陽も飛びつくように応じる。「どんな準備から始める?」
月詠はそんな二人の様子を、どこか愉しげに見守っている。
千代は古い巻物を広げ、封印の準備について確認していく。
「まず、結界を張るための札が必要ね」
「私は妖怪さんたちに協力を仰ごう!」
「座敷童子たちにも手伝ってもらえると助かるわ」
二人で作戦を立てていく中、自然と距離が縮まっていく。
「あ」
同時に手を伸ばした二人の指先が触れ合う。
「ご、ごめん!」
「い、いえ...」
ぎこちない会話の後、二人は思わず笑みを漏らす。
「なんだか、緊張してるね」陽が照れ臭そうに言う。
「そうね...」千代も微笑む。「でも、この緊張感も大切なのかもしれない」
「どうして?」
「だって」千代は真剣な表情で陽を見つめる。「私たちの気持ちが本物かどうか、試されるんでしょう?」
その言葉に、陽は静かに頷く。
「千代ちゃん、私...」
「陽...?」
「私の気持ちは、絶対に負けない」
その瞬間、二人の間に淡い光が灯る。いつもの温かな力が、より鮮やかに。
「見てください」月詠が指差す。「お二人の力が、より強く」
千代と陽は、その光を見つめながら微笑み合う。
「これが私たちの...」
「うん、本当の力」
準備は、着々と進んでいく。しかし同時に、二人の心の中では別の何かも確実に育っていた。
夜更けの蔵の中、古い記録と新しい想いが、静かに交差していく。
第5話 「妖怪たちの協力」
夜の神社に、様々な妖怪たちが集まっていた。
提灯お化けが空を舞い、座敷童子たちが境内を駆け回る。九尾の狐の末裔たちが月明かりに毛並みを輝かせ、古くからこの地に住む老狸も姿を見せていた。
「こんなに大勢...」千代は驚きの声を漏らす。
「みんな、私たちを助けてくれるんだって!」陽が嬉しそうに告げる。
老狸が前に進み出る。「百年前の封印には、我らも力を貸した」
「本当ですか?」
「うむ。人の世の恋心を狂わせる闇。それは我ら妖怪にとっても、許しがたきもの」
座敷童子の長女が千代の袖を引く。
「千代お姉ちゃん、私たち、人間さんの恋心が見えなくなっちゃうの、寂しいの」
「そうね...」千代は優しく頭を撫でる。
提灯お化けの一団が、何かを伝えようと光を点滅させる。陽が通訳するように説明する。
「街のあちこちで、暗い影が見られるって。特に、カップルが多く集まる場所で」
九尾の末裔の一人が進み出る。「我らの目には、黒い靄として映る。人々の心を蝕む、忌まわしき力」
千代は陽の方を見る。彼女にも見えているのだろうか。陽は静かに頷いた。
「うん、見える。でも...」
「でも?」
「千代ちゃんの周りだけは、いつも温かな光に包まれてるの」
その言葉に、千代は思わず頬が熱くなる。
老狸が意味深げに咳払いをする。「その光こそが、闇を払う力となろう」
月詠が現れ、説明を加える。
「主様と陽様の絆が生み出す光。それは百年前、この地を救った光と同じもの」
妖怪たちの間から、感嘆の声が漏れる。
「では、具体的に我らに何ができる?」九尾の末裔が問う。
千代は準備してきた札を取り出す。
「この札に、みなさんの力を少しずつ分けてほしいの」
「そうすれば」陽が続ける。「私たちの力と合わせて、より強い結界が張れるはず!」
妖怪たちは顔を見合わせ、次々と頷いていく。
「よかろう」老狸が宣言する。「我らの力を貸そう」
一匹、また一匹と、妖怪たちが札に触れていく。その度に、札は微かに輝きを増していく。
「ありがとう、みんな」陽が満面の笑みで礼を言う。
最後に、座敷童子たちが駆け寄ってきた。
「私たちにも、できることある?」
「ええ」千代が答える。「街の様子を見張っていてほしいの。特に、人々の心の変化を」
「任せて!」三姉妹が元気よく応じる。
その時、遠くで鐘が鳴る。午前零時を告げる音。
「そろそろ、お開きにしましょう」月詠が告げる。
妖怪たちは次々と姿を消していく。最後に残った老狸が、二人に向かって言う。
「期待しておるぞ。陰陽師と巫女の、新たなる物語を」
闇の中に消えていく妖怪たち。しかし今や、千代と陽は孤独ではない。
「心強いね」陽が千代の手を握る。
「ええ」千代も握り返す。「きっと、私たちにできるはず」
月明かりの下、力を授かった札が、かすかに光を放っていた。
第6話 「真相への接近」
神社の古い蔵の奥から、一冊の日記が見つかった。
表紙には「明治二十七年 陰陽寮記録」と記されている。千代が恐る恐るページを開くと、かすかに埃が舞い上がった。
