第11話―絶叫の男

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「すみません……送って貰って」

 夜海さんが申し訳なさそうにそう言った。

 帰り道。彼女の隣を並んで歩く。半ばパニック気味とも言えたあの様子から見て、一人で家に返すのはよろしく無いだろうという結論に至ったのだ。

 ……というのがカバーストーリーである。実際には未神の言うオペレーション・フラグブレイクの一工程であり、彼女の暴走の原因である欲求を抑えることにある。

「いや。構わない。どうせ暇だからな」

 普段は歩かない道。陽の沈みかけた薄明の空。作戦とは言え、女の子と二人並んで帰るのに変わりはない。よく考えると経験の無いことだった。

「私のこと……怖くないんですか? 依途さんのこと、殺そうとしたんですよ?」

「……怖くないわけじゃない。でも「貴方」に責任のある話じゃないだろ?」

 首を横に振る。

「あの子の破壊願望は、多分そもそも私のなんです」

「?」

「どうして自分にはこんなに能力が無いんだろう。無能なんだろう、って。

 死にたいのと同じくらい、みんな死んで欲しかった」

「大変だなぁ」

「はい。大変です。ほんとに死んだら、多分凄く後悔するのに」

「そう思えるなら、貴方は優しいよ」

「……依途さんも、そうなんじゃないですか?」

「ん?」

「私とあたしが依途さんにご迷惑をかけてしまった理由が、まだあるんです」

 夜海さんはゆっくりと歩きながら、少し伏し目がちに話した。

「ロストブラッドが起きたころ。クラスのグループチャットに、写真が上がったんです。……依途さんの原稿の写真が」

「はぁ!?」

 頭を抱える。マジかよ。誰だよ。

「屋上からこの原稿を投げ捨てて飛び降りたって」

 この子のクラスのグループチャットに上がるんだ。俺のクラスにも当然上がってるだろう。……そりゃ文豪ダイブとか言って喜ぶやつが出始めるわけである。

「全ての原稿がアップロードされた訳ではありませんが。才能の無い者の絶望がその小説には書かれているようでした」

「……」

「依途さんなら、私のことを理解してくれるんじゃないかって。そんな勝手な妄想が抑えられなくなりました」

 何色ともつかない空の元で、彼女が告げる。……鼓動が高鳴っているのが分かった。

「……恥ずかしいな」

「ごめんなさい。勝手に読んで」

「いや。写真を上げた馬鹿が悪い」

「読んだ私は非難出来ませんね……」

 彼女が俺ならば自分を理解出来るかもと言ったのが正しいかは分からない。けれど、俺と夜海さんがよく似ているのは事実だろう。自らの無才に呆れ、死を願う。馬鹿な高校生である。

「……俺もさ。自分に才能が無いのが嫌で飛び降りたんだ。

 何にもない奴の悲しさを書いた本がつまらないお陰で、作者の無能を殊更に示してる。皮肉として見りゃいい出来だ」

「そんなこと……」

「読んでくれてありがとう。全部じゃないかもしれないが、それでも」

「……ふふ」

 笑った。多分初めて見る笑顔だった。

「いつか全部読ませてください」

「いや、不出来が過ぎる。それは……」

「それでも読みたいんです」

「……ああ。そうか」

 彼女がまた微笑む。

「……っ」

 ふと、夜海さんが魂の抜けたような表情をした。人形のように目に光が消えている。

「どうしたんだ?」

「……くく、あはははは」

 雰囲気が、変わった。……まさか。

「あの子ったら。必死であたしのこと抑え込んで。こんなのいつぶりだろう」

「「二人目」、か」

「いやだなぁ。君からすれば初めてのつもりなんだけど。ねぇ、童貞くん?」

 挑発的な言動。鋭い目つき。間違い無い、ナイフを俺に突きつけてきた方だ。

「……それで? また俺を殺す気か?」

「んーん。知らなかったからね。自分の力なんて」

「え?」

「知らないまま、君を殺すところだった」

 自分でも能力を知らなかったのか? しかし、そんなこと……

「人を殺しちゃいけない。それくらいはあたしでも分かってる」

「…………」

「謝ろうと思って。ごめんなさい」

 思った以上に深く、夜海が頭を下げた。

「……分からんな。殺したいんじゃなかったのか?」

「やりたいのと、やっていいかは別だから」

「……お前、もしかして暴走さえしてなきゃまともな感じ?」

「やだなぁ。これでもずっとあの子の代わりしてきたんだよ?」

「そう言われればそうか」

 さっき説明をうけたが、どうしてもシルエスタで戦った時の印象に引っ張られる。

「許して……ううん。許してくれなくても謝るよ。それだけのことをしたんだから」

「……まあいい。今後攻撃しないでくれるならそれで」

 これで今後の安全も確保された。助かった。大切なのは話し合い。暴力は良くないね!

