第19話 剥奪でない力
「璃英様が眷属である因幡咲華を相手にできるワケ――くっ!?」
「無駄話とは余裕だな」
キゼンが一瞬見せた隙を因幡さんは逃さない。思い切り愛車を真横に振って塀に吹き飛ばそうとするが、キゼンは大きくバッステップして躱す。その後、躱した勢いのまま僕のところへやってくる。
「ただの人間が眷属と戦うなど自殺行為です!」
「僕はただの人間じゃない」
僅かに首を振った後、僕は少し前の自分だったら絶対に言わないことを口にした。
「僕は屍術士(ネクロマンサー)だ。因幡さんの主なんだよ」
キゼンの目を見て、自身が何者であるかはっきりと告げる。
そう、僕は因幡さんの主だ。だから因幡さんを人間に戻さなければと思っているし、取り戻したいとも思っている。義務と責任を果さなければと思っている。
でも、そんなのはついでのようなモノだ。
本当にやりたいことは。
「僕が因幡さんを助けなきゃいけないんだ」
ここで因幡さんを救えなくてどうする。
涙を流して頷いてくれた彼女のために、僕は根性を見せなくてはならないのだ。
「……勝算はあるのですね?」
「うん、任せて」
僕の覚悟と意志を感じ取って納得したのか、キゼンは静かに頷いた。
「ここはお願いします」
そう言ってキゼンは爺様の援護に向かった。僕は小さく「ありがとう」と呟いて、前に立つ因幡さんと対峙する。
「助けにきたよ因幡さん」
「威乃座璃英か」
因幡さんは僕を威圧するように愛車を地面に突き立てる。
「お前を排除する命は受けていないが、邪魔するなら容赦できない」
「そんな物騒なセリフ、因幡さんらしくないよ」
深呼吸して因幡さんを見据えると、僕は真っ直ぐに走った。速くも遅くもない普通のダッシュだ。眷属なら容易に反撃できるだろう。
「私の忠告が聞こえなかったのか?」
因幡さんは愛車を引き抜きそのまま振り上げる。僕を叩き潰す気だ。
至近距離。僕と因幡さんの間は僅かだ。外しようがない。
人間を叩き潰すには充分な一撃が振り下ろされた。
「死ね、威乃座璃英」
宣告が耳を打つが、僕は愛車を一瞥もしない。恐怖で目を瞑ることも、必死に避けようともしなかった。
僕の視線は因幡さんの目を見たまま固定されいる。他に全く注意を向けていない。
そのため、振り下ろされた愛車はあっさりと僕の頭蓋を叩き潰す――はずだった。
愛車は僕の真横に振り下ろされ、爆発したように地面が弾け飛んだ。土埃が舞い、因幡さんの目が見開く。
外しようのない攻撃を因幡さんは外した。
無表情の顔に「なぜ?」とはっきり書かれていた。
「家に帰ってここに来るまでに……わかったことがあるんだ」
僕はすかさず因幡さんの肩を掴む。因幡さんの手には愛車が握られているが、再度叩き潰そうとはしてこなかった。それどころか、ガシャンと音を立てて愛車を地面に落としていた。
因幡さんは僕に敵意を向けているのに、攻撃の意志がなくなっていた。
「僕の力って……眷属剥奪じゃなかったんだよ」
謝罪と安堵が混じったような声で因幡さんに告げる。
「最初兄さんが言ったから無意識に信じちゃったんだ。姉さんに使われた時の感覚が似てたってのもある。でも、そんなワケないんだ。もし、因幡さんを眷属として奪っているならあんな友達みたいな関係にはなれない。いや、友達にすることなんかできないんだ」
僕は屍術師としての訓練も実戦もしたことのない素人だ。凄い屍術を使ったとはいえそこは変わらない。そんな僕に騨漣兄さんがキゼンにしているような設定ができるワケない。
眷属譲渡で引き継がれたキゼンや、存在がイレギュラーな爺様ならともかく、因幡さんがあんなに生前らしいのはおかしいのだ。
未熟な屍術師が主だと因幡さんは動く死者(ゾンビ)のような眷属になるはず。事実、設定が苦手な無垢姉さんだと因幡さんは動く死者(ゾンビ)に近い眷属になっていた。
