第9話 パスピエ3

 二人の目の前に、公園が見えてくる。チイナとアオネコは、滑り込むように公園へ入って行った。

 公園には、ブランコやベンチ、鉄棒、それにダリの絵に出て来そうな形をした青い滑り台がある。

 青い滑り台には、大人3人は入れるかと思われる大きなトンネルが穿うがたれていた。

 アオネコとチイナは、滑り台をくぐってトンネルに入り込んだ。

 トンネルの中に、二人で座る。遊具の冷たい感触が、肌に沁み込んでいった。

 アオネコはカバンの中の巾着を手に取り、中からメルティ・イヤーを引きずり出した。

 二人で、競い合うようにメルティ・イヤーをつける。

 アオネコがメルティ・イヤーをスマートフォンに接続して音楽を選んだ。スクロールすると、画面の項目に、クロード・ドビュッシーの名前が現れる。それをタップして、曲を選ぶ。曲名は『パスピエ』。


「始めよう」

「うん」


 アオネコがパスピエと書かれたタイトルをタップして、曲が始まった。

 軽やかなピアノのスタッカートが耳に飛び込んで来る。それは、まるで雨だれが反射する水面のきらめきのようにキラキラと踊った。

 テンポがかなり速い。流れるような麗らかなパッセージ。


 チイナとアオネコは、手を繋いで曲に入り込んで行く。そこは幾重にも連なった階段と、積み重なった家々のある廃墟の街だった。

 廃墟は青い植物に覆いつくされ、まるで植物たちが人間のふりをして暮らしているかのように思えるほどだ。

 チイナは、アオネコの腕を引っ張りながら、街を駆けて行く。チイナはエプロンドレスを着ていて、蒼く光るエナメルの靴を履いている。アオネコも同じエプロンドレス姿で、碧色のエナメルの靴を履いていた。

 硬い靴裏で街の石畳を踏み鳴らし、チイナとアオネコは駆けて行く。足取りはまるで踊っているようだ。

 石畳はチイナたちが踏む度に硬質な高い和音が鳴り響かせる。

 跳ねるようなリズム。アクセント。二人は石たちを楽器のようにかき鳴らした。

 突然、旋律の動きが滑らかになる。和音がわずかにかげりをみせた色彩を纏いはじめる。

 二人はドーム型の商店街に差し掛かっていた。商店街の向こうに、小学校が見える。


「あれは……」


 アオネコは歩みを止めて、商店街の向こうの学校をみつめた。チイナもじっとそれをみている。

 小学校には見覚えがあった。それは、廃墟になって草木に覆われているが、二人が過去、通っていた小学校そのものだった。

 学校の前まで歩み寄り、二人は校門から中を覗き込む。二人の姿は、いつのまにか小さく、幼くなっていた。

 チイナは校門をくぐろうと、一歩踏み出した。


「あれ……?」


 アオネコの姿がない。


『チイナ』


 灰色の同級生たちが、チイナに声をかけた。振り向くと、沢山の生徒たちが校門を通って学校に向かっている所だった。

 見覚えのある風景に、チイナは思った。ここは過去の世界だ。過去の記憶が再生されている。


 小学校三年生の頃、アオネコは転校してきたばかりだった。もともと人付き合いが苦手で、猫のように警戒心が強く、一人でいることを好んだ。転校初日、自己紹介を終えた彼女はすぐに「変なやつ」と距離を置かれた。

 髪が青い。性格が気まぐれ。人と話すのが苦手。

 そんなアオネコは、すぐにクラスの隅っこに追いやられた。

 放課後、校庭の隅に座り、一人で空を見上げていた。誰も話しかけてこないのは、いつものことだった。別に寂しくはない。ただ、胸の奥が少しだけ重かった。


「ねえ、何してるの?」


 突然、頭上から声が降ってきた。見上げると、チイナがいた。

 彼女はアオネコの隣に腰を下ろし、ランドセルを置いた。


「一人?」

「……うん」

「ふーん」


 それだけ言うと、チイナは黙った。まるでそれが普通のことのように、空を見上げた。

 アオネコは驚いた。普通なら「どうして一人なの?」とか、「友達作らないの?」とか言われるはずなのに、この子は何も言わなかった。


 まるで、アオネコがそこにいることが当たり前かのように。数分後、チイナは突然立ち上がると、手を差し出した。


「ねえ、一緒に帰ろうよ」

「……え?」

「だって、なんかアオネコって猫みたいでかわいいし。なんか、ほっとけないんだよね」


 アオネコの胸が、かすかに震えた。このとき、彼女は初めて「誰かに必要とされた」と感じた。

 それ以来、アオネコはチイナを追いかけるようになった。

 チイナと一緒にいると、世界が少しだけ優しくなる気がした。それを、アオネコは友情だと思っていた。しかし、時が経つにつれて、その感情は形を変えていった。

 アオネコがチイナの手を取った。

 二人は、過去をたどり、少しずつ成長していく。



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