第2話 子供会の失敗

 なんだこれは。


 次の日の朝だった。通勤中の電車でスマホが震えたので確認すると、子供会のグループLINEに涼ちゃんからのメッセージが投下されていた。


【暑い中お疲れ様です。十二丁目の工藤です。町おこしのイベントで、今ティラノサウルスレースというのが全国各地で開催されています。とても面白い企画だと思うので、もし良かったら子供会で主催できたらと考えました。企画書をPDFで貼り付けますので、参加したい、開催のお手伝いをしたいと思った人は気軽に返信ください】


 夜遅くまでリビングでパソコンをカタカタしていたと思ったら、これだったのか。スマホの小さな画面でPDFを開き、揺れる満員電車の中で企画書を確認する。


 とりあえずスクロールすると、スタイリッシュなレイアウトのスライド資料で、最後には赤いティラノサウルスの着ぐるみ画像の雑なコラージュで『一緒に走ろうよ!』と書いてある。


 スマホの画面をそっとオフにしてカバンにしまう。

 どうして子供会にアプローチした? 会長さんに相談してないよね。こんな勝手に企画を投下して大丈夫なの? 胸のあたりがザワザワする。今は忘れよう。そうだ、深く考えてはいけない。


 電車が地下に入り、窓から入っていた自然光が遮断される。乗り換えの多い駅に到着したので満員電車から人がごっそり降り、胸の圧迫感が和らぐ。しかし、そのすぐ後には降りた人の倍以上の人が電車に乗り込んできて、完全に身動きが取れなくなる。


 電車の奥へ奥へと押し込まれる。なんとか掴み取った吊り革にぶら下りながら、荷物棚の上にある電車広告に目をやった。


【恐竜大夜行】

 その文字を目にした瞬間に鼻から息が吹き出す。丁寧な造形のティラノサウルス二体が堂々としている広告があった。『夜の博物館を恐竜が歩き回ります!』と説明がある。チケットはこちらからと続き、あたしはめまいがした。


 また恐竜かよ。みんな恐竜好きなの?

 なんでティラノサウルスレースなんだ。そんなに面白いかよ。あたしは頭を抱えながら、自分の脳味噌から恐竜に関わる情報を一切排除しようと努めた。


「工藤さん、見ましたよ」

 仕事を終えて保育園に楓を迎えに行くと、ママ友の家永さんが声をかけてきた。


「私もティラノサウルスレースについて調べたんですけど、めっちゃ参加したいです!」

 家永さんが言うので、あたしは苦笑いしながら相槌を打つ。


 涼ちゃんの子供会への呼びかけには、実は誰も反応していなかった。誰も反応できなかったと言う方が正しいのかもしれないけれど、あまりに反応がないので少し涼ちゃんが可哀想になっていたから、どこかホッとする自分がいた。


「旦那さん、面白いですね」

 家永さんが言って目を細める。あたしもとりあえず笑って誤魔化すしかない。


「うちは手伝えることあったら手伝うんで、気軽に声かけてくださいね」

「ありがとうございます」


 あたしが頭を下げると、家永さんは自分の子供を連れてにこやかに駐車場へと走っていった。


 楓と一緒に帰宅すると、ダイニングテーブルの上に青椒肉絲と中華サラダが綺麗に並んでいた。平日の夕飯は在宅仕事が多い涼ちゃんの担当だ。肝心の涼ちゃんはリビングのどこにも見当たらない。


「パパどこ?」

 楓が聞く。あたしたちが帰ってくる時はいつもリビングのソファでタブレットを見ながらダラダラしているのに。


「パパー?」

 楓が走って寝室のドアを開けたけども気配がない。あたしが書斎を確認してもいなくて、楓の部屋にもいなかった。家のどこにもいない事を確認して、楓と首をひねる。


「おなか減ったあ」

「そうだよね、パパいないけど、先に食べちゃおうか」

 スマホを見ても涼ちゃんから連絡はなかつた。とりあえず六時半を過ぎているので、楓とご飯を食べることにした。


 夕飯を終えても、お風呂に入っても涼ちゃんは帰ってこない。もう楓を寝かしつけてしまおうと楓の歯を磨いている時だった。玄関でドアが開く音がした。


「どこ行ってたの?」

「会長の家」

「会長ってなんの?」

「子供会」


 あっけらかんとした顔で答える涼ちゃんは、綺麗に片付けられたダイニングテーブルを見て、「全部食べちゃったの?」と続ける。


「涼ちゃんの分は冷蔵庫よ」

「なんだよ、びっくりしたな」

 そのまま涼ちゃんはキッチンに行って、夕飯の残りをレンジで温めている音が聞こえた。楓の歯磨きが終わったので、洗面台に歯ブラシを戻しに行く。


「家永さんが手伝っても良いって言ってたわよ」

「何を?」

「ティラノサウルスレースだけど?」

「それはありがたいね。子供会は使えないから」

 涼ちゃんが言ってすぐにレンジの温め完了音が鳴る。


「会長になんか言われたの?」

「めっちゃ怒られた」

 言いながら涼ちゃんが爆笑している。

「ウケるだろ?」

「ウケない」

「大の大人がブチギレてるの見るの珍しいから面白かったわ」

「何言われたのよ」


 不安になってスマホを確認すると、涼ちゃんが子供会のグループLINEに投稿した今朝のメッセージが取り消されていた。


「事前に会長に相談するのがマナーだとか、そもそもこんなふざけた企画はけしからんとか。要は会長のお気に召さなかったようです」

 涼ちゃんはダイニングテーブルに移動して、青椒肉絲とご飯をもしゃもしゃと口に入れている。


「麦茶くーださい」

 楓が言うのであたしは冷蔵庫の扉を開ける。


「まあ子供会じゃなくても、いくらでもやりようはあるからさ。がっかりしないでね、綾ちゃん」


 別にあたしはティラノサウルスレースの主催がやりたいわけじゃないのだが。いちいち面倒くさい。


「かえちゃん、もう寝ようか」

 麦茶を飲み干した楓の手を引いて、とりあえず寝室に入る。部屋を暗くして、隣でゴロゴロと寝っ転がりながら「何かお話しして」と言う楓に、楓が好きなギリシャ神話の話をした。


 ペルセウスの冒険の話をしている途中で楓に眠気がやってきて、少しずつまどろんだ。子供が寝る瞬間は、夕日が沈んでいく光景と似ている気がする。


 あたしも一緒に意識が遠くなり、体の言うことが聞かなくなる。気がついたら寝落ちて、白亜紀の時代にタイムスリップしてティラノサウスに追いかけられる悪夢を見た。

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