『陰陽師見習いの恋占い ~百鬼夜行と恋の行方~』
ソコニ
第1話「恋占いの練習」
プロローグ「百年前の約束」
百年前の満月の夜。古い神社の境内に、一匹の赤い狐が佇んでいた。
「時が来るまで、私が見守っていましょう」
狐の言葉に、巫女装束の少女が静かに頷く。その隣には、陰陽師の装束をまとった少女の姿があった。
「この想いは、きっと次代に」
「ええ、私たちの子孫に」
二人の少女は手を取り合い、満月に誓いを立てる。一方は陰陽師の家系、椿家の娘。もう一方は神社に仕える巫女、桜木家の娘。本来であれば交わることのない二つの家系が、この夜、確かな絆で結ばれた。
「人と妖怪の境界に咲く花は、最も美しい」
赤玉の狐の言葉が、夜空に響く。その瞳には、遥か未来への期待が宿っていた。
「しかし、その道のりは平坦ではないでしょう」
「分かっています」
「覚悟はできています」
二人の声が重なる。狐は銘札を取り出し、それを二つに割る。
「この札が再び一つになる時、真の力が目覚める」
一方を椿家の娘に、もう一方を桜木家の娘に。狐は銘札を託した。
「私たちの想いは、必ず」
「ええ、きっと届くわ」
満月が二人を優しく照らす。それは約束の夜。百年の時を超えて紡がれる物語の、始まりの時だった。
* * *
「ねぇ、千代ちゃん」
現代の神社。小学生の陽が、同じく小学生の千代に話しかける。
「なに?」
「私ね、不思議な夢を見たの」
「夢?」
「うん。赤い狐さんが、私たちに何か大切なことを言ってるの」
千代は不思議そうに首を傾げる。しかし、その瞳の奥で、何かが小さく震えた。
「私も…同じような夢を見たわ」
二人の少女は、神社の境内で向き合う。まだ幼い二人には理解できない。この出会いが、百年の時を超えた約束の継続だということを。
満月は静かに、新たな物語の幕開けを見守っていた。
第1話「陰陽師見習いの日常」
夕暮れの神社に、風鈴の音が響く。
「主様、占いの練習はいかがですか?」
白銀の毛並みを持つ狐の式神・月詠が、神社の縁側で正座する少女に声をかけた。黒髪をなびかせ、凛とした佇まいの少女——椿千代は、目の前の札を見つめたまま答える。
「まだ…自信が持てないわ」
千代は名門陰陽師の家系に生まれた。しかし、その才能には常に不安を抱いていた。実力は確かにある。それは月詠も、周囲も認めているところだ。だが、千代自身がその才能を認められないでいた。
「主様の占いは、確かな力を持っています。それは私が保証しますよ」
月詠の言葉に、千代は小さく微笑む。式神である月詠との出会いは、彼女にとって大きな転機となった。儀式で現れた月詠は、最初から千代を認め、支え続けてくれている。
「ありがとう、月詠」
風鈴が再び鳴る。千代は札を手に取り、静かに目を閉じる。陰陽師としての修行は、日々の積み重ねだ。特に占いは、相手の運命を見通す重要な技術。それを軽々しく扱うわけにはいかない。
「千代ちゃーん!」
明るい声が境内に響き渡る。茶色い髪をなびかせ、巫女装束姿の少女が駆けてくる。幼なじみの桜木陽だ。
「陽、走らないで。神社の中なのよ」
「ごめんごめん。でもね、すっごく良いこと思いついたの!」
陽の無邪気な笑顔に、千代は思わず目を細める。幼い頃から変わらない、その屈託のない明るさ。時に疎ましく感じることもあるが、千代の心の奥には、いつもその笑顔が温かく灯っている。
「良いことって?」
「私ね、千代ちゃんの占いの練習台になってあげようと思って!」
「え?」
思いがけない提案に、千代は戸惑いを隠せない。横で月詠が小さく笑みを浮かべているのに気づき、なんとなく頬が熱くなる。
「占いは神聖な儀式よ。そんな軽々しく…」
