酔肖

ǝı̣ɹʎʞ

酔肖

 金色の龍を纏った漆黒の盃に、八塩折やしおりの透明がよく映える。

 黎明。暁が地平を明るめ、屹屼きつこつの陖崖からその眩しさが頬を照す頃。辛い酒気に顔を渋めながら、〈甘燿かんよう〉は八塩折を喉へ落とす。

「無理に飲むことはないのだぞ」

 対面で酒を呷る〈蚩尤しゆう〉は、盃を交わして、かれこれ酒壺の六つを枯らした。然れども、酩酊の気はこれ一つと窺えず、寧ろ壺の底を睨んでは「足らぬ、足らぬ」の連続で、次から次へと酒を流し込んだ。

 これの何が美味しいのかと、甘耀は首を傾げながら、また辛さに顔を顰める――蚩尤の美貌も眺めながら。

「惚れるにしては顔が赤すぎる」

 蚩尤は己の白皙たる身体に付いた、大きな龍の尻尾をゆらゆらと揺らし、甘耀のすいを揶揄う。

「い、いえ……。何の、これしき……」

 甘耀も蚩尤も、龍神と人間じんかんの混血。似通う二人であるが、性格は真向なるもの。蚩尤は齢二千を超え、甘耀は未だ三百。無論、人間が生きるには到底無理な話である。然し、蚩尤から見れば、甘耀ですら未だ赤子も同然のように思えた。そして、愛おしくも。

 女酒豪で恬淡な蚩尤と、龍人であって、犬のようにちんまりとした甘耀――。

 釣り合いとしては非なるものだが、相性の凹凸は上手く嵌っていた。

「無理に呑むと気持ち悪くなってしまうぞ。のことも考えてくりゃれ」

 一杯の三分の一を口へ含めた時、蚩尤がそう言い、酒の通しを忘れた甘燿は口の中で燃えそうに辛くなった酒に、涙を堪えた。

 蚩尤は茹蛸のように顔の赤い甘燿に一瞥くれて、静かにくすっと笑う。

 俯いて見えた妖艶な横顔に、甘燿はまた一つ、胸を射抜かれた気分であった。


 龍人の感じる一日は極めて短い。二人が雲上の楼閣で盃を交わすだけで、気が付けば子の刻を回っていた。

 畢竟ひっきょう、蚩尤は酒壺を二十、甘燿は盃の二杯を呑み、蚩尤は平然、甘燿は酩酊であった。

「ううぅ……、蚩尤、さまっ……」

「にしても、弱いやつだな。まだ一晩だぞ」

 座っていることも儘ならない甘燿は楼閣の冷えた床に寝そべって、ぐったりとのびていた。目を蕩けさせて、意味のない瞬きを何度も繰り返す。着物もすっかりはだけて、艶やかな素肌が露わになっていた。

「ふふっ、あまりにちょろい。まだまだ餓鬼ガキだな」

 ううー、と唸る甘燿の許へ、すっと躙り寄る。甘燿の藤納戸の長髪と、蚩尤の翡翠の髪。両方が溶け合うように入り混じって、一つの鮮やかな彩りが生まれた。

 いつもの恭しい甘燿は何処いずこ、でろでろになった醜態を蚩尤に晒し、それは確実に蚩尤の理性を蝕んでいった。

「ひゃっ!?」

 甘燿は我知らず零れた己の嬌声に驚く。冷たい感覚が足許を過り、面を上げて見てみれば、そこには細くて長い、蚩尤の指が――。しかも、その指はしなやかに止めどなく甘燿の脚を登り、やがては彼女の股座に到達した。

「ちょ……っとっ、蚩尤さまぁっ」

 甘燿は恥じらいに身を捩り、己の火照った顔を小さな手で覆い隠す。

「そう照れることもないだろう。顔が赧いのは分かりきったことだ」

 蚩尤は空いた手で甘燿の手を払いのけ、甘燿の渦巻いた瞳と目を合わせた。龍人の獲物を逃がさない鋭利な眼光は、甘燿を硬直させるには充分であった。

 近い蚩尤の端正な顔に、甘燿はもう頭の天辺まで熱くなって、沸騰も寸前である。

「今宵こそは……、酒に肖って寝ることを許さん」

 悲願の宵――。

 幾夜も寝て振られた蚩尤の恋情。今宵ばかり、甘燿は振り解けそうもない――。

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酔肖 ǝı̣ɹʎʞ @dark_blue_nurse

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