でも、僕が主なのに因幡さんには生前同然の感情があった。笑ったり、喜んだり、怒ったり、気まずそうにしたりした。それだけでなく、ご飯もいっぱい食べるし、いっぱい眠るし、他愛もない話をしてくれた。
普通に考えてこんなことはあり得ない。
ならば、キゼンや爺様と同じく因幡さんにも特別な理由があるはずだ。
「因幡さんは……人間なんだよ」
そう、因幡さんは眷属ではない。
正確には「眷属でもあり人間でもある」というべきだ。僕が屍術を正体不明のまま使ったせいで本来の効果が発動せず、因幡さんに眷属の特徴と人間の特徴が混ざってしまい、そこに僕が主になるややこしい事態まで発生してしまった。
そのせいで僕の“半眷属”という存在になる事故(イレギユラー)が因幡さんに起こってしまったのだ。
「今、僕を殺せなかったのも因幡さんが半眷属だからだ。眷属の支配と人間の意志が混ざってしまうから強い思いが……今みたいに僕を殺したくないって気持ちが優先されたんだ」
これらがわかったのは因幡さんを助けると約束した直後だった。因幡さんが眷属になったのがわかった不可解な実感と同じで、自身に“答え”が流れ込んできたのだ。
おそらく、僕が屍術師である自分を認めた影響によるモノだろう。覚悟し、確かな意志を示したことで僅かながら上がった力量が、己の使った屍術の正体を気づかせたのだ。
眷属解放。
騨漣兄さんから因幡さんを奪ったと思っていた屍術は、眷属を人間に戻せる屍術。
僕が欲しいと願っていた蘇生の屍術だった。
「無垢姉さんが爺様とキゼンを相手にしている今ならきっと――」
僕の後方では爺様とキゼンの二人が無垢姉さんと激しい戦闘を行っている。さすがに二人相手では無垢姉さんも簡単には行かないようで、爺様だけを相手にしていた時のような余裕はない。キゼンのフォローで即席のコンビネーションが出来上がっており、爺様とキゼンはどうにか無垢姉さんと戦えていた。
「眷属解放で因幡さんを取り戻せる!」
騨漣兄さんの時とは違う。己の力を自覚した今、僕は完全に眷属解放を使えるようになっている。
因幡さんを蘇生させ、眷属から解放できる!
「生き返って因幡さん!」
僕は因幡さんを強く抱きしめる。因幡さんは少し苦しいかもしれないが、我慢してもらうしかない。今が無垢姉さんから因幡さんを解放する最大で最後のチャンスなのだ。
主と眷属の間にあるのは契約ではなく支配だ。そのため眷属を従わせる力には波がり、コンディションや状況によっても左右される。主に何らかの特別な不調やアクシデントがあった場合、その支配は揺らぎ、付け入る隙が産まれるのだ。
とはいっても、そんなことはまず起こらないし、そもそも僕と無垢姉さんでは力量の差がありすぎる。だからあの放課後、僕は泣いた因幡さんを見送るしかできなかった。
でも、今は違う。無垢姉さんは爺様とキゼンの強敵二人と戦っている。二対一という状況で必死になって消耗しており、こちらへの集中を欠いている。付け入る隙が生まれているのだ。こんな好条件が揃うチャンスは二度とない。
――根性見せろ威乃座璃英。
ここで因幡さんを取り戻せなくて何が屍術士(ネクロマンサー)だ!
「はああああああああッ!」
眷属解放で僕の全身が燃えるように発光し、その光が因幡さんへ流れていく。
騨漣兄さんや無垢姉さんが使った時には全く見えなかった屍術色(しじゆつしよく)の輝きが見える。自覚したことで屍術が視覚的にわかるようになっていた。
「……威乃座……君……」
徐々に因幡さんの目に光が灯っていく。眷属解放が無垢姉さんの眷属剥奪(支配)を消し去っているのだ。
いける。
このまま続ければ因幡さんを蘇生できる!
