第30話

「……このポストはユズとみんなとの思い出だよね」


 黙り込んでしまった柚希の前に、シグは自分のスマホを置いた。そこには柚希が新しく作ったアカウントが表示されている。柚希は頷く。


「断片的に思い出したことを記録してた。合ってるかどうかわからないんだけど」


 するとシグは笑って「合ってるよ。全部合ってる」と答えた。柚希は目を見開く。


「全部?」

「うん。わたしね、知ってるんだ。ユズが知砂ちゃんとパピさん、それからミユさんと作った思い出」

「全部知ってるの?」

「うーん……。さすがに全部じゃないけど、でもみんなからユズのことたくさん聞いた。ユズが、とても素敵な友達だってこと」

「――わたしじゃないよ」


 しかしシグは首を左右に振った。


「ユズはユズだよ。だって、みんなから聞いたユズの言葉はそんな作られたキャラが言うような言葉じゃないもん」

「そうなの?」

「そうだよ」

「でも今はもう誰もわたしのことなんて気にしてないし」

「そんなことないよ。わたしはすごく気にしてる」

「たしかに」


 柚希は軽く笑う。だがシグだけだ。きっと昨日、偶然彼女と出会わなければ彼女もまたユズのことを忘れてしまっただろう。

 それが当然だ。

 ログインすらしているかもわからない相手にいつまでも構ってなどいられない。そうして簡単に絆は消えていく。ネットで出来た友達とはそういうもの。理解はしている。それでも悲しくなってしまう。虚しくなってしまう。だけどユズではなくなった自分にはどんな言葉を相手に送ればいいのかわからない。


「みんな会いたがってるよ」


 シグの言葉は優しい。しかしそれが本当だとは思えなかった。


「――そんなわけないよ」


 柚希は笑いながら顔を俯かせる。


「なんで?」

「だってわたし、みんなこと無視してたんだよ」

「してないじゃん。ちゃんと覚えてる」

「覚えてない」

「うん。覚えてるのに覚えてない。だから、みんなを傷つけたくなかったんだよね?」


 シグの優しい声に柚希は顔を上げた。彼女は柔らかく微笑んでいた


「みんなにはわたしがこうなってるなんて関係ないし」

「たしかに最初はびっくりするかもね。ユズがわたしたちのことを忘れてるなんて」

「だよね」

「でも、びっくりはするけど嫌いになんてならないよ」

「……そうかな」

「そうだよ。きっと今のユズに会ってもみんなは喜ぶよ。みんなユズに会って言いたいことがあるんだからさ」

「言いたいこと?」

「そう」

「なに?」

「それはみんなに直接会ってから聞いてほしいな。ていうか、わたしも知らないし」

「そっか」


 柚希は笑う。シグも笑う。別に気を遣われているわけではない。それは彼女が纏う空気からわかる。彼女はあるがままの柚希を受け入れてくれている。居心地が良い。息も詰まらない。自然体の自分でいられることが、こんなにも嬉しい。


「――みんなに会ってみよう?」


 静かにシグが言う。優しい表情で。柚希は自然と水希を見ていた。彼女はいつの間にかゲームをやめて柚希の方を見ていた。


 ――自分で決めろ、か。


 彼女の瞳はそう言っているように見えた。柚希は俯きながら考え、そして「まだ、勇気が出ない」と呟いた。


「みんなに会って、みんなが話すユズのことを聞いているときっとわたしはダメになる」

「じゃあ、ユズがみんなに会う勇気が出るまでわたしがユズに話してあげる」


 その言葉に柚希は首を傾げる。


「なにを?」

「ユズのこと」

「わたしのこと?」

「そう。わたしが知っていてユズが知らないユズのことを話してあげる」

「……ややこし」


 思わずといった感じで水希がボソッと口を開いた。シグは「ほんとだね」と笑う。


「でも、そうすれば何か思い出せるかもしれない。思い出せなくても、みんなと会ってたユズはそんなユズだったんだなってわかる。今の自分とは違う、そんなユズもいたんだって思えるようになるんじゃないかな」

「それでみんなに会えるようになるかな……」


 柚希はシグを見つめる。だがシグは困ったように微笑んだ。


「それはユズ次第だよ」


 当たり前の答えだ。みんなに会えるようになるかどうかは自分の気持ち次第。


「……聞かせてくれる? ユズのこと」


 しばらくの沈黙のあと、柚希は言った。シグは「もちろん」と満面の笑みを浮かべる。


「――どうして」


 思わず思っていたことが口から零れ出る。シグは笑みを浮かべたまま問うような視線を柚希に向けた。


「どうしてシグはそんなに優しくしてくれるの」

「どうしてって……」


 シグは考える。そしてはにかんだような笑みを浮かべた。


「お礼をしたいから」

「お礼?」

「そう」

「わたし、何かしたの?」


 断片的に残る記憶には確かにシグの姿やシグとのやりとりのことが多い。しかし特別なことがあったというような記憶はない。シグは「ユズにとってはきっとたいしたことじゃないよ」と笑った。


