『0能者ミナト』第一話「嫉」⑤

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 孝元が向かったのは寂れた裏通りのビルだ。道ばたにはカラスにつつかれたゴミが散らばり、昼間なのに酔っぱらいや堅気とは思えないこわもての男、呼び込みをする派手な化粧の女達の姿があった。


「彼はこういうところを好むから」


 ユウキが周囲をうさんくさそうに見ていると、孝元はいいわけがましい言葉を口にした。


「好むってどうして? こんなところじゃ人も寄りつかないし、信用もされにくいよ」


「彼はそれを最高のメリットだと考えるでしょうね」


 ユウキは足元に転がるビールの空き缶を蹴飛ばしながら、不満げに問う。


「九条湊ってなんの能力もないくせに、僕たちの仕事にでばってくる嫌われものでしょ?」


「否定はしませんが」


 孝元はこまった顔であごをなでた。


「しかし御蔭神道と総本山が同じ解決策を出す中で、異を唱えそうなのはあの男くらいなんです」


「なんで? ちゃっちゃと嫉とかいう怪異をやっつければいいことでしょ?」


「そう一筋縄ではいかない事情がありましてね」


 やがて孝元がたどり着いたのは、平凡な外観の七階建ての雑居ビルだ。闇金らしい金融機関や、文字がはがれて読めないナントカ医院、薄汚いじやんそうの看板が並び、一階は喫茶店のようだがマスターらしき男はテーブルをベッド代わりにして寝ている。


 まちがってもこの喫茶店で食事をしようとは思わないし、ここの医者にかかろうとは思わない。金融機関などはもってのほかだ。


「ここの一番上です」


 こんなビルに住んでいる人間がまともであるはずもなく、ユウキはすでに失望を感じ始めていた。


「本当にこんなところに住んでるの?」


 故障中と書いてある黄ばんだ張り紙にため息をこぼし、二人は七階まで階段をのぼりはじめる。


「たしかにろくでもない人間かもしれませんが、だからといって無能とは限りませんよ」


「零能者ってあだ名なのに?」


 あはは、一本とられたな、と孝元は笑い、真顔になった。


「彼が怪異に対抗する手段はちょっと特殊なんです。そのおかげで総本山からも御蔭神道からも煙たがれて、ついたあだ名が零能者というわけです」


 二人は息を切らしながら階段をのぼる。


 踊り場にはほこりをかぶったビール瓶のケースが転がり、三階には異臭を放つ紙袋が放置され、四階には書類がはみ出したダンボールの山が崩れ落ち、階段はあたかもゴミ置き場のようである。非常時には窓から飛び降りたほうが安全そうだ。


「霊力も法力も持ってないのに怪異を追い払うなんてありえない。封じた怪異自体が、なにかトリックを使ってるんだよ。イカサマ師にきまってる」


 なれないタバコの煙の息苦しさと、外観以上に汚れたビルの内部にさらに落胆したユウキは、つい乱暴な物言いになる。先にのぼっていた孝元は、ふと立ち止まって振り返り、ユウキを真面目な顔で見おろした。


「ユウキ君らしくない考え方だと思いますよ。信じて積み上げてきた努力をあっけなく否定されて、喜ぶ人間はいません。君ならわかるんじゃないかな?」


 ユウキも同じように足を止めた。孝元の言葉はユウキの境遇を受け止めてくれたものだ。彼だけはユウキを子供だからとバカにしないで実力を認めてくれている。いつもちゃんと話を聞いてくれる。


