第4章──1 クローチェ候補者たち


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 朝。キアラたちスピネルクラスは大講堂に集められていた。上級貴族のクラスも全員顔を揃えている。彼、彼女らは前列。数の多いという名目で、スピネルクラスの生徒は全員後列だ。

 きらびやかな講堂内は、舞踏会の時とは打って変わって厳かな雰囲気が流れている気がした。ところ狭しと椅子が並べられ、吹き抜けの二階まで突き抜けたステンドグラスから陽の光が差し込んでいるせいか。教会の聖堂のような厳格なムードに包まれている。

 このどこかざわついた緊張感のある空気は、おそらくこれから行われる行事で皆の落ち着きがないからだろう。

 クローチェ選抜会。その立候補者たちの演説である。今年入学したキアラには知る由もないが、例年よりもどこか皆の心持ちが違うのは見てとれる。

 やはりアオイのクローチェ立候補宣言と、魔法の実技講義がかなり影響をもたらしているようだ。彼女が本気でこの学園の改革を目指している。その姿勢が伝わっているのだろう。ちょっとした娯楽の観客気分の者ももちろんいるだろうし、それはもちろん上級貴族の連中なのだろうが、アオイは本気だ。側にいるキアラがその姿勢を感じ取っている。

 そして魔法の実技講義でアオイと直接やり取りして、スピネルクラスの生徒たちもそのことに気づき始めている気がした。今も後ろの隅に追いやられている彼、彼女らの表情はどこか明るい。アオイの取り組みはなかなか功を為しているようだ。……上手く行き過ぎていて、キアラとしては少し面白くはないが。

 不意にざわざわとした声が止む。上のテラス状になった場所にエリオットが姿を見せたからだ。どうやら既に二階部分で待機していたらしい。下からは見えないが、立候補者たちも同様のようだ。ダイヤクラスの中に、アオイの姿がない。キアラが事前に調べた立候補者たちも同様だ。

「では生徒諸君! これよりクローチェ選抜会の立候補者たちを紹介する。皆、前へ来てくれ」

 エリオットが後ろを向いて促すと、立候補者たちが階下のキアラたちにも見える位置へと踏み出してきた。

 アオイを含めた、五人の立候補者たちが並ぶ。事前にキアラが調査した通りのメンツだった。

 やはり学園のトップに立つ候補というだけあって、皆それ相応に見映えというか、それなりの貫禄がある生徒ばかり。

 だがそんな中でもアオイの輝きは一際だった。それどころか周りに引き立てられてより一層目立っている。悪い意味ではなく、そこにいて当たり前。だからこそ皆注視する。模宝石の中で確かな光を宿す本物のダイヤのようだった。

 本人もその自覚があるのだろう。てっきり緊張の一つでもしていれば可愛げがあるものの、自信たっぷりに佇んでいる。スタートダッシュはちゃんと決めてほしい、とキアラは願わんばかりだった。

「では一人ずつ、挨拶と意気込みをよろしく頼む。左から並んでいる順に」

エリオットが下がり、後ろの候補者たちに促す。アオイは一番右なので最後。おそらく意図的な配置だ。

 最初に演説台に立ったのはチェリオ・デボレ。エメラルドクラスと、候補者の中ではもっとも位は低いが、本人は野心に満ち溢れているのが全身から漂っている。まるで若手の政治家みたいだ、というかその通りなのだろう。

 話す内容も学園の現状の素晴らしさを称えつつも、改善すべきところは徹底的に改善していくと前のめりだ。だが所詮、耳障りはいいが上級貴族の生徒たちばかり優遇された話しかしていない。上に立とうとするものほど舌がよく回るのはいつ何時も同じというわけか。

(確かにこいつは下っ端故に、裏で何をするかわからない小ズルさがある)

 キアラは彼をそう分析した。警戒は少なくとも必要だろう。

 続けて、マジモ・チェルボラ。長い髪を束ねて眼鏡を掛けた彼はチェリオとは打って変わって冷静な印象だ。自分がクローチェになった折には、更に徹底した身分でのクラス分けを行使するという。