「だって千代ちゃん、いつも一人で練習してるでしょ? それって寂しくない?」
陽の言葉に、千代は返答に窮する。確かに、いつも孤独な修行を続けてきた。しかし、それは陰陽師としての道。誰かと楽しく練習するようなものではない…はずだ。
「主様、たまには違う形の練習があっても良いのでは?」
月詠まで陽に同調するような発言をし、千代は困惑する。夕暮れの風が境内を吹き抜け、風鈴が清らかな音を奏でる。
「そうだよ! 私にも千代ちゃんの力を分けてほしいな」
陽の真っ直ぐな瞳に見つめられ、千代は小さく息をつく。
「…考えておくわ」
その言葉に、陽は満面の笑みを浮かべた。夕陽に照らされた境内で、少女たちの新しい物語が、静かに幕を開けようとしていた。
「やったー! 絶対楽しいよ、千代ちゃん!」
陽の歓声に、千代は思わず顔を背ける。なぜか、胸の奥がほんのり温かい。それは、これから始まる何かへの、小さな期待の芽のように思えた。
第2話「不思議な占い」
「恋占い…ですか?」
月詠の声には、わずかな戸惑いが混じっていた。神社の奥の部屋で、千代は占いの準備を整えている。前日の陽の提案を、意外にも受け入れることにしたのだ。
「そうよ。陽が希望したの」
千代は淡々と答えるが、その手元は少し震えている。四角い占いの札を丁寧に並べながら、彼女は時折ため息をつく。
「主様、緊張されているようですね」
「そんなことないわ」
強がる千代に、月詠は小さく笑みを浮かべる。式神として仕えて以来、主の微細な感情の変化も見逃さない。
「千代ちゃーん、準備できた?」
陽が廊下から顔を覗かせる。その明るい声に、千代は思わず背筋を伸ばした。
「入ってきて良いわ」
「わぁ、すごい! なんだかミステリアスな雰囲気!」
陽は部屋に入るなり、並べられた札や、焚かれている御香に目を輝かせる。その無邪気な様子に、千代は少し安堵の表情を見せた。
「座って。背筋を伸ばして」
「はーい!」
陽が正座すると、千代も向かい合って座る。月詠は二人の横で静かに様子を見守っている。
「まず、あなたの生年月日を」
「えっと、平成十九年七月七日!」
「七夕生まれなのね」
千代は静かに目を閉じ、札に手を触れる。陽は息を飲んで見守る。
部屋の空気が、微かに震えた。
「これは…」
千代の眉が僅かに寄る。普段の占いとは違う、奇妙な感覚が彼女を包み込む。まるで、誰かに導かれているような。
「主様?」
月詠も、いつもと違う空気を感じ取ったようだ。
「陽…あなたには、特別な力が宿っているわ」
「え? 私に?」
「そう。妖怪や式神と…自然に交流できる力。そして…」
千代が言葉を詰まらせる。札が微かに光を放っているような錯覚さえ覚える。
「そして?」
「あなたの…運命の相手は…」
その瞬間、風が吹き抜け、御香の煙が舞い上がった。
「あら」
月詠が小さく声を上げる。札が一枚、風に舞い上がり、千代の前に落ちる。表向きに。
「これは…」
千代の顔が僅かに赤くなる。陽は首を傾げて札を覗き込む。
「どういう意味なの?」
「この札は…」
千代は言葉を濁す。月詠が代わりに説明する。
「最高の相性を示す札ですね。的中率100%の運命の出会いを表します」
「すごーい! ねぇ千代ちゃん、私の運命の人って誰かな?」
陽は無邪気に笑うが、千代は俯いたまま答えられない。
「主様、続けられますか?」
月詠の声に、千代はゆっくりと顔を上げる。
「…今日はここまでにするわ」
「えー、もうおしまい?」
「占いの結果は、一度に多くを知りすぎても良くないの」
千代は慌ただしく札を片付け始める。その仕草には、どこか落ち着かない様子が見て取れた。
「でも、すっごく楽しかった! また練習台になってあげるね!」
