第23話―優しい女

 ―――――――――――――――――――――


 自部屋。ベッドの上。

「俺」自身を倒して、帰宅してからずっとこうして寝転んでいた。

 校舎に大した被害はなく、夜海たちに大事も無い。夜海の力で斬られた草薙は目覚めるのに時間が掛かったが、幸い命に別状ないようだ。

 あの場で死んだのは俺の幻影ファントムだけだった。

 色んな思考が渦巻いては消えていく。この世界、俺の周囲の人々、未神蒼。そして俺自身。

 かつての俺の屋上ダイブ。あの日、未神蒼は世界も俺の人生も書き換えた。ロストブラッドの発動だけでは無い。俺には姉と友人と、俺は気付いてないけれど自分に想いを向ける少女が生まれた。その瞬間までそんな人物はいなかったのだ。

 んな馬鹿な話があるかって? けれど今、俺にはいなかった世界の記憶がある。ファントムの黒い炎と共に流れ込んできたのだ。

 その世界では姉とじゃなく、両親と暮らしていた。俺は一人っ子だったようだ。親にはさして愛されず、友人も無い。女性と関わることもない。執筆の才も特には無い。飛び降りたが死ねずに脳に障碍が残り、更に書けなくなった。最期は火事に巻き込まれて死亡、と。

「考えれば考えるほどろくでもねぇな、おい……」

 整理してみたが、知りたくなかったことばかりである。この世の憂鬱を全て詰め込んで煮込んだような人生だ。その成れの果てがあのファントムである。報復しか考えられない怨霊になるのも仕方が無いのかもしれない。

 結局、未神の介入により俺は何の後遺症も残らず、本来手に入らなかった多くのものを得ることが出来た。あいつのしたことは倫理的には邪悪と言っていい。居もしない国や人を在ることにした。だが、それは俺のためなのだ。

 あいつは俺のために世界を壊し、創ってみせたのだ。

「あきらー?」

 姉貴が部屋に入ってくる。

「ノックしろよ」 

「まあまあ」

「まあまあじゃねえんだよ」

 そのまま部屋の電気を点け、テレビもつけ始めた。

「で、何の用?」

「特にないよ」

「じゃあ出てけよ」

「ほら、思春期は一人でいちゃいけないって言ったでしょ。ね?」

 そのままごろーんと寝転がり始める。……この姉も、未神が生み出した存在なのだ。今まで感じたことのない違和感に襲われる。本当はいなかったはずの存在。しかし、目の前でごろごろしている姉貴は確かに存在している。

「ん? どうかした?」

「いや……」

「ふっふーん。おねえちゃんの麗しい姿に釘付けかなー?」

「……」

「なんか返事してよー」

「……自分がいなかったかもしれないとか、考えたことあるか?」

 口をついておかしなことを聞いてしまった。

「え?」

「いや、その、だから、ある瞬間に急に自分が生まれたっていうか……」

 姉に怪訝な顔で見られる。そりゃそうだ。

「んー、あきくん……」

 顔が近付く。近付けんな。

「変わる前のこと、覚えてる?」

「……は? 変わる前?」

「うん。この世界がもっとつまらなかったころ」

 気が動転する。その口ぶり、まさか……

「あ、おねえちゃんが存在してなかったのは知ってるよ」

 ……有り得ない。そんなこと、有り得る筈がない。

「ちょっと前にどかーんとこの世界の情報が書き換わって、わたしがいたことになった。で合ってると思う」

「……知ってたのかよ」

「知ってるっていうか。そんな感じがしてた。っていうかあきらこそいつ気付いたの?」

「今日……」

「あ、そっかー」

 そんな何でもないことのように姉は笑った。

「自分がそうだって、分かった上で今日まで普通に生きてきたのか?」

「まあ別に、何にも変わんないしね」

「いや、変わるだろ……」

 ぎゅっと鼻を摘まれた。

「変わんないよ。あきらは間抜けな弟で、わたしはりっぱなおねえちゃんなのだっ!」

「あはは……」

「そうなるように創られたのかもしれないけどさ。まあいいじゃん、それでも」

 溢れる何かを抑えようとして、体が少し震えた。

「あきらは? いや?」

「……嬉しいよ」

「ならよし。まあいやでもわたしがおねえちゃんなのは変わらないけどね!」

 ベッドの端に姉が座る。

「あ、怖かったんでしょ。ほんとのことに気付いたらわたしがいなくなるかもって」

 そんなことは……まぁ全く思わなかったわけでもない。

「ふははは! おねえちゃんは永遠なのだっ! ふはははは!」

 姉貴が変身ポーズを取りながら高笑いした。恥ずかしい。

 ……けれどこの人がいる限り、俺は狂ったりしないだろう。泣かれた顔を見られたくなくて、ベッドに顔を擦りつけた。

「ずっとわたしは味方だからね、あきら」

「……ああ」

 救われた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る