音達(おとだち)

3カク

音達(おとだち)

 どういうわけなのだろう。あいつが私に質問した意図。


「あたしって天才かな」


 カラオケルームの音がフェードアウトして、思考がグルグル回転する音が聞こえる。やがて回転が止まり、結論が出た。あれは彼女なりのSOSだったのだ。彼女は迷っている。諦めるか、一歩踏み出すか、その境界線上に彼女は立っている。どっちかに身を投げ出そうにも決心できていない。だから私に背中を押して欲しかったのだ。なんという回りくどく、受け身で弱腰な態度。でも、気づいてしまったからには私には果たさなければならない役割がある。私は彼女の親友なのだから。


「あれ、まだ曲入れてなかったの」紫音しきねがマグカップを持って部屋に入ってきた。

「天才!」

 私の言葉に彼女は戸惑った顔をした。

「あんた天才!まじ天才!いやー、本当にほれぼれするほどの天才。ジーニアス、神童、紫音様!あんたは正真正銘の」

「そういうのOKです」

 感情のない抑揚に冷や水を浴びせられたような感覚が走った。ガソリンスタンドでバイトしている彼女は最近「OKです」を口癖にしている。オーライ、オーライ、OKです。その元気いっぱいで言う「OKです」をこんなに真顔の上、冷たさむきだしで放たれれば、ドライバーもたまったものではないだろう。だが、彼女はすぐに元通りの笑顔を作り、

「なんかごめん」と言いながら、えへへと作り笑いを聞かせた。視線を床にそらした。その笑いは誰に対するものなのか、考えただけで胸がきつく締まるのだ。強烈な圧迫感に堪らず言葉を絞りだした。


「ごめん、茶化したみたいに言って。私馬鹿だから、こういうときどうしたらいいか分かんなくて。だけど言ったことは本当。あんた天才だよ。だからさ」

 私は他人だ。次に言うことに責任を持てるとは思えない。そんな勇気はない。視線を持ち上げ彼女の目に合わせた。瞳はカラコンでアプリコットブラウンに染まっていたが、瞳孔だけは黒々として先の見えない深さを感じた。その奥行きに吸い込まれるように言葉は引き出されていた。


「なりなよ、歌手」

 静寂が怖かった。心臓が耳に当てられているくらい近く思えた。うるさい鼓動。私は聞かなきゃいけない。目の前のこいつがどう答えるのか、背中を押したからには聞く責任がある。紫音の口が開かれる。唾を飲み込んで神経を集中した。

「え、どういうこと。ああ、さっきあたしが言ったこと深読みしちゃったんでしょ。アハハ、違う違う!あたしそんな気ないから。ほら、時間もったいないからジャンジャン歌おうよ」


 私の中で何かが途切れた。線をハサミで絶つような感覚。私はタッチパネルを操作する代わりにスマホを開いた。日頃鍛えたスクロールですばやく画面を切り替えていく。そしてお目当ての場所にたどり着くと、スピーカーが最大になるまでボタンを押した。紫音。あんたと私は親友じゃない。中学一年生から高校二年の今まで続いてきた関係は終わった。なんの縁もなくなったからには、もう制限はない。気遣う必要はない。ありったけぶちかましたって構わない。


「紫音~」

「ん、何―」マグカップにくんだ白湯を飲みながら答えた。

「じゃんけんしよー」

「え、今度は何」

「早く」声色に自然と力が入った。紫音は体をちょっとこわばらせながら、うん、と手を差し出した。じゃんけんぽん。私の勝ち。

「先攻、8×4で」

「え」

「マイク取りな」


 スマホからスクラッチ音が流れる。マイクを握り、息を吹きかける。感度よし、音量も大丈夫だ。設定を確認したあと、ビートに合わせて私はしゃべり始めた。


「初めての君にルール説明、ビートの上では真実を言いなさい。感情・価値観・耳痛いこと、リアルなものしかいらねえよBro。なあお前、歌手が夢なんだろ、だったらなんで撤回したんだよ。『なりたい』でいいじゃん『夢』のままでいいじゃん、それで済むことポンチーカン、はい」


「え、えっと、は。あたし本当に冗談言っただけだけど。てか、あんたこういうの好きなタイプだっけ。あのね、歌手になるって難しいんだよ。競争すごいし、歌うだけじゃなくて営業もかけなきゃいけなくて面倒だし。第一あたし才能ないから。なれたらなー、とは確かに思ったけど宝くじ当たるように祈るみたいなもん。好きな寿司ネタ炙りサーモン、みたいな?」


「おセンチなのは思春期だからかね、吐いた唾を飲むとんだ。Hey,それじゃ聞くけどその顔はなんだ、シケたツラ・ショゲた目つき・力ないトーン。まるで木箱に詰められたカルロスゴーン。ならば産地直送、私発お前着の怒りのゴーストタイプ。はがして捨てるフェイクマスク」


「あんたの変わりように驚いてんだわ。あのさ、こんなアホらしいことやめよう。あとちょっとで時間終わっちゃうからさ。あたしまだ歌いたい曲二つくらい残ってるんだわ。友情ドラマみたいなダサいこと、もうやめよう。用意してた熱い言葉もせっかくだけどこれ以上はいらないよ。ハズイよこんなこと」