 その彼がここまで言う人物なら、信じてみてもいいかもしれない。もしかしたら、自分と同じように、力を持つゆえに疎まれている人間かもしれない。


 ユウキは胸の鼓動が早くなるのを感じた。階段を息せき切らせてのぼってきた鼓動とは違う。足は自然と、力強く階段をのぼり始めた。


「じゃあ本物なの?」


 疑惑の中にほんの少しの期待をこめて、孝元に問う。しかし孝元は優しく笑ってこう言った。


「それは君の目で確かめるしかないと思いますよ」






「つきました。ここです」


 なにも書いていないただのドアだ。天井には切れかけの電球が明滅している。


「九条さーん、入りますよ」


 孝元はノックもせずにドアを開けると、我が家のように中に入っていった。


「なにこの臭い?」


 部屋に満ちている異臭に、ユウキは手で顔を覆い、孝元は目をしばたたかせた。薄暗い部屋に漂う白い煙が目にしみて痛い。


「よ、よ、よお」


 ろれつのまわらない声が部屋のすみから聞こえてきた。ソファの上にぐったりと横たわる二十代なかばくらいの若者がいた。


「湊君! 大丈夫か?」


 孝元はあわてて荷物をテーブルに置き、かけよって倒れた男を抱き起こした。


 湊と呼ばれた男の目はうつろで、だらしなく開いた口からはよだれがこぼれている。薄汚れた黒いTシャツによれよれのジーンズ。どうひいき目に見てもまともに見えず、期待に紅潮していたユウキの顔に、失望の色がありありと広がりはじめる。


