傷を負ったアイドル達
譜久村 火山
第1話 迫中陽大とアイドル・山崎美鈴
迫中陽大は、見ず知らずの中学生に殴られた。突然の事で何が何だか分からないまま床に背中を打ち付けると、リビングの奥からゆうと君が現れる。一見真面目に見える顔つきの裏に、人を平気で見下す乾いた心が覗いていた。
「ゆうと君。どういうこと?」
中産階級が住む住宅街の一角にある、二階建ての一軒家。一昔前ならよくある普通の家だったかもしれないが今の時代ならばかなり裕福な部類に入る。その家の中で中学生三人に陽大は取り囲まれていた。
「迫中先生、お金持ってないの?」
陽大の目の前にゆうと君がしゃがみ込み、顔をペチペチと叩いてくる。
「持ってないよ」
陽大が首を横に振ると、ゆうと君はほかの中学生二人に目で合図を送った。二人とも制服姿だが、その体格は真逆である。一人は何かスポーツをやっているのか、全体的に筋肉質で分厚い体をしていた。一方で細身の彼は、猿のように背骨を曲げて卑屈な笑みを浮かべている。
そのうち体格のいい方が陽大の鳩尾を踏み潰した。
鉄の匂いが口の中に広がる。まるで肺が押しつぶされてしまったように呼吸がうまくできなくなった。どうして自分がこんな目に遭っているのかと怒りが湧いてくるけれど、それを中学生たちにぶつける勇気はなかった。
「先生、嘘はよくないよ。塾の先生って結構儲かってるんでしょ?」
「なんでお金が欲しいの?」
自分が暴力を振るわれている理由を考える。母親にもぶたれたことないのにと文句を言いたくなったが、母からも暴力を受けたことが無いわけではないので、それを口には出来ない。
「それはもちろん。ライブに行くためだよ」
ゆうと君が答える。素直に質問に答えるところは中学生らしいと言えるだろうか。でも今更可愛くは見えてこなかった。
「それはアフレイのライブ?」
「当たり前だろ。俺たちもライブに行って一暴れしたいんだよ」
体格のいい方が陽大の腹に足を這わせた。
次の一撃を覚悟して意識せずとも腹筋に力が入る。
「ご両親から貰えばいいじゃないか。君の家は裕福なんだから」
「親がくれないから先生に頼んでるんでしょ。それでお金はあるの?ないの?」
「ないよ」
「財布見せてよ」
「財布もない」
「たかし」
たかしと呼ばれた筋肉質な方の中学生が足を振り下ろした。
鳩尾に痛みが走る。
「やめて。こんなこと、良くないよ」
呼吸が難しいせいでまともに声が出ない。唾を飛ばしながらなんとか暴力反対を訴えていると、少しだけ戦争反対をうたう怪しげな団体のやりたいことが分かるような気がした。いやそんなこともないか。
そんな事を思っていると、視界が反転した。体をうつ伏せに回転させられたようである。
訳が分からないでいると、首を掴まれて、顎を床に打ち付けられた。そのせいで、舌を思いっきり噛んでしまい、口の中で血の味が広がる。
「るい。探せ」
ゆうと君の声に細身の子が動き出す。機敏な動きで陽大のポケットを弄っていた。その手つきは無駄がなく、やり慣れていることが伝わってくる。
陽大は、持ってきた手提げかばんを強く握りしめた。
「かばんだ」
ゆうと君が顎で手提げかばんを示す。
しまったと思う間もないまま、かばんが引っ張られた。まるで猿が餌を奪い取ろうとするかのように、るいと呼ばれた中学生は全体重を鞄に乗せて引っ張っている。
陽大も、左手を強く握りしめて抵抗していたが、手首のあたりを踏みつけられ、ついには力を失う。手の中から鞄がするッと抜けていった。
「どうして抵抗したの?」
ゆうと君が顔を覗き込んで来た。
「僕のお金だ」
「もしかして、先生もライブにいきたかったの?」
ゆうと君を睨みつけた。
「先生が生徒にそんな顔をしたら駄目だよ」
陽大は、生徒に笑われる。
「おい、ゆうと」
ガタイの良い方、たかしの声変わりした声が割って入る。
「こいつの財布、全然入ってないぞ」
たかしがゆうと君に財布を投げた。茶色くて丸い、クマの財布である。陽大の前でゆうと君が財布を開く。
中身をひっくり返すも、出てきたのは小銭数枚と千円札一枚だけだった。
