『化粧室の悪魔』 ~メイクが変えた私は、もう人間じゃない~

ソコニ

第1話 パレットの誘惑


夜の街を歩く真奈の目に、古びたドラッグストアの看板が飛び込んできた。蛍光灯が明滅する店内に、一人の長身の女性店員の姿。その横顔は、まるでギリシャ彫刻のように完璧だった。


「いらっしゃいませ」


店に足を踏み入れた瞬間、真奈は違和感を覚えた。棚に並ぶ商品たちが、どこか見慣れない。そして、妙に色鮮やかな化粧品たち。


「お客様にぴったりの商品がございます」


振り向くと、先ほどの女性店員が不思議な微笑みを浮かべていた。その手には、見たことのない化粧品パレット。


「これは、特別なお客様にだけお勧めしている品です」


真奈は思わず苦笑いを浮かべた。この顔で「特別」なんて。鏡に映る自分の顔は、まさに「普通」の代名詞だった。丸い輪郭、一重まぶた、特徴のない唇。


「化粧品なんて…私には…」


「そうおっしゃる方にこそ、必要なんです」


店員はパレットを開いた。中には見たことのない色合いの化粧品が並んでいる。とりわけ目を引いたのは、黄金に輝くアイシャドウ。まるで太陽の光を閉じ込めたかのような輝きだった。


「これさえあれば、あなたも女神になれる」


その言葉に、真奈の心が揺れた。今朝の出来事が、まざまざと蘇る。


「顧客と接する部署には、もう少し見た目に気を使える人間を」


美容部長の冷たい言葉。バックオフィスへの異動を告げられた瞬間の屈辱。


「おいくらですか?」


自分の口から出た言葉に、真奈は驚いた。店員が告げた価格は、信じられないほど安かった。


パレットを手に取った瞬間、真奈の指先がピリリと痺れた。レジを済ませ、店を出ると、背後から店員の声が聞こえた。


「どうか賢明にお使いください。美は、時として呪いとなりますから」


振り返ると、そこには誰もいなかった。店内も、暗闇に沈んでいた。


アパートに戻った真奈は、すぐさまパレットを開いた。黄金のアイシャドウが、部屋の暗がりで妖しく輝いている。


ためらいがちに指を伸ばすと、まるで電気が走ったような衝撃が全身を駆け抜けた。気がつけば、手は既に動き始めていた。


アイシャドウを瞼に。チークを頬に。リップを唇に。


それは、まるで誰かに導かれるような。


最後の仕上げを終えた時、鏡の中の顔が、ゆっくりと微笑んだ。


そこにいたのは、まさに女神のような美しさを持つ女性だった。整った目鼻立ち、神々しいまでの輝きを放つ肌。完璧な均整を持つ顔立ち。


「こんなの…私?」


その時、スマートフォンが鳴った。画面には「美容部長」の文字。


真奈は、ゆっくりと唇を歪めた。女神のような顔に、底知れぬ闇が広がる。


鏡の中の美しい顔が、不気味な笑みを浮かべている。その瞳の奥に潜むものは、もはや人間のものではなかった。

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