無機質の中で

雪乃音々

プロローグ

 私の日常は、眠っていたとして、起きていたとして、なにひとつ変わらない。眠っている間はもちろん虚無だが、起きていても虚無だ。夢を見ている分、むしろ眠っている間の方が生産的かもしれないと思ってしまうほどには、起きている間の私には生産性がない。惰性で日々を過ごし、なにも成し得ないことに対して抱く焦燥を溜め込む。そして焦燥から逃れるように心の空白を増幅させ、感情を失っていく。私の日常には味がない。旨味や甘味のような一般的に好まれる味はもちろんしないし、苦味や酸味のような不快感を催す味すらしない。私の日常には、良い刺激も悪い刺激も、どちらも存在しない。人間は、刺激を受けない限り朽ちていくだけだ。そのようなことを考えていると、私は高校生にして朽ちてしまったのだろうかと、すこし名残惜しい気持ちになる。が、すこし名残惜しい気持ちがあるうちはまだ大丈夫だろう、と思い直し、私は今日をはじめることにした。

 朝食を摂るために、途方もなく重い体を持ち上げて、ベッドから起き上がる。いつしかやりたいことがなにひとつとしてなくなった私を、食欲だけが突き動かす。なにもしていないのに食欲だけは一丁前にあることを恥じらいながら、自室を出る。ダイニングへ足を踏み入れる。私の家は2DKのため、廊下やリビングは存在せず、自室の隣がダイニングになっている。ダイニングへ足を踏み入れたところで、「おはよう」なんて声をかけてくれる家族はいない。私は父の顔を知らない。父は母が私を身籠った時点で逃走したそうだ。母はといえば、生まれたときから私に無関心だ。母は出産目前まで病院へ行かなかったから、産まざるを得なかったのだろう。だから産んだだけで、それ以上もそれ以下もない。たったいまも男の家に入り浸っているのだろうな、と想像する。だから私が学校にも行かず、昼間に起きてきても、咎める人は誰もいない。私が通っているのは公立の通信制高校だから、基本的には通わないで済んでいるのだが。

 食パンを焼こうとしてトースターを開いたところで、食パンを切らしていることに気付く。食パン以外の食料もない。母とは食費として3万円を一ヶ月に一度振り込んでもらう約束をしているが、お金がないのか振り込まれるのは不定期なため、いつお金がなくなるかがわからない。そのため、買い物へ行っても必要最低限の食料しか買えないのだ。前回は11月末に振り込まれ、いまは12月中旬だから、まだお金には余裕がある。しかし見誤ってはいけない。今月や来月は振り込まれない可能性の方が高いのだから。はじめの頃は振り込まれてすぐにお金を使い果たしてしまい、ひもじい思いをたくさんした。私は高校生だからアルバイトはできるけれど、体が鉛のように重たく、1日のうちのほとんどをベッドから動けないため、不可能に近い。不定期に振り込まれる3万円を頼りにするしかないのだ。

 散々迷った末、私は食パンを買いに行くことにした。体の重さのせいで着替えることもままならないため、寝巻きとして使っている中学のジャージに、ベージュのジャンパーを羽織り、玄関のドアを開ける。その瞬間、刺すような寒さに見舞われる。外に慣れていない私は、あまりの寒さにたじろぐ。しかし次の瞬間には寒さを受け入れ、一歩を踏み出した。

 家を出て10分経ったくらいだろうか。近所の公園を横目に通り過ぎ、角を曲がり、人気のない道に差し掛かった時だった。朝食も摂らずに外へ出たせいか、堪えきれないような吐き気が私を襲い、目が眩んだ。頭から爪先まで掻き乱されたような感覚になる。段々と息が荒くなり、意識が遠くなる。私はこのまま死んでしまうのだろうか。それはそれでいいかもな、と思っていたら、私をめがけて人が駆け寄ってくる。その人に抱き抱えられ、僅かに体温を感じる。そこで私は意識を手放した。 

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