バレンタインチョコ存在消失事件

Shutin

第1話

 無意味な行動を無意味に『無意味』と表現する少年よ、それは無味である。


 歴史上、最も何も起こらなかった日まで数える事、五十六日。俺がクラスメイトの奴らより少しだけ早めの十七歳の誕生日を迎えるその日から五十六日前。校内には薔薇色を思わせる燻しカカオの香りが立ち込める。鬼とおたふくの挿絵が描かれたカレンダーは二月十四日を指す。


 バレンタインである。


「うつろう君はー、ゼロチョコフィニッシュかなー?」


 抑揚の無い、しまりの無い棒読みな声が、文系部の部室の壁一面を覆う年季の入った本棚に染み入る。椅子の上に方膝立ちをして、本棚の最上段に位置する仰々しいタイトルの小説に日暮鈴鹿は手を伸ばす。目線はその本に向かっているのに、その弱い表情筋の上に塗られた嘲笑は俺に向けられていた。


 卑下する訳ではないが、常に教室の角でぼーっとしている俺にチョコをくれる女子などいるだろうか。今日俺が貰った贈り物といえば広告付きのティッシュと出版社を名乗る詐欺メールだけだ。


日暮ひぐれ。そういうお前は誰かにチョコ贈ったのかよ?」


 興味本意で尋ねると、日暮はおっ!と音を漏らしながら椅子から落ちる。腕を伸ばしすぎて転げ落ちたようだ。しっかり椅子から立ち上がれば普通に届いただろうに。床に崩れ落ちた日暮は舌をぺろっと出した。茶目っけを表現したいのだろう。しかしやはり表情筋は死んでいる。


「一応ね、作ったは作ったんだよー。ちゃんとカカオから。でもねー、途中で飽きちゃって食べちゃったー。テヘペロー」

「相変わらずの飽き性だな」

「でもねー。今度は大食いに興味が沸いてきたなー。なんか来週はいっぱい食べられる気がするんだー」

「はいはい。お前ならなんでもできるだろうよ。でも、大食いとバスケ部の両立はできないだろ?」


 日暮ひぐれ鈴鹿すずかとは、俺と対極に位置する人間と言える。様々な物に興味を見出し、やるだけやって、すぐに辞める。無駄な労力と時間を消費するのに人生を費やす人間だ。尤も、その『全兎追い』と巷で呼ばれる行為は、彼女曰く『趣味探し』と説明されている。


 そしてつい冬休み前に我が校のバスケ部に入部した彼女だが、流石の日暮鈴鹿でも大食いをしながらのバスケは無理に思える。


「ああー。バスケね。やめちゃった。あれはちょっと違かったなー」

「またか。お前、最近学校でなんて呼ばれてるか知ってる?部活荒らしだぞ。部活荒らし」

「ええー。酷いなー。最初はー私もー真剣なんだよー」

「ま、当分は大人しくしてるんだな」

「そだねー・・・」


 俺と日暮はしがない文芸部員である。

 数合わせのためだけの部員だ。日暮にとって読書など中学二年の時に見限った趣味であり、俺も特に本が好きではないので、だた何もせず無意味に時間を潰す場所を提供して貰っている。


 まあ、熱血スポ根もドロドロな青春も無く、ましてやバレンタインで浮つくような人生において無意味なノリを強制してくる空間でないだけマシだ。


 そう思いながら今日も欠伸をしていると、扉がノックされた。

 珍しいなと思い扉を開けると、二人の男がずいっと顔を覗かせる。


「どなたです?」


 二人の男子高校生は、まず机に寝そべりながら本を読む日暮を見て、そして俺の顔を舐め回すように見て、言う。バレンタインに男女二人で静かな教室にいる事を揶揄われるかもと身構えたが、鼓膜を揺らした文字列は予想だにしない物だった。


「君が朝比奈君だね?僕のチョコが。盗難事件だ。お願いだ。事件解決に手伝って欲しい」


 意味が分からなかった。

 だから『警察にどうぞ』と一言だけ言わせて貰い、ピシャリと扉を閉めた。


 **********


 