陽の笑顔に、千代は小さく頷く。しかし、その瞳には複雑な感情が浮かんでいた。
月詠は二人を見つめながら、静かに微笑む。運命の糸は、確実に絡み始めていた。
第3話「100%の謎」
「100%の的中率…ですか」
夜更けの神社。千代の部屋で、月詠は先ほどの占いの札を見つめていた。
「気になるの?」
千代は布団に腰掛けたまま、式神の様子を窺う。占いの結果が気になって、なかなか眠れそうにない。
「主様の占いは、いつも正確です。しかし、100%という数字は…」
月詠は言葉を選ぶように間を置く。
「珍しい、ということね」
「はい。特に恋愛に関する占いでは」
月詠の言葉に、千代は小さくため息をつく。確かに、恋愛の占いで完全な的中率を示すことは稀だった。人の心は移ろいやすく、未来は常に変化する可能性を含んでいる。それは、陰陽師としての基本だ。
「私の力が、まだ未熟だからかもしれないわ」
「いいえ、むしろ逆でしょう」
月詠の言葉に、千代は首を傾げる。
「どういう意味?」
「主様の力が強すぎるため、相手の運命が、より鮮明に見えているのかもしれません」
その瞬間、廊下から物音が聞こえた。
「誰かしら…」
千代が立ち上がろうとした時、障子が静かに開く。
「千代ちゃん、まだ起きてる?」
「陽!? こんな時間に…」
茶色い髪を月明かりに照らされた陽が、申し訳なさそうに笑みを浮かべる。
「ごめんね。でも、どうしても気になって…」
「気になって?」
「うん。今日の占いのこと」
陽は部屋に入り、千代の隣に座る。月詠は静かに二人を見守っている。
「あの札の意味…本当に私に運命の人がいるの?」
陽の真摯な眼差しに、千代は思わず目を逸らす。
「占いの結果は、絶対的なものじゃないわ。未来は…変わることもある」
「でも、月詠さんが100%って言ってたよ?」
「それは…」
「私、すっごく嬉しかったんだ。千代ちゃんの占いで、そんな素敵な未来を見せてもらえて」
陽の無邪気な笑顔に、千代は言葉を失う。
「主様の占いは、間違いないでしょう」
月詠が静かに告げる。
「特に、陽様に関しては」
「どうして私に関しては、なの?」
陽の質問に、月詠は意味深な笑みを浮かべる。
「それは、主様が一番よくご存知のはず」
「月詠!」
千代の慌てた声に、陽は不思議そうな表情を浮かべる。
「千代ちゃん?」
「な、なんでもないわ。もう遅いから、帰りなさい」
「えー、もう少し話そうよ」
「だめ。明日も早いでしょう」
千代が強引に陽を送り出す間、月詠は静かに微笑んでいた。
部屋に戻った千代は、深いため息をつく。
「月詠、からかわないで」
「申し訳ありません。ですが…」
「ですが?」
「主様の運命も、陽様と同じくらい、はっきりと見えているようですよ」
その言葉に、千代は赤くなった顔を両手で覆う。窓の外で風鈴が揺れ、優しい音が夜空に響いた。
運命の歯車は、確実に動き始めていた。
第4話「式神の本音」
朝もやの立ち込める神社の境内。掃除を終えた千代は、本殿の前で手を合わせている。
「主様、少しよろしいでしょうか」
月詠の声に、千代は振り返る。
「どうしたの? 珍しく改まって」
白銀の毛並みを朝日に輝かせながら、月詠は真剣な面持ちで千代を見つめる。
「昨夜の占いについて、お話ししたいことがあります」
「ま、まだそのことを?」
千代は思わず目を逸らす。昨夜の出来事は、できれば考えたくない。特に、陽の運命について示された結果は。
「私は主様の式神として、重要な事実をお伝えする義務があります」
月詠の声音が、いつになく厳かだ。
「重要な…事実?」
千代は不安げに月詠を見る。朝日が二人の間に長い影を落とす。