「これは...」
陽が千代の横から覗き込む。二人で古い文字を追っていく。
『七月十五日。この度の異変について記す。町に漂う黒き靄、人々の心を曇らせる禍々しき力。その源は、かの悲恋にあり』
「悲恋...」陽が呟く。
月詠が蝋燭の光を近づける。『二人は互いを深く想いながら、家の反対により引き裂かれ。最後は...』
「ここから文字が滲んでる」千代が指摘する。まるで涙の跡のように。
その時、座敷童子の三姉妹が駆け込んでくる。
「千代お姉ちゃん!黒い靄が、商店街に集まってきてるの!」
「陽」千代が立ち上がる。「行きましょう」
二人は急いで商店街へ向かう。確かに、通りには得体の知れない靄が漂っていた。
「あれを見て」陽が指差す。
靄は、とある古い建物の前で特に濃くなっている。
「ここは...」千代が看板を見上げる。「旧・見合い茶屋?」
「そう」月詠が現れる。「百年前、この場所で...」
言葉の途中、建物から黒い靄が渦を巻き始める。その中から、かすかに人の声が聞こえる。
『誰も、幸せになってはいけない』
『この想いが報われないのなら...』
千代は反射的に陽の手を握る。すると、二人の周りに淡い光が灯る。
「この声...」陽が震える声で言う。「悲しみと怒りが混ざってる」
千代は日記の言葉を思い出す。家の反対により引き裂かれた二人。その悲しみが、この闇となったのか。
「主様」月詠が告げる。「お二人の力なら、きっと」
千代は陽の手をより強く握る。
「陽、私たちの光で...」
「うん!」
二人が力を合わせると、温かな光が強まる。すると不思議なことに、靄の中から新たな光景が浮かび上がってきた。
まるで百年前の映像のように。着物姿の若い男女が、この茶屋で密かに会う姿。そして、引き裂かれる瞬間。
「これが...」
「百年前の出来事」月詠が説明する。「陰陽師の家系と巫女の家系。その時は、相容れないとされた二つの流れ」
千代と陽は、思わず顔を見合わせる。今の自分たちの立場と、重なって見える。
「でも、私たちは違う」陽が力強く言う。「誰にも、この想いは止められない」
その言葉に、千代は胸が熱くなる。
「ええ。だからこそ...」
黒い靄が、二人の光に押されるように後退していく。しかし、完全には消えない。
「まだ何かが」千代が言う。「何か、決定的な...」
「鍵が必要ってこと?」
「ええ。でも、それが何なのかは...」
その時、遠くで鐘が鳴る。夜の帳が深まる中、二人はまだ手を繋いだまま。
この場所で起きた悲劇。そして、それを乗り越えるために必要なもの。答えは、きっと二人の中にある——。
第7話 「迫る危機」
社務所の中、千代は古い札に新たな術式を書き込んでいた。
「これで結界の準備は...」
「主様」月詠が心配そうに声をかける。「かなりの負担になりますが」
その時、陽が入ってきた。顔色が悪い。
「陽!?」
「大丈夫...ただ、妖怪さんたちを見て回ってたら」
陽がよろめいた瞬間、千代が駆け寄る。
「無理しないで!」
抱き支えた千代の胸に、陽が寄りかかる。
「ごめんね。でも、重要な情報が分かったの」
座敷童子たちが続いて入ってきて報告する。
「黒い靄が、もっと濃くなってる!」
「街中の恋人たちが、みんな喧嘩してるの!」
「このままじゃ、みんなバラバラになっちゃう!」
千代は陽を支えながら、術式に目を向ける。
「間に合うかしら...」
「間に合わせなきゃ」陽が力強く言う。「だって、私たちにしかできないんでしょ?」
その言葉に、千代は思わず微笑む。どんな時も前向きな陽。その強さが、今の自分を支えてくれている。
「ええ、そうね」
月詠が新しい報告を持ってくる。
「商店街の様子を見てきました。黒い靄は、あの茶屋を中心に渦を巻いています」
「やっぱり、あそこが」
千代は陽の手を取る。温かな光が、二人の間に灯る。
「この光を使えば...」
「うん。きっとできる」
しかし、その瞬間、遠くで轟音が響く。地面が揺れ、神社の鈴が鳴り響いた。
「なに!?」
月詠が外を確認し、驚きの声を上げる。
「主様、陽様!街の方から、黒い柱が!」
二人は急いで外に出る。空を見上げると、商店街の方角に巨大な黒い柱が立ち上っていた。
「これは...」千代が術式の札を掲げる。「結界を突き破ろうとする力」
陽が千代の腕を掴む。
「私にも見える。暗い想いが渦巻いてる。でも、その中に...」
