後輩がバレンタインに生春巻きを渡してきた。

モコチッピピ

後輩がバレンタインに生春巻きを渡してきた。


「先輩。はっぴーバレンタイン」


言葉とともに吐いた息は白く、ぴんと張りつめた真冬の外気にふわりと溶けこんでいく。


後輩・望月もちづきはマフラーを抑えながら、小さくピースしてみせた。


表情の変化に乏しく、日頃から感情が読み取りづらいこの後輩が愛嬌を自認した言動を取るときは、決まってピースをしてみせるのでわかりやすい。


「……あの、これってさ」


たった今望月に手渡されたばかりの白いビニール袋の中を覗き込んで、先輩・浦町うらまちはためらいつつも、言葉を選んで切り出した。


「生春巻き、だよね?」


「はい。生春巻きです」


「生春巻き?」

「生春巻き」


「生春巻き……」


袋の中には、駅前の高級スーパーで売っているお惣菜の生春巻き1パックだけが、こともなげに鎮座していた。


暮れ始めてからが早い2月の空の下、校舎の窓から差し込む薄明かりだけでは頼りなくて、ただ見間違えてしまったのかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。


「あのさ、今日って2月14日じゃん?」

「はい。今日は2月14日ですね」


「一応、念のため、確認のために聞かせてほしいんだけど。今日がどんな日かは知ってるんだよね?……ていうかさっき『はっぴーバレンタイン』って言ってたよね?」


「やだなぁ先輩。そんなの現代社会を生きる全国民の基礎教養じゃないですか」


平然としている望月にますます事態が飲み込めず、浦町は頭痛を覚えて指で眉間を抑えた。


この後輩がこの手の冗談を言うようなタイプでないことは、付き合いの長さから心得ているつもりだった。となるとよりタチが悪いことになる。


「2月14日はバレンタインデー。意中の相手にチョコレートを贈る日ですよ」


困惑しどおしている浦町を指差しながら、望月がしれっと言ってのける。


「……あ、その認識ではあるんだ」

「当然です」

「当然だと思ってる感じなんだ」

「ええ。常識ですから」


「そこまで知ってて、放課後の校舎裏に呼び出して渡すものが生春巻きなんだ」


堂々たる姿勢を崩さない望月に、思わず引けを取りそうになる。

ビニール袋のずしりと重い手応えにいよいよ自分の常識を疑いそうになりながら、浦町はなんとか持ちこたえて言葉を返した。


2月14日、放課後、ひと気のない校舎裏と三拍子揃ったシチュエーションで贈られるものが要冷蔵のお惣菜とは、一体誰が予見できただろうか。


とはいえ呼び出しに出向いた期待感を裏切られた失望の感情などはまるで沸き上がらず、浦町の心はただ『戸惑い』の三文字だけに占められていた。


「ホームルームが終わってすぐに買いに行ったので、鮮度は間違いないかと」

「それはありがとう。ということはもう計画的な犯行だね」


「生チョコってあるじゃないですか」

「うんあるよ。ある。あるけど。生チョコの生は生クリームを使用しているという意味で、生春巻きの生は加熱調理していないという意味だから、この二つを並列しちゃダメなんじゃないかな」


「そうなんですね。さすが、先輩は物を良くご存知でいらっしゃる」

「それは言葉通りに喜んでいいのかな」


急に慕うような純粋な眼差しを向けられ、面食らう。


訂正すればするほど、望月の目には自分のことがまるでチョコレートが欲しくて欲しくてたまらない人のように映っているのではないかと思えてきて、浦町は徐々にトーンダウンした。


「ええ。それこそが、先輩への私の気持ちです」


せめてベトナムの風習に心当たりがあれば、この状況を素直に理解することができたのだろうか。


2月14日に生春巻きを贈ることは、ベトナムでは相手への宣戦布告を意味するとか。そんな理由付けがあれば、感情も追い着いてきたかもしれない。自分にもっと教養があれば、ウィットな返しができただろうに。


浅学を悔いるに留まり、歩み寄ることを諦めて、暮れ行く空を見上げる浦町に、望月が淀みなく宣言する。


「先輩、好きです。あなたのことが、とても」


「……あ、好きは好きなんだ」

「はい。明確に、恋人になりたいほうの“好き”です」

「好きだけど、生春巻き?」

「好きだけど、好きだから生春巻きなんです」


薄暗がりの中で思いを告げた望月の頬が紅潮していることに、浦町はワンテンポ遅れて気が付いた。


「だってこうでもしないと先輩、私のことなんて忘れちゃうでしょ?」


望月が、浦町のスクールバッグを指差す。


いびつな形に膨れ上がり、ジッパーを閉めることすらままならなくなっているバッグからは、可愛らしい包みの小箱が収まりきらずに飛び出していた。


「…………まぁ、強烈ではあるよね」


――この他にもチョコレートのみを入れた紙袋が2つほどあるが持ち帰るのが困難だったためロッカーに入れたままにしている、ということは、望月には口が裂けても言えない。


浦町は首の後ろをさすりながら、へらりと笑った。

もしも生春巻きのパックが2つに増えたりでもしたら、さすがに今夜中に食べきることができない。

お惣菜は、チョコレートよりも足が早いのだから。


「具材は海老と蒸し鶏らしいですよ」

「うーん。掴んでくるね、胃袋」


小さくピースしている後輩の頭脳プレイは、まずまず成功と言えるだろう。


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