「陽様には、確かに特別な力が宿っています」
「占いで見えた、妖怪と交流できる力のこと?」
「はい。しかし、それだけではありません」
風が吹き、境内の木々がざわめく。
「陽様は、主様の力を増幅させる存在なのです」
「え?」
千代の目が大きく見開かれる。
「どういう意味?」
「昨夜の100%という数字。あれは、陽様が傍にいたからこそ示された結果です」
月詠の言葉に、千代は息を呑む。
「そんな…」
「主様の才能は確かなもの。しかし、陽様と共にいることで、その力はさらに高みへと至る」
「でも、どうして?」
千代の問いに、月詠は静かに目を閉じる。
「それは、きっと運命が定めた導きなのでしょう」
「運命…」
千代は空を見上げる。まだ朝早い空には、薄く月が残っていた。
「主様は、陽様のことをどうお考えですか?」
突然の問いに、千代は慌てて視線を落とす。
「な、なんのこと? 幼なじみよ。ただの」
「本当にそれだけですか?」
月詠の鋭い問いに、千代は言葉を詰まらせる。
「私は式神である前に、主様の友人でもありたいと思っています」
その言葉に、千代は驚いて月詠を見る。
「月詠…」
「だからこそ、主様の本当の気持ちを知りたい」
境内に風が吹き抜ける。千代の黒髪が、僅かに揺れる。
「私には…わからないわ」
「わからない、ですか?」
「ええ。陽のことも、私の気持ちも、全て…」
千代の声が震える。
「しかし、占いの結果は明確でした」
「占いが示したものが、本当に正しいのかしら」
「主様の占いは、間違えたことがありません」
「でも!」
千代の声が、予想外に強く響く。
「私には、そんな確かな未来を見通す資格なんて…」
「主様…」
月詠が、そっと千代に寄り添う。
「焦る必要はありません。ゆっくりと、自分の心に向き合えばよいのです」
その言葉に、千代は小さく頷く。
「ありがとう、月詠」
朝日が本殿を照らし、神社全体が金色に染まっていく。新しい一日の始まりと共に、千代の心にも、何かが芽生え始めていた。
第5話「座敷童子の来訪」
「あらあら、これは面白いことになってるわねぇ」
神社の倉庫で、千代が古い巻物を整理していると、突然声が聞こえた。振り返ると、そこには三人の小さな少女の姿。座敷童子だ。
「あなたたち…陽の家の?」
「正解! 私たち、陽ちゃんの家で世話になってるの」
長女らしき座敷童子が、にこやかに答える。三姉妹はそれぞれ、赤、青、黄の着物を着ていた。
「こんなところで何を?」
「陽ちゃんのことが気になってね」
「このところ様子が違うから」
「恋の予感がするよぉ!」
三人が次々と言葉を継ぐ。千代は思わず顔を赤らめる。
「月詠様から聞きましたよ」
長女が意味ありげに微笑む。
「占いの結果のこと」
「あ、あれは練習だから…」
「100%の的中率ですって?」
「すごーい!」
「運命の人かもね!」
千代は困惑した表情で三姉妹を見つめる。この状況を、どう受け止めれば良いのか。
「主様、お客様がいらしたようですね」
月詠が現れ、座敷童子たちに会釈する。
「月詠様!」
三姉妹が揃って礼をする。妖怪同士、古くからの知己のようだ。
「陽様のことで、何かご心配が?」
月詠の問いに、長女が首を振る。
「いいえ、むしろ楽しみなの」
「陽ちゃんの幸せが」
「近づいてるみたい!」
千代は動揺を隠せない。
「私には、そんな大それた…」
「千代様」
長女が真剣な面持ちで言う。
「陽ちゃんには特別な力が宿ってます。でも、その力を正しく導けるのは…」
「ただ一人!」
「千代さんだけ!」
妹たちが声を合わせる。
「私にできるわけが…」
「できますとも」
月詠が静かに告げる。
「主様の力と、陽様の才。それは決して偶然ではありません」