「悲しみと、切なさ」
二人は顔を見合わせる。同じものを感じ取っていた。
「主様」月詠が進言する。「このままでは街全体が飲み込まれます」
「分かってる」千代が決意を固める。「陽、行きましょう」
「うん!」
しかし、一歩を踏み出した時、陽がまたよろめく。
「やっぱり、一人で...」千代が言いかける。
「ダメ!」陽が強く否定する。「私たち、一緒じゃなきゃ」
その言葉に、千代は胸が熱くなる。
「でも、あなたの体が...」
「大丈夫」陽が微笑む。「だって、千代ちゃんが支えてくれてるもの」
黒い柱が、さらに大きくなっていく。街の灯りが、次々と飲み込まれていく。
「行きましょう」千代が陽の手を強く握る。「私たちの...私たちにしかできない戦いに」
空には黒い渦が広がり、街には不穏な空気が満ちていく。しかし、二人の手の中には、確かな光が灯っていた。
第8話 「決戦」
旧見合い茶屋の前で、黒い靄が渦巻いていた。
千代と陽は、その建物の前に立っている。街灯の明かりは靄に飲み込まれ、月明かりだけが二人を照らしていた。
「ここが、全ての始まり」
千代の言葉に、陽が静かに頷く。手を握り合う二人の周りに、かすかな光が灯る。
「主様、陽様」月詠が警告する。「靄の濃度が増しています」
その時、靄の中から声が聞こえ始めた。
『誰にも、幸せになる資格などない』
『想いは、永遠に叶わぬもの』
『全ては、闇に沈むべき』
陽が千代の手を強く握る。
「この声...苦しい」
千代も同じように感じていた。百年前の想いが、まるで今を生きているかのように生々しい。
「結界を張るわ」
千代が札を取り出す瞬間、靄が急激に動き出した。
「気をつけて!」月詠の声が響く。
黒い靄が二人に襲いかかる。しかし、その寸前——。
「私が、守る!」
陽が千代を抱きしめた瞬間、温かな光が放たれる。靄が、まるで光を避けるかのように後退した。
「陽...」
「大丈夫。私には、千代ちゃんの気持ちがちゃんと伝わってくるから」
その言葉に、千代の胸が熱くなる。
「ええ。私も、感じる」
二人の間で光が強まる。それは、百年前の二人には持ち得なかった何か。互いを想う気持ちが、形となって現れたかのよう。
『許さない』
靄の中から、より強い怨念の声が響く。
『その光も、その想いも、全て闇に』
渦巻く靄が、竜巻のように二人に襲いかかる。
「今よ!」千代が札を掲げる。
「うん!」陽も手を重ねる。
刹那、光が爆ぜるように広がった。
「主様!」月詠の声。「術式を!」
千代は詠唱を始める。陽の手の温もりを感じながら、一文字一文字、確かな想いを込めて。
『闇を払い 光満ちて
心結び 永遠(とわ)に』
術式が完成した瞬間、光の渦が靄を貫いた。
「まだ!」千代が叫ぶ。「最後の封印が...」
その時、陽が千代の頬に手を添えた。
「千代ちゃん、私...」
言葉の続きは、優しい唇の触れ合いに変わった。
刹那、光が爆発的に広がる。黒い靄が、まるで浄化されるように晴れていく。
『あぁ...これが、本当の...』
靄の中から、最後の声が聞こえた。今度は、憎しみではなく、どこか安らかな響き。
『許されるのですね...この想い』
光が街全体を包み込み、そして静かに収束していく。
後には、清々しい月明かりだけが残された。
「できた...」千代が呟く。
「うん」陽もまた、頬を赤く染めながら。
月詠は、そんな二人を温かく見守っている。
「これが、本当の封印」月詠が静かに告げる。「想いを否定するのではなく、受け入れること」
街に、久しぶりの静けさが戻ってきた。そして二人の手の中には、永遠に消えることのない光が、確かに灯っていた。
第9話 「明かされる真実」
夜明けの光が、静かな町を照らしていた。
神社の境内で、千代と陽は座敷童子たちの報告を聞いていた。
「街中の人たちが、みんな仲直りしてるよ!」
「お花屋さんも、結婚式の準備再開したって!」
「高校生カップルも、公園でお弁当食べてたの!」
陽が嬉しそうに笑う。「よかった...」
しかし、その言葉の直後、彼女は少しよろめいた。千代が慌てて支える。
「まだ無理は禁物よ」
「ごめんね。でも、本当に嬉しくて」
二人は神社の縁側に腰を下ろす。夜が明けていく空を、共に見上げる。
「不思議ね」千代が静かに言う。「今までずっと、自分の占いの力に自信が持てなかった」
「どうして?」
「占いって、時に人を傷つけることもある。だから、その力を持つことが怖かった」
