さくらひらひら
浦井らく
さくらひらひら
夢を見た。ずっとずっと昔、小さな頃の夢を。現実だったか、幻だったかも定かではない、そんな夢。
白い着流しにうっすらとした桜色の羽織を羽織った青年に、何かを話しかけられる夢。幼い俺はそれはとても嬉しそうに頷き、頭を撫でてくれる彼の手を静かに受け入れる。話してる内容も、顔や名前ですら思い出せないのに、何故だかとても幸せな気分にしてくれる。いったい彼は、誰だったのだろうか。
「……ぃ、おい祐斗!起きろって!!」
身体を揺さぶられ、大きな声で目が覚めた。重たいまぶたをゆったりと持ち上げれば、目の前には仁王立ちで腕を組む兄の姿があった。
「……おはよ、よしき」
「おはよ、じゃねぇ!時計見てみろ!遅刻ギリギリだぞ!」
そう促されて時計を見れば時刻は8時半を過ぎていて、始業式まであと20分ほどしか残っていない。
「新学期早々遅刻だけはするなよ!ほらわかったらさっさと着替えて行け!健太も表で待ってんぞ!」
布団を剥がされ制服を押し付けられ、良樹の監視の下渋々着替えを済ませれば背中を押されて玄関まで連れていかれる。
外には一つ下の幼馴染みが焦った様子で、は~や~く~!!と急かしていた。
「いってきます」
「おーおー行ってこい!健太も入学早々遅刻すんなよ!」
「わかってるよ!ほら祐斗行くよ!」
愛用の自転車に股がり、健太と二人で朝の通学路を走り抜けていく。俺はまぁ遅刻常習犯だからいいとしても、昨日入学したばかりの健太を遅刻させるのはまずい。ギアをあげて思い切りペダルを踏み込み、学校へと急ぐ。3分ほど走ると、待ってよ~、と健太の声が随分と後ろから聞こえてきた。しまった置いてきたか、と自転車を止めれば、突風が横から吹き付けた。
あまりの風の強さに思わず目を細める。うっすらと開いたら視界にふと、桃色の小さな花弁が飛び込んでくる。ひらひらと数枚の桜が、俺の回りを舞う。
風の吹き付けてきた方向を見ればそこは神社で、10段程の階段の先にある鳥居よりも少し奥、境内の中に大きな一本の桜の木を見つけた。満開になった桜は美しく、俺を惹き付ける。
こんなところに桜なんてあったっけ、よく知っているはずの通学路なのに、桜があったことが全く思い出せない。こんなに綺麗な桜なのに、なんで俺は覚えてないのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていると、やっと追い付いたと言わんばかりに息を切らせた健太がようやく隣に並び立った。
「はぁー……祐斗ちょっと速すぎだよ…。……どうしたの?」
「あ、いや……あんなとこに桜なんてあったんだなーって……」
「はぁ?何いってんの?ずっと前からあったじゃん!それより遅刻!遅刻しちゃうって!」
先いくよ!と声をかけ、横を走り抜けていく健太は、さっきよりもずっとスピードを出して走る。
一方俺は、まだその桜から目を離すことが出来ずにその場に立ち尽くす。ずっと前からあったのだと、彼は言った。なのに、何故か思い出せないのだ。
桜だけではなく、俺は多分、もっと大切なことも忘れているような気がする。それがどんなことかはわからないけど、そんな気がしてならないのだ。そんな心のモヤモヤを抱えながらも、自転車のペダルを踏む。再び風が吹き、桜がひらりと宙を舞う。何故だかその瞬間に、酷く懐かしい声で名を呼ばれた気がした。
「神社の桜ぁ?お前昔よくあそこで遊んでたのに、覚えてねぇの?」
学校から帰って、良樹と一緒に夕食を食べているときにふと朝見た桜の話を振れば、そんな言葉が返ってきた。
「え、そうだっけ……?」
「そうだって。あの神社ってお前の遊び場だったじゃん。特にこの時期はよくあの桜の木の下で夕飯の時間まで寝てたりしてさ。よくあそこまで探しに行ったな」
なつかしいな~、なんて良樹は笑うけど俺にはそんな記憶がなくて、寧ろ桜があったことに気付いたのは今日が初めてなのに。
「あー……けどあの時からお前あの神社に寄り付かなくなったよな……あの神隠しからさ」
「かみ、かくし……?」
不快そうに眉間に皺を寄せた良樹は、俺が全く覚えていないという素振りを見せればその当時のことを教えてくれる。
いつものように桜の下で遊んでいた俺は、突然姿を消したらしい。両親や近所の住人、警察まで出動してあちこち探したものの見つからず、誘拐か事件に巻き込まれたかという話まで出たそうだ。
だがそれから3日後。俺はまた突然姿を現した。桜の木の下で何事もなかったかのようにすやすやと眠っていたらしい。起きた俺はその3日間のことを全く忘れており、神社で失踪したことから周りはは皆神隠しにあっていたのではないかと噂したようだ。
そうやって詳しく話して貰っても全く思い出せないのだ。なんであの桜のことがこうも頭からすっぽり抜け落ちているのだろうか。何だか、意図的に忘れさせられているような、そんな気がしてならない。俺はきっと、大事な何かを忘れている。
