エピローグ

第34話

 六月ということもあって湿気が多くて蒸し暑い。それでも連日続いていた雨が今日だけ晴天となったのは嬉しいことだ。


「天気予報では今日も雨だったのにね」


 隣で柚希が眩しそうに空を見上げながら言った。時雨は「そうだね」と頷きながら周囲を見渡す。


「おかげで土曜日なのにけっこう空いてるよね」

「だね。まあ、昼くらいからは混んでくると思うけど」


 周囲から聞こえてくるのは軽快な音楽。大きな地球のオブジェの周りには高く噴水が上がっている。その噴水をぼんやりと眺めながら「懐かしいね」と時雨は微笑む。


「うん」

「覚えてるの?」

「この光景は、なんとなく」

「それ、わたしと行ったときの記憶じゃないの」


 柚希の隣で水希が呆れたように言う。柚希は少し考えてから「そうかも」と笑った。水希はため息を吐く。


「今の、パピが聞いたら怒るところだよ。適当なこと言うなって」

「だねー」


 悪びれることもなく柚希は笑うと柔らかな表情で「良かった」と呟いた。


「この場にパピがいなかったってことが?」


 水希の質問に柚希は「違うよ」と笑うと視線を少し遠くに向ける。つられてそちらを見るとパピが大きく手を振りながら歩いてくるところだった。その後ろには知砂、そしてミユも続いている。みんな手には大きな袋を持っているので無事に目当てのものが買えたようだ。


「ここに、みんなでまた来られたことが」


 柚希は言う。水希は答えず、ただ穏やかな表情で近づいてくる三人に視線を向けていた。

 あのメッセージを送った翌日、約束の場所、約束の時間には柚希以外の姿があった。誰もがぎこちない笑顔で顔を合わせ、そして「久しぶり」などと気のない挨拶をして無言で時間が経つのを待っていた。

 時雨もまた同じ。本当に来てくれるだろうか。脳裏をよぎったのは不安そうな柚希の表情。だが、それも杞憂だったようだ。約束の時間を少し過ぎた頃、柚希が緊張した面持ちでファミレスに入ってきたのだ。


「ユズ、こっち」


 安堵しながら時雨が手を挙げるとユズは控えめな笑みを浮かべながらやってきた。


「ごめん、遅れちゃって」

「ううん。そんなに遅れてないよ。ね?」


 時雨は苦笑しながら振り返ると、全員が複雑そうな表情でユズのことを見ていた。気まずい空気に時雨は困惑して知砂たちを見渡す。


「みんな、どうしたの。ユズ来たよ?」


 するとパピが睨むように時雨を見てきた。


「どうしたのって……。あんたこそどうしたって感じなんだけど。なんでそんな普通なわけ?」

「なんでって……」


 昨日会ったからとは言い辛い雰囲気。時雨が言い淀んでいると「ユズもユズだよ。なに普通に何事もなかったみたいに来てんの?」と腕を組んだ。


「……うん。あの、ごめんね」


 伏し目がちに柚希は謝る。


「ユズ、ほんとにユズ?」


 眉を寄せて疑わしそうにユズを見つめる知砂。そんな彼女に同調するように「たしかに雰囲気違うよね」とパピも頷いた。


「さては偽物だな?」

「二人とも何言ってるの。どう見ても本人でしょ」


 見かねたミユが穏やかに二人を宥める。しかしパピと知砂は息もぴったりに「本人だけど違うじゃん」と声を揃えた。


「えっと……。うん、ごめんね」

「ほら、それ!」


 パピが鋭く言って柚希を指差す。


「ユズはそんなしおらしく謝ったりしない」

「うん。ユズはそういうときは適当なこと言って何事もなかったかのように座ってくる」

「そうなの?」


 思わずといった様子で柚希が時雨を見てきた。時雨は苦笑しながら「まあ、そうだったかも」と頷く。


「やっぱ偽物だ」

「あんた誰?」


 再び知砂とパピの声が揃う。そのとき柚希の後ろから「バレたか」と水希がひょっこり現れた。瞬間、知砂とパピだけではなくミユも大きく目を見開いて動きを止めた。


「水希」

「いつまでもわたしの紹介にまで進まないからさー。待つの飽きた」

「あ、ごめんね」

「座っていい? シグ」

「ああ、うん。どうぞ」


 時雨はボックス席の奥に移動すると、その隣に柚希と水希が座った。


「狭い」

「文句言わないで、水希」


 柚希が注意すると再び向かいに座る三人に「ごめんね、なんか」と謝った。


「えーっと……? 知砂、この状況わかる?」

「わかるわけがない。ミユは?」

「いや、わたしも」


 ミユも困ったように首を傾げている。そうだろうと思う。本当は柚希が事情を話したあとで水希を紹介する予定だったのだ。どうするのだろうと時雨は隣に座る水希と柚希を見る。

 柚希はしばらく迷っている様子だったが「あの」と覚悟を決めたように口を開いた。


「まずはみんなに謝らせてもらえるかな」

「いや、もうけっこう謝ってるからそれはいい」

「うん。むしろユズのくせに謝りすぎ」

「えー」


 柚希は困った顔で水希に視線を向けた。


「先に頼んでもいい? わたしまだ夕飯食べてなくて」

「あ、どうぞ」


 ミユが思わずといった様子で注文用のパネルを差し出す。水希は「ども」と会釈しながらメニューを見始めた。


「……こっちがユズなんじゃね?」

「ぽい」

「残念。わたしはユズであってユズではない」

「何言ってんの、こいつ」

「頭悪そう」

「まあまあ、パピちゃん。知砂ちゃんも」


 ミユは苦笑しながら「それで、えっと、どういう状況なのか説明してもらってもいい?」と柚希に視線を向けた。


「あ、はい。えっと、どこから話せばいいのか」

「わたしコレにする。柚希は?」


 水希がメニューを差しながら言う。柚希はため息を吐いて「同じので」と答えた。


「柚希……?」


 ミユが呟くように言う。柚希は頷いた。


「わたしは柚希で、こっちが妹の水希です。えっと初めまして……?」

「初めましてってことは、ユズはやっぱりそっちなの?」


 パピが眉を寄せながら水希を見る。注文を終えた水希はパネルを元の位置に戻しながら「だから、そうだとも言えるし違うとも言えるって言ってんじゃん」と答えた。


「……違うわ。あんたユズじゃないわ」

「あの、ごめんね。ユズっていうアカウントは最初は二人で使ってたアカウントだったから。でも、みんなと会って遊んだりしてたのはわたし」


 パピは眉を寄せたまま「ほんとに?」と柚希を見つめた。その視線を受けて柚希は迷うように時雨を見てきた。時雨は微笑む。


「最初から話したらいいんじゃない? みんな、ちゃんと事情を知りたいと思う。時間もまだあるしさ」

「そう、だね……」

「そうそう。さっさと話してよ。わたしが黙ってるの、たぶん食べてる間だけだよ」


 水希はつまらなさそうに頬杖を突きながら言った。柚希は苦笑する。


「なに、シグは全部知ってんの?」

「うん。昨日ね、二人に会うことができて全部聞いた。だからみんなにも聞いてほしい」


 大丈夫。何も心配はいらない。時雨は柚希に笑みを向ける。きっとみんなが待っていたのはユズではなく柚希だ。三人と話をしてきた時雨にならわかる。だから……。


 ――怖がらなくても大丈夫。


 まっすぐに柚希を見ながら時雨は思う。その思いが伝わったのか、柚希は穏やかな笑みを浮かべると軽く深呼吸をしてから口を開いた。そしてゆっくりと語り出す。昨日、時雨にしてくれた話を。

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