「もっと探せ」
ゆうと君が指示を出し、たかしとるいが再び手提げかばんを漁ったけれど、それ以上財布らしきものは見当たらなかった。
「言え。どこに金を隠している?」
ゆうと君が陽大の髪を掴む。
「それが全財産だよ」
陽大が答えると空になった財布を投げつけられた。金具の部分が頭に当たり、冷たい痛みが走る。
「やれ」
たかしとるいの二人が鞄を放り出し、たかしを取り囲む気配を感じる。そこからはリンチの時間だった。殴られたり、蹴られたり、踏み潰されたり。体を丸めて陽大は耐えるしかなかった。亀が浦島太郎を竜宮城へと連れて行った気持ちが理解できる。もし今目の前に浦島太郎が現れて暴力を止めてくれたならば、陽大も竜宮城とは言わずとも我が家にくらいには招待したかもしれない。
自分がなぜ攻撃されなければいけないのかとは考えないようにした。考えても自分が惨めに思えて、理不尽に対する発散しようのない怒りが湧いてくるだけだ。それを抑えるためなんかに労力を割きたくなかった。
「おい、これ見ろよ」
いつの間にかゆうと君が手提げかばんから陽大のタブレットを取り出していた。
「これを売れば、多少は金になるんじゃねぇか」
タブレットを二人の仲間にゆうと君が見せる。
「それだけは………」
タブレットだけは渡すことが出来ないと陽大が歯を食いしばって立ち上がった時、家の外から車の音が聞こえてきた。
「やばい、親が返って来たぞ」
ゆうと君が、慌ててタブレットと手提げかばんを押し付けてきた。体中の感覚が麻痺していて腕に力が入らなかったので、それを抱きかかえるようにして陽大は持つ。
「親に言ったら殺す」
ゆうと君が耳元で囁いてきた。
手首にできた傷跡を袖で隠しながら、ゆうと君に見えないところで唇をかんだ。
「次はもっと持って来いよ」
ゆうと君によって最後に顔面を殴られた。
そのパンチが陽大の付けていたマスクを外す。
露わになった陽大の顔を見て、三人の中学生は笑った。
「面白れぇ顔」
陽大の顔の左下半分には大きな火傷の痕が残っていた。
「早く帰れよ」
たかしに背中を蹴られて、よろめきながら玄関を出た。
途中で仕事から帰って来たゆうと君の母親とすれ違ったので、陽大は精いっぱいの笑顔を浮かべる。
「いつもありがとうございます。ごめんなさいね、今日は私が家にいなくて」
「いえ、全然大丈夫です」
「あの子、ちゃんと勉強してた?」
「もちろん。この調子でいけば成績も上がっていくと思います」
「それは良かった。また次もよろしくね。お疲れ様」
会釈を交わすとゆうと君の母親と別れた。
塾への帰り道。陽大は怒りをぶつけるようにして、男の子の絵が描かれた飛び出し注意の看板を蹴り飛ばす。その男の子は首のところでポッキリと折れてしまった。
「それではここからは緊急で放送することとなった特別コーナーをお送りします。ゲストに来て下さったのは、国民的アイドルグループ『アフターレイン』の元メンバー中田かのんさんです。よろしくお願いします」
職員室に置いてあるラジオから、くぐもった声が鳴り響いていた。普段、このラジオの言葉を聞いている人などいない。しかし沈黙が生まれると、そこに流れ込むようにしてラジオの音が入り込んで来る。
「今日はアフレイの大人気メンバーである山崎美鈴さんについてお話があるんですよね?」
「はい」
「どんなお話ですか?」
「山崎美鈴は嘘つきです」
「と言いますと?」
「みなさん、山崎美鈴に騙されないでください」
中田かのんの声が感情的になっていく。
「みなさんもご存じの通り、現在山崎美鈴にはある噂があります。それはアフレイの元バンドメンバー数人と山崎が関係を持っていたという噂です。私はここで断言します。あの噂は本当です。山崎はバンドメンバーを誘惑し、一夜を共にしました。彼女は清純派アイドルなんかではありません。騙されないで下さい」
「なるほど。貴重なお話、ありがとうございました。さて本日は話題の山崎美鈴さんの件についてもう一人、ゲストの方が来られています。山崎美鈴さんの実の父親であり、日本一優しい校長先生として数年前話題になった、現在では学校運営の傍らタレント業やボランティアにも勤しむ山崎友則さんです」
