廃品の海に眠るピアノ

セツナ

廃品の海に眠るピアノ

 僕らの世界では、全ての物の価値が音で決まる。

 楽器を弾くのが上手い奴、音楽を作るのが得意な奴、声がいい奴、歌を綺麗に歌うことができるやつ。

 なんでそうなったのか、とかそういう歴史的なことはよくわからないけれど、僕らの親もその親も、更にその親も。今残っている書物に書かれている世界もほとんどが、音に支配されたものばかりだった。

 例えば、世の中には物の価値を決めて取引をするための目安となる金銭があるわけだけど。

 もちろんお金は僕らの世界にもある。けれど、声が綺麗な人はそれだけで値引きしてもらえたり、交渉の際に音楽に関する一芸を披露するとただでもらえたりする。

 そんな世界が、僕は変だと思っていた。ずっと、育ってきた場所だけど、取引の基準が簡単に変わってしまうなんて、変な話じゃないか?

 ……なんて。声が上手く出せなくて、まともにしゃべることもできない、僕がそんなことを言ったら。ただのひがみにしか聞こえないんだろうけど。


 僕は生まれつき声が出しにくい身体だったから、世界のそういう『常識』の中で一番生きづらい場所にいた。

 両親も音楽の才能なんて全くない人たちだったから、僕らはいつも貧乏だった。

 でも二人ともとても優しかったから、僕は不自由なく豊かに生きてこれたし、身体が生きるのに向いていなくても心が貧乏にはならなかった。

 けれどやっぱり、同じ時期に生まれた僕とそう変わらない生活を送っていた友人が、音楽の才能に目覚めて急に遠くに行ってしまった時は、自分の才能の無さに少しだけがっかりしたりもした。