「でもわたしにとっては嬉しいことだったから」

「それは、なに?」

「ユズに出会えたこと」

「……それはわたし? それとも過去のわたし?」

「言ったじゃん。今も過去もない。ユズはユズだよ。ユズはリアルでもSNSでも居場所のなかったわたしの存在を認めてくれた。ユズの隣にいるときだけ、わたしは自分でいられるようになったんだよ。でも、やっぱりユズがいないとダメなんだけどね」


 苦笑するシグの言葉はなぜかスッと心に入ってくる。不思議に思ったがすぐに理解した。どうしてシグといると落ち着くのか。SNSのフォロワーの中でもどうして一番シグのことが気になっていたのか。

 それはきっと彼女がユズという存在を認めてくれていたから。

 必要としてくれていたから。


「……シグと出会った最初のユズのことも教えてくれる?」


 柚希が言うとシグは嬉しそうに「全部話してあげる」と頷いた。そして二人で笑い合う。


「じゃあ、シグには今日ここに泊まってもらおうか」


 無言で話を聞いていた水希がおもむろに口を開くと、いきなりそんな提案をしてきた。シグと柚希は「え、今日?」と声を揃える。


「そ。今日」


 水希は頷きながらマグカップを持って立ち上がるとシンクにそれを運んでいく。


「柚希が話を聞く気になってるうちに全部話してやってほしいんだよね。柚希、メンタル豆腐だから明日になったら気が変わってまた引きこもっちゃうかもしれないし」

「水希、もう少し言い方ないかな……」


 柚希は苦笑する。しかし水希は「ほんとのことじゃん」と肩をすくめた。


「今までも何度か会いに行こうとしてたでしょ。シグだけじゃない、他のフォロワーの子たちにも」

「え、そうなの?」


 シグが目を丸くする。柚希は視線を泳がせながら「まあ……」と言葉を濁した。あまり思い出したくないことだったのだが、水希は容赦なく「あのときもそうだったんだよ」と続ける。


「シグとミユさんとさ、カフェで会う約束してたじゃん。去年の年末だっけ」

「ああ、はい。そういえばあのときに会ったのって――」

「あれ、わたし」


 冷蔵庫から炭酸ジュースのペットボトルを取り出して水希は戻って来た。


「やっぱり……」

「あ、気づいてた?」

「いえ。水希さんに会ってからなんとなく雰囲気があのときのユズに似てるなって思ってて」


 シグは苦笑する。柚希は申し訳なさに顔を俯かせた。


「あのとき、本当は会いに行きたかったんだけど直前になってやっぱり無理だって思っちゃって。名前は知ってる。でもミユさんとどんな話をしたのか、ミユさんがどんな人なのかわからなくなって。それにシグも来るって聞いてパニクっちゃって」

「でもすっぽかしたくないっていうから仕方なくわたしが行ったってわけ」

「あのときの水希、そんなにわたしとは違ってた?」


 柚希が問うとシグは苦笑したまま「かなり」と頷いた。


「ミユさんもショック受けてたし、心配してた」


 柚希は水希を見つめる。彼女は悪びれた様子もなく「わたしはわたしのまま行っただけだし」と肩をすくめた。こういうところが水希は柚希とは違う。

 見た目は同じ。おそらくは根本的な性格も同じ。だが自分を素直に受け入れることができている。彼女はきっと柚希よりも強い。誰かに頼らなくても堂々と生きていけるのだろう。その強さを自分も持つことができれば、もっと上手く生きられるのかもしれない。


「――あ、もしかしてなんですけど知砂ちゃんやパピさんにも会いに行きました?」

「え……?」


 手術をしてから知砂とパピとは連絡を取った覚えはない。何度もアカウントにDMがやリプが来たりしていたが返信することはできなかった。柚希は水希を見る。すると彼女はスッと視線を逸らした。


「水希?」

「――ちょっと確認しに行っただけだって」

「なにを?」

「なにって……」


 水希はなぜかチラリと柚希へ視線を向けた。そして小さな声で「どんな人なのか」と続ける。柚希は首を傾げた。


「どんな人って?」

「うるさいな。柚希が仲良くしてるフォロワーがどんな人なのか確認しに行ったの。悪い?」


 突然、キレ気味に彼女はそう言うと「とにかく!」と飲みかけのペットボトルをそのままテーブルに置いてキッチンに移動していく。


「今日はシグは泊まりでいいよね? 夕飯、三人分作るからね?」

「ああ、はい」

「え、泊まり大丈夫なの?」

「ダメだった?」


 シグが目を大きく見開く。柚希は「ダメっていうか」と苦笑する。


「いきなり泊まりだなんて家の人が心配したりしない?」

「ああ、大丈夫。パピさんのおかげで最近はうちの親も慣れてきたみたいで」

「パピ?」

「まあ、その話もまたあとで」


 シグは微笑む。その表情が温かくて柚希も思わず笑みを浮かべた。


「シグ」

「ん?」

「ありがとう」


 シグは驚いたような表情を浮かべる。だがすぐに「うん」と頷いてから「こちらこそ、ありがとう」と言った。その言葉に、その笑みに自分の存在を許された。そんな気がした。

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