『0能者ミナト』第一話「嫉」⑦

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「パパ、あれはなあに?」


 最初にそれに気づいたのは父親に抱かれた子供だった。父親は子供が指さす空を見るが、抜けるような秋晴れの青い空と白い雲が浮かぶばかりで、他にはなにも見えなかった。


「パパにはなにも見えないぞ」


 そう言って子供の言うことに取りあわなかった。子供は父親の態度を不満に思い文句を言う。文句を言ううちに空に見たもののことを忘れてしまった。


 しかし子供の言うことは正しかった。


 空には一匹の怪異が浮いていた。


 怪異の容姿は簡潔に言うならば、割れた鏡に映った人間の顔だ。顔にはいくつもの断層があり、動くたびに断層の位置が移り変わる。顔全体を覆う深いしわの間にはあかがたまり、表情を変えるたびにぽろぽろと崩れ落ちた。


 その怪異の名はしつと言った。


 口の周りは怪異を解放した明山大学オカルト研究会の部員達の血肉で汚れている。それは次の食事を探して眼下を見下ろしていた。


 ちょうど公園に人が集まっている。休日に野球をしている大人達や遊具で遊ぶ母親と子供、ベンチに座りひなたぼっこをしている老人もいた。


 嫉はゆっくりと軌道を変え、音もなく降りていく。嫉に気づいた公園の人たちが騒ぎ出すのも時間の問題だった。


 遅い。


 いびつな笑みを見せる。垢がぼろぼろとこぼれ落ちた。それは大口を開けて襲い掛かった。


 気づいた人々は逃げ惑う暇もなく、叫び声をあげようと口を開いたまま嫉に喰われた。


 阿鼻叫喚が心地いい。生きた人間を嚙む感触が気持ちいい。骨のしやくが気持ちいい。子供の脳はとろけるようにうまい。


 それは食事をすませると再び空高く舞い上がった。


 おかしい。


 ある程度腹を満たすと、己を感じる余裕が出てくる。そこで一つの違和感に気づいた。


 自分を封じていたものは、朽ち、崩れてなくなったはずだ。なのにまだ体を引っ張る奇妙な感覚がある。あの忌まわしい封印が解けきっていないのか、自由に飛びまわれるはずの体はなにかに縛られているかのように、重く鈍く、高く舞い上がることができなかった。


 しばらく空を漂いながら、嫉は考えた。そして一つの可能性を思い立つ。


 封印が解かれたとき、神木のそばにいた人間をあらかた喰った。


 だがそのとき一人だけ取り逃してしまった。なぜならばその女の手にしめ縄の残骸があったからだ。残骸とはいえ長年自分を封じていた存在だ。嫉は恐れ惑い、その女が逃げる機会をあたえてしまった。


 しかししょせんは残骸だった。人間を恐れる感情は最初からない。


 逃げた女の匂いは覚えている。嫉は匂いをたどり、封印のあるほうへ進路を変えると、ゆっくりと雲を抜け空を進んだ。

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