「どうしたんだい? いったい何があった?」


 孝元が襟首をつかんで揺らすと、湊はだらしない笑みを浮かべ、手に持っている葉巻のようなものを見せた。


「ここ、これだだ、だよ。じ、じ、実験だ」


 立ち上がった湊がふらついてテーブルをひっくり返した。床に散らばった孝元のカバンなどまったく気にもせず、その上に立ち上がろうとして、よろけてまた倒れこむ。


「実験?」


 孝元は窓を開けて部屋の空気を入れ換えた。異臭を放つ煙が外に流れていく。


「おおお屋上で育ててみたんだ。ほとんど世話をしなかったがちゃんと育ったんで、た、ためしに乾燥させて吸ってみた」


 湊の手に持っている自家製らしい葉巻と、部屋に漂う煙の臭い。察した孝元は頭をかかえて深々とため息をついた。


「もしかして君が屋上で育てたってのは麻の仲間かい?」


「さあ」


「日本じゃ栽培は禁止されている」


「かもな」


「大麻だね」


「退魔の俺が大麻するなんて笑えるだろ」


 つまらない自分のダジャレに湊は腹をかかえてげらげらと笑っていたが、すぐに青ざめた顔になって口を押さえた。


「うっぷ」


 あわてて奥にあるトイレに駆け込む。しばらくげえげえと吐く音だけが響いた。ユウキは冷たいまなざしで孝元を見、彼はそれに気づかないふりをした。


 しばらくして湊はトイレから出てくると、洗面所に顔をつっこんで頭から水をあびた。


「ああ、気持ち悪い」


 濡れた頭をタオルで拭きながら部屋に戻ってきて、そこではじめて孝元とユウキに気づいた様子を見せる。


「孝元? なんでここにいる? なんか用か?」


「その前にこれは処分させてもらうよ」


 孝元は乾燥した葉を洗面所の流しにぶちまけた。


「ああ、どうしてくれるんだ。下の金貸しにやるって約束してるんだぞ」


「そんな借金のカタはくそ喰らえだ」


「まあ、いいさ。これでだませるだろう」


 あっさり引き下がった湊は、部屋のすみの枯れかけた観葉植物の葉をちぎり、新聞紙にくるんでいる。


「で、なにしにきたんだ?」


 ちぎり終わった葉をバラバラにして新聞紙にくるみ終わると、湊はようやく孝元のほうを向いた。


「君に頼みがあって……」


「御蔭神道が人知らずの藪でやらかした失態のフォローならことわる。おまけに子守りだと? ベビーシッターなら他をあたれ」


 ドアを指さし、破れて中身がはみ出したソファにごろりと横になった。


「久しぶりに会えて嬉しかったよ。お帰りはあちら。さようなら」


 孝元より先にユウキが動いた。


「孝元さん帰ろう。こんな犯罪者まがいの男なんて相手にすることないよ」


 立ち上がったユウキを押しとどめて、孝元は湊に問うた。


「ちょっと待って。湊君、どうして人知らずの藪のことだとわかったんですか?」


「俺は妖怪サトリなんだよ。人の心なんてお見通しだ」


 ニヤリと笑う湊に、ユウキは舌打ちする。


「ニュースで事件を知ってあたりつけただけだよ。カマかけられてまんまと引っかかってどうすんのさ」


「おい、そこのガキ。仲間割れしてもいいが、人の話はちゃんときけ。カマじゃない。俺はサトリなんだよ」


 孝元は気をとりなおし、向かいの破れた色違いのソファに座り、きちんと話をしようとする。しかし腰を下ろすより早く、湊が口を開いた。


「封印を譲渡された巫女を救え、か。女子高生は嫌いじゃないが、俺はお断りだ。人身御供を受け入れるような人生投げてる十六歳なんて、助けたって意味ないだろ」


 突然ふれられた核心に、孝元は言葉を失った。


「御蔭の尻拭いなんてごめんだね。理彩子の尻なら喜んで拭くが、それなら自分で来いと言え。おまえを通すなんて回りくどいことはするな」


「どうして知ってる?」


 ここまで具体的に知っているのは御蔭の中でもほんの一部、外部ともなれば理彩子から内々にたのまれた自分だけのはずだ。昨日の今日で湊が知っているはずがない。だが湊は答えずに、ニヤニヤしながら、孝元の顔をわざとらしくのぞきこんだ。


「いや、待て待て待て。見える、見えるぞ」


 孝元が事情を話そうとするのをさえぎって、湊は額に指をあててしゃべりだす。


「んー、なになに? その巫女さんは不浄の時期で余命五日か。奇遇だな。下の金貸しのじいさんも一週間前ガンで余命宣告をうけたばかりだ」


 疑っていたユウキも、湊の口から、ぽんぽん出てくる事件の核心の情報に興味を持ち、孝元の横に腰を下ろした。二人が座ったソファから大量の埃が舞う。


「理彩子もみずくさいな。なんで俺にチョクじゃなくておまえなんだよ。御蔭と総本山の道ならぬ恋か? 俺とならもっと気楽にセックスできるのに。それとも障害があったほうが燃えるタイプか」


「彼女は友人だよ」


 律儀に孝元が答え、湊はまた意地悪い顔でしげしげと孝元を見てから言った。


「うん、おまえと理彩子はヤってない。正直者だな。だがな、孝元。男なら少しは見栄をはれよ。理彩子は性格はともかく、顔と体は最高だぞ」


「湊君。ふざけてないで教えてくれ。理彩子さんがきたのか?」


 孝元はいくつかの可能性を考えた。理彩子がいてもたってもいられず、先にここへきたのかもしれない。そんなはずはないが、他に漏れる経路は思いつかなかった。


 しかし湊は、そんな孝元を無視し、今度はユウキに向かって思いもよらないことを口にする。


「なあ、赤羽ユウキ。お前のばあさんは五年前に急性腎不全で死んだよな? そのとき総本山はなにをしてくれた? 葬式にきただけだろ? こんな必死になってたか?」


 ユウキは突然自分の名前を呼ばれたことに驚き、さらに自分でさえ忘れていたような祖母の死因を言い当てられ言葉を失った。


「だ、誰から聞いたんだ」


「だからおまえの心を読んだんだって。それともなにか? おまえのばあちゃんの死因は、そんなに有名なのか」


 青ざめるユウキの前で、湊はソファに背をあずけ、偉そうに足を組みなおした。


「理彩子の姪だろうが、関係ないね。理彩子も身内が死ぬとなったとたん宗旨替えか。ずいぶん安い信心だな。だからバチがあたって姪が死ぬんだ」


「本気で言ってるのか?」


「理不尽な理由で死ぬ? それがどうした。いま死にかけてるやつなんて世界にごまんといる。ほとんどの死は理不尽だ。むしろそんな立派な大義があって死ねるなんて幸せってもんだ」


「君だって沙耶ちゃんは知ってるだろう?」


「七五三の写真を一度見ただけだぞ? 俺はロリコンじゃない。下の金貸しのおっさんのほうがつきあいは長いが、一回しか見舞いに行ってない。それでも義理堅いヤツだって感激されて、借金チャラにしてくれた」


 黙って聞いていたユウキが、とうとう我慢がならなくなり立ち上がった。自分のことであれ他人のことであれ、無神経に家族のことを言われるのはユウキにとって、いまだつらいことだった。