 紫音が操作しようとしたパッドを慌てて奪い続ける。


「友情?私はもうあんたの友達なんかじゃない。目の前にいるのは覚悟決めたガール。苦渋の煙吸ってはくlikeニコチンタール」

「ちょっと返して!」

「終わってないのに喋んな!ねえ、私あんたの歌好きなの。なんで逃げちゃうの、歌手になってよ。歌いたくても歌えないどうしようもない奴がいる、そいつらの憧れになってよ、言えよほんとのこと!」


「暑っ苦しんだよお前!じゃあお前あたしの人生に責任もてんの?才能のない奴が何かを追い求めることほど惨めなものないんだよ。露頭に迷って、先行き不安で、毎日自分の無能を呪う。世間を憎んで、だけど自分のことはもっと憎くて、そんな人生まっぴらごめん。あたしはそんなの死んでも嫌だ。軽々しく他人のことに口出すんじゃねえよ馬鹿!」

 紫音がバッグをつかんでドアに向かう。私は扉の前で通せんぼして、必死に彼女を抑えた。だが体格が違うのでどんどん押される。自分の成長の遅さをこのときほど恨んだことはない。振り切られそうになりながらも、しがみついたまま握ったマイクでラストバースを言った。


「お前私の話の一体どこを聞いてたん?しっぽ巻いて逃げる姿まるでカメラ嫌う義丹。いいかなよく聞け、あんた天才!才能ある!絶対成功する!ダメだったら私のこと殺していい、約束する財産全部あげる。ここまで契約、だから言えよ、歌手になりたいのかなりたくないのか、御託はいいから聞かせてくれよ!」

 私はついに振り払われて床に倒れた。そのときに手をひねってしまった。鈍い痛みが脳まで駆け抜け、とっさにマイクを持っていたほうの手を当ててうずくまった。マイクは落とさなかった。まだ終わってない。痛みで顔を歪ませながらも、私を見下ろしたまま固まっているあいつの視線は感じていた。耳にありったけの集中を注ぐ。あいつのバースは終わってない。何を言う。なんと答える。


「なんで」

 うずくまる私の体に手が触れた。やわらかく、温かみがあって、かすかに震えていた。

「あんたに関係ないのに。なんでそこまでするの、こんなひどい奴なのに。本当に、馬鹿じゃん」

 ごめん、とかすれる声が聞こえて、服の上に水滴が落ちるのが分かった。


「あの」

「なんですか」

 私はカフェにいた。今テーブルをはさんで向き合っているこの人に呼び出されたのだ。あの後、この人にコンビニで湿布を買ってもらって別れてから二週間ぐらいたったが、口をきいたのは今日が久しぶりだ。私の手首は未だに痛む、少しだけだけど。チャットでこの人が、もし病院にかかることになったら連絡してほしいと伝えてきた。ウインドウに表示されたこのメッセージを見て、自分のやり残したことに気づいた。アプリを開き、私と誰かが映っているアイコンをタップする。非表示&削除。ブロックはしなかった。それをするにはチャットを開いてメッセージを既読にしなければいけないのでシャクに思えたのだ。本当にそうとしか思わなかった。深い意味はないから勘ぐらないでほしい。でもそれがになった。二日前くらいに毎日恒例の通知チェックをしていたときに、チャットが蘇っていた。そういえば非表示にして削除しても、相手からメッセージが来れば通知こそないもののチャットは表示されるのだった。二件のメッセージがあるらしい。うざったいので今度こそブロックしようとチャットを開く。


「いきなりでごめんなさい。明後日12:00に駅に来てくれませんか」

「面と向かって謝りたいです。お願いします」


「いえいえ!知らない人から謝られることなんて何もないですよ!おや、どうして面識のないあなたとのチャットがあるのか。こっちから消しておきますね、バイチャ!」と打たなかった自分には訳があった。12:00という時間、お昼時。知らないこの人がこの時間帯を選んだのには意図がある。つまり、お昼を奢ろうとしているのではないか。ありがたい、ワタクシ食べ盛りの女子高生です。ただ飯に飢えているのだ。そうしてついていった先がこのカフェだったのだ。メニューをみたところ、軽食しか置いていない。こっちはパスタとかハンバーグとか食べてすぐ帰ろうと思ってたのに、チキンラップ。もはや楽しみはスマホをスクロールすることしかなかった。あ、ずとまよニューシングル出てる。


「手首大丈夫ですか」

「大丈夫っすよ」携帯に視線を落としながら答えた。

「ごめんなさい」

「いや、知らない人から謝られても困ります」

「あたしのせいで怪我させちゃって」

「いやいや、私が一人で転んでひねっちゃっただけなんで。面識のないあなたがそれにどう関係してるっていうんです?」

「ごめんなさい」

「いやいやいや、謝らないでください。気持ち悪いですよ」

「ごめんなさい」

「ごめんなさい、もう時間ないので失礼します」テーブルの上にあったチキンラップを手にとって席を立った。時間は有限なのだ。私は家に帰りながらニューシングルを聞かなければいけない。一日短し、帰れよ乙女。