「よかった」

 殺されそうになってるのに、そうやって笑われると可愛いだとか思ってしまうのだから俺も単純なものである。

「んー……ねぇ、あたしのこと、怖くない?」

「怖くないわけじゃない。が、もう謝罪は受け入れたからな。……気にするか、そういうの?」

「けっこうね。なにせ、年頃の乙女だから」

 夜海が何かに気が付いた様な素振りを見せると、ポケットから髪留めを取り出した。

「髪は? 縛ってる方がいい?」

「え? あ、ああ……」

 よく分からないまま返事をする。彼女が長い髪を後ろに縛ってポニーテールにした。髪留めは部室に来たときに着けていたものだ。隠れていたうなじが日に晒された。

「もう一つ聞きたいんだけど……」

 夜海は俺の手を取り、自分の胸に押し当てた。知らない感触が掌を覆う。

「な、なにして……」

「あの子とあたしだったらどっちがいいかな?」

 指が沈んでいく。温い。

「ん……安心するね……」

「離せって!」

「あたしさ。あの子の代わり、飽きちゃったんだよね」

「え……?」

「ずっとあの子の身代わりだなんて、そんなの馬鹿馬鹿しい。あたしは仮面じゃない」

 夜海が憎らしげにそう言った。

「さっきだってそう。あたしを押し込んで、空良くんを独占しようとしたんだ」

「取り合うような人間じゃないぞ、俺は」

「どうかな。あたしもこの子も、やりたいことはそんなに変わらない。違うのはあんたに対しても殺人衝動が湧くかどうか」

 俺の手を、彼女が更に強く押し当てた。

「……んっ」

「おい、やめろってば!」

「この気持ちよさがあれば……もっとくれれば。それでよくなる気がするんだよね」

「はぁ……?」

「そのまま幸せになれちゃえば、他人を攻撃したいなんて思わなくなるかも」

 ……夜海さんの言っていたことを考えるなら、ない話じゃない。

「ねぇ、どうかな? 攻撃性も抑えられるし、お互いきもちくなれるし」

「どうって……」

「あたしのこと、飼い慣らしてよ」

 言葉が出ない。何か、融けるような快感と柔らかい感触だけがあった。

「!」

 また彼女が、身体を震わせる。瞼が下りる。再び開く。

「……依途さん」

 入れ替わったのが分かった。

「だめじゃないですか。ちゃんと拒絶しなきゃ。じゃないとまた、あなたを殺そうとする」

「もう俺を殺す意思は無いようだったが」

「……この女を信じるんですか?」

「この女って」

「私の体を勝手に使って、汚い……」

 さっき「あたし」が見せていたのと同じ憎しみを顔に浮かべていた。いや。今のほうがより強い感情にも見える。「私」の方も、もう一人の自分への憎しみを募らせているようだった。

「依途さんに迷惑かけて……」

「…………」

「迷惑ですよね?」

「え?」

「あの子、邪魔ですよね?」

 今までとは違う。確実にこちらの目を強く捉えて、そう尋ねてくる。いや、俺の意思を問いたいのでは無い。特定の回答を要求してきているに見えた。

 ……問題なのは、迷惑とも言いきれない所である。おっぱい揉めてうれしーうれしーと脳内麻薬がどばどば出ているのだ。

「どうして答えないんですか?」

 睨まないでくれ。仕方ないだろ? 揉んだこと無いんだから。

「あーその……」

「はやく、こたえて」

 沈黙を許してはくれないようだった。どう答えるべきなのか。或いは俺自身、どう思っているのか。狼狽えていればいるほど彼女の表情が冷たく燃えていく。

 ……そうだ。本心を答えるべきなのだ。

 隠すわけでも、見せかける訳でも無く。素直に、純粋に心の内を。それがいま、俺が返し得る最大の誠実さである。

「……は、……です」

「ん?」

「おっぱいは! 嫌じゃないでぇーーっす!!!」

「……へ?」

「素晴らしいでぇーーーっす!!!」

 静寂が時を支配した。無音だけがそこにあった。

 風や鳥すら鳴くのを止め、誰一人として道を通らない。

 永遠のようだった。

「……」

 醜態。あまりに醜態だった。武士なら切腹モノだし、そうでないなら打首である。

「では、失礼するよ」

 背を向けて走り出す。他に出来ることは何も無い。ただひたすら逃げる。

 俺を追うものは誰一人としていなかった。

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