「そうそう!」
「運命だよ!」
「私たちにも見えるもん!」
座敷童子たちが手を取り合って踊り出す。その姿は愛らしいが、言葉には重みがある。
「陽ちゃんね、最近よく呟いてるの」
「千代さんのこと」
「ずーっとね!」
千代の心臓が、大きく跳ねる。
「主様、これも運命の導きかもしれません」
月詠の言葉に、千代は深いため息をつく。
「でも、私には…」
「あーあ、このまま気づかないのかなぁ」
「もう少し時間かかりそう」
「でも大丈夫!私たちが手伝うよ!」
三姉妹は楽しそうに笑う。その表情には、どこか確信めいたものが見えた。
「お節介はよしてよ」
千代が言い終わらないうちに、座敷童子たちは踊るように消えていく。
「あらあら、楽しみが増えましたね」
月詠が嬉しそうに言う。千代は複雑な表情で、消えた座敷童子たちが最後にいた場所を見つめていた。
陽への想い。それは確かに、彼女の心の中で少しずつ形を成しつつあった。しかし、それを認めるには、まだ勇気が必要だった。
第6話「揺れる心」
放課後の教室に、夕陽が差し込んでいた。
千代は一人、窓際の席で考え事をしている。机の上には、占いの札が一枚。あの日、風に舞い上がった運命の札だ。
「やっぱり、私には分からない…」
札を見つめる瞳に、迷いが揺れる。座敷童子たちの言葉も、月詠の助言も、全てが千代の心の中で渦を巻いていた。
「千代ちゃん、まだいたの?」
突然の声に、千代は慌てて札を隠す。振り返ると、そこには陽が立っていた。
「陽…部活は?」
「今日は早く終わったの。千代ちゃんも遅いから、様子見に来てみたよ」
陽が千代の隣の席に座る。夕陽に照らされた横顔が、妙に艶めかしく見えた。
「あのね、千代ちゃん」
「なに?」
「この前の占いの続き、またやってくれないかな」
予想外の申し出に、千代は言葉を失う。
「それは…まだ早いわ」
「どうして? 千代ちゃんの占い、すっごく当たるって評判になってるよ?」
「評判って…」
「うん! 座敷童子さんたちが、色々話してくれるの」
千代は内心で深いため息をつく。あの三姉妹め、余計なことを。
「陽、あなたには妖怪の声が聞こえるのね」
「うん。小さい頃からずっと。でも、それを素直に話せるのは千代ちゃんだけかな」
陽の言葉に、千代は複雑な表情を浮かべる。確かに、彼女たちは特別な力を持つ者同士だ。しかし、その繋がりは単なる共通点以上の何かに変わりつつあった。
「私の占いを、そんなに信じてくれるの?」
「もちろん! だって千代ちゃんの占いには、相手を想う気持ちが込められてるから」
「え?」
「分かるんだ。千代ちゃんが、誰かの幸せを願いながら占ってるって」
その言葉に、千代の胸が熱くなる。
「でも、私はまだ…自信が持てない」
「それでいいと思うよ」
「え?」
「だって、完璧な千代ちゃんより、悩んで成長していく千代ちゃんの方が、ずっと魅力的だもん」
陽の屈託のない笑顔に、千代は思わず目を逸らす。胸の奥で、何かが確実に動き始めているのを感じる。
「陽、あなたは…」
「ん?」
「私のことを、どう思ってるの?」
言葉が口をついて出た時には、既に後悔していた。しかし陽は、真摯な表情で答える。
「大切な人だよ。それ以上でも、それ以下でもない」
その答えは、曖昧でありながら、どこか決定的な重みを持っていた。
夕陽が教室を赤く染める中、二人の間に流れる空気が、少しずつ変化していく。それは、これまでの関係が新しい形に変わろうとしている予感。
「千代ちゃん、また占ってよ。今度は私の『大切な人』のことを」
陽の言葉に、千代は小さく頷く。
「…考えておくわ」
返事をする千代の心の中で、新しい決意が芽生え始めていた。