「……人には、身分相応というものがある。それ故に受ける教育が違うのも必然であり必要。その秩序がなければ、学園は機能していないも同然」

 最後にそう言い残したマジモは平等を謳うアオイはちくりと刺したようだが、彼女は素知らぬ顔でじっと姿勢よく前だけ見つめていた。

(こいつは何考えてるかわからない。邪魔だと思ったらアオイにも平気で手を出しそうだ)

 終始表情を変えないマジモも、要警戒といったところか。

 そして、アオイに次いでの女性候補であるフランチェスカ・マジロ。彼女は快活で、先程の二人とはあからさまに雰囲気が違った。

「フランチェスカ・マジロでーす! 楽しそうだから立候補させていただきました! あたしがもしクローチェになった暁にはぁ……そうだな。楽しい行事とかいっぱい増やしちゃおっかなぁ?」

 軽い言動に皆肩の力が抜けたように見える。上級貴族の生徒たちの中ではところどころ笑いも起きていた。

 まあ、それは置いておいて、とフランチェスカは現状の学園の維持がいかに大事かともっともらしそうに並べた。彼女の親密的な態度のせいか、つい耳を傾けてしまいそうになるような魅力があるようだ。

 が、主張しているのは前二人と同じ。上級貴族は上級貴族。それ以下はへりくだっていろ。そういうことだ。

(こいつは別の意味で厄介。他の生徒たちからも信頼がありそうだ)

 アオイがクラスでは人に囲まれていない時がないと言っていたが、確かに彼女は人を惹きつける何かがあるようだ。つまり、要警戒。こいつもどんな行動に出るか予測できない。

 その次は、いよいよアオイだ。現クローチェの演説は最後になるらしい。これが吉と出るか凶と出るか。

 アオイが演説台に立つ。まっすぐに佇むその姿は後ろのステンドグラスから差し込む陽の後光を帯びて、何かの宗教画みたいだ。きらきらと金色の髪が艶めいて、まるで彼女の周りを光たちが瞬いて存在しているかのようだった。それくらい、美しさに目を奪われる。キアラでさえも息を呑んだ。

 彼女は大きく息を吸うと、目を開いて生徒たちを見渡しながら口を開いた。

「……いつの時代、どんな状況でも。人は二つの立場に分けられると言うわ。与えられる者と、与える者。その二つは隔てられ、決して交わることのない壁が存在している。与えられる者たちは、ただその恩恵にあやかっていればいいけれど、与える者たちは違う。得るものは少なく制限され、それすらも与えられる者たちに搾取され奪われてしまう。与える者に、与えられる者たちは何も授けない。それが今、この学園の現状だと私は考えている」

 背筋を伸ばしたまま芯が通ったように姿勢のいいアオイは、そのまま声高らかに続ける。

「今一度、私は宣言するわ。この学園全ての生徒たちに、教育と待遇の平等を。誰もが与える者であり、与えられる者である権利と意思の自由を。この学園で魔法に対して正しい使い方と知識を学べば、きっとそれが学園のみんなの将来に繋がると思う。そしてそれが結果的にこの世界の豊かさに繋がっていくと、私は信じている。私が描くビジョンは、今のことだけじゃない。今ここにいる人たちが卒業した後にもこの学園を支える、確かな未来への軌跡よ」

 そしてアオイは集まっている皆を丁寧に見つめて、片手を広げて宣言した。

「あなたたちの想いを、強さを。私があなたたち自身とこの学園の未来へ届けてみせる。だからそのための勇気を、力を、私に貸して欲しい。歴史が動く時。それは今──この瞬間よ」

 言い切ると、アオイは深々と礼をした。拍手が、まばらに起こったのは。おそらくスピネルクラスからだろう。それがやがて大きく共鳴して、上級貴族クラスの生徒たちもそれに倣う形で手を叩かざるえなくなっていた。