陽は千代の手を優しく握る。
「でも、千代ちゃんの占いは違うよ」
「え?」
「だって、いつも誰かの幸せを願ってるもの。それに...」
陽は少し照れくさそうに言葉を続ける。
「私の心も、ちゃんと見抜いてくれた」
その言葉に、二人の頬が赤く染まる。決戦時の"あの瞬間"を、互いに思い出していた。
その時、月詠が現れる。
「主様、見てください」
月詠が差し出したのは、古びた巻物。しかし、以前は読めなかった部分が、今は鮮明に浮かび上がっている。
『真なる想いは、闇をも照らす光となる。されど、その光は己の心の内にこそ宿る』
「これって...」
「はい」月詠が説明する。「百年前の二人は、自分たちの想いを信じきれなかった。しかし、主様と陽様は違う」
座敷童子たちが、じっと二人を見つめている。
「私たち、信じられたもんね」陽が微笑む。
「ええ」千代も頷く。「互いの気持ちを」
その時、境内に朝日が差し込んできた。新しい一日の始まりを告げるように。
「あ!」陽が空を指差す。
朝日に照らされた空に、七色の光の帯が浮かんでいた。
「あれは...」
「祝福の虹」月詠が説明する。「妖怪たちからの贈り物です」
確かに、境内のあちこちから妖怪たちの気配が感じられる。皆、二人を見守っているよう。
「ねえ、千代ちゃん」
「なに?」
「これからも、一緒に」
その言葉に、千代は静かに頷く。
「ええ、もちろん」
二人の手が重なる場所に、小さな光が灯る。それは二度と消えることのない、確かな絆の証。
空には祝福の虹が架かり、新たな朝が始まっていく。事件は終わったけれど、二人の物語は、むしろここから——。
第10話 「新たな絆」
夕暮れの神社で、千代は新しい占いの札を準備していた。
事件から数日が経ち、町は完全に平穏を取り戻していた。むしろ、以前より活気があるようにも見える。
「不思議ね」千代が札を並べながら呟く。
「何が?」後ろから陽の声。
振り返ると、彼女は既に体調も回復し、いつもの明るい笑顔を取り戻していた。
「この札、前より綺麗な光を放つの」
「それは」月詠が現れる。「主様の心が、より澄んでいるから」
陽が千代の隣に座り、札を覗き込む。
「本当だ。前より、私にも光がはっきり見えるよ」
その時、座敷童子たちが駆け込んでくる。
「千代お姉ちゃん!陽お姉ちゃん!大変!」
「どうしたの?」
「見合い茶屋の前に、お客さんが集まってるの!」
二人は顔を見合わせる。あの場所に?
急いで商店街に向かうと、確かに旧見合い茶屋の前に人だかりができていた。
「あれ」陽が目を丸くする。「お店、きれいになってる」
建物は清掃され、新しい看板が掛けられていた。『縁結びカフェ』という文字が、夕日に照らされて輝いている。
「ここで事件があったって聞いて」若い女性が話している。「でも今は逆に、カップルの人気スポットになってるんですって」
「そうそう」老夫婦が笑顔で答える。「私たちも若い頃、ここで出会ったんですよ」
千代と陽は、その光景を見守っている。
「ねえ」陽が千代の袖を引く。「私たちも入ってみる?」
「え!?」千代は思わず頬を染める。
「だって、私たちもカップル...」陽の声が小さくなる。「...だよね?」
千代は、決戦時の"あの瞬間"を思い出す。自然と、唇に指が触れる。
「そうね」小さな声で答える。「私たちは...」
月詠は、そんな二人を見守りながら微笑む。
「主様、陽様」
「なに?」
「お二人の光が、より強く」
確かに、二人の周りには優しい光が漂っている。それは以前より、はるかに安定した、温かな輝き。
「これが」千代が言う。「私たちの新しい力」
「うん」陽が頷く。「私たちの、大切な...」
言葉の続きは、互いの手が重なる中で理解し合える。
その時、遠くで風鈴が鳴る。夕暮れの風に乗って、どこからか懐かしい音色が聞こえてくる。
「あれは?」
「祝福の音」月詠が説明する。「妖怪たちからの」
境内から座敷童子たちが手を振り、空では提灯お化けたちが舞い、木々の間では狐や狸たちが微笑んでいる。
街に、優しい夕闇が降りていく。その中で、二人の光だけが静かに、しかし確かに輝いていた。
これは終わりではなく、新しい物語の始まり。二人の前には、まだ見ぬ冒険が、きっと待っているはずだから。
第3章 終
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます