ライトの向こう側

楽天アイヒマン

第1話

 閑静な住宅街の外れに鬱蒼とした神社があり、その神社に隣接するようにこじんまりとした無人駅があった。一日の乗者数は多くて十人ほどで、もちろん駅員なんているわけがない。線路の高架下から駐車場に繋がる道には、いつから停まっているかわからない自動車が所狭しと並んでいる。普通なら治安が悪くなりそうなものだが、神社の近くということもあり、悪ガキや不良は近寄らなかった。いや、そもそも住宅街の外れという事もあり、近寄る人間そのものが少なかったのだろう。

 乗り捨てられた車たちが、車上荒らしに遭う事もなくゆっくりと錆びていく様は、何か不吉なモノをイメージさせ、意識的に人の意識から追い出されていった。


 空気の中に、草の湿っぽいムッとした臭いが混ざり始めた八月の夜中、いつものようにクビキリギス達が求愛の鳴き声を喚いていると、近くに乗り捨てられていた車が大きなゲップのような音を立てた。クビキリギス達はかわいそうに、怯えてしばらく鳴かなくなってしまった。

 音の正体は、数年前に乗り捨てられていた旧型のプリウスが建てた起動音だった。プリウスはしばらく眠そうな様子でエンジンをクルクルと鳴らしていたが、急に大きな空吹かしをすると、大きな声で周囲に呼びかけた。

「おおい、起きろ。もう夜だぞ」

 すると周囲の車達は次々と眠りから目を覚まし、エンジンをふかし始めた。車内のラジオから流行歌まで流すものもいた。

 これだけ大騒ぎをすれば、いくら住宅街の外れといっても、人間達の耳に届きそうなものだが、車達の喧騒は全て神社の木々が受け止めてくれた。したがって車達は思う存分騒ぐことができた。彼らのタイヤはすでにボロボロなので、走れない代わりに大きな声で騒ぐことが楽しみとなっていた。


 彼らはここではかつての持ち主の名前を名乗っていた。打ち捨てられ、放置されてもなお持ち主のことを忘れることはなかった。

「いやあ、いい夜だな。星が綺麗じゃ」そう言って軽トラックのリュウジが嬉しそうにエンジンを吹かした。周りの車も同調のクラクションを鳴らすが、どれも古くなっていて、ひび割れたような音が響く。

 リュウジはしばらくご機嫌な様子でライトを瞬かせていたが、そのうち不機嫌な様子で、独り言のように問いかけた。

「なんだか虫の声が聞こえんのう。わしはあれを聴くのが楽しみだったんだが」

 するとプリウス改めヒロが申し訳なさそうに言った。

「いやあ申し訳ない。僕の起動音でみんな逃げてしまったみたいだ。多分神社の方だろうね」

それを聞いたリュウジはエンジンを吹かして神社に向かおうとしたが、タイヤは回らず、ただエンジンの虚しい空周りが続くだけだった。

「全く、この糞タイヤが。動くことすらせんとはのう」そう言って軽トラックは苛立たしげにクラクションを鳴らした。

「まあまあリュウジさん、虫なら明日には戻っときますよ…しかしタイヤそんなにひどいんですか?」ヒロは虫を逃がしてしまった罪悪感から、リュウジの話相手になった。

「ああ、ここにいる奴らのタイヤは酷いもんだが、わしのが一番ひどい。全く持ち主の使い方が悪かったんじゃろう」そう言ってリュウジは自虐的ではあるが、どこか誇らしげにエンジンを吹かした。

「持ち主が農家でな。酷い道ばかり走るときたもんだ。おまけに手入れもしない。結局乗り潰されたわい。まあここにいる車達、全員そんな境遇だろうがな」


 ヒロは相槌を打ちながら、心の中では持ち主のことを思い出していた。ヒロの持ち主は新車でヒロを買った。当時は景気が良くて、現金一括で買った姿を今でも覚えている。彼は高級そうな時計と趣味の悪い洋服で、よくドライブを楽しんでいた。フロントガラスを撫でる潮風が気持ちよかった。

 そのうち結婚して二児の父親になった。よく笑う可愛い子達だった。週末にはよくドライブをした。弁当を持って、よく晴れた海沿いを走った。どこまでも走れる気がしていた。

 順調な人生だと思っていたが、彼が飲酒運転で捕まってからは歯車が狂ってしまった。ヒロはエンジンをかかりづらくしたりして抵抗したが、結局彼は泥酔しながら運転して人を跳ね、刑務所に行くことになった。奥さんは子供達を連れて、夜逃げのように引っ越した。あの無人駅からどこに向かうかも知らない電車に乗って。ヒロを高架下に乗り捨てたまま。


「全く、酷い乗り主だったわい。ヒロ君のとこもそうだろう?」

 ヒロが答えようとしたその時、一台のパトカーが高架下に駆け込んできた。皆が歓迎のクラクションを鳴らす中、パトカーは咳き込むように喋った。

「やばいぞ、来月この駅が取り壊しになるらしい。採算が取れないからっていう理由でな。それで放置車両の一斉撤去が来週始まるんだ。全員スクラップだぞ」

 そう言ったきりパトカーは遠くに走り去ってしまった。羨ましい限りの、美しい整備された車体だった。

 ヒロ達はシンとして、それから徐々に騒ぎ始めた。ライトが点滅して、クラクションが響く。まるで朝方のナイトクラブのようだった。

 彼らの中に走って逃げられるような者はいない。皆は口々に叫ぶ。「どうすればいい」「ご主人が来るはずだ」。しかし何も解決策が出ないまま、空が白み始めた。街がゆっくりと金色に染まっていく。

 陽の光が高架下の暗がりを撫で上げた途端、車達は急に静かになった。騒ぎのかけらも見当たらない、実に統制の取れた静寂だった。

 朝になり、出勤のために数人のサラリーマンらしき人たちが歩いてきた。彼らは高架下にチラリと視線を向けると、汚いものを見たようにフイッと目を逸らした。


 毎夜のどんちゃん騒ぎは酷くなる一方だった。自分達はもうすぐスクラップになるのだという恐怖を誤魔化すために騒ぎ続けた。それは一体感を伴っており、奇妙に美しい騒ぎだった。しかし、虚しい美しさだった。虚しい光の環が咲き誇っていた。

 ヒロはぼんやりとその騒ぎを見ていた。とても彼らのように騒ぐことが出来なかった。

 その時、騒ぎの中から一台の車がヒロに話しかけた。軋むような声はリュウジのものだった。

「お前さん、騒がないのか。まあ、気持ちもわかるがな」

「ええ、最後は思い出に浸っていたいんです」

「だろうな…そういえば聞いてなかったな」

「何をです?」

「こないだパトカーが来た時に聞いただろう。元の持ち主のことだよ、ヒロ君のところの持ち主も酷いやつだっただろ?」

「ああ、その話ですね…ええ、酷い人でしたよ。飲酒運転で捕まってそれっきりです。ただですね…」そういうと、ヒロはしばらくは言いにくそうにためらっていた。リュウジはそれをじっと待っている。やがて決心ができたのか、ヒロはつぶやくように言った。

「…ただ、今でも嫌いじゃないんですよ」

「ああ、わしもだ」

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