一晩経っても、桜のことが頭を離れなかった。桜の前をうしろ髪をひかれながらも通りすぎて学校に行っても、いつの間にか桜のことを考えていて先生の言葉なんて右から左に流れていくだけ。結局放課後までそんな感じだったから、帰り道で桜のところまで行くことに決めた。
神社のすぐそばに自転車を停め階段を登れば、これでもかとぐらいに咲き誇った大きな桜の木が俺を迎え入れる。俺がくるのを待っていたと言わんばかりに、風に乗った花弁がひらひらと周りに降り注ぐ。
この木の前に立つだけでひどく懐かしく、温かな気持ちになる。やっぱり俺はこの桜を知っているんだ、記憶はないけども、本能がそれを訴えてくる。そっと近付き、年季の入った太い幹へと手を添えれば、何故だか桜が喜んでいるように思えた。
おかえり、と手のひらを通して桜の感情が流れ込んできているような、そんな錯覚すら覚える。
「…ただいま、たかふみさま」
口に出してからはたと気付く。たかふみさま、俺は確かにそう言った。たかふみさまとは誰だろう。知らないはずなのに、何故か懐かしくも愛しいそんな気持ちになる。そんなことを悶々と考えいれば、上から声が降ってくる。
「お帰り、祐斗」
声につられて上を見上げれば、太い枝に腰かけた青年がそこには居た。白い着流しにうっすらと桜色をした羽織を肩からかけた青年は、ふわりと枝から離れ、俺の前に降り立つ。まるで重力を感じさせぬ着地を見せた彼は俺よりも小さいものの、どこか神秘的な、神々しい雰囲気が漂う。
「たかふみ、さま……?」
「思い出してくれたんやな、祐斗」
まだ状況が掴めていない俺に、本当に嬉しそうに笑いかける彼相手に、まだ思い出せていないなんて言うのは少し躊躇ったが、彼は俺の思考を汲み取るかのように、少しだけ寂しそうに微笑む。
「そうか、まだ完璧に思い出してくれたわけやないんか…ちょっと強くまじないをかけすぎたみたいやなぁ…」
軽く苦笑した彼はゆっくりと俺の頭に手を伸ばして後頭部に手を添え、自分の方へと引き寄せる。俺はその動きに逆らえずに、そのまま彼の肩へと頭を預ける。
「思い出してや、あのときの全てを。俺との約束を。祐斗、お前と交わした契約を」
その声と共に流れ込んでくるのは、あのときの記憶。俺の忘れていた桜に関するすべて。そうか、いつか見た夢はあのときの記憶だったんだ。
この桜の下で遊んでいるときに出会った貴文様は、人ではなかった。桜の神様なのだと名乗った彼は、小さな俺に色々なことを教えてくれた。勉強も、遊びも、花に関することなんかも、様々なことを知識として授かった。
おそらく神隠し騒ぎのあった日だ、約束をしたのは。年老いた自分がもっと長生きするには誰かを妻に迎え入れねばならぬと、だから祐斗が妻になってくれんかと。そう言う貴文様がとても不安そうで、妻とかそんなのよく分からなかったけれど、とにかく貴文様を助けてあげなきゃ、と。そんな気持ちになったのだ。
二つ返事で頷いた俺を貴文様は優しく頭を撫でてくれた。じゃあまた大きくなったらここにおいでと、そのときに結婚をしようと。だからまたそのときになったら俺のことを思い出してな、と言われてお別れをしたのだ。そう、あれは桜が全てを散ってしまう前日だっただろうか。
ようやく、ぽっかりと空いた記憶が全て埋まる。貴文様の肩からゆっくりと頭をあげれば、目の前には懐かしくも愛しい神様の姿があった。
「思い出してくれたか、祐斗」
「…うん、思い出したよ。貴文様。約束通り、戻ってきたよ」
優しく笑った貴文様は、それは嬉しそうに俺を抱き締める。俺もそっと、背中へと手を回す。記憶のなかの貴文様よりもずっと細くて頼りない気がするのは、俺が大きくなったからというだけではなく、樹齢を重ねてきっと木としての生命力が段々弱まっているからなのだろう。桜はよく見ると虫食いが激しく、所々死んでしまった枝も見受けられていた。
「祐斗、また誓ってくれるか?俺の…伴侶になると」
そう尋ねる貴文様の手は僅かに震えている。断られるかもしれない、そんな一抹の不安があるのだろう。昔一度誓った約束を破られるのではないかと。
「誓うよ。男の俺なんかで良ければ、貴文様の伴侶になるよ」
貴文様の手をとり、ぎゅっと握りこめば震えは治まる。喜ぶ貴文様の心情を表すかのように、桜吹雪が俺らに降り注ぐ。
「待った甲斐があったわ。こんなにかっこよく、美しく育ってくれるとは思わんやったなぁ…ともかく、これからよろしくな、祐斗」
「こっちこそ、不束ものですがよろしくお願いします」
二人で笑いあって、そして桜のなかへと消えていく。それから3日後、戻ってきた俺がまた神隠しにあったと大捜索されていたのはまた別の話。
さくらひらひら 浦井らく @urai_raku
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