第7話「赤玉の狐」
満月の夜。神社の境内に、不思議な霧が立ち込めていた。
「月詠、この気配は…」
「はい。ただの妖怪ではありません」
千代と月詠が本殿の前に立つと、霧の中から一匹の狐が姿を現す。その毛並みは深い赤色で、首には古い銘札を下げている。
「赤玉の狐…」
千代が思わず呟く。伝説の妖怪の名だ。
「よくぞ知っていた。椿の末裔よ」
狐の声は、どこか懐かしさを帯びていた。
「私の家系を、ご存じなのですか?」
「むろん。百年前の約束を、この身は忘れてはおらぬ」
月詠が静かに前に出る。
「赤玉様、まさか…あの予言の」
「その通り。時が満ちた」
赤玉の狐の言葉に、境内が静まり返る。
「どういうことですか?」
千代の問いに、赤玉の狐は穏やかな目を向ける。
「椿の娘よ。お前の占いに現れた運命の印。あれは偶然ではない」
「陽との…占いのことですか?」
「そうだ。桜木の血を引く娘との出会いは、百年前から定められていた」
千代は息を呑む。しかし、その時、境内に新たな気配が漂う。
「あれ? 千代ちゃん?」
陽が、霧の中から姿を現した。
「陽!? こんな夜更けに…」
「うん、なんだか神社に来なきゃって思って…」
陽が言葉を切る。赤玉の狐を見つけたのだ。
「わぁ…なんて美しい狐さん!」
陽の率直な感嘆に、赤玉の狐は小さく笑む。
「お前も、不思議な力を持つ娘だな」
「私のこと、知ってるの?」
「むろん。お前の力もまた、意味なく与えられたものではない」
赤玉の狐は、月明かりに照らされた境内を見渡す。
「二人の出会いは、この世界の理が望んだこと」
「理って…」
千代が問いかけると、赤玉の狐は静かに頷く。
「人と妖怪の境界に咲く花は、最も美しい。しかし、それを守るには相応の覚悟が必要となる」
「覚悟…」
陽が千代の方を見る。その瞳には、不思議な輝きが宿っていた。
「お前たちの力が一つになった時、新たな物語が始まる」
赤玉の狐の言葉が、夜空に響く。
「でも、私にはまだ…」
千代の言葉を遮るように、赤玉の狐が銘札を掲げる。淡い光が、二人を包み込む。
「運命の糸は、時に人の想いで色を変える。その色が何色に染まるかは、お前たち次第」
言い終えると、赤玉の狐は霧の中へと消えていく。
「すごい…」
陽の感嘆の声が、静寂を破る。
「陽…」
「ねぇ、千代ちゃん。私たち、きっと特別な関係なんだね」
その言葉に、千代は答えられない。ただ、確かに感じていた。二人の間に流れる、不思議な力の存在を。
「主様、これも運命の導きかもしれません」
月詠の言葉が、夜風に乗って運ばれる。満月の光が境内を照らす中、新たな物語の予感が、静かに二人の心を包んでいた。
第8話「想いの行方」
朝靄の立ち込める神社の境内。千代は早朝の掃除を終え、本殿の前で深い息をつく。
「昨夜の出来事が、まるで夢のようですね」
月詠の言葉に、千代は静かに頷く。赤玉の狐との出会い。百年前からの約束。そして、陽との運命的な繋がり。全てが現実とは思えないほどだった。
「月詠、私に本当にそんな力があるのかしら」
「主様の力は本物です。ただ…」
「ただ?」
「その力を完全に解放するには、何かが足りない」
千代が問いかけようとした時、境内に足音が響く。
「千代ちゃーん! おはよう!」
いつもより早い時間に、陽が現れた。
「陽? こんな朝早く、どうしたの?」
「えへへ、昨日のことが気になって。それに…」
陽は恥ずかしそうに頬を染める。
「千代ちゃんに会いたかったの」
その言葉に、千代の心臓が大きく跳ねる。
「私のところに、座敷童子さんたちが来てくれてね」
「昔のお話を、たくさん聞かせてくれたの」
「昔の…お話?」
「うん。百年前に、この神社であった出来事」