「待って」背後で呼び止められ、反射的に固まってしまった。心の中で舌打ちをする。見ず知らずの他人にこれ以上時間を割く必要はないのに。


「なんでですか」

「は」質問の意味が分からなかった。

「なんであたしが歌手になること、あんなに応援してくれたんですか」振り返った、必要ないのに。口が開く、意味なんかないのに。


「私の夢はソングライター」

「え」

「シングが抜けてるのは言い間違いじゃない、音痴なの。一生懸命練習しても上手くならない。才能がないんだね、要するに」

「あの、それがなんであたしに関係してるんですか」

 しゃべる必要はない。それなのにやめられない。この人の目を見て話さずにはいられない。


「この夢ができたのは中学二年生のとき。その時私には友達がいてね、初めて一緒にカラオケに行ったとき衝撃を受けた。上手いとかじゃない。そういう次元の話じゃないの。歌の形が分かったの。友達はバラードを歌ってた。そのとき、耳の中に音がなだれこんできて、鼓膜をやさしくなでて、やがて頭の中に入って渦になった。思わず耳をふさいじゃった。この感覚は何なのか、意味が分からなかった。でもね、それが楽しいってことに気づくのは時間がかからなかった。その友達の歌を聞いてるときは幸せだった。曲調が、歌詞の内容が、形になって感じられる。目に見えないものが見える。すごく楽しい体験だった」

 止まらない。自分の口から言葉が溢れてくる。口がカラカラに乾いてもその友達への思いが湧き出してくる。


「音楽が好きになった。この人にもっと歌ってもらいたくなった。できれば私が考えた曲を歌ってほしい、この人が表現する最高にきれいな形の曲を作りたい。そう思った」

 言葉につられて体の奥からこみ上げてくる力があった。目の前の人は私のことをずっと見ていた。


「その友達は歌手になりたそうだった。でもそいつ、頭良くてさ。いろんなこと考えちゃうらしくて、歌手になるのためらってた。そりゃそう、業界は競争が激しくて、そのクセ歌が上手いだけじゃ通用しない意味が分からない場所。だけど私は悔しかった。挑戦する前から諦めようとするそいつが悲しかった。そいつの夢が私の夢と重なっていたから、たまらなく悔しかった。まして、そいつは親友だったから」


「別のことも怖かったんだと思います」

 知らない人が言った。私は自然と目が熱くなっていた。知らない人も口元が震えていた。

「小学校の音楽の時間、歌で感動した経験があった。合唱曲を聞かせられて、あんまり美しいものだから泣いてしまった。そのとき隣の男子に冷やかされた。作り物なんかに泣かされてかっこ悪い、って。それから音楽がときどき空しく感じるようになった。どれだけ心動かされるものでも、所詮は作り物。フィクションだし、確かな存在じゃない。頼りないそんなものに、人生をかけるなんて馬鹿げてる」


「確かだよ、少なくとも音楽は確か」

 目から熱がこぼれた。視界がゆがむ。前にいる彼女の顔は見えないが、おそらく私と同じだろうな、と思った。感触があった。親友という繋がりが切れた後でも、何かが通じているという感触。


「あんたの歌が私を変えた。あんたの歌が私に夢をくれた。フィクションで何が悪いの、作り物でどこがいけないの。私が感動したのは本当。そして、まだ知らない誰かもきっと感動してくれる」


 呼吸が苦しい。しゃくりあげてしまって情けない。ゆっくりと息を吸い、聞きそびれたことを紫音に問いかける。大事なこと、もう分かり切ってるけど、彼女の口から言ってほしいこと。

「私と一緒に、夢目指そう。歌手になって、紫音」

 彼女は手で目を抑えながら、震える声で答えてくれた。

「OKです」

「ふざけてんのか」

 噴き出してしまった。こんなときでも彼女の癖は健在だった。


「そんじゃこれからどうしよう」

「とりあえず、事務所探しじゃね?」

「なんの実績もないのに契約してくれないでしょ。まずは経歴作らなきゃ」

「というと」

「SNS発信ですな」

「恥っっず!顔出しして歌うの」

「まさか、最近流行の顔出しなし系でやろう。ばれたら学校から注意されそうだし」

「聴いてくれるかな、みんな」

「聴かせるんだよ、私たちが。」

「ねえ、あたしらって今どういう関係なの」

「親友でいいんじゃない」

「そっちから親友やめたくせに」

「じゃあ、パートナーだね。運命共同体です」

「なんかキモイ」

「なら、オトダチ」

「『も』抜けてる」

「私たちは音でつながったでしょ。音で友達になった、だから音達」

「うまい。グループ名もそれでOKです」

 適当だな、と思いながらスマホから顔をあげた。部屋の窓からは外がうかがえる。今日の天気予報の通り、空は曇っていて先が見えない。でも、その奥にどこまでも広がる青があることを確かに感じる。胸が躍ってたまらない。

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