「あんた最低の男だな! ことわるための言い訳だって、言っていいことと悪いことがあるだろ?」


「なんだよ、おまえなら賛成してくれると思ったのに」


「するわけないだろ!」


「そうか? じゃあおまえは人助けでここにきたのか? 違うだろ」


 立ち上がって睨みつけるユウキを、湊は軽くいなし、指をユウキの鼻先につきつけた。


「この事件を解決して、誰からも賞賛される結果が欲しい。この僕ちゃんの力をねたむジジイたちを黙らせたい。そのためにはこの事件がうってつけ。たいそう立派な動機だな。くだらない虚栄心のかたまりだ。そいつが俺に説教か? だからウザがられるんだよ、クソガキ」


「湊君、言いすぎだ」


 たまりかねた孝元が間に入った。


 ふん、と湊ははなを鳴らし、そっぽを向く。


「湊」


 孝元はもう一度、ゆっくりと名を呼び、真剣なまなざしで湊を見た。


「ちゃんと聞いてくれ」


 珍しく孝元の口調が強いものになる。


 その口調にふんぞりかえっていた湊も、テーブルから足をおろし、孝元を見た。


 街のけんそうの中、どこかで救急車のサイレンが鳴り響いた。


「今すぐ死ぬんじゃない。五日間あるんだ。その間になんとかあらがいたいと思うのは愚か者か? 君を頼りたいと思うのはただのほうなのか?」


「……その結果、五日後に封印できなくなってもか?」


 湊の簡潔な返事は真実をついていた。孝元は言葉をつまらせる。


「安っぽいヒューマニズムを振りかざすのは勝手だが、てんびんにかけてあるもう片方を見ろよ。失敗したら犠牲者は巫女一人じゃすまないぞ」


 静かに湊が言う。ふざけた雰囲気はどこかに消し飛び、あるのは真摯な言葉と真剣な男の顔だった。


 沈黙が降りた。


 外はすっかり夕暮れになり、カーテンのない窓にネオンの点滅が反射していた。


 猥雑な街の喧騒がやけに大きく聞こえる。サイレンはもう聞こえないかわりに、怪しげな客引きの声とエアコンの室外機の音がうるさい。


 長い沈黙を破ったのは湊だった。


「依頼内容は山神沙耶の命を助け、嫉を封印する、だな?」


 孝元は驚いて湊を凝視した。


「引き受けてくれるのか?」


 素直な喜びの声に、湊は面白くなさそうにまたソファにふんぞりかえった。


「御蔭と総本山の偉い人が、二人そろって俺に頭を下げるなんて、そうそうあることじゃないからな。これで断るのも大人げない。そう思うだろ?」


 顔をほころばせる孝元と、口の端で笑う湊。一人ユウキがぜんとしたままだった。


「勝手にすれば? 僕は降りる」


「俺の読心術が怖いからか?」


「そんなわけないだろ。あんたが嫌いだからだ」


「そうか? 俺はうわさに聞く総本山の天才少年には興味あったんだ。どうせ話題づくりのヤラセだろうが」


「なっ! もういっぺん言ってみろ!」


「ユウキ君の法力は本物だよ。僕が保証する」


「なら少しは使い物になるか」


 しげしげとユウキを見ていた湊は、ソファから勢いよく立ち上がった。


「交渉成立だ。理彩子に伝えろ。報酬は体で払うなんてなしだからな。あいつと一発やるなんて、考えただけで怖すぎる」


「御蔭の依頼だ。僕は帰る」


「最初に依頼してきたのはおまえらだろ。言うとおりにしてるのになんで責められる。早いほうがいいな。ほら、行くぞ、クソガキ」


 湊はユウキの襟首をつかみ引きずっていき、ドアのところで振り向きざま孝元に言う。


「俺はこれから美少女巫女に会いにいく。うらやましいか。うらやましいならかわってやる。ついでに留守番頼む。四階の金貸しがきたら葉っぱ渡しといてくれ。それと、おまえがもってきた資料、トイレの中にあるから持って帰れ。ちょっとゲロついてるが気にするな」


 すべてを悟った孝元が、疲れたように肩をがっくりと落とした。


「さっきのサトリごっこはそういうことか」


「あたりまえだ。俺が妖怪だっていいたいのか? おまえらの安いナルシズムをからかって遊んだだけだよ」


 そういって、湊はバタンとドアを閉じた。

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