千代は息を呑む。赤玉の狐の言葉が、脳裏に蘇る。
「私たちの先祖のことも、話してくれた」
「千代ちゃんの家と私の家が、昔から深い縁で結ばれてたって」
風が吹き、二人の間を桜の花びらが舞う。まだ咲く時期ではないはずなのに。
「陽、あなたは不思議ね」
「え?」
「その…妖怪の声が聞こえて、私の占いの力を高められて」
言葉に詰まる千代を、陽はまっすぐな目で見つめる。
「千代ちゃんこそ不思議だよ」
「だって、私の心の中まで、ちゃんと見通しちゃうんだもん」
「そんな…占いは、ただの…」
「違うよ」
陽が一歩、千代に近づく。
「千代ちゃんの占いには、特別な力があるの。私には分かる」
「どうして?」
「だって、千代ちゃんが占ってくれた時、心が温かくなるの。まるで、優しく包み込まれるみたいに」
その言葉に、千代は顔を赤らめる。
「主様」
月詠が静かに声をかける。
「今のその感情こそが、力を解放する鍵なのかもしれません」
「月詠…」
「二人の想いが重なった時、真の力が目覚めるのです」
陽が不思議そうに首を傾げる。
「千代ちゃん、また占ってくれる? 今度は、私の本当の想いを」
その瞬間、千代の中で何かが震えた。これまで感じたことのない、不思議な力の予感。
「陽…」
「うん?」
「あなたの想いなら、もう…分かるかもしれない」
千代の言葉に、陽の瞳が輝く。朝日が昇り、境内全体が金色に染まっていく。その光の中で、二人の想いが、確かに交差し始めていた。
第9話「秘められた力」
夕暮れの神社。千代は占いの間で、古い巻物を広げていた。
「これが、私の家に伝わる秘伝の占術…」
巻物には、複雑な陰陽の印が描かれている。これまで見ても理解できなかった印が、今日は不思議なほど鮮明に見える。
「主様、その巻物は」
「ええ、百年前から伝わる巻物よ」
月詠が千代の隣に座る。巻物から、かすかな光が漏れ始めていた。
「陽の力のおかげね」
「はい。陽様の存在が、主様の力を解放しつつあります」
その時、障子が静かに開く。
「こんばんは、千代ちゃん」
陽が顔を覗かせる。その姿を見た瞬間、巻物の光が強くなる。
「陽! どうしてここに?」
「なんだか、千代ちゃんに会いたくなって。それに…」
陽は部屋に入り、巻物の前に座る。
「この光、私にも見えるの」
千代は驚いて陽を見つめる。普通の人には見えないはずの陰陽の光が、陽には見えているという。
「主様、始めてみましょう」
月詠の促しに、千代は深く息を吸う。
「陽、あなたの想いを、今度こそしっかりと見させて」
千代が巻物に手を置くと、部屋全体が淡い光に包まれる。陽も、自然とその光に手を伸ばす。
「あ…」
二人の指先が触れた瞬間、驚くべき光景が千代の目に飛び込んでくる。
陽の心の中が、まるで透明な水晶のように見える。そこには、幼い頃からの想い出が、光の粒となって漂っていた。
「これが、陽の…」
千代の声が震える。見えているのは、陽が千代に対して抱いてきた想い。pure な愛情。子供の頃から変わらない信頼。そして、最近芽生え始めた、新しい感情。
「千代ちゃん、私の気持ち、見えてる?」
陽の問いに、千代は無言で頷く。
「嬉しい…これが千代ちゃんの本当の力なんだね」
その言葉と共に、部屋の光が更に強くなる。巻物に描かれた印が、一斉に輝き始めた。
「主様!」
月詠の声に、千代は我に返る。気がつけば、部屋中の札が宙に浮かび、ゆっくりと回転していた。
「これは…私の力?」
「いいえ、お二人の力です」
月詠が答える。
「陽様の存在が、主様の眠っていた力を呼び覚ましたのです」
陽は目を輝かせて部屋を見回す。
「すごい…千代ちゃんの占いの力って、こんなに素敵なんだね」