「ダメ……離れ……て」
だが、時間がかかりすぎている。その証拠に、因幡さんは抱き着いている僕を振り払おうとしていた。
まだ振り払う力は弱いが、だんだんと強くなっている。
人間では眷属の力に抗えない。このままだと眷属解放をやり終える前に僕は突き飛ばされ、因幡さんは無垢姉さんの援護に向かうだろう。そして、二度と僕に近づかないに違いない。
「くそっ!」
あと一息が届かない自分に悪態をつく。
このまま因幡さんが無垢姉さんの眷属でいたら、自身を嫌っていた過去よりも酷い未来を歩むことになってしまう。他者に操られ、思考すらできず、ただ言われるがまま生きるだけの人形に成り下がるなんてことがあってはならない。
やっと自由を謳歌できるようになったのに。自分のやりたいことを探せるようになったのに。
因幡さんの未来を守るために僕にできることはないのか。
無駄な抵抗でも何でもいい。恥も外聞も捨てる。だから何かやれることは――
「……ごめん因幡さん!」
僕は無理やり因幡さんの唇を奪った。舌を突っ込み、口内を侵すように激しく動かして、鼻息を荒くする。
「うむっ!?」
相手のことを何も考えない強引なキスに因幡さんが目をまるくしている。抵抗が止んだが、これは驚いてるせいだろう。因幡さんは眷属として半端な状態だ。いくら無感情でも、その感情を激しく揺さぶられたら反応する。時間を稼げる。
最低で軽蔑されて仕方ない手段だけど、眷属解放が成功するなら僕は何でもする。
因幡さんを動揺させ続けるためにもっと舌を(いやらしく)――
「ぷはっ! や、やりすぎだよ威乃座君ッ!」
「おうぐッ!?」
因幡さんに突き飛ばされ、僕は見苦しく地面を転がった。
「わ、私初めてだったのにッ! 初めてだったのにッ! あ、あんな……あんな激しく……も、もうっ!」
真っ赤な顔で地団駄を踏みながら因幡さんは僕に抗議する。ワタワタと手を動かし、首もブンブン振っている。むちゃくちゃ落ち着いてなかった。
「びっくり通り越して頭の中が宇宙だよッ! 知らない色々が押し寄せてきてわけわかんなかったしッ! 私がポップコーンみたいに弾けたよッ! 現実感が彷徨って戻ってこないよッ!」
「ご、ごめん! ごめんなさい! ホントにごめん! ああするしか思いつかなくてッ! アレ以外何も考えつかなくてッ!」
慌てて頭を下げる。下げるしかできないので下げ続ける。眷属解放を成功させるためとはいえ、それはそれ。これはこれだ。
元に戻った因幡さんが無茶苦茶なキスに何も思わないワケない。感情が乱れまくらないワケがなかった。
「う、ううッ! うううー! ううう……」
何か観念したように膝からペタリとへたり込むと、因幡さんは動くのをやめた。
「……もう普通のキスできなくなったじゃん」
「え?」
ボソリと呟かれた因幡さんの言葉に耳を疑う。聞き間違いじゃなければすごいことを言ったような。でも、これで因幡さんは人間に戻れる。
僕の力量は低いのでまだ効果は完全に現れていない。でも、身体が傷つけば治癒されていくように、いずれ因幡さんから眷属の力は消えて行くだろう。個人差はあるだろうが、今は無垢姉さんの支配から解放されただけで充分だ。
よかった。僕は目的の一つを達成できていた。
「よし、これであとは――」
「まさか本当に咲華ちゃんを奪い返すなんてね。随分とワイルドになったのね璃英ちゃん」
子供をあやすような場違いな声がして、僕と因幡さんは即座に無垢姉さんに視線を移す。
因幡さんを眷属から解放したのだ。眷属剥奪した無垢姉さんがそのことに気づかないワケがなかった。
「で、どうするの? 取り戻した咲華ちゃんと私と戦わせるのかしら?」
「ぐ……かはっ……」
無垢姉さんはキゼンの首を掴んで、鶏を絞めるように吊り上げていた。
キゼンは必死に藻掻いているが無垢姉さんの力は緩まない。
「油断しすぎじゃあッ!」
爺様が地面を抉り蹴って無垢姉さんに突っ込んでくる。腰だめに拳を構え、キゼンを掴んだまま突っ立っている無垢姉さんに、軽トラをブチ抜いた一撃をくらわそうとしていた。
「油断してるのはそちらですよお爺様」
「あぐッ!?」
無垢姉さんは無造作にキゼンを塀に向かって投げつけた。キゼンは受け身も取れず、塀をブチ抜いて飛んで行った。勢いは衰えない。地面を削りながらいくつもの木々を薙ぎ倒していき、遙か遠くの山にぶつかった破壊音を響かせた。
「キゼンッ!」
「お爺様の心配をしないなんて薄情ね璃英ちゃん」
無垢姉さんは突っ込んできた爺様に手のひらを向け、軽トラをブチ抜いた拳を平然と受け止めた。瞬間、爆風が巻き起こり、僕と因幡さんは思わず腕で目を覆う。
