第3話 罪の代償  R15


「あっ」

 激しく身体を求められ、私はただ声を上げることしかできない。

「馨の声、可愛くてもっと聞きたくなる」

 妖艶な笑みをもらして先生は私をめちゃくちゃにしていく。

「そう、私だけを感じるんだ、馨」

 朦朧とする意識の中で、このとき先生をなぜ見上げたのかはわからない。

 でも。私は分かってしまった。

 きっと罰があたったのね。

 先生が見てるのは私じゃなくてもいい人。先生だけを愛して、鳴いて、先生を現実から遠ざける誰か。

 たぶん恵子さんのいうことは間違っていない。先生を暗闇から連れ出す存在が必要なだけ。

 一瞬意識が戻った私を先生は許さない。

「まだ感じ足りないようですね」

「ああっ」

 うねるような快感の中、私は悲しくて涙を流した。


「泣くほど気持ち良かったですか? 可愛い人だ」

 いつものように先生が腕枕をして私の涙を拭う。

「せん、せい……。私、先生が数式を書くのを見るの好きだった」

「そうですか」

「その指が実はこんなに節ばってて、ペンだこがあることを知られるなんて、思ってもなかった」

 私は先生の指に自分の指を絡ませた。

「先生の手、好き」

「ありがとう」

 ぽたりと涙が先生の腕に落ちる。

「馨? まだ泣いているのですか? どうか、したのですか?」

 先生が私を心配そうに見た。

「せんせ……。今は中学生の佐倉馨が羨ましい」

「なんでです?」

 先生は訝しげな顔になった。

「だって、先生の中で、特別だったでしょう?」

「おかしなことをいいますね。今のほうが特別ですが?」

 先生は分かっていない。

「そう、かな。先生。先生はきっと満たされたかったんだね」

 私は泣き笑いをする。

「何?」

「愛する者を失って、先生、空っぽになっちゃったから」

 先生の悲しみが、自分の悲しみが痛くて、涙が溢れた。

「馨? さっきから何を言ってるのですか?」

 先生の声に少し苛立ちが混じった。

「先生は、先生だけを見て、愛してくれる存在が欲しかった。現実を忘れさせてくれるほどの」

「何が言いたいのです?」

「先生の目に私は映ってない。それは本当の私じゃない。先生の夢の中の私だよ」

「……」

 私の言葉に先生は言葉を失った。

「それでも良かったの。先生とこうしていられるなら、先生の心がなくてもいいと思ってた」

 またぽたりと雫が頬から耳に伝って先生の腕に落ちた。

「でもね、今はね、それが悲しいんです。私自身を見てほしい。ちゃんと私を見て欲しい。私だけを先生の内に入れて欲しい」

「かお……る」

 私の嗚咽混じりの叫びに先生はうろたえるような目をした。

「私はちゃんと貴女を見ているつもりですが……」

「それなら、先生。今の職も、奥さんも捨てて、私と一緒になれる? どこか二人で遠くに行くの」

 私の言葉に先生の目が現実に戻っていくのを見た。

 

「馨。私は貴女が好きですよ。嘘ではありません。……そうですね。私が独身なら、貴女と迷わずに結婚したでしょう。でも、私には現実があるんですよ。息子を亡くして何もできない妻。皇学館の数学教師のトップの座。私にそれらを捨てろと? それは、無理だ。申し訳ない」

 分かりきっていた答え。

「そう、ですよね」

 ぽたり。ぽたり。とめどない涙が溢れる。

 もう、この関係は続けることはできない。私には続けていく自信がない。

 先生の奥さんと会って以来、どこかで思っていた。でも、先生と離れるのが嫌で先延ばしにしてきた。

 もう、限界かな。

 私は先生の手から手を離して、先生をじっと見た。先生の頬を手で挟む。

「先生、大好きです。誰よりも愛してます。だから、もう、無理。このままでは、先生が欲しくて私はいずれ狂います。もう……やめましょう」

「かお……る?」

 キスで始まった関係。私はそっと先生の唇に自分の唇を重ねた。しょっぱい、涙の味のキス。

「私は恵子さんのように強くない。ごめんなさい。私が求めた関係なのに……」

 次の瞬間。先生は腕枕をやめ、上半身を起こした。そして。

「せん……せ……い?」

 私は先生に首を絞められていた。先生は泣いていた。

「貴女まで私を置いていくんですか? 許しません。そんなの、許しませんよ。貴女が他の男にこれから抱かれ、幸せになるなんて、そんなの……!」

 首にかかる力が強くなる。

「私のそばにいると、言ってください。ずっといると」

 私はぼんやりする意識の中で幸福感さえ感じていた。先生の気持ちはきっと愛情じゃない。これは執着。でも、先生はこんなにも私に執着していたんだと。それは驚きで、喜びでさえあった。

 私の先生への想いも執着なのかな……。

 先生の掌が首を圧迫する。息ができなくなる。

「なぜ、抵抗しないんですか?!」

「この……まま……死んで……もいい……や」

 意識が遠くなる中、本気でそう思った。

 先生に殺されるならそれでいい。そうすれば先生は一生私を忘れはしないだろう。

 私は涙を零しながら笑ったと思う。

「かお……るっ!」

 先生の手の力が急に緩んで、息ができるようになった。先生が私の身体を今までで一番強く抱きしめた。

「馨!  許してください! 私は……なんてことを……!」

「いい……の」

 私と先生は抱き合ったまま泣いた。

 好きで、好きで。結局どうしてこんなにも好きなのか。先生じゃなきゃだめなのか。分からない。

 それでも好きでいられれば幸せだと思ってた。なのに段々我儘になって。先生の全てが欲しくなった。独り占めできないのなら、先生の手にかかって死んでもいいとまで思うほど。

 この体温、重さ、声、息使いを感じるのも今日で終わるんだ。

 涙が止まらない。

 先生の望んだ夢の中で咲き続ければよかったんだろうか。

 そう思わないわけではなかった。

 でも。

 このままではきっとだめなのだ。

 そう思って先生を見上げると、先生の目は赤く腫れていた。きっと私の目も同じようになっているんだろう。

「馨」

 先生が私を呼んだ。先生の目が私の目をまっ直ぐに見つめていた。それは間違いなく私だけを見ている目だった。

「はい」

 私はうろたえながら返事をする。

「どこかに行きましょうか。このまま」

 私は驚きに返事ができなかった。



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