 その場の皆が、アオイの空気に呑まれていた。彼女も自認するカリスマ性とやらは、おそらく本人が思っている以上にずっと強く作用するようだ。彼女の訴えかける言葉一つ一つが心に染みこんでいくような、そんな感情の揺らぎと絶対感が生まれてしまう。

 味方としては頼もしいが、敵としては脅威。明らかに後ろで控えている候補者三人の顔色が曇っている。こいつは本気で天地をひっくり返しかねないと肌で感じたのだろう。

 動じていないのは──現クローチェのエリオットだけだった。彼はアオイと入れ替わりで、涼しい顔をして壇上に立つ。

「──皆、今一度考えてみてほしい。平等とは、何か。人と人との垣根のない状態。誰もが等しい立場になった世界。しかしそれは、本当に皆が望む理想といえるだろうか。特にこの学園においては、それが急激にもたらされた未来は、本当に平等といえるのだろうか」

 エリオットは皆に問いただすように、下の階にいる皆を見渡す。彼が話し始めた途端、しんとその場の空気が静まり返って清聴しなければならないという気にされるオーラがあった。アオイの作り出した熱気を、あっという間に奪い取った。

「僕は思う。真の平等とは、あらゆるものが調和された状態でこそ初めて成り立つものだと。今、この学園に平等という名の急激な変化がもたらされたらどうなるだろう。皆それに付いて行けず翻弄され、秩序は失われ、本当の意味での平等というものは機能しなくなる。訪れるのは混沌と、皆の望まない規律も何もない未来だ」

 ──もちろん、僕もこの学園が今のままでいいと思っているわけじゃない。エリオットは目を閉じ続ける。

「ただこれまで受け継がれてきた伝統というものも、また大事であると皆に理解してもらいたい。もし僕が今後もクローチェとして、学園のトップとして選ばれたならば、僕に出来る限りの変革をこの学園にもたらすと約束しよう。だが今は、改革をもたらすべき時じゃない。忘れないで欲しい。変化は、必ずしもいい結果をもたらすわけではないことを。今、秩序の保たれたこの状態を壊す可能性をはらんでいることを。この学園がどうして長い間、ここまで秩序のある状態を保てて来たのか、その意味を。今一度、君たちに考えてほしい」

 エリオットも言葉を結ぶと、深々と頭を下げる。少し静寂。最初に拍手が上がったのは、上級貴族クラスの方からだった。それもどんどん音が重なり合って大きくなり、やがては後ろに追いやられたスピネルクラスの者たちも従わざる得なくなる。

 キアラはどの時も拍手に参加せずじっと候補者の一挙一動を逃さないように見つめていた。だがエリオットだけは、顔を上げたほんの一瞬、スピネルクラスに混ざる自分と目を合わせてきたのがはっきりわかった。口元は生徒たちに微笑を与えているが、目だけは鋭くキアラに警告していた。

(……どうやら相当厄介者扱いされているみたいだな、私は)

 今エリオットがこちらを見据えた眼差しは、決して勝利を確信した驕ったものじゃない。これだけ周りの空気を支配しても、アオイがまだ盤上をひっくり返すと懸念している。そしてそれに加担しているキアラにも、目を光らせているぞというサインだ。

 今のエリオットの主張も、結局は学園の今の状態の維持に他ならない。……やはりこいつが一番、油断ならない相手だ。幼馴染であるアオイ相手には危害を及ぼさないとは思うが、どうなることか。キアラは小さくため息をつく。

「ではこれより、選抜会の審査の方法について詳しく説明していく。と言ってもそこまで複雑ではないから、肩の力を抜いて聞いてほしい」

 エリオットがそのまま選抜会の説明に入る。聞けば、いくつかの案を出し、生徒たちの投票で決めて一つの行事を行うという。それに候補者たちの内、一人が勝利すれば得点が手に入る。

 そして最終的には、全生徒たちからの投票でクローチェが選抜される。選ぶのは今この学園にいる生徒、という意識の植え付けは怠りないようだ。そこに更に上に立つ学園の理事の手がかかることは疑いの余地がない。

