過労聖女が幸せになるまで
水空 葵
1. 過労はもう嫌なので
ズキズキと、胸が痛む。
この痛みの原因は日々の寝不足と過労だって分かっている。
けれども、休んで治すことは私に許されていない。
本来の聖女の仕事だけでも大変なのに、それに加えてウィリアム王子殿下の執務までこなさないといけないのだ。
「セシル、この武器を片付けておけ」
少しでも休もうとしたら、少しでも仕事の手を抜いたら、些細なことでも彼の機嫌を損ねたら……ウィリアム王子殿下が追加の仕事を押し付けてきて、私は寝る時間も奪われてしまう。
「少し……休ませてください……」
「聖女なのに体力が無くてどうする? これでも運んで鍛えろ。
大体、疲れは治癒魔法で治せるのだろう? サボったら罰として鞭打ちだからな」
「そんな……」
息を切らしていても、足に力が入らず真っすぐ歩けなくても、ウィリアム殿下は心配する素振りすら見せない。
私は彼の婚約者なのに、少しも大事にされていなかった。
一年前に言われた「君が聖女になったら大切にする。誰よりも愛する」という言葉は、今になっても果たされていない。
この言葉が嘘だということに気付いたのは聖女になった日。その時にはもう手遅れだった。
家に逃げ帰ろうとしても、追い返されるだけ。
私の家――ビルジアン男爵家は妹のコリンナばかり大事にして、私は疎まれている。
いつも笑顔で可愛らしく、貴族から持て囃されるコリンナ。
一方の私は笑うことを許されない日々を過ごしてきたせいで、笑顔を作れない。おまけにコリンナと違って胸も身体も貧相だから殿方の気配なんて全く無かった。
「セシル様、顔だけは整っているけれど他は全然ね」
「顔だけ聖女と言われるのも納得ですわ」
「乞食のような体型ですから、殿下がセシル様に魅力を感じないのも当然に思えます」
王宮の侍従達でさえ私に聞こえるような声で陰口をするのだ。社交界で付けられてしまった『顔だけ聖女』などという不名誉な二つ名は、侍従達の
今の侍女の言葉も本当のことだから、私は心の中で否定することも出来なかった。
ウィリアム殿下はずっと他のご令嬢にお熱で、私には見向きもしない。
侍女達からも冷遇されていて、この場に私の味方をしてくれる人は一人も居ないのだ。
聖女になったのは、家で虐められる生活から逃げるためだったのだけど、こんな事になるなら家にいた方がマシだったかもしれない。
今すぐにでも王宮を出たいけれど、今の私は自由に行動することは許されなくて、王室親衛隊の監視が常に付いている。
暇そうに付いてくるくらいなら、この重たい木箱の一つでも運んでくれればいいのに……。
そう思ったのは、今日が初めてではないのよね。
三十分かけて必死に木箱を運び終えた私は、王宮で与えられている私室に向かおうとした。
けれども、今度はエレノア王女殿下から声をかけられてしまった。
「この書類、今日中にお願い」
「この量を……ですか?」
「優秀な聖女様なら出来て当然ですわよね? それとも、偽物の聖女なのかしら?」
私を見下すような口調に、苛立ちを覚えることはもう無い。
我儘なエレノア殿下からのお願いを断ると、彼女を溺愛しているらしいウィリアム殿下に告げ口され、私が鞭で打たれることになるから。
治癒魔法で擦り傷は治せても、赤く腫れあがった背中を治せても、鞭で打たれる時の痛みは消せない。
痛い思いはしたくないから、私はエレノア殿下の仕事もこなしている。
「聖女様! 騎士団で大怪我をした方が多数出てしまいました!
同行をお願いします!」
けれど、こんな風に緊急の呼び出しがかかると、殿下達から押し付けられた仕事はこなせなくなってしまう。
理由を説明しても聞き入れてもらえないから、聖女の仕事を終えた後は決まって鞭で打たれていた。
きっと今夜も鞭で打たれる。
そう思うと、私の周りに真っ黒で分厚い雲が立ち込めている気がした。
人助けは好きだから、断りはしないけれど。
「分かりました。すぐに向かいます」
「こちらです」
案内された場所に向かうと、血の香りが強くなっていった。
ぱっと見ただけでも十人は酷い怪我を負っている。
中にはすぐに治療を始めないと命を落としそうな人もいるから、その人から治癒魔法をかけていく。
私の魔力は多い方だけれど、魔力消費量が多い治癒魔法を何度も使ったから、全員治した時には私の心臓を治すための魔力しか残っていなかった。
治癒魔法を使える人は私以外にも居るけれど、全員私よりも少ない魔力しか持っていなくて、私が倒れたら救える人も救えなくなってしまう。
でも……。
「どうして俺が最後なんだ!」
「すぐに来てくれないから傷跡が残った! どうしてくれる!?」
こんな風に罵倒されたら、助けたい気持ちも冷めてしまう。
この人たちを治すのは初めてだったけれど、文句を言われるのは毎回のこと。
聖女なら傷跡を残さないで治せて当たり前。全員を救うために順番を付けているのに、そのことに文句を言う。
おまけに感謝の言葉は一切無し。
……いつからか、私はお礼を言われたくて、みんなの傷を癒していたのね。
そのことに気付いて落ち込みながら部屋に戻ろうとしている時のこと。
また、ウィリアム殿下に遭遇してしまった。
「可愛いエレノアのお願いを無視して油を売っているなんて信じられん!
罰として鞭打ちだ!」
「そんな……! 私は騎士団の皆さまのために……」
「煩い!」
鞭で打たれる乾いた音。
少し遅れて、背中に痛みが走る。
二度。三度。
私が涙を流すまで、繰り返された。
「明日、エレノアのお願いを無視したら、今日の倍だからな」
そう言い捨てて、階段を登っていく殿下。
直後、足を滑らせて盛大に転んでいた。
「血が……血がああぁぁぁ!
セシル! 助けてくれ!」
少し擦りむいただけの膝を必死の形相でおさえながら、縋ってくるウィリアム殿下。
「もう魔力が残っていないので、無理です」
「俺は王子なんだぞ!? 命を削ってでもいいから助けろ!」
これくらいの傷は何もしなくても綺麗に治るのに、殿下は私の命を犠牲にしてでも治せと命令してくる。
……この国の人達が感謝しないのは、見本となるべき王族がこんな体たらくだからなのかしら?
もしそうなら、私がこの国の人達を助ける理由は無い。
どこかに優しい人達が居るのかもしれないけれど、このままだと……優しい人を助ける前に私が死んでしまうわ。魔力を使い切った後も魔法を使うと、文字通り命を削ることになるのよね。
だから……この国で何もかも失ってでも、自由になる!
「なっ……」
そう決めたから。
私は聖女の縛りから抜け出すために、ウィリアム殿下の頬を叩いた。
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