「陽…」
札が静かに降り注ぐ中、千代は初めて理解した。自分の力は、決して一人のものではない。陽との出会いがあって、初めて完成するものだったのだと。
「主様、これが真実の姿です」
月詠の言葉に、千代は静かに頷く。部屋の光が徐々に収まっていく中、彼女の心には新しい自信が芽生えていた。
「ありがとう、陽」
「え?」
「あなたのおかげで、私の本当の力に気づけた」
陽は照れたように頬を染める。
「私こそ…千代ちゃんと出会えて、本当に良かった」
夕暮れの神社に、新たな力の光が満ちていく。それは、二人の想いが重なり合って生まれた、特別な輝きだった。
第10話「始まりの予感」
朝露に濡れた境内に、清々しい風が吹き抜ける。
千代は本殿の前で、昨夜の出来事を思い返していた。陽との力の共鳴、巻物の不思議な光、そして見えた想い。全てが新鮮な記憶として、彼女の心に刻まれている。
「主様、ご感想は?」
月詠が、いつもの場所で千代を見守っている。
「まだ、実感が湧かないわ」
千代が答えながら、手の中の札を見つめる。昨夜、陽と共に光を放った札には、新しい力が宿っているように感じられた。
「おはよう、千代ちゃん!」
明るい声と共に、陽が境内に姿を現す。
「また早いのね」
「うん。なんだか、早く会いたくて」
その言葉に、千代は頬を染める。昨夜見た陽の想いが、鮮明に蘇ってくる。
「昨日のこと、不思議だったね」
陽が千代の隣に座る。2人の間に、心地よい空気が流れる。
「ええ。でも…」
「でも?」
「なんだか自然なことのような気もするの」
千代の言葉に、陽は柔らかく微笑む。
「私もそう思う。千代ちゃんと一緒にいると、何でも自然に感じられるの」
風が吹き、桜の花びらが舞う。まだ咲く季節ではないはずなのに、神社の桜だけが、わずかに花を付け始めていた。
「不思議な力が働いているようですね」
月詠が空を見上げる。
「赤玉様の言葉通り、お二人の力が重なり始めている」
その時、座敷童子の三姉妹が現れる。
「やっと気づいたのね!」
「私たち、ずっと待ってたの」
「これからが楽しみ!」
彼女たちの言葉に、千代は首を傾げる。
「まだ、何が始まるのか分からないわ」
「それでいいのです」
新しい声が響く。赤玉の狐が、静かに姿を現した。
「物語は、これから紡がれていく」
狐の言葉に、境内が静まり返る。
「お前たちの力は、まだ目覚めたばかり。これからより大きな試練が待っているだろう」
「試練…」
千代が呟く。しかし、その声に迷いはない。
「でも、大丈夫」
陽が千代の手を取る。
「私たち、一緒だもん」
その言葉に、千代は小さく頷く。確かに、もう一人ではない。
「主様、新しい物語の始まりです」
月詠の言葉が、朝の空気に溶けていく。
「ねぇ、千代ちゃん」
「なに?」
「これからも、私の想いを占ってくれる?」
陽の問いに、千代は初めて屈託のない笑顔を見せる。
「ええ。今度は、私の想いも一緒に」
その言葉と共に、境内に咲き始めた桜が、美しく舞い散る。それは、これから始まる物語の序章。
2人の力が織りなす、新しい運命の幕開けだった。
赤玉の狐は、静かにその様子を見守りながら呟く。
「運命の糸は、確実に紡がれ始めた。これからの物語が、どのような色に染まっていくのか」
座敷童子たちが、嬉しそうに踊り始める。
「見守っていてください」
「素敵な物語になりますよ」
「私たちが保証します!」
朝日が昇り、神社全体が金色に染まっていく。その光の中で、千代と陽の新しい物語が、静かに、しかし確実に動き始めていた。
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