「お爺様は旅行が趣味ですから、遠くの地に行くのはお好きでしょう?」
無垢姉さんは爺様の拳を握り、勢いをつけるように頭上でグルグル回すと、そのまま砲丸投げのようにブン投げた。
「もう帰ってこなくて結構ですよ」
「ぬああああああああッ!?」
爺様は放物線を描いて投げ飛ばされ、あっという間に空の彼方へと消えていった。
「爺様ッ!」
さすがの爺様でも空中では何もできない。
キゼンと爺様がいなくなり、この場にいるのは僕と因幡さんと無垢姉さんの三人だけとなった。
「……なんでこんなことをしたの?」
「どのことを聞いているのかしら?」
無垢姉さんはワザとらしく肩をすくめる。
「姉さんに騨漣兄さんを始末する理由はない。威乃座家を支配する理由だってないはずだ。因幡さんにしたことだって――」
「――気に入らなかったのよ」
嫌な出来事を思い出したように無垢姉さんは俯く。
「才能がある私はずっと父様に鍛えられてた。遊ぶ時間なんてなくて訓練ばっかり。毎日毎日ずっとその繰り返しで、友達も作れやしなかった。みんな私を評価してくれるけど、それはそうよ。十年も由緒正しい威乃座家の訓練をやってれば嫌でも強くなる。私がどうして強いのか……少し考えればその闇がわかるはずなのに、みんな私を褒めるだけだった」
「…………」
僕は注意深く無垢姉さんの話を聞く。
「だから威乃座の闇を知らない騨漣ちゃんが気に食わなかった。次期当主だからって理由で私と同じ扱いをされない弟が嫌いだった。どうして私だけが辛い目にあわなきゃならないのか納得できなくて……でも、一番気に食わないのはあの目だった」
「目?」
僕は聞き返す。
「一度、私と騨漣ちゃんの力量をお父様に見せる時があってね。力量差がエグくて、私が騨漣ちゃんを徹底的に痛めつける展開になったんだけど……目の輝きが全く衰えなかった。騨漣ちゃんは立ち上がれないくらいボロボロになっても「負けるか」って睨んでくるの。そのせいで、勝ってる私の方が負けてる気がして……すっごく嫌だった」
吐き捨てるように言うと、無垢姉さんの表情が苦々しいモノに変わる。
「どんなに追い詰めても目が濁らない。お父様を眷属にして威乃座家を私が乗っ取っても、その光は消えなかった。荒芭島連合のカチコミが失敗した時だって同じ。一般人を殺してまで戦力を欲するほど追い詰められていた時もね。始末された時ですら騨漣ちゃんは……最後まで騨漣ちゃんだった」
無垢姉さんは「でも、それは璃英ちゃんも同じ」と続ける。
「威乃座に生まれたのに屍術師をはっきり否定できるなんてね。上っ面だけでも合わせとけばいいのにそれすらしない。孤立するのを承知で自分の意志を貫いて……すっごくムカついたわ」
「……ならどうして僕の味方になってくれたの?」
「……安心したかったからよ」
無垢姉さんは少し躊躇うように告げる。
「私に依存させて璃英ちゃんを弱くしたかった。威乃座家で弱い人間は私だけじゃないって思いたかった。私がいないと何もできない人間になってくれれば、璃英ちゃんは私と同じ目をしてくれる。騨漣ちゃんだけが特別だったって納得できる。私だけが弱い人間じゃないって……安心できる」
意外、だった。無垢姉さんは屍術師でも屈指の実力を持っているのに、そんなことを思っていなんて。おそらく、無垢姉さんは従順過ぎた過去(コンプレツクス)があるせいで、相手の弱さを見なければ孤独感に苛まれてしまうのだ。
誰しも自分の苦労してきたことには意味を求めるし、その意味を無にする何かに恐怖する。憎しみや嫉妬も抱く。それが無垢姉さんにとって騨漣兄さんであり僕だった。
「でも、いつまで経っても璃英ちゃんは私に依存することはなくて……私のおかげで強くなったとまで言い切った。咲華ちゃんを奪ってもそれは変わらなくて……誰かのためなら屍術師である自分を認められる。そんな凄い弟に成長しちゃった」
無垢姉さんは自虐するように笑う。
「私と同じになってくれないなら……もういいわ」
無垢姉さんの雰囲気が劇的に変わった。僅かに残っていた“らしさ”は消え、触れれば飲み込まれるような深い闇を湛えて僕を見据える。同時に溢れんばかりの冷たい殺気が静かに鋭く僕の全身を突き刺し、流れる血が凍っていく錯覚に襲われた。
「ここで死んでよ……私の眷属になって威乃座璃英」
一歩づつ、ゆっくりと無垢姉さんがこちらに近づいてくる。爺様とキゼンの二人で相手をしても時間稼ぎが精々な強敵が僕の命を狙っていた。
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