 恨むべきはこの古い作りの教室だろう。文芸部の部室は旧校舎にあり、その鍵は壊れている。ドンドンドンと扉に衝撃を与えると鍵の中の爪が勝手に降りてしまうのだ。なので歓迎されない男子高校生二名の侵入を許してしまった。


「なるほどー。チョコが消失してしまったとー」


 好奇心の化け物である日暮はもうある程度の話を聞いたらしく、うんうんと嬉しそうに頷く。まあ日暮の表情筋の動きは機微で、そして上級生に対して失礼にも本をから視線を上げずに相槌を売っているので、先輩方からは無愛想な後輩に映っているだろう。


「そうなんだよ、日暮さん。僕たち困ってて困ってて」


黒髪メガネの相馬そうま先輩がチラチラと俺を見てくる。


「俺はやりませんよ」


 先出しで協力はしないと言っておく。あらかたバレンタインチョコが盗まれただの、消えただの、そんな群青ミステリ小説にありがちな事件だろうが、毛程も興味がない。


「そんな、せめて話だけでも聞いてくれないかい!?」


 相馬先輩の横のスポーツ刈り、大沢おおさわ先輩は食い下がってくる。


「そもそもなんで俺なんですか?成績も普通の文芸部員ですよ。この学校にはもっといっぱい優秀な奴がいるじゃないですか。もっと探偵な奴がいます。例えば・・・ほら、ミステリ研究部」


 そうだ。ミス研がある。今日という日のためにあるような部活だ。なすりつけよう。しかし相馬先輩は首を横に振る。


「実を言うと、我々がそのミステリ研究部だ。朝比奈くん、君の噂は聞いている。なんでも君はこう言った謎解きが得意だそうじゃないか?ミステリ研究部としては悔しいが、今回の事件を解決するのに一肌脱いでくれないかい?」


「そんな事誰が言ってたんですか?」


 酷い風評被害だ。俺の下らない噂を吹聴して、俺の静かな高校生活を邪魔しようとする奴は誰だ?


「まあ、それは良いじゃないか。とにかく、手伝いを要請する。じゃないと僕達はこれから毎日ここに来る」

「脅しじゃないですか。それならもう僕はこの部室に来ません」

「じゃあ君と日暮君は付き合っていると根も葉もない噂を流させてもらう。君の静かな高校生活はなくなるだろう」

「・・・卑怯ですよ」


 なにがミステリ研究部だ。完全に悪役で犯人の言動だ。そしてそのなまじ俺に効く脅しに、ため息をつくしかない。時間をかけて反論するのも無駄だと思った。


 はあ、仕方ない。大人しく引き下がりそうにない。適当に手伝おう。

 スマホを確認する。時刻はちょうど午後四時。


「はあ・・・分かりました。ただし下校時間になる五時まで。つまり今から一時間。それ以上は手伝いません」

「ありがとう」

「もう一度言いますが、僕はただの怠惰な高校生です。メチャクチャな推理をしても、間違った事を言っても責めないでくださいね」

「そんな事はしないと聞いているよ」


 そんな根も葉もない情報は誰から聞いたのか気になるが、隠している辺り口止めでもされているのだろう。聞くだけ無駄だ。確かに中学時代では、無意味に学校内の下らない事件を解く事を趣味にしていたがそれは黒歴史だし、高校で推理紛いの事をした事はない。


「ワトソン君は必要かい?うーつろっく・ホームズ君?」


 日暮は髪の毛で髭を作る。助けの必要性を尋ねてくる。


「いらねーよ、お前にワトソンは役不足だろ」

「そう?」


 じゃあ良いや、と日暮は再び小説に目を落とした。こんな『思白そう』な事件に無理矢理にでも首を突っ込んでこないのは珍しく感じる。そして同時に、俺だけが事件に巻き込まれるのは不平等に感じる。


「・・・やっぱお前も手伝え。早く家に帰りたい」

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