第14話:秋風の戯れ ~小さな駆け引きの行方~

 九月の朝は、すでに秋の気配が植物園「花風」を包み込んでいた。朝露が一層冷たく感じられる早暮れ、蓮華は珍しく一人で星の温室に向かっていた。いつもなら葉月が早朝の水やりを終えている時間だが、今朝は様子が違う。


「葉月さん?」


 温室に入っても、普段なら聞こえるはずの葉月の植物たちへの語りかけが聞こえない。代わりに、作業台の上に一枚のメモが置かれていた。


『今日は私に会いたかったら、探してみて? ヒント:シュウメイギクの咲く場所』


 蓮華は思わず微笑んだ。普段はおっとりとした葉月が、こんないたずらめいたことを思いつくなんて。


「まあ、たまにはこういう展開も素敵ですね」


 蓮華は早速、メインガーデンへと足を向けた。



 シュウメイギクの群生地に着くと、そこにも葉月の姿はない。代わりに、花の根元に小さな矢印が描かれた石が置かれている。


「なるほど、宝探しですか」


 蓮華は石の指す方向、せせらぎの小径へと歩を進めた。朝露に濡れた草花が、その足跡を優しく受け止めていく。


 小径に入ると、キンミズヒキの花穂が風に揺れていた。その黄金色の穂先が、まるで葉月の髪の色を思わせる。近づいてみると、また新しいメモが見つかった。


『蓮華の大好きな、あの場所は?』


「ふふ、それなら……」



 月見亭に向かう途中、蓮華はフジバカマの株間の草取りに余念がない葉月を見つけた。だが、そっと近づこうとした瞬間。


「まだよ、蓮華。次のヒントを見つけてから」


 葉月は振り向きもせずに言った。その声には、普段は見せない意地悪な色が混ざっている。


「まあ、葉月さんったら」


 蓮華は思わず笑みを漏らした。こんな葉月も、新鮮で愛おしい。



 結局、蓮華が葉月と落ち合えたのは、風の広場でのことだった。


「随分と手間をかけさせてくれましたね」


 後ろから抱きしめようとする蓮華を、葉月は軽やかにかわした。


「今日は、いつもと違う私を見せたくて」


 葉月の瞳が、秋の空のように澄んでいる。


「どうして突然、こんないたずらを?」


「だって、私たちの日常があまりにも自然すぎて。たまには、わざと距離を置いて、また恋をし直してみたくなったの」


 その言葉に、蓮華は胸が高鳴るのを感じた。



 午前中、二人はリコリスの球根の植え替えに取り掛かっていた。ヒガンバナの開花を前に、来年への準備が必要な時期だ。


「この根の張り方、見事ね」


 葉月は球根を掘り上げながら、その生育状態を確認する。


「ええ。根系の発達が理想的です。土壌環境が……」


 専門的な解説を始めようとした蓮華の唇を、葉月が指で押さえた。


「今日は、もっと違う会話をしましょ?」


「え?」


「私たちの思い出とか、将来の夢とか……」


 蓮華は思わず赤面した。普段の葉月からは想像もつかない積極性に、心が躍る。



 昼下がり、二人は温室で秋の準備に取り掛かっていた。


「この棚、もう少し日当たりを考えて……」


 作業に没頭する蓮華の背後から、葉月がそっと近づく。


「蓮華は、私のどこが好き?」


 突然の問いに、蓮華は思わず手を止めた。


「そんな、急に何を……」


「答えられない?」


 葉月の声には、かすかな挑発が混ざっている。


「いいえ。葉月さんの、植物を愛する優しさも、時々見せる意外な強さも、全部が……」


 言葉の続きは、葉月の唇で封じられた。



 夕暮れ時、星の温室は柔らかな光に包まれていた。


「今日の私、驚いた?」


 葉月は蓮華の膝の上で横になりながら尋ねた。


「ええ。でも、とても素敵でした」


「実は少し、演技してたの。でも、蓮華の反応を見てるうちに、自然と楽しくなってきて」


 蓮華は葉月の髪を優しく撫でながら答えた。


「葉月さんの新しい一面を見られて、嬉しかったです」


「これからも時々は、こんな風に」


「ええ。でも、普段の葉月さんも大好きですよ」


 温室の植物たちが、静かに二人を見守っている。シュウメイギクの香りが、秋の訪れを告げていた。



 その夜、星の温室では珍しい出来事が起きていた。


 月の光を受けて、ゲッカビジンの花が突然開き始めたのだ。真夜中の温室に、神秘的な香りが漂う。


「見事ね……」


 葉月は蓮華の腕の中で、幻想的な光景を見つめていた。


「ええ。まるで、私たちの新しい愛の形を祝福してくれているみたい」


 大輪の白い花が、月の光を反射して神秘的に輝いている。その周りを、夜の蛾たちが優雅に舞う姿も見えた。


「ねえ、蓮華」


「はい?」


「これからも時々は、こうして互いを驚かせ合いましょう」


 蓮華は葉月をより強く抱きしめた。


「ええ。毎日が新鮮で、でも安心できる。そんな関係を、これからも」


 花々は静かに香りを放ち、秋の夜の温室を優しく包み込んでいく。



 翌朝、蓮華は温室で目を覚ました。隣で眠る葉月の寝顔に、そっとキスをする。


「んん……おはよう」


「おはよう。今日は私が朝の水やりを」


 葉月は目を細めて微笑んだ。


「でも、また私を探して?」


「ええ。今度は私の番です」


 窓の外では、朝露に濡れた花々が新しい一日の始まりを告げている。シュウメイギクの花が、まさに開こうとしていた。


 秋の始まりとともに、二人の愛は新しい色を帯びていく。朝もやの向こうで、清々しい風が二人の未来を優しく撫でていた。

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