 つまりキアラは今壇上にいる候補者たちだけじゃなく、学園の陰にいる大人たちも相手取らなければならない。……安請け合いしたつもりはないけど。マジで厄介で面倒くさい事態になりそうだ。いやもうなっている。現在進行形で。



 クローチェ選抜会、開催の会の放課後。さっそくアオイに召集を掛けられた。場所は例によって彼女の寮の部屋である。

 アオイは珍しく苛立ちを隠し切れない様子で紅茶をしきりに口に運んでおり、傍らに立つディレッタはそわそわと所在なさげにしている。

「……してやられたわ。エリオットの奴。完全に上級貴族クラスの連中の惹き付けて、スピネルクラスのみんなを圧倒した。しかも明確に私への対抗心剥き出し。あいつって昔からああいう負けず嫌いなところがあるのよね」

「それはアオイ先輩も大概だと思うけどね」

 憤慨しているアオイにキアラがちくりとすると、彼女は鼻を鳴らしてカップを少し荒くソーサーに置いた。

「とにかく、上級貴族の子たちも他の候補者たちも。皆学園保守派側なのはよくわかったわ。この学園には改革が必要。私はぶれない。そのためにはやっぱり、スピネルクラスのみんなの勇気と力がいる。私は引き続き、あの子たちと間近で深く関わって信頼を勝ち取っていくつもりよ。改革で恩恵を受けられる子たちは、圧倒的に数で勝っているのだから。投票になれば圧勝は目に見えている」

「けど明確に他の候補者たちからも。……場合によっては学園の大人側からも妨害を受けるだろうね。そういう人たちはこれまでそうやって今の学園を維持し続けてきたわけだし」

「なら徹底的に抗戦するまでよ。不正を行っていること自体が、もうあいつらが謳う秩序も調和もないって証拠じゃない。みんなで策を講じて、ぶっつぶしてやりましょう。キアラさんも、ディレッタも。候補者たち、及び学園側の大人たちへの警戒は怠らないで。──特にエリオットはなおさらのこと。今ここにいる三人以外は、全員敵だと思いなさい」

「……了解」

 意地を張っているような言い草だが、実質それが彼女の本気の打ち込み方なのだろう。確かに不正や目に見えぬ悪事で、都合のいい奴らに都合のいい展開に勝手に流されていくのは面白くない、とキアラも思う。

(……それにどっちみち、アオイが選抜会で負けたら私の立場も危うくなるだろう。下手したら消されるかも)

 ここまで深くのめり込んだのだ。この前は何者かが送り込んだ刺客とも対面したし、エリオットにも目を付けられている。自分の今の立場は、結局吹けば飛ばされるような庶民貴族の一介に過ぎないのだ。

 つまりアオイには、簡単に手を出せないような存在になってもらわなければ困る。……マジでめんどくさいな。何でこんなことになった?

「……何だか、大事になってきましたね。はたして私でアオイ様のお役に立てるでしょうか」

 珍しく自信なさげにディレッタがひとりごちるように呟いた。それに対して、アオイは慈愛を含めた笑みを浮かべてみせる。

「ディレッタなら、きっと出来るわ。少なくとも私は今、あなたのことを一番に信頼している。私に勇気と力を与えてくれる。あなたもその一人で、もっとも近しい人よ」

 ぎゅっと手を握られて言われて、ディレッタも魅入られたように強張った表情を緩めた。……つまりキアラ自身はまだ信頼されていない内の一人というわけだ。まあ構わない。あんな風に鼓舞されても気持ちが悪いし。

「とりあえず目下の懸念は、選抜会の一環で行われる行事ね。それでもし他の候補者たちを出し抜ければ、一気に勝利はこちらに傾く。内容は生徒たちのアンケートで決まるから、おそらく選択制ってことね。キアラさん、そちらの情報収集もよろしく」

「……了解」

 ……望んでいた平穏な日々は、遠ざかる一方のようだった。

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