「よろしくお願いします」
「山崎さんは今のお話を受けて、どうお考えになりますか?」
「美鈴は私が真心を込めて育ててきた娘です。娘に限ってそんなことは無い、と言いたいところですが事実確認が出来ていないのが現状です。娘は反抗期が続いているようで、なかなか口を割りません。世間の皆様に真実をお伝え出来ない事を非常に心苦しく思います。しかし、一刻も早く真相を明らかにし、もし本当にそのような事があったのならば彼女には芸能界を引退してもらおうと思います」
「引退?それは本当でしょうか」
「それが精いっぱいの誠意であると私は考えています。本来、このような噂が立っているにも関わらず沈黙を貫いていること自体、ファンの皆様の期待を裏切る行為です。父親として、間違いは正さなければならないと感じております」
「美鈴さんは公式ブログの方で噂について否定しておられますが」
「あれは否定のうちに入りません。言う事は、やってないの一点張りで、具体的な説明は何一つなされていない」
「なるほど。さすが山崎校長。正義感溢れる回答をありがとうございます」
その後も、山崎美鈴に関する議論は続いた。元メンバーの中田かのんも、父親である山崎友則も共に美鈴を批判する立場を取っている。これは議論というよりも、陰口に似た構図だったが、世間はそれに少なからず賛同していたようだ。
「実の娘が不祥事を起こしたにもかかわらず、好感度を落とさないうちの校長はさすがね」
向かい合って座っている担任の川端先生がラジオを見た。あまり感情のない目である。口では校長をほめているけれど、興味はないようだった。
川端先生は国語が専門で、古文を教えている五十代のおばさんである。生徒からはそのフラットな態度が人気だった。頭も良くて優秀な教師というのが先生に対する周囲のイメージである。
「お話した通り、先日塾の生徒にお金を強奪されました」
陽大が、数分前にも言った事を繰り返す。
「私も先ほど述べた通り、それは塾の方と話し合って解決してください。管轄外です」
「先生しか頼れる人がいないんです。どうしてもお金が必要で」
「どうしてそんなにお金が欲しいのですか?半年前からずっと言っていますよね」
「ライブに行きたいんです。アフレイの」
川端先生がラジオを視線で示した。
「今の話を聞いてなかったんですか?」
「僕は噂を信じません」
「確かに、新たなレギュラー番組も決まって勢いに乗っているようですが、何が良いんだか。今時、老若男女問わずアイドル、アイドルって世も末ですね」
川端先生が溜息をつく。
アイドルの良さが分からないなんて不思議な人だと陽大は感じた。
「世も末だからアイドルが必要なのかもしれませんよ」
通りがかった男性教師が資料の山を抱えながら二人の間に割り込んでくる。それを川端先生が手で払いのけた。
「まあいいでしょう」
川端先生は手を叩く。先生がこうするのは何か思いついた時だ。期待が膨らんで陽大は身を乗り出した。
「勘違いしないでください。塾に掛け合うつもりはありません。その問題は自分で解決してください。その代わりに、あなたにはお金を稼ぐために別の手段を与えます」
お金を稼げると聞き目を輝かせる。お金が手に入るのならば、方法はなんだって良かった。
川端先生が、抽斗の中から一枚の紙を取り出した。
「この模試で優秀な成績を収めることが出来たら、学校から賞金が出ます。賞金は成績にもよりますが、最大三万円です。アイドルのライブに行くには十分でしょう?」
「その通りです。先生、ありがとうございます」
陽大は、プリントを受け取ると、それを長年追い求めた宝のように抱きしめた。
「いいですか?『優秀な』成績ですよ。生半可な結果では賞金は渡せません。甘く見てはいけませんよ」
「もちろんです」
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