 僕たちの隣に住んでいた家族には、僕と同い年の女の子がいた。

 同じ年の同じ月、3日違いで生まれた僕らはまるで姉弟のように育った。

 彼女はうまく話せない僕に対して、他の人のように無視をしたり、せっかちに質問責めにしたりするのではなく、僕の言葉をゆっくり待ってくれていた。

 それでも会話をできないくらい、声が喉につまってしまった時は「気持ちをここに書いてもいいよ」と、ノートとペンを貸してくれた。

 それは彼女が大事にしていたノートで。学園でも使っていたそのノートを、表紙とは逆側からページを僕に貸してくれたのだった。

 青い軸の綺麗なペンを借りて、ノートの隅から文字を書いていく。

 彼女はそのペンが動きを止めるまで何も言わずに待っててくれたし、僕もそのおかげで声を出すよりもスムーズに気持ちを伝えることができた。

 そのおかげで、僕は文字を書くことが大好きになったし、彼女のこともとても大切に思うようになった。

 しかしある時、僕たちは大きな岐路に立たされた。

 彼女は学園でその美声と美しい歌声を披露した事で、その才能は著名な音楽家達の耳まで届いた。

 そして彼女は僕らの街の学園から、遠く離れた音楽の才能を持つ子どもだけが入学を許される学校へ編入することになった。

 入学に伴い、彼女の両親には多額の報酬が与えられ、彼らは幼馴染と共に住まいを移すことになった。

 幼馴染が引っ越す日の朝、僕は彼女にあるものを贈ることにした。

 アメジストの首飾りだ。

 もちろん貧乏な僕が、そんなものを買えるはずもなく。

 学業の傍ら、家計の足しにするためにしていた廃品回収の仕事の際に偶然見つけたものだった。

 僕にはこんな仕事しか出来ないけれど、それでもこんな素敵なものを彼女に贈れるのだから、ラッキーだ。

 大切に大切に、形を崩さないように磨いたそれを彼女に渡すと、彼女は泣きそうな顔でそれを受け取った。

 そしてお礼の言葉を口にすると、何かを言いかけて口を閉じた。

 沈黙が降りた僕らの元に、彼女の両親の呼ぶ声が聞こえて、幼馴染は彼らの元に走って行った。

 走りながら僕を振り返り、彼女はさよなら、と小さく手を振った。


 彼女が居なくなってからの僕の毎日はとても味気ないものになった。

 いかに彼女が僕にとって大切な存在だったのかを思い知ると同時に、自分がとても無価値なのだと思い知ることばかりだった。

 いつものように、スズメの涙程の給料しかもらえない廃品回収の仕事を僕はこなしていた。

 そんな時、僕は僕の人生を変える出会いをしてしまう。


 雇い主に支持されて向かった場所は、廃品が山のように積み重なり、海のように敷き詰められた、酷い場所だった。

 こんなに人にとって要らないものが溢れかえってると思うと驚いてしまう。

 捨てられたモノを拾うだけの仕事をしている僕も、もしかしたらこれらと同じように価値のないものなのかもしれない。

 そんな風に思考を巡らせていると、気持ちが心臓よりも低い場所まで落ちてしまいそうだったから、慌てて首を振る。

 そんなことより、今僕は僕にできることをしよう。

 例えそれが一生続いてしまう苦難の道だったとしても。

 目の前に広がる廃品の海を踏みしめながら進んでいくと、一際大きな山があった。

 僕はその上の方から使えそうなモノと、使えなさそうなモノと、粉々にすれば再利用できそうなモノを分別していく。

 そうしているうちに、巨大な山も徐々に崩れていく。

 更に作業を続けていくと、下の方に巨大な何かがあることに気づいた。

 上に乗っていたモノや周りにあったモノたちをどかしていくと、それが何なのか分かった。

 それは、立派なピアノだった。

 さすがに廃品として捨てられているので、お世辞にも綺麗な状態では無いのだが、それでもその姿は圧巻そのものだった。

 なんでこんな物が、と思ったが、そんな事を気にするより先に、僕は震える指でピアノに触れていた。

 鍵盤は汚れてこそいたが、鍵盤はしっかりとした重みをもっていたし、驚くことに音も出た。

 すっかりそのピアノに魅入られた僕は仕事の事も忘れて、その鍵盤に触れていった。

 しっかりと調律されたピアノを使ってる人が聴いたら卒倒しそうな音だと思うが、それでも僕にとっては自分の指から音が生まれていくことがたまらなく嬉しかった。

 その日、いつもよりも成果が少なかった僕は雇い主に不審に思われたが、あまり深く詰められる事はなかった。


 それから僕は仕事のない日もピアノに触れるために、廃品の海に通うようになった。

 街の図書館でピアノの手入れや修理について調べ、同時に楽譜なんかも借りた。

 僕ら貧乏人は一回に一冊しか借りることが出来なかったけど、僕はそれでよかった。

 廃品の山の麓にピアノを移動し、雨除けの屋根を作ったり、見つからないように物を積み上げ洞窟のようにしたりして、環境を整えていった。

修理を終えたピアノの前にくたびれた椅子を置き、それにしっかりと座ると改めて僕は鍵盤に触れた。

重みのある鍵盤を押すと、ポーンと音が鳴った。

 なんの変哲もない、ただの一音に僕の心は揺れ動いた。

 それから僕は狂ったようにそのピアノを弾いた。

 最初は音を確かめるように一心不乱に、慣れてきた頃には楽譜を見ながら慎重に。そして楽譜になぞる事に慣れてからは音を楽しむように。

 ピアノを弾いている時は、色んなことを忘れられた。色んなこと、ほんとうに本当に色んなこと。

 毎日毎日、仕事さえ忘れてピアノを弾き続けていたらある日、立派な制服を着た人達がやってきた。

 警官かも、と思った僕は言葉を発せずただ俯いた。雇い主が呼んだのかもしれない。

 しかし、彼らの告げた言葉に僕は更に言葉を失った。


『我々と一緒に来てもらう』

『君の音楽は評価されるだろう』


 彼らは音楽家が集まる都心の伝令だったらしく、僕はその街でも特に著名なお方の耳にまで噂が届いてしまったらしい。

 恐るおそる、自分が持ってる服の中で一番まともな服を着て、招待された屋敷に行くと、立派なピアノが用意されており僕はそれを集まった音楽家たちの前で弾くように指示を受けた。

 そのピアノは、廃品の海のあのピアノと全く同じ型だった。

 だから、椅子に座る前は恐々としていた僕も鍵盤に指を乗せた時にはいつもの自分の世界に入り込むことができた。

 散々音を奏でた後に明日から立ち上がると、周囲の人々は一同に拍手をし、僕を褒め称えた。

 よく見ると彼らの後ろの方に幼馴染の姿もあって、それが更に僕を驚かせた。

 駆け寄ってきた幼馴染は僕に勢いよく抱きつくと「すごいね!」と感嘆の声を上げた。

 幼馴染はずっと僕の事を忘れずにいてくれたらしい。

 彼女がおもむろにポケットからあるものを取り出した。それはピンク色に光る宝石をあしらったペンダントだった。


 その宝石を『ピンクアメジスト』という宝石だと教えてくれた彼女は、いつかこれを僕に渡すと決めていたのだと話した。

 僕は声も出せぬまま、両の目から涙を流した。

 そんな僕の頭を幼馴染は優しく撫で「君のピアノをもっと聴かせて?」と僕の手を引き再びピアノの前に連れて行く。

 僕は頷いて、椅子に腰掛け鍵盤に指を乗せると、再び音を奏でだす。

 それは先ほどよりも静かだったが、周りの音楽家も幼馴染も、ピアノの音に聴き入っていた。

 音楽のために用意された部屋に、僕の指が奏でる音だけが響いていく。

 静かに、けれど、確かに。


-END-

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